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私が知らないパーソナルな部分を知られている

 扁桃腺がでかい、らしい。

 らしい、というのは、私は私自身の扁桃腺を見たことがない。誰しも大体そうだろう。風邪はいつものどが痛むのでそうなのかもなーと思っていたり、実際にお医者さんにそう言われたからそういうもんなんだと思っている。くらいのものです。

 私のパーソナルな部分なのに私はその特徴を全く理解も意識もせず、見ず知らずのお医者さんに私の至極パーソナルな特徴を知られているという状況がなんだかおもしろい。医者に掛かると、だいたいそんな意識になる。

 子宮頸がん検診に行った時にエコーもやってもらい、その映像をリアルタイムで見せてもらうのだけれど、私にはうすぼんやりとした白黒のごわごわとしたものにしか見えない。
 けれどお医者さん(ものすごく柔和な印象の女性で、実際にとても優しい先生だ。近場でこうやっていい先生に出会えるのは本当にありがたい)には、きっと私の子宮の形にどういう特徴がありどういった状況なのかが見えているのだろう。そのために医師になるための勉強をしているのだから当然なのかもしれないけれど不思議で面白い。

 医者に限った話じゃなくて、友人でも少しだけ話をした人でも、私が見たことのない「鏡越しではない私の顔」を見ている。もしかしたら私の背中や首もとにはほくろや傷があるのかもしれないし、話すときに意識をしていない癖があるのかもしれない。
 自分が仕事をしている時にどんな顔をしているのか、きちんとうまく取り繕えているのか、わからない。多分できていないんだろうなあ。

 人づきあい、というものがそうだとしたら、ひきこもりネットにも触れず、外部からの情報をただただ受動するのみという場合以外は、みんな自分の知らないパーソナルな部分を他人に曝け出しながら暮らしているのだ。末恐ろしや!!

 『素顔同盟』という小説がある。素顔をさらすとトラブルのもとになるから、みんな笑顔の仮面をかぶって暮らしているというディストピア設定で、教科書に載っていた挿絵が結構トラウマなのだけれど、仮面をしていても誰なのかわかる、ということは顔以外でもパーソナルな情報が漏れ出ているから識別ができているのだと思う。

 それが、仮面がないこの現代!漏れに漏れてだだ漏れだろう。そういう様々なパーソナル要素が積み重なって、個性って呼ばれているんだろうね。しらんけど。

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