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没になった文章fromゼロから学ぶWTテコンドー(キョルギ編)

こちらのノートを書いている時に、書いてはみたけど独自性が強すぎて掲載できなかった文章や書いてる途中に誤りに気付いて掲載できなかった文章などを残しておく為のごみ箱です。


没① キョルギ史(初版に掲載。2024年版で削除)

執筆時期:2020年ごろ

キョルギ史① オールドスタイル編

 先ずはテコンドー競技の成立の歴史について話していきたいと思います。詳しい歴史に関しては下のリンク先の論文が詳しいのですが、このノートではルール変遷に伴う戦術や使われる蹴りの変化に注目したいと思います。

 「テコンドーの起源問題と競技スポーツの形成過程に関する歴史的研究」によれば、オリンピック種目としてのWTFテコンドーのルールが最初に制定されたのは1962年でした。当時は未だ大韓跆拳道(テコンドー)協会は大韓跆手道(テスドー)協会という名前で活動しており、空手の手の字を残している事から分かるように、この頃は未だ空手との関係が完全に切れた訳ではありませんでした。。智道館という道場の尹㬢炳館長は元々は日本で船越義珍の松濤館空手ではなく遠山寛賢から修道館空手を学んでいました。戦後、日本人がGHQに武道を禁止されると、千代田区九段に韓武館という道場を設立して館長に就任しました。これは韓国籍の尹曦炳を館長とすることでGHQの監視を逃れて空手の稽古や普及を行うための策略でしたが、GHQの規制が緩和されると1950年に韓武館は錬武舘と名前を変え、現在では防具空手の老舗として知られています。尹㬢炳は帰国後に韓国で空手の指導者となると、弟子をつれて旧知の仲が多い日本の防具空手界と交流を盛んに行っていました。尹㬢炳は最初の大韓跆手道(テスドー)協会が最初に統一ルールを制定した時に大きな影響を与えたと言われています。

 この粗削りな競技がわずか30年足らずで1988年のソウルオリンピックの公開種目(当時は主催する国のご当地競技みたいな物が公開種目として加えられた)となります。

 この時、ルールは中段蹴りが1点で上段蹴りも1点でした。コートも12m四方だったので、今のコート面積の倍以上の広さが有りました。試合時間も3分3ラウンドと現行ルールより各ラウンド1分ずつ長いので、お互いに見合って駆け引きをする時間が今よりも長くありました。更に得点はラウンド毎の集計でラウンド終了後に開示されるシステムでした。動画を見て頂ければ分かる通り、競技化されて間もない為、有効な戦術が確立されておらず、回し蹴りだけじゃなく横蹴りや飛び蹴りなど様々な技が飛び交っているのが分かります。

 2000年にシドニーオリンピックで正式種目として採用される頃には副審の判定(3人中が2人が手元のスイッチを押すと得点として加算される)がリアルタイムで電子掲示板に得点として表示されるシステムが導入され、これによって副審が得点として認定しやすい蹴り(回し蹴り、後ろ回し蹴り、後ろ蹴り、かかと落とし)が主に使われる様になりました。横蹴りや押し蹴りなどの蹴りは副審が得点として認める事が少ない為、廃れていきます。代わりに前足での回し蹴り(プッチョチャギ)や二段・三段蹴りなど両足で走る様に蹴る連続回し蹴り(ダブル/ラピッドキック/ヤンバルチャギ/ナレチャギ)が流行ります。特に連続回し蹴りは非常に速い蹴りなのでシステム上、副審が1発目を得点として認定しているか2発目を得点として認定しているかの区別が付けにくい為、複数の副審が違う蹴りを同時に認定して得点が入るという事もあった為、非常に得点になりやすい蹴りでした。

 また、この頃は副審が得点を判断する基準として打撃音・タイミング・姿勢・距離などが重視された為、自分から積極的に仕掛けるよりも奇麗な打撃が入りやすいカウンターも普通防具時代には重要視されました。

 特に、攻撃は回し蹴りが主体となる為、回し蹴りにカウンターで後ろ蹴りや後ろ回し蹴りを当てる場面が多くあり、フェイントやステップなどを駆使して相手の蹴りを誘ってカウンターを狙ったりする駆け引きも多用されていました。ルールとしては2001年から上段蹴りは2点(2005年からダウンした場合は+1点)になるのですが、強打でなければ副審が得点とし認めなかった為、上段の後ろ回し蹴りをフルスイングしてKOする危険な場面が度々見られました。

 そして、オリンピックのテコンドーは2004年のアテネ五輪でWTFテコンドー史上で最も有名な決勝戦を迎えます。韓国代表ムン・デソン選手のカウンター後ろ回し蹴りによる劇的なKO勝利。この試合を契機にIOCはテコンドーのスポーツとしての安全性を疑問視するようになってしまいました。そして、オールドスタイルと呼ばれる普通防具に特化した回し蹴り主体のWTFテコンドーは2008年の北京五輪で終止符を打つ事になりました。

キョルギ史② 電子防具黎明期編

 上の試合は2009年世界選手権の男子-58kg級の決勝戦ですが、個人的にテコンドーの歴史上、非常に意義のある試合だと思って居ます。オールドスタイルの継承者である青のダミアン・ビジャが新しい時代のスタイルで戦っている赤のゴンザレス・ボニージャに蹴散らされた試合です。

 2009年に電子防具を用いた世界大会が行われると、戦術は大きく変化します。副審が得点として認めている蹴りと、実際に電子防具が圧力センサーで有効と認める蹴りにはズレがあったのです。第一に、副審が食らった選手が大きくよろめかない限り殆ど得点として認めなかった横蹴りや押し蹴り系の蹴りが電子防具のルール下では有効である事が分かりました。更に上段の得点が変化し3点となり、ダウンの加点がなくなりました。これは、上段への強打を無くして安全性を上げる為のルール変更だったので、上段蹴りは極端な話、足がヘッドギアに触れば得点として認められる様になってしまいました。

 その為、2012年のロンドン五輪では男子-58kg級の出場選手の平均身長が180㎝を超えるなど選手の長身長化に拍車がかかります。女子-57kg級を制した19歳のジェイド・ジョーンズは167㎝もありましたが、小柄な選手という扱いを受けていました

  当時は中段蹴りが1点だった為、上段蹴りをいかに有効に決めるかが戦術として重要なポイントでした。上段蹴りを当てやすいポジションに蹴り足を上げて置く事が大事でした。前足同士がぶつかって空中で絡み合う場面でも、簡単には蹴り足を下ろさずに其処から違う蹴りを狙う技術がこの頃に発達します。
 この時のジェイド・ジョーンズの戦術はフットワークで相手との距離を微調整しながら積極的に前足で自分から仕掛けていきます。必ずしも得点を狙ってる訳では無いカット蹴り(前足の横蹴り)を多用してプレッシャーを掛けながら、相手の隙を突いて蹴りを変化させ、カット蹴りや前足の中段や上段への回し蹴り、後ろ足の回し蹴りなど得点力の高い基本技を使ってポイントを重ねていくまさに王道的なスタイルでした。この試合の3ラウンド目、ジェイドが得点を先行しており、相手が焦って攻めて来た所に丁寧に前足を合わせて点差を広げていくゲームメイクはまさに作戦がどハマりした瞬間でした。2012年のジェイド・ジョーンズの戦い方は電子防具を使用した現代テコンドーにおける古典的戦術だと思っています。ただし、一方でオールドスタイルと呼ばれる普通防具時代から続く戦い方も存在したのが2012年のロンドン五輪でした。

 トルコのセルべト・タゼグルは2008年に普通防具で行われた最後の五輪である北京五輪にも出場した選手ですが、電子防具可に伴って回転蹴りへの加点が行われるルール変更があった為、2012年のロンドン五輪で大活躍した選手でした。この頃はまだ電子防具黎明期であり、上段蹴りor回転蹴りという二種類の高得点技を如何に当てるかに特化した選手が多くいました。タゼグルは後者でオールドスタイル時代の技術に加えてテコンドーの花である回転蹴りに特化した選手でした。同時にオールドスタイルで活躍した最後の選手でもあります。

キョルギ史③ 2016年リオ五輪編

 2012年のロンドン五輪から2016年のリオ五輪までの4年間は電子防具そのものの開発も進みました。Daedo社から新型の電子防具が開発され、旧型で起こっていたセンサーを擦り付けるだけでポイントになる様な誤作動は起こりにくくなり、より正確に得点を判定できる防具になっていきました。また、ヘッドギアにもセンサーが埋め込まれた事から、ヘッドギアの無い部分のみに蹴りが当たった場合はノーカウント扱いされる様になりました(鼻柱をピンポイントに狙った踵落としなどが得点にならなくなった)。

 一方で選手たちも電子防具という環境に慣れてきており、古典的な基本蹴りから逸脱した様々な変則蹴りが開発されていきました。特に、軸足の使い方が進化し、片足を上げた状態を維持したまま軸足で地面を蹴って移動しながら上段を二発・三発と蹴り足を下さずに連続で狙う様な蹴りを標準装備する選手が増加していきました。

 同じ高得点技でも、回転を伴う蹴りは軸足の自由が利かないという弱点が浮き彫りになってしまいました。元々、回転蹴りは駆け引きで相手の距離をコントロールしたり回転に対するカウンターを誘って、そこにカウンターを合わせる必要がある為、決める条件が難しいという問題点がありました。その為、回転蹴りを主体とする選手は淘汰されていきました。

 普通防具時代から続く"オールドスタイル"の選手達(後ろ足での単発の素早い蹴りを武器にする選手)は殆ど淘汰され、ロンドン五輪の金メダリストだったタゼグルですらリオ五輪では二回戦で姿を消しました。 

 そんな男子68kg級の大混戦を制したのがノーマークだったヨルダンの新星アフマド・アブガウシュでした。ハイライト動画を見ていただければわかる様にアブガウシュは多彩な前足からの上段蹴りに加えて変則的で非常にスピーディーな飛び蹴りや回転蹴りなどトリッキーな飛び道具を多数備えていました。彼の持っている多くのトリックキックは良く言えば革新的ですが、悪く言えば「大人」が嫌う蹴り技でした。彼の蹴りは普通防具時代なら副審に嫌われて当たっていても得点扱いされる事がなかった蹴りでした。そんな数々の蹴りを好き嫌いなく判定してくれる電子防具に叩き込む事で、得点を重ねていきました。そして、多くの選手が彼のトリッキーな戦術に関する情報を持っていなかったこともあり、番狂わせの連続が起こり、ついには金メダルを獲得します。

 彼の様な天才が何故、此処まで大舞台に姿を現さなかったのか? 何故、彼がノーマークだったのか? その答えは簡単です。彼の蹴り方が基本からあまりに逸脱していた為です。基本から逸脱した彼の蹴りによって、彼の膝には過度の負荷が掛かっており、既に何度も膝の手術を繰り返していたのです。その度重なる怪我により、アブガウシュはリオ五輪の時まで大舞台で活躍することが出来なかったのです。
 彼の怪我癖はリオ五輪の後も彼に付きまとうことになります。

 話の流れからは余談ですが。怪我に苦しむ選手はアブガウシュだけではありません。リオ五輪以前の男子-58kg級で最強選手と呼ばれていたイランのファルザン選手も、度重なる怪我による長期離脱を強いられています。現代テコンドーにおいてトップ選手たちが使う数々の変則蹴りは選手自身の身体を蝕んでいるという事を此処に明記しておきたいと思います。

キョルギ史④ 2017年ルール改訂~東京五輪延期編

 閑話休題。リオ五輪は興行的には大失敗でした。電子防具に慣れた選手たちが独創的な蹴り技を連発しすぎた結果、テコンドーのルールそのものに批判が集まったのです。特に、点差がついて勝ちが決まった選手がクリンチを連発して逃れる姿には世界中から批判が集まってしまいました。結果、翌2017年には非常に大規模なルール変更が行われました。

・中段蹴り2点 上段蹴り3点 回転している場合は+2点 中段突き1点 相手が反則しても1点(警告の0.5点が廃止で全てが減点)
・下段への蹴りや顔面パンチは反則。当てなくてもモーションだけでもダメだからチョロチョロ下蹴るモーション出してると反則取られる。
プッシングは蹴りの距離を作る為ならOKだけど押し倒したら反則
・転んだら問答無用で反則。足の裏以外の部位が地面に付いた時点で反則なので、カポエイラみたいな手を地面につく蹴りは使用不可。
・掴んでも反則。クリンチで抱え込んだら反則。
・場外に片足が出ても反則。
相手の蹴りを受けるために足を上げる行為は反則

 この変更では得点とプッシングに関するルール変更が大きく、これによって戦術が大きく変わってしまった面があります。特に批判が集まっていたクリンチ逃げ切り戦術はプッシング解禁によって不可能になりました。また、変則的すぎる上段蹴りに偏重した戦術を一新するために中段蹴りの点数を2点にする事で実質的に上段蹴りの価値が半分にしました。これにより変則的な蹴りの少ない中段蹴りの価値が上がった事で、本来のテコンドーの基本蹴りと呼ばれる技術に忠実な選手が若干有利なルールとなりました。これによって、盤石の体制となったのが、韓国の天才イ・デフンでした。

 イデフンは過去二回の五輪に出場するも何も表彰台の頂点に立つことが出来ませんでした。天才の名を欲しいままにし、テコンドーを完成させた男とすら称されるテコンドーの神ですが、リオ五輪ではアブゴウシュの超変則的戦術の前にまさかの敗北を喫したのです。

 しかし、ルール変更があった後の2017年の世界選手権では圧倒的すぎる力を発揮しました。世界選手権の決勝戦を大差で勝ち切って再び世界王者に返り咲きます。この現行ルールでイデフンは最強でした。そのフィジカルモンスターぶりを遺憾無く発揮しましたのがグランドスラムの決勝戦でした。

 リオ五輪では58kg級で優勝し、階級を上げてグランドスラムに出場していた中国の趙を恐ろしい圧力でフルボッコにします。これを見ていた世界中の選手たちが徹底的に体幹トレーニングを重ねて接近戦でのプッシング技術を磨いていくことになります。

 そして、2019年の世界選手権で再び問題が発生します(毎大会ごとに問題が発生しているのでは? という無粋なことは聞かないでください)。それはクリンチ状態でのレフェリングが難しすぎるという問題でした。例えばプッシングですが、プッシングが解禁されたのはあくまで相手との距離を作って蹴りを打つためのプッシングが解禁されたのであってディフェンスのために相手を押したり相手を押し倒したり押し出したりするために解禁された訳ではありませんでした。なので、相手が蹴りを蹴ってる途中でプッシングする行為は反則になるのですが、この基準はかなり難しく、ルールが変わったばかりで戸惑う審判が多かったのが実情でした。更に、実質的に抱きつくクリンチが禁止された事でくっついた距離で足を上げて相手の攻撃を妨害する新手の消極的反則行為が起こります。これらの大混乱により、世界選手権の途中から審判委員会で「クリンチ状態になったら3秒ほどですぐにストップかけて選手を引き離す事」という通達が出されてしまいます。そんな世界的な大混乱の中で男子68kg級の絶対王者だったイデフンが敗退しています。さらに迎えた千葉グランプリで、イデフンはイギリスの補欠代表相手に敗退してしまいます。

 という事で世界的にも目まぐるしいルール変更で一体どうなってしまうのか分からなくなってきた東京オリンピック。と、ワクワクしていたところで今回の五輪延期騒動が起きてしまいました。国際大会も次々と中止する中で来年は一体どうなってしまうのか? 今後のテコンドーのルール変更に目が離せません。と、ここまでが歴史から見るルールと流行戦術の変遷になります。まどろっこしい話ではありましたが、お付き合いいただきありがとうございました。