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没になった国技院公認プムセ。オリジナル高麗(original koryo)

고려(품새)訳:コリョ(プムセ)
유단자가 되어 처음 배우는 품새이지만, 굉장히 어렵다. 오히려 2품의 품새인 금강이 수련 난이도는 더 쉬울 정도이다.(訳:有段者になって初めて学ぶプムセだが、非常に難しい。次に学ぶ金剛プムセの方が習得難易度は容易である)※하지만, 수련 난이도라 했을 뿐, 대회라면 또 이야기는 달라진다(訳:習得が難しいというだけで大会での難易度は別である)

ナムウィキ 高麗プムセ

没になった高麗プムセ

全国、15人くらいの「高麗プムセって金剛や太白より難しくね? 順番、変じゃね?」と思うテコンドー愛好家の皆様こんにちは。

今日ご紹介するプムセはこちらのプムセ。

※ 演武者は南昌道場のカンユジン先生。

 その名も「高麗プムセ(コリョ/고려)」です。おそらく、皆様が知っている高麗(コリョ)プムセとは全く別のプムセになっていることが分かると思います。

 こちらのプムセは1965年~1967年に大韓テコンドー協会が最初のプムセを作った際に八卦(一章~八章)やそのほかの有段者プムセ(金剛や太白など)と共に作られて、高麗(コリョ)という名前で世に登場しました。
 しかし、その後1972年に大韓テコンドー協会は子供や体育としての普及用の型として太極(一章~八章)を作るのですが、この時に上の動画のタイプの高麗プムセは諸般の事情で現行の高麗(コリョ)と入れ替わる形で没になってしまいました。一説には「動作がシンプルすぎて有段者型にふさわしくない」という身も蓋もない理由で没になったとされています。

登場からわずか5年で没になった幻のプムセが高麗プムセ(没)なのです

因みに、プムセ制定委員の一人だった青濤館のパクへマン師範曰く「八卦(太極の前に使用されていた色帯用の8個のプムセ)を作る際に中身が難しいものは有段者用のプムセに回した。それが高麗と太白だ」との事です。
つまり、このプムセは元々は色帯向けに作られたものの、微妙に複雑だったので一旦は没になって八卦という名前を取り上げられて代わりに高麗という名前を与えられ、再度没になって高麗という名前を現在の高麗に奪われたという色々な意味で可哀想なプムセなのです。

 そんな、悲しみに満ちた没プムセですが、欧米の道場では「オリジナル高麗(original koryo)」と呼ばれて稽古されています。しかも、国技院が没にしてから50年以上経っているため、統一した動作や手本もなく、まるで唐手の型の様に世界のいろいろな場所で様々な姿を現在に残しています。

様々な道場で現在に伝わっている形によって若干の違いがありますが、基本的な流れは以下の通りです。

①準備動作
②右足後ろの後屈立ち、両手刀受け
③左足前の前屈立ち、喉への右平拳突き
④右横蹴りと右鉄槌を同時に繰り出す。
⑤騎馬立ち、下段十字受け(左手が上)
⑥右足前の前屈立ち、右上段受け
⑦左前足の前屈立ち、喉への左平拳突き
⑧時計回りに 90 度回転
⑨左足後ろの後屈立ち、右手刀受けからの左中段突き
⑩右足を前にスライドさせ、右足前の前屈立ち、両手を伸ばして相手をつかみながら左膝蹴り、気合。
⑪左前足の十字立ち、下段十字受け(右手が上)
⑫右足を後ろにスライドさせ、左前足の前屈立ち。下段手刀搔き分け受け(ヘチョマッキ)
⑬右足を一歩前に踏み込んで騎馬立ち、左腕に向かって右肘打ち
⑭進行方向の反対を向いて、右足後ろの後屈立ち、下段手刀受け
⑮左足を下げて、左足後ろの後屈立ち、右手刀外受け
⑯左後ろの後屈立ちのまま半歩下がって右正拳内受け
⑰右足を下げて右足後ろの後屈立ち、左正拳内受け。
⑱そのまま右足を軸に180度回転して右前足の前屈立ち、右裏拳打ち、上段左手刀外受け、左前蹴り、二段前蹴り(右→左)
⑲左前足の前屈立ち、左中段突き、右中段突き、気合。
⑳準備動作に戻る

演舞線は|です。

実際にやってみると、演舞線が|なので省スペースで練習ができたり、動作数が少ないので30秒弱で出来るなど、小腹が空いた時のスニッカーズの様にちょこっとプムセがやりたい時の「オリジナル高麗」的な小回りの利く型であることが分かります。

それでは、世界のオリジナル高麗を紹介したいと思います。

国技院の復刻版アニメ

まずは国技院が残された資料を基に作成したアニメーションの復刻版です。

平拳や手刀を使っているいくつかの部分が正拳になっている事や、横蹴り後の下段十字受けで進行方向を向いている以外はカンユジン先生と殆ど同じ動作になっていることが分かります。

松武館のオリジナル高麗

九大道場の一つ、松武館系統の道場に残されたオリジナル高麗です。松武館が松濤館空手の系譜の道場であることから、一つ一つの動作が大きいことが特徴的です。

⑩~⑫の動作で、一番最初に提示したカンユジン先生のプムセと異なります。特に下段手刀ヘチョマッキの部分が中段の両搔き分け受けになっていたり、⑱の動作で左の手刀上段受けが左の上段受けになっています。

カンユジン先生は武徳館系の南昌道場の師範であり、おそらく1970年代当時は道場ごとに同じ型であっても微妙な違いがあったことが推測されます。

智道館のオリジナル高麗

九大道場の一つ、智道館系統の道場に残されたオリジナル高麗です。松濤館ではなく修道館系(現在の錬武館)の道場ですが、演武者のマイケル・タン先生が国技院の公認八段の先生なので動作が国技院スタイルに寄っています。

ただ、動作としては⑫が松武館と同様に中段両搔き分け受けになっていたり、⑱の動作で左の手刀上段受けがタメを作るようなゆっくりとした受けになっているという違いがあります。

また、名称もオリジナル高麗ではなくコリョ1と呼んでいます。

青濤館のオリジナル高麗

九大道場の一つ、青濤館系統の道場に残されたオリジナル高麗です。松武館と同様、松濤館空手の系譜であることから、一つ一つの動作が大きいことが特徴的です。⑫が松武館と同様に中段両搔き分け受けになっていたり、⑱の二段蹴りが右足を蹴らずに左の跳び前蹴りとなっています。

武徳館のオリジナル高麗

九大道場の一つ、武徳館系統の道場に残されたオリジナル高麗です。カンユジン先生も武徳館系列なので大きな流れは同じですが、⑪の十字受けが太極七章と同じくドゥンジュモクジェチョチルギ(ごめんなさい日本語訳が分からない)になっていたり、⑫の下段搔き分け受けが手刀ではなく正拳になっていたり、微妙に動作が異なっています。

吾道館のオリジナル高麗

九大道場の一つ、吾道館系統の道場で行われているオリジナル高麗……。
ただ、先ほどの武徳館と流れ自体はほとんど同じなので、残されていたというよりもどこか別の場所で習ったなどして習得した恐れがあります。

自然流のオリジナル高麗

九大道場の一つ、彰武館出身で同じく九大道場の一つ講道院でも師範を務めた武道家キム・ビョンス(キムスー)氏が興した独自の流派である自然流(チャヨン流)の道場で指導されているオリジナル高麗。

③の後に相手をつかむ動作が入るというのが他との大きな違い。⑫は中段搔き分け受け(ヘチョマッキ)。

おまけ(実際にやってみた)