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ゼロから学ぶWTFテコンドー(キョルギ編)

※ ルール変更に伴い、以降の更新は下のnoteが中心となります。

以下の内容は過去に公開していた文章になります。



































 WTFテコンドーは他の格闘技やスポーツと異なり、殆ど書籍が出ていません。勿論、五輪種目なので海外には様々な書籍が出ているのですが、全て英語や韓国語。日本語のテキストも以前は出ていたのですが、現在では絶版になっています。そこで、コチラのノートが初心者や未経験者がテコンドーの中でもキョルギ(組手競技)を自学自習する手助けになればと思っています。


ステップ1 とりあえず動画を見ろ

 本当に良い時代なので、基本蹴りに関しては動画が沢山出ています。
 テコンドー後進国なので日本語の動画は全くないのですが、英語で「taekwondo」と検索すれば腐るほど出てきます。
 一方で「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉が有る通り、何でこのクオリティの蹴りやプムセでチュートリアル動画を出すのだ? という動画も少なくありません。
 そんな中でも特にクオリティの高い動画がコチラになります。

 韓国の大統領杯で優勝したこともあるタイラー・イム国際師範の蹴りの動画です。細かく言えばプムセ用の蹴り方や、キョルギの試合向きの蹴り方など、異なる蹴り方がありますが、基本としては非常に素晴らしい蹴りです。
 先ずは、この動画を穴が開くほど見て、テコンドーの正しい蹴りをイメージできるようにする事が大切です。

 後は、試合を意識して練習する事も大切ですから、試合の動画を見ておくことも大切になります。特にテコンドーは1年ごとにルールが変わりますから、なるべく現行のルールで行われた試合を見る事が大切です。例えば、2019年現在なら、2018年~2019年に行われた試合を見なければ、現在では使えない技術などが使われている場合もあるため、参考になりません。

 そんな現行のルールで最高の選手と言えば、韓国の李大勲(イデフン、Lee DaeHoon)選手でしょう。
 彼は現代テコンドーを完成させた男と言っても過言ではありませんから、回し蹴りや横蹴り、様々な蹴りで得点を取る事が出来ます。イデフンのベストキック集もyoutubeに出ており、彼の蹴りの多彩さを物語っています。

 やはりテコンドーの本場韓国の選手は良い選手が多く、最近の選手だと58kg級のジャン・ジュン選手なども勉強になる良い選手です。前足を上手くディフェンスに使い、突きでポイントを取って行く所などは非常に秀逸です。


 なお、蹴りに関する説明をyoutubeでしているチャンネルもありますから、蹴り方などはそちらを見て学んでみてください。

 戦術に関してもアメリカ代表のフィリップ・ユンが非常に分かりやすくまとめてるので、誰か日本語訳してください。というか、大学生テコンダーは英語の勉強も兼ねて通しで全部見るべきだと思います。

【補足】テコンドーのルール テコンドーのルールですが、突きは中段のみで綺麗に入った単発が1点(連打は得点にならない)。中段の蹴りが2点、上段の蹴りが3点。回転を伴った蹴りが+2点。ローキックや上段突き、掴みや投げなどの禁止技、転倒や場外などの反則は減点で相手に1点というルール。
 というくらいは抑えておくと良いと思います。

【補足②】
この記事を書いてからルールが変わりすぎたので、詳しいことは下の動画を見るのがいいと思います。

THE TKD LAB - YouTube

ステップ2 正しい蹴りは正しい構えから

「강맹하되 무모하지 아니하며, 신중하되 소극적이지 아니한다(剛猛だが無謀ではなく、慎重だが消極的ではない)」

 というのはテコンドーに関する格言なのですが、テコンドーという武術を作った元老の一人であるチェ・ホンヒ将軍はテコンドーという武術の中に流れる哲学を一言で言い表すならば柳の様な武術だと語っていました。
 つまり、風の方向に応じて、自然で柔軟に動き、方向を変える柳のように、テコンドーも状況に合わせて柔軟な思考と攻防を重んじる武術であるという事です。
 テコンドーは孫子の兵法書にある「屈伸の利(軍略の上からわざと敵に屈して侮らせ、深追いしたところを一伸して反撃する)」に通じる武術であり、暴風雨の様に相手を一方的に打ちのめす事よりもそれを受け流しながらカウンターを取っていく事に重きを置いていました。
 しかし、WTFテコンドーでは電子防具で得点を判断する様になってから状況が大きく変わってしまいました。時として、暴風雨の様に相手を叩きのめし続けなければ試合に勝てないスポーツになりました。
 では、時には暴風雨の様に絶え間なく相手を打ちのめし続け、時には風の方向に応じて、自然で柔軟に動き、方向を変える柳のように動く為には、どのような技術が必要なのでしょうか?

2.1 プムセの立ち方

 正しい蹴りの始まりは正しい構えです。多くの人はテコンドーを習い始めた時に何種類かの立ち方を習うと思います。

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 アプソギ・アックビ・ティックビ・ジュチュムソギ等々の立ち方です。
これらはプムセ(型)に使われる立ち方なのですが、先ほどのキョルギ(組手競技)動画を見て頂ければ分かるようにプムセの立ち方で実際のキョルギ(組手競技)をしている人はいません。
 しかし、プムセの立ち方は骨格のアライメントを整え、正しい姿勢を取れるようになる鍛錬としては非常に優れています。例えば、ジュチュムソギ(騎馬立ち)はO脚やX脚などの足の骨格が正しい位置にない人にとっては最初は厳しく難しい立ち方に感じるでしょう。例えば、つま先が外を向き、膝が内側に入る様な立ち方をする人にとっては「この立ち方は骨格的に無理!」となるかもしれません。しかし、その骨格を矯正しないまま激しい練習を続ければ、激しい蹴りの練習で膝に負荷が掛かり、やがて膝に大きな故障を負ってしまうリスクが高くなります。
 その為、多くの道場では初心者に対してジュチュムソギ(騎馬立ち)で突きを打つことを指導しています。これらの練習を通して最初にテコンドー修練者は正しい骨格のアライメントを作るのです。
 テコンドーは韓国併合時代に朝鮮半島に流入した空手の技術の影響を非常に大きく受けていると言われています。テコンドー成立時の元老達の多くは空手の有段者でした。そんな空手の中にナイファンチと呼ばれる形が有ります。WTFテコンドーの平原(ピョンウォン)、ITFテコンドーの圃隠(ポウン)に大きな影響を与えたと思われる形です。空手の大家である本部朝基は「ナイファンチの立ち方を左右いずれかにひねった立ち方が実戦での立ち方である」と語っていたとされています。この立ち方はテコンドーでいうジュチュムソギ(騎馬立ち)に非常に近い立ち方であり、当時は形と実戦が密接に関係していた事が分かります。

2.2 キョルギの立ち方をどうするか?

 オリンピック種目であるWTFテコンドーのキョルギでは相手に向ける面積(相手にとって的となる面積)を狭くする為に、半身になって構える事が主流となっています。 基本はアックビ(前屈立ち)を斜めにした構え方をしたり、ジュチュムソギ(騎馬立ち)を真横にしたような構え方の合いの子の様な構え方をしています。下の写真は2008年の北京五輪の台湾代表楊淑君選手(赤)の構えですが、ジュチュムソギ(騎馬立ち)を真横にした様な構えをベースに、ステップで動き易いように膝を開いて構えています。
 当時試合で使われていた普通防具はガードの上からでも得点となってしまう事があった為、ガードを固めるよりも、相手の蹴りを避けるディフェンスが中心でした。その為、当時の選手たちはフットワークを使って動きやすいように手を下げて構えていました。 

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 しかし、近年は前足での攻防が主体となっており、その為、前足を上げやすい様に上半身を後傾させた様なティックビ(後屈立ち)の様な構え方が流行っています。また、腕に関しても胴の防具に蹴りが当たらないようにガードを上げたり、相手の前足を手で捌きやすいように前の腕を前に出したりする構え方が主流になっています。

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特にヨーロッパ系の選手にその傾向が顕著で有り、姿勢も低く構えてフットワークを多用するのではなく、腰を高く構えて、蹴りやすい立ち方を作っています。

2.3 初心者にオススメの立ち方

 下の写真はグランプリローマ2018で韓国代表キムソヒとブラジル代表の試合から切り取ったものです。赤のブラジル代表はかなり体を後ろに傾ける事で前足を上げやすくして、かつ、相手から顔を遠ざけています。一方で青の選手は両足に体重を乗せ、フットワークで長身選手に切り込もうとしています。どちらの選手も相手の前足の蹴りを警戒して前に出した腕を使っていつでも蹴りを捌けるようにして居ます。

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 リーチに自信があり、前足の蹴りが使いこなせる選手は赤のように構え流のが定石ですが、初心者のうちは青の選手の様に構える事を心掛けた方が良いと思います。
 構える際には両足に均等に加重し、親指の付け根(母子球)で地面を蹴って動く事を意識しましょう。脚力的に先ほどの写真の選手のように低く構えた状態から蹴りを出したり、構えを維持するのが厳しい場合には足の幅を狭くして腰を高く構えても構いませんが、棒立ちになって股関節が完全に伸び切らないようには注意しましょう。

 一番蹴りやすい足幅、動きやすい重心の高さというのは人によって異なりますから、自分が一番動きやすいところを見つけて下さい。
 一般的に足幅が広く、重心が低くなればステップはしやすくなりますが、蹴りは出しにくくなります。逆に足幅が狭く、重心が高くなればステップはしにくくなりますが、蹴りは出しやすくなります。とはいえ、ステップは攻防どちらにもつながる大切な技術ですから決して疎かには出来ません。

2.4 少し難しい物理学的な話(自己満足なので読み飛ばして下さい)

 少し、込み入った話をすれば、物理学的に考えると人間の体は地面反力(抗力)を得られなければ前に進めません。地面反力というのは床から押し返される力の事で、一般的には床から受ける摩擦力と垂直抗力の合力の事をさします。普通に立っている場合でも人体は地球から重力によって引っ張られています。体が地面にめり込まずに済むのは、重力と逆向きの地面反力を受けているからです。
 この地面反力の向きを真上向きから斜め上向きに変えてやる事で、人間の体は前に進む事ができます。
 例えば、直立した状態で体重を前に預けて前傾姿勢を取って下さい。すると、体は転ばないように無意識に左右どちらかの足を前に出して体にブレーキを掛けるはずです。ブレーキを掛けるまでの間、体は地面から前方方向(正しくは斜め上に力を受けており、上下方向には重力と釣り合っており、前方向の成分のみが体を加速させる)に地面反力を受けて居たので体は前に進んだのです。そして、重心より前に出した足を踏ん張ることによって後ろ向きの地面反力を得てブレーキを掛ける事ができました。
 作用反作用により床を強く踏めば強く踏むほど、床から大きな地面反力を得る事ができます。

2.5 股関節を屈曲させておき、母子球で地面を踏む

 さて、小難しい事を書かせていただきましたが、結局、言いたいことは前足で地面を蹴れば後ろに下がり、後ろ足で地面を蹴れば前に進み、床を強く踏めば踏むほど俊敏に移動する事ができるというだけの話でした。
 では、床を強く踏むためにはどうしたら良いのでしょうか?
 一つ目に大事な事は股関節を屈曲させておく事です。屈曲というのは、脚を前に上げる方向に股関節が曲がる事を言います。例えば、テコンドーの練習で腿上げをする時に、股関節は屈曲していると言います。股関節を若干屈曲させておかなければ、床を強く蹴る事が出来ません。この事は完全に直立している状態ではジャンプができない事からも分かると思います。若干、膝に余裕を持たせ、股関節を若干屈曲させておく事で前後左右自由に動き回る事が出来る様になります。


 そして、人間の人体構造上、床を一番強く踏めるのは母子球を使った時なので、母子球で床を踏める様な構え方を意識して下さい。極端につま先が両側に開いてしまう立ち方では母子球で地面を蹴れなくなります。
 テコンドーではステップだけではなく、後ろ足で長い距離の蹴りを蹴る時も、地面を強く踏む事が必要になります。その為、特に初心者のうちに気をつけるべき構え方としては地面をしっかり踏める構え方というのが一番大切になります。

2.6 何故、ステップをするのか?

 工事中 

2.7 最近見ていて良いと思った選手の構え方 

 色々な選手を見てますが、個人的に一番理想的な構え方はイギリス代表のクリスチャン・マクニッシュ選手だと思っています。(下の動画、青の選手)彼は常に相手の先手を取って攻撃を仕掛け続けるテコンドーをしているので、構えたりステップを踏む場面があまりないのですが是非、動画で確認してみてください。

 トップ選手の多くは長身でそれを活かした戦い方をしているか、ヨルダンのアブゴウシュの様に常人には到底真似できない訳のわからない身体能力でテコンドーをしているので、我々一般的なテコンダーにとってはあまり参考になりません。その点、170㎝代で68kg級のマクニッシュは非常に参考になります。

ステップ3 テコンドーの蹴りと突きをどう使うか?

3.1 はじめは蹴れる蹴りを蹴ろう

おそらく、道場で蹴りを習う時には、一通りの蹴りを順番に習うはずです。
・アプチャギ(前蹴り)
・トルリョチャギ(回し蹴り)
・プッチョチャギ(スライド回し蹴り)
・ヨプチャギ(横蹴り)
・カット(スライド横蹴り)
・ミロチャギ(押し蹴り)
・ネリョチャギ(かかと落とし)
・ロンノ(スライドかかと落とし)
・コロチャギ、ヨプリギ(掛け蹴り、裏回し蹴り)
・パンダルチャギ(内回し蹴り)
・フリョチャギ(外回し蹴り)
・ティッチャギ(後ろ蹴り)
・ティフリギ(後ろ回し蹴り)
・ジャンプティッチャギ(ジャンプ後ろ蹴り)
・ジャンプティフリギ(ジャンプ後ろ回し蹴り)
・ヤンバルチャギ(二段蹴り)
・ターンチャギ(ターン蹴り)
 黒帯になる頃にはこれらの全ての蹴りが一通りは蹴れる様になるのですが、初めからこれらの蹴りが全て蹴れるという人は珍しいと思います。
 生まれつき体が柔らかい人がテコンドーを始めたとしても、これらの蹴りをマスターするのには時間がかかります。蹴りというのは柔軟性だけの問題ではないからです。
 一般的に体の柔軟性が高ければ高いほど、多くの蹴りが蹴れるのですが、比較的身体が硬い人でも、テコンドーの身体の使い方を覚えたり、蹴りに必要な筋力が身につく事で様々な蹴りを蹴れるようになります。逆に、身体の使い方が分からなかったり、筋力が不足している事が原因で柔軟性が高くても色々な蹴りが蹴れない人も居ます。
 股関節の柔軟性一つを取り上げても脚を前にあげる事(屈曲)が得意な人もいれば、横にあげる事(外転)が得意な人、後ろにあげる事(伸展)が得意な人、それぞれの身体の特性によって最初から蹴れる蹴りは全く異なります。なので、体が硬くても運動神経が良い人ならば、回し蹴りよりも難易度が高いと言われる後ろ蹴りの方が簡単に蹴れる様になったりします。
 はじめのうちは、出来る蹴りで戦うことが良いと思います。
 横蹴りが得意ならば横蹴りを主体に、回し蹴りが得意ならば回し蹴りを主体に戦うのが良いと思います。

3.2 蹴りの練習方法・蹴り方

 詳しい蹴り方に関しては「蹴りの革命」を見てください。以上。

3.2.2 カット蹴りの蹴り方

 キッキングレボリューション当時はあまり使われていなかったカット蹴りについて解説が少ないので、トップ選手(韓国代表イ・デフン選手)のカット蹴りを観ながら、カット蹴りの蹴り方について説明したいと思います。

 そもそも、カット蹴りとは半身に構えた時の前足で蹴る威力ではよりも相手を押す事を重視した横蹴りの事を言います。連続写真で確認してみましょう。

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 先ず、軸足の股関節を屈曲させてタメを作ります。
 これは前項でも述べた様に人体が股関節を屈曲させておかなければ床が蹴れない構造になっている為です。ただし、最初の構えやステップを踏む段階から屈曲させておくことで省略する事が出来ます。キョルギ中に棒立ちが良くないと指導されるのはその為です。

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 軸足に作ったタメで地面を蹴りだして体を前に押し出すと同時に蹴り足を上げます。この時、蹴り足で若干床を後ろに蹴る事で更なる推進力を得ます。蹴り足を上げ始めるのと軸足で地面を蹴るのは同時ですが、蹴り足を上げてから軸足で地面を蹴るイメージを持っておくと良いでしょう。
 これは、身体が先に相手の間合いに入ってから蹴りが後から出ていく場合、身体が先に入った瞬間を狙われる危険性がある為です。電子防具で得点が決まる現在では、身体を相手に近づける事は失点のリスクが有ります。
 また、この時に左肩を前に入れ、上半身+骨盤を構え姿勢や蹴り終わり姿勢に比べて若干相手に対して正対(正面を向ける事)させる事で上半身+股関節にタメを作り、蹴りの威力を増す工夫もしています。ただし、この「上半身にタメを作る」というのは曲面によっては省略しているので、全てのカット蹴りで上半身にタメを作っている訳でも無い事に注意してください(カウンターのカットなど瞬時に蹴りを出す場合は上半身のタメを作る余裕がない)

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 更に足を抱え込んだ際にしっかり蹴り足の裏を相手に向けます。
 この後から蹴り足を延ばし始めるのですが、最初に抱え込んでおくことで、伸ばしている最中の一直線上で何処で当たっても得点が獲れる蹴りになります。この為、カット蹴りは回し蹴りなどの点を狙う蹴りと異なり、電子防具に対して得点になる距離が広い蹴りである事が分かります。
 軸足はスライドしているのですが、上半身そのものは蹴り出しの場面の写真よりも前に出て居ません。重心の真下に軸足を置く事で、更にもう一段階の推進力を得る為です。

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 蹴り足は相手に足裏を向けたまま蹴りを伸ばし始めます。この時、軸足でしっかり地面を踏みます。

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 蹴り足に引っ張られる様にして、蹴りが伸び切る直前で腰がグッと前に出し、骨盤を返して蹴り込みます。それについていく形で軸足をスライドします。

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 ミートポイントでは軸足でしっかりと地面を踏みます。ここで、地面の踏みが甘いと相手に蹴りで相手を押し込む事が出来ません。また、重心の位置が軸足の接地点よりも若干前に出る様にします。そうする事で、蹴り終わりに自然に蹴り足が落ち、次の動作への隙が少なくなります。

 写真の得点を見ると、この蹴りはガードされて得点は出来ませんでした。しかし、大切な事はカット蹴りを通して相手との距離感を掴むことや、相手に中段への意識を向ける事です。同じ中段でもカットで正面のディフェンスに意識を向ける事で側面への攻撃(プッチョチャギなどの回し蹴り系の攻撃)が決まりやすくなります。

3.3 オープンスタンスとクローズドスタンス

「当たらなければどうということはない」
 というのはガンダムの中でシャア少佐が言っていた有名なセリフですが、テコンドーの特にキョルギ(組手競技)をやる上で蹴りを当てる為の戦術というのが非常に大切になります。

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 先ずは上の二枚の写真をご覧ください。二つの写真の違いがわかりますか?
 1枚目の写真は赤の選手が右足後ろ、青の選手が左足を後ろに構えています。その為、防具の前面が同じ方向を向いています。これをオープンスタンスと呼びます。一方で2枚目の写真はどちらの選手も右足を後ろに構えているので、防具の前面が互いに違う方向を向いています。これをクローズドスタンスと呼んでいます。
 この二つの立ち方の違いによって得点出来る蹴りは大きく変わります。例えば、オープンスタンスの場合は後ろ足で蹴る回し蹴りが広い胴防具の前面を捉えやすく、クローズドスタンスでは後ろ足で蹴る回し蹴りは前の手を掻い潜って、わき腹部分の狭い面積を狙わなければならない為、得点が難しくなります。
 同じ蹴りを蹴る場合でも、スタンスの違いによって全く状況が異なるので、ただ闇雲に蹴っていても得点は取れません。

3.4 蹴りと距離

 クローズドスタンスかオープンスタンスかの違いの他に、相手と自分との距離によっても蹴れる蹴りは変わってきます。

・相手との距離はクリンチやプッシング状態でパンダルチャギが狙い目のゼロ距離。
・上段回し蹴りやダブルキックの連打が当たったりその場で突きが届くショートレンジ(近距離)
・中段蹴りの一番速い蹴りが蹴れる距離で上段を蹴るには少し長めに蹴らなければならないミドルレンジ(中距離)
・ステップイン(後ろ足を一歩前に出して構えを左右入れ替えながら前に出るステップ)やスライドイン(両足を入れ替えずに前に出るステップ)からの回し蹴りや軸足をスライドさせる蹴りなどの長めの蹴りを蹴らなければ相手に蹴りが当たらないロングレンジ(遠距離)
・長く蹴ったターンなどの一部の蹴りじゃないと届かない様なお互いの間合い外の距離。

 大きく距離を分類すると、この様な距離になります。だいたい、中段蹴りを一番早く蹴れる蹴りの位置が中距離でそこから半歩入ったのが近距離と半歩出たのが遠距離という感じです。
 相手の方が圧倒的に長かった場合は、自分にとっての遠距離が相手にとっての中距離になったりしますが、基本的には遠距離から中距離の間の位置に居る事が好ましいです。
 特に最初のラウンドなどで相手の技が分からない時は遠距離に居て、スライドインして中距離に入り相手の動き方を探る事が大切です。強豪選手ほど、この情報収集が上手いです。
 スライドインに対して相手が何もしなければ、相手は何も考えてないか、カウンターを狙って居ると考えられます。もしカウンターを狙っているならそのカウンターを打たせにくくする為に、フェイントをかけてタイミングを外したり、もう一度、遠距離→中距離のスライドインを行って相手の隙を探しましょう。そして、チャンスが見えたら一気に攻めます。
 一方、相手がこちらのスピードに警戒していればこちらのスライドインに合わせて相手もスライドインして蹴りの距離を潰してくる事があります。一気に近距離もしくはゼロ距離に持ち込まれますから、落ち着いて相手の上段蹴りのケアをしましょう。そして、仕切り直してからの攻防では相手が距離を潰してくる事が予測できるので、上段蹴りなどの近距離の技を用意しておく事が出来ます。
 逆に此方のスライドインに対して遠距離を保つ様に距離を外してくる相手も居ます。こういった消極的なタイプの選手には中距離で中距離の蹴りを蹴っても外されてしまいます。そこで、敢えて遠距離→中距離で距離を潰したらターン蹴りやヤンバルチャギ(初心者的にはワンステップ回し蹴りがオススメ)などの遠距離の蹴りを蹴りましょう。
 格上の相手などで此方に警戒心が薄かったり、そもそも攻め気の強い選手は此方のスライドインに対して蹴りを打ってきます。場合によっては其処でポイントを持っていかれるかもしれませんが、その時はその相手はその蹴りを過信しますから、その蹴りが又使われる可能性が高くなりますので、これにカウンターを合わせたりする手を考えましょう。此方が主導権を握っている筈なのに中距離で蹴りを当てられるということはスピード差の大きい相手と考えられますから、距離を取って戦わざるを得なくなりますが、遠距離であればどんなに速い相手でも、読みさえ当たればカウンターは取れます。
 スライドインに対して蹴ってきた相手の蹴りをしっかり避けたり捌いた場合は相手は此方に情報を提供することになります。相手が狙っている蹴りが分かる事は非常に有力な情報です。
 例えば、相手がロング(遠距離)の蹴りを狙って居るなら距離を潰してショートのカウンター、相手がミドルレンジ(中距離)の蹴りを狙って居るなら距離を外してから蹴るカウンター、ショート(近距離)の蹴りを狙って居るならしっかりガードして上段蹴りのチャンスです。

※ こちらのサイトはアメリカ代表のフィリップ・ユン選手のスパーリングと駆け引きに関する図ですが、こちらの文章は完全にこれをパクらせて頂きました。

3.5 駆け引きと嘘

 遠距離から中距離にスライドインした時に、相手がロングの蹴りを狙って居る事が分かって居たらバックステップで逃げる事は自殺行為になります。したがってロングの蹴りを潰してカウンターを取りに行けばうまくカウンターが取れます。
 ですが、お互いが同じ様に探り合って居るので、シナリオ通りは事は運びません。相手がロングの蹴りを狙って居る様に見せかけて居るだけで、実は狙って居たのは入ってくるところに合わせる上段蹴りだったりします。相手は思い切り嘘を付いて居て、此方はその嘘に騙された事になります。
 お互いが定石を知って居るからこそ成り立つ駆け引きですが、システム的にこういった駆け引きを知らず、本能的に距離と蹴りが身について居る選手ほどこういった罠に引っかかります。
 圧倒的な身体能力と反射神経を武器に国内で無双をした選手が海外で試合をした途端に何故か見た目では全く実力差がない相手に大敗を喫するカラクリは案外この辺にあると思われます。
 2000年代には大学でテコンドーを始めた学生達がジュニアエリート相手に数多くの番狂わせを演じて居ました。バックステップカウンターなどのシンプルな蹴りを徹底的に練習して、あとは駆け引きで身体能力や多彩な蹴り技の差を克服していったのです。
 電子防具が採用されて様々な蹴りを習得して居る必要性が強くなった現行のルールでは、そういった番狂わせの数は減ってしまいましたが、今でもこういった駆け引きは重要だと思います。

3.6 カウンターの基本

 カウンターの基本は同じ方向で蹴ることです。例えば、右の回し蹴りなら右の回し蹴り。左の回し蹴りなら左の回し蹴り。ただし、方向というのは回転方向のことなので、後ろ回し蹴りや後ろ蹴りなどの回転系の蹴りは逆に右の回し蹴りには左の後ろ蹴り、左の回し蹴りには右の後ろ蹴りが刺さります。突きをカウンターで使う場合も同様です。相手が右の回し蹴りを蹴ってきたのに左の突きでカウンターを取ろうとすれば、わき腹に相手の蹴りが直撃するという大惨事になります。まずは相手の蹴りをしっかり潰してから、突きを入れましょう。

 動画はティフリギ(後ろ回し蹴り)によるカウンターです。相手の回し蹴りに対して同じ方向の回転でカウンターを取る事がセオリーとされています。

 同じ回転でカウンターを取る理由は、蹴りの軌道に対しての隙間をカウンターが通らなければならないからです。例えば、相手の回し蹴りに対して、相手の蹴りが通る軌道に自分の蹴りを通す事は出来ません。
 試しに、相手の左の回し蹴りに右の回し蹴りでカウンターを取ろうとしてみてください。二つの蹴りの軌道が被るため、蹴りと蹴りがバッティングしてしまいます。
 カウンターは相手の蹴りの軌道と被らない軌道で蹴らなければなりません。逆回転のカウンターの場合は、相手の蹴りが通った後に蹴りを通さなければならない為、相手に蹴りが届くのが遅くなってしまい、回避されるリスクやカウンターにカウンターを合わされるリスクが増大してしまいます。

 そういうカウンターの原理がわかると、カット蹴りと呼ばれる前足でのスライド横蹴りの強さがよくわかります。この蹴りは右回転とか左回転とか関係なく一直線でまっすぐ刺さる蹴りなので、この蹴りの軌道と被らない蹴りというのが基本的には存在しません。
 したがって、非常にカウンターが取りにくい蹴りになります。

 そのため、カット蹴りに対するカウンターはカット蹴りをしたから差し込んで相手の蹴りをキャンセルする事が2019年現在では有効な策として使われて居ます。
 手で捌くというのも良いのですが、腕力と脚力では筋力の差から負けてしまい、カット蹴りから上段蹴りへの変化に対応できずに失点してしまうリスクもあります。上半身の筋力に自信がある選手などは、カット蹴りを上から腕で潰してパンチでカウンターを取るなどの戦術を使っています。
 これはカット蹴りで下のスペースは蹴りを通せない為、上のスペースを活用したカウンターになります。同様に上のスペースを有効活用できる技としてはカットを腕で捌いた後にティフリギ(後ろ回し蹴り)なども良く用いられています。
 一時はモルドバキックと呼ばれる低空から跳ね上がる回し蹴りがカットに対する有力な対抗策として多用されて居たのですが、蹴る側の体制がいちぢるしく崩れる為、転倒減点のリスクが大きく現在では多用されなくなりました。
 今でも、転倒減点のリスクが無視できる時(ゴールデンポイントマッチ)にはモルドバキックは使われて居ますが、使用者は多くはありません。

ステップ4 ディフェンスは大事。本当に大事。

 キョルギ(組手競技)初心者にとって最初の壁は「何をして良いか分からない」と言う事ではないでしょうか? 多くの初心者は先ず、構え方と蹴り方と基本動作を習った段階で黄色帯を与えられ、キョルギ(組手競技)に混ぜられます。
 普通はこの段階では不安しかありません。
 私が黄色帯時代には所属していた道場には不幸にも各階級、各年代のジュニアチャンプが5名在籍しており、彼等と国際師範に文字通りボコボコにされ、鳩尾に入れられた蹴りで悶絶しながらテコンドーのキョルギを学びました。当時は格闘技ブームの真っ只中。同時期にテコンドーを始めた仲間達がゴロゴロ居ました。しかし、そんな過酷な環境下に耐えられず一人また一人と去っていく仲間達。そして私自身も最初の道場には5年在籍しましたが、最後は夜逃げ同然で逃げ出しました。生き残った同期の中には日本チャンピオンになった者やキックボクシングに転向して国内タイトルを幾つも獲得する者など猛者ばかり。本当に強い人間でなければ生き残れない環境でした。今思うと、育てて下さった道場には感謝の念しか有りませんが、当時は戦場から命辛々逃げ出す兵士の気分でした。
 当時の自分を反省すると、何故、猛者揃いの道場で私が生き残れなかったのか? それは、当時まともにディフェンスを学ばなかった事が原因だと思います。ディフェンスさえ正しく身に付いていれば、例え相手が強豪選手であっても勝てなくとも一方的にボコボコにされる可能性は少なくなります。テコンドーのキョルギを学ぶ上で、正しいディフェンスを身に付ける事は必要不可欠です。

4.1 距離を用いたディフェンス

 ディフェンスの一番の基本は相手の蹴りを避ける事です。ミット蹴りの時に、ミットを空振りすると体力の消耗が大きくなる様に、蹴りを空振りすると言う事は体力の消耗が大きくなります。その為、相手の蹴りを空振りさせることがディフェンスの一番の基本になります。

 動画の青の選手の様に、ディフェンスの基本はバックステップです。距離を外して相手の蹴りを避ける事です。
 更に上段蹴りにはスウェーバック(上半身を後ろに逸らせる避け方)も出来るとディフェンスの幅が広がりますが、スウェーバックを意識しすぎて、構えの体重が後ろに乗り過ぎない様に気を付けてください。
 ボクシングで用いられるダッキング(上半身を前に倒して相手の攻撃に潜り込む避け方)では下がった頭を蹴られるリスクも大きい為、一部選手の中には巧みに使いこなしている選手も居るには居ますが、初心者の内はオススメしません。
 また、バックステップによる避け方では、ミドルレンジ(中距離)で相手がミドルレンジ(中距離)の速い蹴りを避けるのがギリギリで、ショートレンジ(近距離)で相手の蹴りを避けるのには殆ど間に合いませんので、ショートレンジではブロッキング(受け)などの手技によるディフェンスが必要になります。

 後は後ろに下がれないときやバックステップが間に合わない時など、敢えて前に出て蹴りの距離を潰す事でも蹴りをディフェンスする事が出来ます。
 動画で青の選手も距離を詰めるディフェンスをしています。この方法は慣れない内は恐怖感が有って上手くは出来ないのですが、安全な場面に限定する事で安心して使う事が出来るはずです。例えば貴方がバックステップを多用し、相手が焦って長めの中段蹴りを蹴ろうとした時などには特に安全かつ簡単に相手の蹴りを無効化する事が出来ます。
 距離を潰して相手の蹴りを無効化する事も、ぜひとも身に着けて頂きたいディフェンス技術の一つだと思います。
 ただし、相手にとってはショートレンジ(近距離)やゼロ距離の蹴りのチャンスを与える事になります。したがって上段蹴りのカウンターが飛んで来る事のケアは怠らない様にしましょう。
 攻撃側が速い回し蹴りを相手に見せ、何度かディフェンス側に潰させておき、ディフェンス側がタイミング慣れて来た所で蹴りの軌道を変え、回し蹴りと見せかけた踵落とし(ネリョチャギ)で距離を詰めるディフェンスの裏をかいて切り落とす場面など良く見られる展開なので、注意が必要です。

4.2 腕を用いたディフェンス

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 距離を用いたディフェンスが間に合わない場合は腕を用いたディフェンスを使わざるを得ません。上の図はプムセ(品勢、型)で用いられる受け技の一覧ですが、これらの受け技が実際のキョルギ(組手競技)で用いられることは殆どありません。使ったとしてもアレマッキ(下段受け)くらいではないでしょうか? 相手の回し蹴りをアレマッキ(下段受け)して前腕で受けると言うのはキョルギ(組手競技)でも良く見られる光景ですが、相手のネリョチャギ(かかと落とし)にオルグルマッキ(上げ受け)をする姿など、残念ながら見た事がありません。
 腕を用いたディフェンスの場合、前に出した手で相手の蹴りを捌き、後ろの腕で蹴りをガードすると言うのが基本的な考え方ですが、プムセの受け技の様に予備動作を入れる余裕はありません。


 動画は韓国軍内の部隊対抗団体戦の1シーンですが、青・海軍の背番号4の選手のガードが非常に基礎に忠実なので参考になります。
 前に出した腕を使って下段払いをベースに、腹側の場合は後ろの腕のガードに前手の下段払いを添えて両腕でキッチリ相手の蹴りをガードしています。
 この様な腕の使い方はプムセの受けからは乖離していますが、現状のルールでは腕によるディフェンスの基本になります。

4.3 足を使ったディフェンス

 また、こちらの動画はアメリカ代表YouTuberのフィリップ・ユン選手の動画ですが、現在は主流となっている前足を使ったカットに対するディフェンスを当時は一早く且つ詳しく解説しています。
※:旧ルールに対する技術の為、若干現在のルールと乖離が有ります。

 こちらは2019年のグランプリ千葉の試合の様子ですが、オープンスタンス(右構えVS左構えの様に、お互いが違う足を前に出し、同じ方向に腹を向けている立ち方。逆に同じ構え同士では互いの腹が向き合う様になりクローズドスタンスと呼ばれる)でのカット蹴りのディフェンスは基本的に前足を絡めて落とす戦術が流行っている様です。腕だけでは相手の蹴り足が跳ね上がって上段蹴りに変化する事を抑えられませんが、筋力に勝る足をディフェンスに使う事で、カットから繋がる二発目・三発目の蹴りを封じています。

 一方、上の動画を見て貰えると、オープンスタンスよりも攻めの手段(得点の動きが激しい)が多いクローズドスタンスの場合でも前足をぶつける事で相手のカットに対するディフェンスが用いられている事が分かります。ただし、このときカット蹴りに対して正面からぶつけに言っているのではなく、下から相手の蹴りを掬い上げるように足を出している事に気をつけてください。正面から脛でバッティングを狙いに行くと、ローキックや膝による攻撃の反則とみなされる恐れがありますので注意してください。

 ただ、動画後半ではカットディフェンスで足を上げてしまい、隙が出来た所に攻撃をするという技術を入れている様に、オープンスタンスの時以上にクローズドスタンスの時は足だけではなく腕でもしっかりガードをしておく必要が有る事が分かると思います。

ステップ5 怪我を予防する

 テコンドーの指導者やセコンドの中には「怪我はつきものだからしかたない」「格闘技なんだから怪我は当たり前」「武道なんだから我慢しろ」という言い方をすることがあります。試合中に負った靱帯断裂などの続行不能な怪我を見誤って選手に試合を続行させ、更に怪我を悪化させるケースなどは嫌という程見てきました。
 確かに、テコンドーはコンタクトスポーツなので多少の打撲や小さい骨折などは「つきもの」です。私自身も足の甲の打撲や腕の打撲、指の脱臼・骨折や肋骨の骨折、肘の剥離骨折などの相手の蹴りによる多少の怪我は負ってきましたし、この程度ならば「つきもの」だったかなと思っています。
 しかし、今まで怪我が原因でテコンドー界から去らざるを得なかった選手は沢山いました。これらの選手生命を脅かすような大きな怪我や事故は決して「つきもの」で済まされていいものではありません。
 テコンドーを学ぶ上で、怪我を予防するという意識を持つことは非常に大切です。

 メジャースポーツではしっかりとしたスポーツ指導者がけが防止の為のトレーニング方法を学んだ上で指導を行っています。例えば、日本サッカー協会では「イレブンプラス」と呼ばれる怪我防止の為のトレーニングをネットで公開しています。

5.1 オルグルによる頭部外傷

 怪我にも大小さまざまな怪我があります。全く怪我をしたことのない選手というのは居ないでしょう。中には「俺は怪我をしたことがない」と豪語する人もいるかもしれませんが、テコンドー界には感覚が狂っていて「捻挫は怪我じゃない」とか「肋骨骨折くらいなら怪我じゃない」と本気で思っている人も少なくありません。そこまで極端な例じゃなくても「突き指は怪我じゃない」とか「打撲は怪我じゃない」くらいの事は大多数のテコンダーが本気で思っている事でしょう。特に、キョルギ中に相手の攻撃で負う怪我については「つきもの」で片付けられてしまう傾向があります。

 しかし、頭部への蹴りが加わることで発生する頭部外傷は死亡事故にも繋がりかねない事は知っておくべきですし、蹴りを頭部に貰って脳が揺れてダウンした場合には「軽い脳震盪だから」と言って練習に復帰する事は言語道断絶対に避けねばなりません。

 例えば激しいコンタクトスポーツとして知られるラグビー。これまで、「脳震盪を起こした場合」には、即座に退場しなければなりませんでした。しかし、よりプレーヤーの安全を重視するという考え方から今日では「脳震盪の疑い」でも退場となるように変更となっています。

 脳震盪の疑いを判断するのは、頭部、顔面、頚部あるいはほかの部位への衝撃の後で、以下の所見がみられる場合です。

・意識消失
・ぼんやりする
・嘔吐
・不適切なプレーをする
・ふらつく
・反応が遅い
・感情の変化(興奮状態、怒りやすい、神経質、不安)

更に、これらの様子がない場合でもバランステストと呼ばれるテストを行って脳震盪の判定をしています。バランステストでは選手に以下の声掛けを行います。

「利き足でないほうの足を後ろにして、そのつま先に反対側の足の踵をつけて一直線上に立ってください。両足に体重を均等にかけ、手を腰にして、目を閉じて20秒間じっと立っていて下さい。もしバランスを崩したら、目を開けて元の姿勢に戻してまた、目を閉じて続けて下さい」

このテストで、20秒間で、6回以上バランスを崩す(手が腰から離れる、目を開ける、よろめく、5秒以上、元の姿勢に戻れない)場合には退場となります。ラグビー界ではこのように脳震盪に対しては厳格に対応する事で、選手の未来を守る取り組みをしています。

 テコンドーは武道なんだから仕方ないとか格闘技なんだから仕方ないという声もありますが、脳へのダメージは簡単には回復せず、一生モノの後遺症を負う危険すらある事を考えると、ラグビー界の様に厳格に対応する事も必要だと思います

5.1.2 歯や骨の保護

 不慮の事故による歯の保護のため、ステップキョルギであってもマウスピースを着用しましょう。オルグルに寸止めでなくライトコンタクトであっても蹴りを当てる場合はヘッドギアを着用しましょう。ライトコンタクトだからとヘッドギアを付けていなかったり、油断が有る時に大きな事故は発生します。特にティフリギやティッチャギはコントロールが難しい為、ライトコンタクトや寸止めのつもりで蹴っていても相手の顎の骨を骨折させたり、大きな怪我を負わせる恐れがありますので気をつけてください。

5.2 前十字靭帯(ACL)損傷とテコンドー

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 前十字靭帯は膝関節の中で、大腿骨と脛骨をつないでいる強靭な靭帯です。脛骨が前へ移動しすぎない様に前後への安定性と、捻った方向に対して動きすぎないような回旋方向への安定性の2つに寄与しています。したがって、前十字靭帯が切れてしまうと、膝から先はグラッグラになり、運動中に膝がガクッとズレる膝崩れという現象を起こすようになります。これは「膝の捻挫」の様な物なのですが、同時に半月板などの膝内の大切な組織を傷付けてしまいます。 前十字靱帯は損傷すると、自然治癒することはありません。このためスポーツ選手を続ける為には再建手術が必要になります。更にスポーツ復帰までには通常手術後6~9ヶ月掛かるため、スポーツ外傷の中でも最も重篤な怪我とさえ呼ばれています。

 前十字靭帯(以下、ACL)の断裂には主に接触型の断裂と非接触型の断裂があるのですが、75%は非接触型(つまり、ジャンプの着地時に着地の衝撃で切れたり、急激な方向転換をしたときに膝があらぬ方向に曲がって切れたりする切れ方)と言われています。

 また、若い女性アスリートで発生頻度が高いことが知られています。テコンドー界でも有名な所では台湾代表の蘇麗文選手や日本代表の山田美諭選手などの多くの選手にACL断裂経験が有る事からACL断裂を予防する事はテコンドー選手やテコンドー修練者にとっては必要不可欠であり、世界的にはACL断裂予防の研究が進められています。

 ACLは膝関節外反(ニーイン)の状態で過度な力が靭帯に掛かった時に切れると言われています。例えば、ジャンプして 着地した時に過度な内股で脚を着いてしまうと損傷してしまいます。
 これは、膝が中に入ってしまった状態では膝の中で斜めに走っている前十字靭帯が張っている状態となるので、断裂のリスクが跳ね上がる様です。

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 女性は男性に比べて骨盤の幅が広く可動域が広い為にニーインになり易い事や、体重あたりの筋量が少ないこと女性に起こりやすい様です。勿論、男性も油断は禁物です。

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 例えば、プムセの練習中、アプクビ(前屈立ち)で前足の膝が内側に入りがちな方は、受傷リスクが高くなっているので気をつけてください。

 着地のときは床からの反発した力が足に伝わります。私たちの研究で、かかとから着地すると、反発する力がひざをねじる方向に作用しやすくなり、つま先側から着地するときに比べて、10倍近く危険でした。
 後ろにバランスを崩したときにかかとから着地しがちです。親指の付け根にあたる「母趾球(ぼしきゅう)」から着地すれば、前十字を損傷するリスクは減ります

 例えば、日頃のバックステップの時にも後ろ足が踵から着地するのではなく、母子球から着地する事を意識的に行っておく事が大切です。

参考サイト:
片脚着地時における下肢関節戦略の検討 : 膝前十字靭帯損傷予防の観点から

5.2.2 Twitter上で見つけた有益なツイート

 例えば、これをテコンドーの動作に当てはめるならば、バックステップ時に過度に上半身が後傾した場合、後ろ足の膝に負荷が掛かりやすく、受傷リスクがあるという事が考えられます。

5.3 心臓震盪と突然死

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 さて、皆さんは普段練習して居る環境でAED(自動体外式除細動器)が何処にあるかをご存知ですか? もし知らない方が居たら、次回の練習時に真っ先に確認してください。

 心臓震盪はスポーツ中に起こる突然死の原因の一つです。主に球技(野球・ソフトボール・サッカーなど)でよく起こります。心臓の真上あたりに、ボールや体がぶつかるなどの衝撃が加わったときに、心臓が心室細動(心臓の拍動が小さく早くなり血液が十分に全身に流せない状態)を起こしてしまい、一刻も早くAED(自動体外式除細動器)を実施することが大切です。手をこまねいて処置を行わなければ確実に死に至ります。安静にしていれば意識が回復する脳震盪とは異なり、安静に放置すれば確実に死にます。

 特に子どもの柔らかい胸骨・肋骨では、受けた衝撃が心臓に大きなダメージを与えて、重大な心室細動を引き起こし易い為、心臓震盪はジュニアアスリートに多く発生してしまいます。国内では心臓震盪の90パーセントが18歳以下のスポーツ選手に発生して居ます。

 現在のWTFテコンドーはカット蹴りと呼ばれる中段横蹴りを多用するルールであり、心臓周りに衝撃を受けることの多いジュニア選手にとって心臓震盪は絶対に防止しなければなりません。カデットやジュニア選手の場合、キョルギを行う場合には必ずボディプロテクターを着用してください

 参考になるのはやはり、二重作先生のブログだと思います。特にジュニア選手の親御さんがこのnoteをご覧になってる場合は必ず、ご一読頂けたらと思います。

・15歳男子、少林寺拳法の練習中、胸部へ打撃を受けた後心停止となった。CPRが実施され、救急隊による除細動により心拍再開した。後遺症なく退院し社会復帰した。(2000年5月)

・16歳男子。高校の柔道の授業中に小外刈りをかけられ腰部から転倒した。その後横四方固めで押さえ込まれた。直後に意識消失し、教師が心肺停止を確認した。心肺蘇生術が実施された。救急隊現着時心室細動を確認し、4回除細動が実施された。心室細動は継続し20分後に病院へ搬送されたが、心拍再開せず死亡した。特に既往疾患はなく健康であった。心臓震盪として第56回日本救急医学会関東地方会に発表された。

※以上、心臓震盪から子供を救う会HPより引用

ステップ6 戦術を学びキョルギを組み立てよう

 さて、此処までは構え方、フットワーク、蹴りの使い方、ディフェンスとバラバラな技術について紹介してきました。いよいよ、このバラバラな技術を統合してキョルギに役立てる為の話を書いていきたいと思います。

以前、物議を醸すのが目的で、かなり尖った内容や口調で上のノートを書きましたが、ここでは万人受けする内容について取り扱っていきたいと思います。

6.1.1 まどろっこしい話(キョルギ史① オールドスタイル編)

 先ずはテコンドー競技の成立の歴史について話していきたいと思います。詳しい歴史に関しては下のリンク先の論文が詳しいのですが、このノートではルール変遷に伴う戦術や使われる蹴りの変化に注目したいと思います。

 「テコンドーの起源問題と競技スポーツの形成過程に関する歴史的研究」によれば、オリンピック種目としてのWTFテコンドーのルールが最初に制定されたのは1962年でした。当時は未だ大韓跆拳道(テコンドー)協会は大韓跆手道(テスドー)協会という名前で活動しており、空手の手の字を残している事から分かるように、この頃は未だ空手との関係が完全に切れた訳ではありませんでした。。智道館という道場の尹㬢炳館長は元々は日本で船越義珍の松濤館空手ではなく遠山寛賢から修道館空手を学んでいました。戦後、日本人がGHQに武道を禁止されると、千代田区九段に韓武館という道場を設立して館長に就任しました。これは韓国籍の尹曦炳を館長とすることでGHQの監視を逃れて空手の稽古や普及を行うための策略でしたが、GHQの規制が緩和されると1950年に韓武館は錬武舘と名前を変え、現在では防具空手の老舗として知られています。尹㬢炳は帰国後に韓国で空手の指導者となると、弟子をつれて旧知の仲が多い日本の防具空手界と交流を盛んに行っていました。尹㬢炳は最初の大韓跆手道(テスドー)協会が最初に統一ルールを制定した時に大きな影響を与えたと言われています。

 この粗削りな競技がわずか30年足らずで1988年のソウルオリンピックの公開種目(当時は主催する国のご当地競技みたいな物が公開種目として加えられた)となります。

 この時、ルールは中段蹴りが1点で上段蹴りも1点でした。コートも12m四方だったので、今のコート面積の倍以上の広さが有りました。試合時間も3分3ラウンドと現行ルールより各ラウンド1分ずつ長いので、お互いに見合って駆け引きをする時間が今よりも長くありました。更に得点はラウンド毎の集計でラウンド終了後に開示されるシステムでした。動画を見て頂ければ分かる通り、競技化されて間もない為、有効な戦術が確立されておらず、回し蹴りだけじゃなく横蹴りや飛び蹴りなど様々な技が飛び交っているのが分かります。

 2000年にシドニーオリンピックで正式種目として採用される頃には副審の判定(3人中が2人が手元のスイッチを押すと得点として加算される)がリアルタイムで電子掲示板に得点として表示されるシステムが導入され、これによって副審が得点として認定しやすい蹴り(回し蹴り、後ろ回し蹴り、後ろ蹴り、かかと落とし)が主に使われる様になりました。横蹴りや押し蹴りなどの蹴りは副審が得点として認める事が少ない為、廃れていきます。代わりに前足での回し蹴り(プッチョチャギ)や二段・三段蹴りなど両足で走る様に蹴る連続回し蹴り(ダブル/ラピッドキック/ヤンバルチャギ/ナレチャギ)が流行ります。特に連続回し蹴りは非常に速い蹴りなのでシステム上、副審が1発目を得点として認定しているか2発目を得点として認定しているかの区別が付けにくい為、複数の副審が違う蹴りを同時に認定して得点が入るという事もあった為、非常に得点になりやすい蹴りでした。

 また、この頃は副審が得点を判断する基準として打撃音・タイミング・姿勢・距離などが重視された為、自分から積極的に仕掛けるよりも奇麗な打撃が入りやすいカウンターも普通防具時代には重要視されました。

 特に、攻撃は回し蹴りが主体となる為、回し蹴りにカウンターで後ろ蹴りや後ろ回し蹴りを当てる場面が多くあり、フェイントやステップなどを駆使して相手の蹴りを誘ってカウンターを狙ったりする駆け引きも多用されていました。ルールとしては2001年から上段蹴りは2点(2005年からダウンした場合は+1点)になるのですが、強打でなければ副審が得点とし認めなかった為、上段の後ろ回し蹴りをフルスイングしてKOする危険な場面が度々見られました。

 そして、オリンピックのテコンドーは2004年のアテネ五輪でWTFテコンドー史上で最も有名な決勝戦を迎えます。韓国代表ムン・デソン選手のカウンター後ろ回し蹴りによる劇的なKO勝利。この試合を契機にIOCはテコンドーのスポーツとしての安全性を疑問視するようになってしまいました。そして、オールドスタイルと呼ばれる普通防具に特化した回し蹴り主体のWTFテコンドーは2008年の北京五輪で終止符を打つ事になりました。

6.1.2 まどろっこしい話②(キョルギ史② 電子防具黎明期編)

 上の試合は2009年世界選手権の男子-58kg級の決勝戦ですが、個人的にテコンドーの歴史上、非常に意義のある試合だと思って居ます。オールドスタイルの継承者である青のダミアン・ビジャが新しい時代のスタイルで戦っている赤のゴンザレス・ボニージャに蹴散らされた試合です。

 2009年に電子防具を用いた世界大会が行われると、戦術は大きく変化します。副審が得点として認めている蹴りと、実際に電子防具が圧力センサーで有効と認める蹴りにはズレがあったのです。第一に、副審が食らった選手が大きくよろめかない限り殆ど得点として認めなかった横蹴りや押し蹴り系の蹴りが電子防具のルール下では有効である事が分かりました。更に上段の得点が変化し3点となり、ダウンの加点がなくなりました。これは、上段への強打を無くして安全性を上げる為のルール変更だったので、上段蹴りは極端な話、足がヘッドギアに触れば得点として認められる様になってしまいました。

(動画を埋め込めませんでした。写真をクリックすると動画に飛びます。)

 その為、2012年のロンドン五輪では男子-58kg級の出場選手の平均身長が180㎝を超えるなど選手の長身長化に拍車がかかります。女子-57kg級を制した19歳のジェイド・ジョーンズは167㎝もありましたが、小柄な選手という扱いを受けていました

  当時は中段蹴りが1点だった為、上段蹴りをいかに有効に決めるかが戦術として重要なポイントでした。上段蹴りを当てやすいポジションに蹴り足を上げて置く事が大事でした。前足同士がぶつかって空中で絡み合う場面でも、簡単には蹴り足を下ろさずに其処から違う蹴りを狙う技術がこの頃に発達します。
 この時のジェイド・ジョーンズの戦術はフットワークで相手との距離を微調整しながら積極的に前足で自分から仕掛けていきます。必ずしも得点を狙ってる訳では無いカット蹴り(前足の横蹴り)を多用してプレッシャーを掛けながら、相手の隙を突いて蹴りを変化させ、カット蹴りや前足の中段や上段への回し蹴り、後ろ足の回し蹴りなど得点力の高い基本技を使ってポイントを重ねていくまさに王道的なスタイルでした。この試合の3ラウンド目、ジェイドが得点を先行しており、相手が焦って攻めて来た所に丁寧に前足を合わせて点差を広げていくゲームメイクはまさに作戦がどハマりした瞬間でした。2012年のジェイド・ジョーンズの戦い方は電子防具を使用した現代テコンドーにおける古典的戦術だと思っています。ただし、一方でオールドスタイルと呼ばれる普通防具時代から続く戦い方も存在したのが2012年のロンドン五輪でした。

 トルコのセルべト・タゼグルは2008年に普通防具で行われた最後の五輪である北京五輪にも出場した選手ですが、電子防具可に伴って回転蹴りへの加点が行われるルール変更があった為、2012年のロンドン五輪で大活躍した選手でした。この頃はまだ電子防具黎明期であり、上段蹴りor回転蹴りという二種類の高得点技を如何に当てるかに特化した選手が多くいました。タゼグルは後者でオールドスタイル時代の技術に加えてテコンドーの花である回転蹴りに特化した選手でした。同時にオールドスタイルで活躍した最後の選手でもあります。

6.1.3 まどろっこしい話③(キョルギ史③ 2016年リオ五輪編)

 2012年のロンドン五輪から2016年のリオ五輪までの4年間は電子防具そのものの開発も進みました。Daedo社から新型の電子防具が開発され、旧型で起こっていたセンサーを擦り付けるだけでポイントになる様な誤作動は起こりにくくなり、より正確に得点を判定できる防具になっていきました。また、ヘッドギアにもセンサーが埋め込まれた事から、ヘッドギアの無い部分のみに蹴りが当たった場合はノーカウント扱いされる様になりました(鼻柱をピンポイントに狙った踵落としなどが得点にならなくなった)。

 一方で選手たちも電子防具という環境に慣れてきており、古典的な基本蹴りから逸脱した様々な変則蹴りが開発されていきました。特に、軸足の使い方が進化し、片足を上げた状態を維持したまま軸足で地面を蹴って移動しながら上段を二発・三発と蹴り足を下さずに連続で狙う様な蹴りを標準装備する選手が増加していきました。

 同じ高得点技でも、回転を伴う蹴りは軸足の自由が利かないという弱点が浮き彫りになってしまいました。元々、回転蹴りは駆け引きで相手の距離をコントロールしたり回転に対するカウンターを誘って、そこにカウンターを合わせる必要がある為、決める条件が難しいという問題点がありました。その為、回転蹴りを主体とする選手は淘汰されていきました。

 普通防具時代から続く"オールドスタイル"の選手達(後ろ足での単発の素早い蹴りを武器にする選手)は殆ど淘汰され、ロンドン五輪の金メダリストだったタゼグルですらリオ五輪では二回戦で姿を消しました。 

 そんな男子68kg級の大混戦を制したのがノーマークだったヨルダンの新星アフマド・アブガウシュでした。ハイライト動画を見ていただければわかる様にアブガウシュは多彩な前足からの上段蹴りに加えて変則的で非常にスピーディーな飛び蹴りや回転蹴りなどトリッキーな飛び道具を多数備えていました。彼の持っている多くのトリックキックは良く言えば革新的ですが、悪く言えば「大人」が嫌う蹴り技でした。彼の蹴りは普通防具時代なら副審に嫌われて当たっていても得点扱いされる事がなかった蹴りでした。そんな数々の蹴りを好き嫌いなく判定してくれる電子防具に叩き込む事で、得点を重ねていきました。そして、多くの選手が彼のトリッキーな戦術に関する情報を持っていなかったこともあり、番狂わせの連続が起こり、ついには金メダルを獲得します。

 彼の様な天才が何故、此処まで大舞台に姿を現さなかったのか? 何故、彼がノーマークだったのか? その答えは簡単です。彼の蹴り方が基本からあまりに逸脱していた為です。基本から逸脱した彼の蹴りによって、彼の膝には過度の負荷が掛かっており、既に何度も膝の手術を繰り返していたのです。その度重なる怪我により、アブガウシュはリオ五輪の時まで大舞台で活躍することが出来なかったのです。
 彼の怪我癖はリオ五輪の後も彼に付きまとうことになります。

 話の流れからは余談ですが。怪我に苦しむ選手はアブガウシュだけではありません。リオ五輪以前の男子-58kg級で最強選手と呼ばれていたイランのファルザン選手も、度重なる怪我による長期離脱を強いられています。現代テコンドーにおいてトップ選手たちが使う数々の変則蹴りは選手自身の身体を蝕んでいるという事を此処に明記しておきたいと思います。

6.1.4 まどろっこしい話④(キョルギ史④ 2017年ルール改訂編)

 閑話休題。リオ五輪は興行的には大失敗でした。電子防具に慣れた選手たちが独創的な蹴り技を連発しすぎた結果、テコンドーのルールそのものに批判が集まったのです。特に、点差がついて勝ちが決まった選手がクリンチを連発して逃れる姿には世界中から批判が集まってしまいました。結果、翌2017年には非常に大規模なルール変更が行われました。

・中段蹴り2点 上段蹴り3点 回転している場合は+2点 中段突き1点 相手が反則しても1点(警告の0.5点が廃止で全てが減点)
・下段への蹴りや顔面パンチは反則。当てなくてもモーションだけでもダメだからチョロチョロ下蹴るモーション出してると反則取られる。
プッシングは蹴りの距離を作る為ならOKだけど押し倒したら反則
・転んだら問答無用で反則。足の裏以外の部位が地面に付いた時点で反則なので、カポエイラみたいな手を地面につく蹴りは使用不可。
・掴んでも反則。クリンチで抱え込んだら反則。
・場外に片足が出ても反則。
相手の蹴りを受けるために足を上げる行為は反則

 この変更では得点とプッシングに関するルール変更が大きく、これによって戦術が大きく変わってしまった面があります。特に批判が集まっていたクリンチ逃げ切り戦術はプッシング解禁によって不可能になりました。また、変則的すぎる上段蹴りに偏重した戦術を一新するために中段蹴りの点数を2点にする事で実質的に上段蹴りの価値が半分にしました。これにより変則的な蹴りの少ない中段蹴りの価値が上がった事で、本来のテコンドーの基本蹴りと呼ばれる技術に忠実な選手が若干有利なルールとなりました。これによって、盤石の体制となったのが、韓国の天才イ・デフンでした。

 イデフンは過去二回の五輪に出場するも何も表彰台の頂点に立つことが出来ませんでした。天才の名を欲しいままにし、テコンドーを完成させた男とすら称されるテコンドーの神ですが、リオ五輪ではアブゴウシュの超変則的戦術の前にまさかの敗北を喫したのです。

 しかし、ルール変更があった後の2017年の世界選手権では圧倒的すぎる力を発揮しました。世界選手権の決勝戦を大差で勝ち切って再び世界王者に返り咲きます。この現行ルールでイデフンは最強でした。そのフィジカルモンスターぶりを遺憾無く発揮しましたのがグランドスラムの決勝戦でした。

 リオ五輪では58kg級で優勝し、階級を上げてグランドスラムに出場していた中国の趙を恐ろしい圧力でフルボッコにします。これを見ていた世界中の選手たちが徹底的に体幹トレーニングを重ねて接近戦でのプッシング技術を磨いていくことになります。

 そして、2019年の世界選手権で再び問題が発生します(毎大会ごとに問題が発生しているのでは? という無粋なことは聞かないでください)。それはクリンチ状態でのレフェリングが難しすぎるという問題でした。例えばプッシングですが、プッシングが解禁されたのはあくまで相手との距離を作って蹴りを打つためのプッシングが解禁されたのであってディフェンスのために相手を押したり相手を押し倒したり押し出したりするために解禁された訳ではありませんでした。なので、相手が蹴りを蹴ってる途中でプッシングする行為は反則になるのですが、この基準はかなり難しく、ルールが変わったばかりで戸惑う審判が多かったのが実情でした。更に、実質的に抱きつくクリンチが禁止された事でくっついた距離で足を上げて相手の攻撃を妨害する新手の消極的反則行為が起こります。これらの大混乱により、世界選手権の途中から審判委員会で「クリンチ状態になったら3秒ほどですぐにストップかけて選手を引き離す事」という通達が出されてしまいます。そんな世界的な大混乱の中で男子68kg級の絶対王者だったイデフンが敗退しています。さらに迎えた千葉グランプリで、イデフンはイギリスの補欠代表相手に敗退してしまいます。

 という事で世界的にも目まぐるしいルール変更で一体どうなってしまうのか分からなくなってきた東京オリンピック。と、ワクワクしていたところで今回の五輪延期騒動が起きてしまいました。国際大会も次々と中止する中で来年は一体どうなってしまうのか? 今後のテコンドーのルール変更に目が離せません。

 と、ここまでが歴史から見るルールと流行戦術の変遷になります。まどろっこしい話ではありましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

6.2 五輪王者ラシトフの戦術を解明する。


あとがき

 みんな、レボリューションオブキッキングで蹴り方学んで戦術はユンショー見よう。