2016年2月 日本縦断の旅(後編)
はじめに
この記事は18日間をかけて日本縦断を行った記録の後編である。
札幌をスタートして京都までやってきて、小休止となったところから後半戦がスタートする。
10日目 京都
京都市バス
全国縦断の旅は小休止。
10日目は京都市バスに乗車して観光地を巡る。
やってきたのは南禅寺。
琵琶湖疏水の水路が象徴的だ。
再び京都駅に戻ってきたら面白い行き先表示のバスがやってきた。
京都駅と梅小路公園を結ぶ急行バスは、京都鉄道博物館の開業後に、急行104系統として改められて、行き先も梅小路公園ー京都駅ー四条河原町と主要観光地を結ぶ路線として運行されていたが、2022年3月のダイヤ改正で廃止が決まった。
開業前の京都鉄道博物館にやってきた。
京都水族館とあわせて一日ゆっくり楽しむことができるようになるのはもう少し後のことで、再び京都駅へと戻る。
今では見ることのない祇園Express。
京都市バスではこの時期に急行系統が多く誕生していたが、行き先の系統表示が漢字のために外国人観光客にとっては難しい状況だった。そのため急行系統にも100番台の系統が与えられたのだが、コロナ禍に伴う利用者の減少や、財政赤字解消のために2022年3月のダイヤ改正で急行系統の廃止が決まった。
京都駅をうろうろしていると封筒を手渡された。
京都市が観光客に向けて、観光調査を行うために配られているアンケートで私自身も卒論調査で大いに利用した調査である。自分が被験者になるのは嬉しい限りだ。
サフランサフラン
昨日のニュー烏丸に引き続き、常宿に最も近い洋食屋であるサフランサフランで夕食した。
1階がカウンターで2階はテーブル席のお店だが、地元の人たちで平日も席が埋まってしまうので要注意の人気店である。
まずはビールのお供にオードブルから始めるのが定石だ。
そしてサフランサフランといえばやっぱりハンバーグ。
このハンバーグを食べにやってくるので、他のメインが食べられないのが唯一の弱点。笑
地元でも行きつけといえるお店は少ないが、ここは間違いなく行きつけだ。
11日目 京都〜奈良
学生時代から京都の朝食は四条烏丸のプロントでモーニングと決まっていた。
喫茶店のモーニングや朝マックということもあるのだが、通勤客を眺めながらゆっくり過ごす時間が好きだった。
ちなみに、京都の朝はそこまで早くない。モーニングを提供する喫茶店も9時からだったりするので、午前中の行動も制限されがちだ。
三条京阪にあるらーめん山頭火までやってきた。
現在は閉店してしまった山頭火だが、初めて京都を訪れた時に食べた思い出の味である。当時はこれが京都ラーメンかぁと思っていたが、旭川のお店ということを知って以来久しぶりの再訪となった。
京都駅からはJR奈良線できっぷのルートに復帰した。
伏見稲荷大社は清水寺と金閣寺と並んで京都を代表する寺社仏閣と言えるだろう。
千本鳥居はいつも人で溢れている。
続いて宇治にやってきた。
日本人には10円玉でお馴染みの平等院鳳凰堂は、いつやってきても素晴らしい。
京都から奈良にやってきた。
夕食はこの旅の中で一番豪勢に旬菜ひよりにやってきた。
大和野菜を中心にした料理は、大学生には少し背伸びしすぎてあんまり良い印象がないというのが正直な感想である。
12日目 奈良〜岡山
奈良ではドミトリーに泊まった。
6人部屋の相部屋だったのだが、どうにも落ち着かなくて朝早く目が覚めた。
本日は王子駅から和歌山線の完乗からスタートする。
高田といえば、我らの番長、三浦大輔の出身高校の高田高校だろう。
JR和歌山駅から歩いてやってきたのが和歌山城だ。
さすがは徳川御三家の一つであった紀州の国だけあって、大きな城だった。
和歌山駅からは紀州路快速で大阪環状線に入り、大阪から姫路方面へ新快速で移動した。相生ー岡山間は新幹線に乗車した。
大阪で購入したコップのすち子さんで遊ぶ図。乳首ドリルすな。
岡山は大学生の中で思い入れのある地の一つである。
岡山市には路面電車が走る中で、めぐりんというバスがさらに市内中心部を走ることに注目した友人が研究していたのが懐かしい。
普段ならば、どどどで一杯行きたいところだが、節約した。
13日目 岡山〜下関
この日は、岡山から下関まで山陽本線(呉線経由)をひたすら乗り続ける1日を予定していた。
福山駅で途中下車。新幹線停車駅の福山は駅前に広がる街並みと、裏手の福山城が印象的。お城を裏手と呼ぶのは少しあれか。
呉
広駅で列車を乗り換えたのだが、方向幕故障で試運転幕で運転列車がやってきた。
こうしたトラブルもLEDに変化した今では見ることが少ない。
呉駅前には大きな潜水艦。これをみると呉にやってきたと思う。
山に向かって街並みが広がる呉は、地元横須賀の雰囲気を感じた。
呉駅前の大和ミュージアムは、第二次世界大戦を知ることができる日本屈指のミュージアムのように思う。もちろん広島市の広島平和資料館とは比較できないのだが、こうした歴史を知ることのできる貴重な場所だ。
宮島口までやってきたものの、乗換時間の合間に少しだけ。
逆にいえば、駅から宮島行フェリーは目と鼻の先にある。
岩国の錦帯橋にやってきた。
地理には詳しい自負があったのだが、この地を訪れて初めて錦帯橋が山口県にあることを理解した。つまり、岩国市が山口県の街であるということをだ。
山陽新幹線の新岩国駅が、広島の隣駅だからかもしれないが、錦帯橋は広島県にあるとばかり思っていた。
実際にアクセスは下関より広島からの方が訪れやすいし、宮島観光とのセットでやってくるのにちょうど良い。
岩国からはいよいよ下関を目指していくのだが、少し列車に乗り続けるのに秋が亜出てきてしまい、徳山ー新山口間は新幹線で移動した。
18きっぷとは違い、乗車券を所持しているので自由席特急券のみで乗車できる。
たどり着いた下関駅。JRのカラーを見てもまだ、JR西日本管轄だが、お隣の門司はいよいよJR九州だ。
下関駅の周りには気軽に入れそうなお店が見当たらずに、駅構内の居酒屋で生姜焼き定食を頼んだ。
長期間の旅程の中で、この下関が孤独を感じ、マイナス思考のどん底だったのでこの夕食はよく覚えている。
14日目 下関〜別府
ホテルの朝食バイキングから朝が始まった。
この度では、素泊まりが多く朝を食べない日もある中でありがたい。
確か、肉系のメニューが少なくてナムルで白米を食べていたように思う。
九州上陸
下関で少し観光をするつもりだったのだが、前日からのマイナス思考の影響で、すぐに九州に入ってしまった。
関門海峡は、大阪、瀬戸内海方面への海の玄関であり、幅が狭い海峡にも大型船がやってくる。
門司港では、街をぶらぶらして、公園のベンチで自分の思いにふけっていた。
大学を卒業した将来や、お金のない中で旅を続けることや、そもそも大学の卒業単位は足りているのか、いろんな考えが頭の中をくるくるしていたのだ。
JR九州の列車は特徴的で面白い。新田原という駅名の多くの人は読めないのではないだろうか。
立ち食いそばではなくて、立ち食いらーめんがホーム上にあるのも特徴的だ。
中津駅では、駅構内で鱧が飼われていた。
例えば、浜松駅で鰻を飼うことはないように、色の名物がこうして展示されている例は全国的にも珍しいように思う。
中津市は福沢諭吉との関わりが非常に深い。
我々世代からすると、福沢諭吉といえば壱万円であり、壱万円といえば福沢諭吉である。
中津市内を歩いていると中津城までやってきた。
今回は乗り継ぎ時間の30分ほどで散歩しただけだが、魅力の多い中津の街をゆっくり見て回りたいものである。
柳ヶ浦駅の近くのパン屋でカレーパンを買った。
このカレーパンが辛口で非常に美味しかったので、思わず写真を撮った。
別府
別府駅に到着した。
九州でも優秀な観光地だが、駅前の目抜き通りに伊予銀行の支店があることに気がついた。伊予といえば、現在の愛媛県の事だが、ここ別府と愛媛県八幡浜は海上交通が盛んであることから、大きな支店があるのだろう。
夕食は、地元で人気の居酒屋に行くつもりだったのだが、満席だったため、駅構内でとり天とだんご汁の大分セットを頂いた。この旅にしては珍しくご当地グルメにありついた。
15日目 別府〜熊本
別府の観光といえば、間違いなく温泉・地獄めぐりがその筆頭だが、高崎山公園の猿山を見に行くのも悪くない。そう思って、高崎山に向かった。
うみたまご
高崎山とは国道を挟んだ向かいに水族館うみたまごがある。
せっかくなので、水族館と猿山を見ていくことにしたのだが、このうみたまごは衝撃的な水族館だった。
平日の開園直後ということもあり、人は数人の中でゆったりと見学していた。
その中で、イルカショープールの底を見ることができる水槽で、俺はイルカの虜になっていた。
平日朝の水族館は、素晴らしい。
イルカたちを独り占めして、何十分とガラスの前にいたことだろう。
ショープールで遊ぶバンドウイルカ
自発的にプールから飛び出して遊ぶ様子が見られた。
関アジのプールだったと思う。
海に向かってプールが続いているような印象を与える。
ショーの時間まで時間があるということで、高崎山自然公園にやってきた。
ここで見られるニホンザルの群れは、あくまで野生の猿たちで、高崎山にはB群とC群いう2つの群れがあり、その猿たちを見ているということだ。
正直、ここまで大勢の猿たちを見ると恐怖感すらある。
しかし、イルカの興奮を抑えきれずショーを楽しみにしていて心ここに在らずの状態だったように思う。
ショーは圧巻だった。
興奮しすごて、イルカが枠に収まらない写真が多いほどだ。
ショープールは一般的なものより狭く、プールを360度囲むように観覧席があるのでどこで見ても楽しいだろう。
ショーのテンポが良く、出し惜しみせずに様々な技を繰り出してくれるのでエキサイティングな時間だった。
日本一のイルカショーである。(ちなみに、ショーの日本一は鴨川のシャチ。流石にあの迫力には敵わない。)
すっかり時間を過ごしてしまい、お昼はうみたまごのレストランでカツカレーを食べた。
ところがこのカツカレー、可愛らしいお皿とは裏腹に、しっかり辛さがくるカレーでトンカツもカラッと揚っていて、フードコートのレベルをはるかに超えていた。
カレーもいわゆるカレーで、変に凝っていなくてとても美味しかった。
大分駅
大分駅で改札の外に出て、ホームに戻ってくると、なんとななつ星が停車していた。
ちょうど入替作業を行なっており、そのためにじっくりと車体を観察することができた。
ななつ星を見送った後には、ゆふいんの森もやってきた。
個人的にはスーパービュー踊り子と双璧を成すJRを牽引してきた特急列車だと思う。
大分からは、九州横断特急で熊本を目指す。
車中からも阿蘇の雄大な景色が広がる。
この日から約2ヶ月後に熊本地震が起きた。
この後も熊本を訪れることはあっても阿蘇には行けていないので、ぜひ訪れたい。
熊本駅に着くとななつ星みたいな路面電車がやってきた。
こちらもやはり水戸岡鋭治デザインである。
夕食は、この日の宿のスーパーホテルに併設された旅彩にした。
疲れていて店探しをする気力がないという安易な理由だったが、美味しいお店だった。
おひとりさまに優しい、肥後まんぷく御膳には、馬刺し、馬もつ煮、辛子蓮根、ひともじのぐるぐるなどの熊本名物がちょっとずつ食べられて1,800円と非常にお値打ちだった。
安い旅行をしている学生には最高のお店だった。
16日目 熊本〜長崎
いよいよこの日で札幌から続いてきた旅も終わりを迎えようとしていた。
熊本
朝食は、京都に引き続き2度目のプロントとなった。
午前中は熊本城にやってきた。
熊本城の造りは本当に計算されており、平成の時代であっても天守閣が見えたと思っても目の前にたどり着くのには時間がかかった。
熊本地震の後、復興のシンボルとしても注目されて、これからも熊本の街を見続けていくだろう。
熊本の名物の太平燕(タイピーエン)をご存じだろうか。
私は、毎度お馴染みの安住紳一郎の日曜天国のポッドキャスト「ちゃんぽんはなぜ群れるのか?」の中でちゃんぽんの派生系として紹介されており、興味があった。
太平燕の元祖と言われている紅蘭亭で食べてみた。紅蘭亭は中華料理のお店で、太平燕に関わらず、どれも美味しそうだった。
長崎のちゃんぽんのような感じだが、揚げたゆで卵が入っているのと、麺がちゃんぽん麺ではなくて春雨というのが最大の違いである。とても美味しかった。
熊本からは初乗車となる九州新幹線で久留米まで移動する。
鳥栖からは白いかもめが最後の列車となった。
車内は混雑しており佐賀から指定席という形だった。
長崎
札幌駅から日本各地を経由して長崎駅にたどり着いた乗車券には、無数の途中下車印が押されていた。この乗車券は、下車印を押してくれる駅員さんの個性もあるので世界で1枚しかないものである。
終着駅を長崎には理由がある。
この長崎に、ゼミの後輩たちが巡検を行なっており偶然にも九州にいるということで先輩も混ざっちゃおうという魂胆であった。
ランタンフェスティバルが開催されており、長崎の街は賑やかだった。
夕食は四海樓でちゃんぽんとなった。
太平燕に続いてのちゃんぽんである。
レストランからは稲佐山が一望できる。
我がゼミでは、その土地ではその土地を体験するがモットーなので、ちゃんぽんと皿うどんを注文。
関東で食べるちゃんぽんとは異なり、とにかく味が濃い。旨味がすごい。
ちゃんぽんの美味しさを再発見した1日だった。
17日目 長崎〜博多
軍艦島
後輩に紛れ込んで長崎にやってきたのは、軍艦島が目的だった。
長崎港からは、軍艦島クルーズを運営する会社が複数ある。
クルーズ船は、長崎港内からワクワクする。
軍艦島に上陸する前に船は高島へ立ち寄る。
高島も炭鉱の島であり、軍艦島や高島の歴史を学ぶ展示を見学して、いざ軍艦島へ再出航となる。
軍艦島は、島を沖合から眺めた時に軍艦のように見えるからつけられた名前で、正式島名は端島という。
沖合にある軍艦島は、波が高くて船が接岸できないことも多く、海の上から眺めた後に長崎港に引き返すことあるようだ。
軍艦島には、廃墟となっているビルがある。このビルは団地、デパート、学校といった町内にある施設が全て入っていたのだ。限られてた島の土地に大勢の人が生活するには、上に上に延ばしていくしかなかった。
長崎
長崎市内に戻って昼食をとった。
この時の雰囲気は最悪で、なぜ後輩たちの学年はこんなにも誰も喋らないのかと思ったものだ。
今では本当に仲のいい学年になったけどもね。笑
午後は、出島、亀山社中、グラバー園といった観光地を回って後輩たちと別れた。
長崎駅構内のロイヤルホストで、トルコライスとビールでこの旅を締めくくったのであった。
帰路は福岡空港から飛行機を予約していたので、この日は博多で1泊することになった。
18日目
おわりに
18日間の長旅が完結した。
前日に博多に到着した時に、ズシっと体が重くなり、旅の緊張感が開放されたのか疲労がどっとでたようだ。
最終日も宿泊していた中洲川端駅直結の宿から福岡空港に直行して、飛行機に乗り込んだ。
この旅をもって、47都道府県制覇の夢は、四国を残すのみとなった。
四国の旅はここから2週間後に出発するわけだが、それはまた別の旅である。
このような長旅は、次はリタイヤした後だろう。
しかし、貧乏旅で初めて見る世界にワクワクしながら全国を回ることができたのは大学生の時でしか経験できない貴重なことだった。
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