韓国人のテコンドー史観②

引き続き空手とテコンドー

前回に引き続き、ナムウィキという韓国のWIKI系サイトで韓国人が書いたテコンドーの歴史に関する文章をひたすら無断転載していきたいと思います。

https://namu.wiki/w/%ED%83%9C%EA%B6%8C%EB%8F%84/%EC%97%AD%EC%82%AC

唐手の歴史についても言及している

空手は本来、日本本土ではなく、琉球の伝統武術であり、中国に起源を持つ武道である。17世紀の日本薩摩藩の侵略によって武器を所有することができなくなった琉球王国(現在の沖縄)武人が修練したという伝説が広く伝わっている。
1625年に明の武術家が琉球に来て自国の拳法を教えたという記録があり、これは空手の歴史で必ず取り上げられる事実の一つである。琉球語の「ティー(手、ティー)」は、「手」を指す言葉であり、同時に技術全般を指す言葉でもある。武人の「ディ」は「武術」を指す。そして、中国から伝来したと知られている武道、「トディ(唐手、トゥーディー)」。つまり、唐手(韓国語でタンス)が存在した。
1929年には、船越義珍が師範を務めていた慶應義塾大学の空手研究会では、「空手」を般若心経の空の考え方から「唐手」から「空手」に修正すると発表した。また、日本の他の武道(剣道、柔道など)が、道という表記を使うことを受けて、空手も道を付けられる。したがって、「空手(空手道)」という漢字表記が生まれた。日清戦争、日露戦争で日本の軍国主義が深刻な状況下においては中国を連想させる唐手を空手に変えたものである。おかげで、韓国では日本に比べて唐手の名前をかなり長く使用していた。現在でも60代以降のご高齢の方は、若い頃には唐手の名前の方がテコンドーという名前よりもなじみが深かった。
また、素手打撃技術に特化するために棒やヌンチャクの技術など武器術を除去し、柔道との差別化のために、本来「ティ」にあった柔術技も除去した。一方、大日本武徳会に受け入れられるために柔道の衣と級と段位、帯システムを導入した。このようにして、現在のような「空手」が作られた。
しかし、空手は日本ではこれまで歓迎されない「異邦武術」であった。空手が日本の武術で認められたのは、1933年になってようやくあったことであり、それさえも「柔道/柔術」の一種に分類されて柔道家が空手の昇級を審査するという屈辱的な待遇を受けた。当時の認識も柔道は相手の力で相手を制圧する伝統武道、空手は単に殴る下層民が身につける武術あるいは喧嘩、という歪曲された価値観が蔓延した。小説や映画にも、常に主人公役は「柔道家」であり、逆に悪役はほとんど空手家であった。このような面から見ると、(テコンドーは)空手の埋め合わせで「チョッパリ」武術の偽物と考える必要はない。実際には当時の植民地朝鮮人たちは、日本に進出して十余年ほどにしかならないが、同じ植民地である琉球の中国の起源の武道を習っことだけだ。ただし、日本は空手の起源が中国で沖縄を経て日本に定着された歴史を認めている。韓国のテコンドーは、その日本に定着された空手を改良して、現在のテコンドーがされたことを認めず、五千年韓民族の伝統武術という歴史歪曲をしている状況である。

このあたりも反日思想が強い書き込みである。

基幹道場五大館(著者注:戦前に韓国に存在した唐手・拳法の道場で後に統合されてテコンドー界の基幹となった)の館長の中には確かに空手を学んだ人が多く、道場の名前も「XX館」というふうに空手、柔道と似ている。全体的に空手の影響を受けた点が多いということだ。また靑濤館や松武館は松濤館から文字を取ってきて名前を作ったりもした。したがってテコンドーが空手を変形させた武術であることを否定することはできない。ただしテコンドーはどの空手家の一人が創始した武術ではない。九大館長(著者注:更に戦後4大道場が加わって九大館となった)のほとんどが松濤館空手を直接的または間接的に学んでいたが、一部は別の武術を学んだ人もいて、中国拳法に長けた人もいた。しかし、テコンドー側で主張する韓民族の伝統武術に外来武術を取り入れたという証拠は全くない。主な材料は、松濤館空手と若干の中国武術が混合されただけだ。

テコンドーの技術と空手のつながり

日本でなんと1958年度に製作した松濤館空手のい映像にも後ろ蹴り程度は、正式な技術で登録されている。試合で用いられないからといってテコンドーの手の技術がないのではないように、試合で用いられないからといって松濤館流に足の技術がないわけではない。ただし試合で使用することが難しいみると、実用的に発展した跡とは微塵も見られないほど姿を消した。しかし、80年代の日本の松濤館空手の蹴りの動画には後ろ蹴り・後ろ回し蹴りなどが出てくるなど、韓国の人々が思っている以上に空手は過去から海外武術との交流があった。今、日本空手師範も後ろ回し蹴りなどのキックはテコンドーの起源と言う。もちろん言葉でそう言っていたとしても本当の事実がそうだというわけではない。ただ空手ではあまり使わなかった自分たちの技術がテコンドーでは積極的に使用され、発展させられた物を逆輸入的に影響を受けたという意味である。空手家のローキックは彼らの主要な技術であるが、やはり1960年代ムエタイとの交流に新たに受け入れた技術であり、実際にも空手界では否定しない。
ITFに限定するなら、肉体鍛錬と直線的な攻撃を中心に発展した空手とは異なり、体重を乗せて破壊力を最大化する正弦波の理論から派生した動作などの技術の原理に差が出る。ただし、これはITFテコンドーに限られた話であり、私たちが知っているWTFテコンドーとは関係がない。
また、当時の日本で空手を学んだ初期テコンドーの師範の実力は空手界でも認めるほどかなりの実力だった。そんな同等の立場で自ら拳法を発展させたものであれば、これは空手の偽物と貶めては絶対にならない。テコンドー初期人員の一部が日本に定着した松濤館空手を日本で学んできた人々で、沖縄から直接学んできたものではなく、すでに日本に定着され、日本化された松濤館空手を中心に修練した人がテコンドーを作ったのだ。
テコンドーは空手の亜流ではなく、戦後の日本に伝播した沖縄武術が日本と韓国両国でそれぞれの方法で発展してきた歴史を見ると、兄弟格に見なければなら武道である。その発展途上でお互いに影響を与えて受けた部分は、歴史的にも基法的にも確認される。ただし、過去の歳月テコンドーは檀君から降りてきた民族の伝統武術という嘘は出てはならないものであり、韓民族の伝統武術だと歴史歪曲をすることは止揚されるべきものである。

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