がやてっくメモ59
・正論に意味はあるのか?
僕は、まるでがやてっくという掲示板の管理人をやっているのですが、毎夜毎夜、ある議題に対してスレッドが立ち、たまたまそこにいた人たちと会話をしています。
規模はどうであれ、まるでがやてっくの登場はがやてっくのPV数に多大な影響をもたらしました。
まだまだ小さい掲示板ですが、とても楽しくやっています。
匿名の掲示板と聞くと、多くの人が誹謗中傷をセットで連想しますよね。
まだまだ小さい、無名の掲示板ですが、実はまるでがやてっくには誹謗中傷がありません。
誹謗中傷が起こるロジックの1つに、間違いを正そうとするという考えがあります。ネットとリアルの大きな違いは保存できるかどうかです。会話は、言葉発したら終わりですでも、ネットには永久的に残ります。残るという事は、間違いに対して敏感になり、指摘して修正させようとします。これが広がり、誹謗中傷に繋がっていきます。
つまり、正論が誹謗中傷を生んでいるわけです。
ところが、まるでがやてっくはムードを壊すユーザーを許さない空気が流れています。みな、ここはこういうルールだよねという中で遊んでいるわけです。n対nのやりとりではなかなか見られない、有意義な時間を過ごすことが出来ています。
僕は常々、正論に意味はないと思っています。正しい行動をとる。正しい知識を得ることは大事です。でも、論じる理由ってないと思うんです。この世には、論じた時点で正しくなくなる、いわゆる不確実なものが沢山あります。自分が正しいと思いで論じること、それそのものには価値なんてなく、論をぶつけ合い、解答に近づけたり、ぶつけたことで生まれた、想像しえない結論に価値があるのだと思うのです。
というわけで、このあたりの話はがやてっく開発室でより深掘りしていこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?