面倒くさいは何者か

 風呂に入るのがめんどくさい。
 というかまあ、ウチはシャワーだけなことが多いので、正確にいうとシャワーを浴びたりするのがめんどくさい。正直、メジロアルダンをお迎えしていなかったら毎日お風呂入ってないかもしれない。そこで面倒くさいというのは何者なのか、考察してみたいなと。長々書いても仕方ないので手短に。

 面倒くさいという感情は、まず義務にしか生じないものです。なぜならやらなくていいものならやらなくていいから。そして義務の中でも正常な人は食事や睡眠といったものに面倒くささを感じません。風呂と食事の差は?
 この答えは欲といえるでしょう。欲を満たすことで幸福が生じます。欲求満足説だかそんな感じの名前があったような。幸福感を抱くことが報酬になるわけです。お腹が減ったままでもいいや、とはならずお腹を満たそうとするわけです。つまり、風呂に入りたいと思わない人は自分がキレイだと自覚しているか、汚くても問題ないと思っているわけですね。多分。
 まとめると、面倒くさいとは「幸福(=欲求)の少ない義務」となります。

 では、どのように面倒を解消するかといえばそれは幸福(=欲求)を生み出すことですね。たとえばボディーソープでシャボン玉を作って遊んだり、お風呂に浸かりつつご飯を食べたり、お風呂に入りながらキンキンに冷えたビールを飲んだり、シャワーを浴びないと何かができないというルールを設けたり(最後だけ別のところに欲求があるため、面倒の解消というより克服ですが)。なんでもいいのです。
 でも自分にとってパッといい案が思い浮かばないので、難しいものですね。皆さんはどうやって面倒を解消しますか?

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