山水郷チャンネル #23 ゲスト:真鶴出版(川口瞬さん/來住友美さん)・伊藤孝仁さん(建築家)[後編]
山水郷チャンネル第23回目は、川口瞬さん、來住友美さん、伊藤孝仁さん後編です。
Profile:川口瞬・來住友美 真鶴出版
2015年4月に真鶴に移住。「泊まれる出版社」をコンセプトに、真鶴に関する書籍の制作やウェブでの情報発信をしながら、その情報を見て実際に訪れた人を宿に受け入れる活動をしている。
宿泊ゲストには1〜2時間一緒に町を案内する「町歩き」をつけており、普通に来ただけではわからない真鶴の魅力を紹介している。出版担当が川口で、宿泊担当が來住。
Profile:伊藤孝仁 AMP/PAM(アンパン)代表
建築を入り口に、その背景に広がる世界と社会をリサーチし、これからの都市/地域/建築のあるべき姿を探求するAMP/PAM(アンパン)代表。大宮/郡山/福島/前橋でプロジェクトが進行中。2014年から2020年までトミトアーキテクチャ共同主宰。現在、アーバンデザインセンター大宮(UDCO)デザインリサーチャー。
後編では、真鶴出版のお2人の移住までの経緯と、「真鶴出版」2号店の設計と美の基準の解釈についてお聞きしています。
真鶴に移住するまで
【來住】私が生まれ育った東京・埼玉・横浜がそれぞれ郊外で、特に一番長く暮らした横浜は、すごく暮らしやすかったけど、隣にどういう人が住んでいるかを私自身は知らなかった。
そういう場所で暮らしていたので、真鶴みたいな、コミュニティや歴史が残っている場所に憧れが生まれたと思います。
大学の時に、フィリピンの山岳地帯に1週間くらいホームステイする機会があって、すごく衝撃を受けたんです。地域の人達みんな知っていて、人の家に急にご飯食べに行ったり、歩く人歩く人みんな知っている、そういうコミュニティを見た時にこんな場所があるんだって衝撃を受けて、その時に価値観が変わりました。
その後青年海外協力隊でタイに行って、その後またフィリピンに戻って、最後はフィリピンのバギオっていう所に約1年滞在していたんですけど、その時に、私がいいなって思ったコミュニティって、地方にあるんじゃないかなって感じたんですね。フィリピンから戻るタイミングで日本の地方を探してみようと。
当時川口もフィリピンにいたんですけど、日本の地方の情報が全然なかったので、地方の事に詳しい写真家のMOTOKOさんに相談してみたら、真鶴がいいよって言われて。
【川口】僕は、3.11以降に地方に移住している人が増えているのを感覚で感じていて、これからは東京よりも地方の方が面白くなるんじゃないかと。自分で仕事を作りたいと思っていたんですが、どうせなら東京じゃなくて地方の方が生活費も安くなるし、面白そうだからと、地方に住みたいと思っていました。
仕事は、大学時代に渋谷パブリッシングっていう、奥渋谷にある出版社兼本屋でインターンをしていて、そこで出版業に興味を持ったんです。卒業後はIT系の企業に入って、勤めながら自費出版という形で副業的に雑誌を作り、本屋に営業に行って買ってもらうという活動をして。妻がフィリピンに行くタイミングで会社を辞めて一緒に行って、その後出版業で自分で起業をしたいなと思っていたという感じですね。
できるところからスモールスタート
真鶴出版1号店の外観
【來住】真鶴に移住した時に、2週間お試しで住める事になったんですけど、最初の1週間はお試しで、最後の3日間ぐらいで物件を探していたら丁度ここが見つかって、そのまま移住しました。
宿をやりたかったので、ここに暮らしながらもうちょっと大きな物件を探していたんですけど、この家の部屋、3部屋が個室で取れるんです。夫がヨーロッパを旅行した時に、Airbnbを使った経験があったので、1部屋から始めてみるのも良いかもと、とりあえず自宅兼宿泊所としてまず始めました。これを2年間くらいやってたんです。まずコストをかけないのが一番、規模もなるべく小さく最小単位ではじめて、それでトライ&エラーを繰り返して。
例えば宿だったら、そもそも真鶴にどのくらいお客さんが来るのかとかが、データはあったんですけど肌感覚としては私達には全然わからなかったので、それを1部屋だけやってみた時に、どのくらい反応があるか、どういう人達が来るかっていうのを1人1人見る事ができて。若い層も結構反応してくれるって事と、最初は外国人がすごく多かったんです。外国人向けに町案内をしていたら反応が良くて、日本人もすごく喜んでくださって、だんだん移住を考えている人も来てくださるようになって。こういうところにもしかしたらニーズがあるかもしれないなと、2号店をつくる時には、1号店のスモールスタートで得たデータや経験を元に「旅と移住の間」っていうのをコンセプトにしました。
閉じた全体を解きほぐしていく
真鶴出版2号店。1号店はこの通りを挟んだ反対側にある。
【伊藤】2号店の敷地は、車も通れない背戸道とよばれる細い道と石垣に囲まれていて、こんな風に歪なんですね。そこに木造を建てるので、不整形な外部が必然的に生まれて、そこを各家庭で庭として使っているので、ランドスケープや緑も非常に豊かで、歩いているだけで楽しい外部空間というのが最初の印象でした。
これが改修後なんですが、こうするまでに、それこそ「美の基準」との関係がありました。
「美の基準」はクリストファー・アレグザンダーという建築家が提唱した"パターンランゲージ"という理論が条例として実装されているのがすごい事だと思うんですが、このパターンランゲージは構造を持っていながら、一方で非常に曖昧というか、そもそもルーズさを持っているというのが重要なんじゃないかという気がします。
ただ、できた当初は、真鶴で生まれる建築に使ってほしいという、道具としての「美の基準」があったんです。それはなかなか叶わなかったと聞いていました。ただ、改修には親和性が高いんじゃないかと真鶴出版2号店をやりながら思った。改修は、そもそも部分と全体を考える事。閉じた全体だった建築をパターンランゲージをきっかけに解きほぐしていくというところが繋がったかなと思いました。
ネットワークから生まれる偶然を待つ
【伊藤】2つの具体的なものを通して、2号店を紹介したいと思います。
真鶴で1、2を争う広さの通りに面している郵便局が近くにありまして、ここが解体されるという情報が真鶴出版の所に入ってきて、家具とかいらなくなるからと言われて行ったんです。
そこで2階の窓がすごくいいなと思って、局長さんに頼み込んで、2つだけゲットできた。取った時点では、どこにどういう風に使うって具体的に決まってなかったんですけど、模型を作りながらこういう大きい開口が重要だっていうのを感じながらやっていたので、模型みたいにこれを並べながら最終的に使いました。
解体の様子
1個は瀬戸道に対して開いていて、ここが舞台に見えるような、かなり大きい繋がりを生む窓。
もう1つも全く同じ窓なんですけど、それは奥に配していて、ここはコンクリートブロックを壊さずに残しておいたので、通りの人からそんなに覗かれない静かな窓、という二つの使い方をしました。
もう一つが錨(イカリ)。真鶴出版の玄関の扉をどうするかという時に、ある方のアイデアで、錨をうまく使えるんじゃないかと言われて。
真鶴出版のお2人が町歩きで必ず最後に立ち寄る港の干物屋さんに、たまに錨が港に落ちてるよって言われて、本当かなと思いながら連絡してもらったら翌日に錨が届くっていう事があったんですよね。
Amazonプライムで注文するよりも早いスピード感で錨に辿り着いてしまったというのが衝撃で、都市=スピード感、真鶴とか地方=ゆったり、というイメージがあったんですけど、全く違う、真鶴には真鶴のネットワークがあって、それがかなり衝撃的だったんですね。
こんな(上の画像)風に錨を真鶴のアーティストに加工してもらって、取手に使っています。
普通建築を作る時は、メーカーがアルミサッシやドアを無数に用意してくれていて、性能もカタログで見られて値段もわかって選べばよい。それを支えている産業の連関はすごいなって思うんですけど、それだけではなくて、真鶴には真鶴の、例えば2人が町歩きをし続ける事で生まれているネットワークがあり、その強度を信頼して建築を作るというのを意識的にやりました。
(上は)2人が町歩きでよく行くルートをヒアリングした時のものなんですけど、町歩きは偶然的に横に繋がっていくというか、強い指示系統がないので獣道みたいな新しいネットワークが生まれていて、そこで出会う資源とかスキルが建築に定着することを期待するというか、それが起こりうる偶然を待つみたいな事をしてみようと考えました。
「美の基準」は、声を発しないものの声を代弁している
【伊藤】ここでもう一回「美の基準」に戻るんですけど、美に基準なんてあるのかという批判はいくらでも成立して、僕も思うところはあるんですけど、もう少し翻訳すると、環境とか資源とか声を発しないものの声を代弁しているんじゃないかっていうのを思うようになりました。
これ(上の図)は箱根を中心とした地中の温度の分布図なんですが、周辺の湯河原とか熱海の地中は高温で、温泉が出るんですね。
真鶴は低くて温泉が出ないんです。温泉が出ないから観光ブームの時に通り過ぎられて、全部熱海とか湯河原に行ってしまった。だからこその違いがある。真鶴に遅れて開発の波がきたのが「美の基準」の発端なんですが、地中の温度もそうですし、水資源にも乏しいんです。川も一つもなくて、湯河原から水を買っていたりする状況で、そこにマンションがどんどん建ってしまったら、より湯河原への依存度が高まってしまう。
一方でマンションを建ててほしい農家の方もいる中で、推進するのか反対するのかが町長選で行われたのが、「美の基準」が生まれる背景です。
それは開発しようとする不動産開発会社と、争った町民、という「人対人」の物語でもあると同時に、「環境や資源」と「営み」の対立、人対人とはみない方法もあるんじゃないかと思いました。
そもそも水資源がない、そこにこんなにマンションを建てちゃっていいの?という資源側からの声に、その場所に寄り添って生まれる身の丈にあった生活が美しい、という考えなんじゃないかと。
その寄り添った生活が生んだ空間を建築家たちが発見していきながら、言葉にしたのが「美の基準」じゃないかなと理解していて。
資源と営み、これは山水と郷も同じ関係なのかなと思うんです。
今、「山水」と「郷」と分けて書いているように、別物として捉える流れがあるけれども、この2つはどちらかがどちらかを支えるだけじゃなく双方向で、資源は、資源だと思う人がいないと資源じゃないし、資源がないと営みがそもそも成立しない。
「美の基準」は資源そのものが美しいという話でも、営みそのものが美しいという話でもなく、この関係が非常に良い状態を捉えているのかなと思っています。
動画ではこの他、真鶴に美の基準ができるまでのお話や、暮らしの豊かさについてお話されています。
ぜひYouTubeでご覧ください。
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