がやてっくメモ67

・いつだってn対n
明日でがやてっくは1周年を迎えます。ユーザーさんへの気持ちや僕達管理人の気持ちは各ブログやがやてっくの記事に書いてあるので、そちらを読んでもらえると嬉しいです。ここでは割愛させて頂きます。
今日は、1周年前日ということで、いつだってn対nというテーマで、開発室並みの文量でお届けします。

僕達ががやてっくを発足させた頃、去年の7月は、コロナが猛威を振るい、人と人のコンタクトや移動に制限がありました。いまでは、だいぶ薄くなってきましたよね。
コロナがもたらしたものはとても大きく、厳しい言い方をすれば、日本の遅れみたいなものが浮き彫りになったと思っています。

僕は、コロナ以前、SNSが普及してから知り合いとのやりとりや不特定多数の人とのやりとりに対して、少しばかり疑問がありました。1対nの関係や仲良しだけで楽しみあう関係が主流になった世界です。もちろん、仲良しだけの関係の方が居心地はいいし、自分が吐き出したい言葉を吐き、リアクションをもらえるのは楽です。

でも、常に人って誰かに見られているとも思うんです。そして、多少の混沌や淀みがあった方が面白いものが生まれると思っています。
人は、知り合いとのコミュニティーや自分が吐きたい心境を吐き出せる場の他にn対nの混沌とした場所が必要なんだと思うんです。

常に周囲からみられているとか、知らない人の知らない知識を垣間見る瞬間は、自分の探求心を刺激します。そこから、新たな情報と出会い、新たなジャンルに興味を持つ事が出来る。

1対nや知り合いとのコミュニティーだけにいてしまうと、こうした好奇心は薄れていくなぁと感じるんです。ネットに限らず、不特定多数の人がいる場所に遊びにいくと、知らなかったものが知れます。
そしてその経験が、ネタになり、人に話し、笑に変わったりします。

これこそ、ビジネスや仕事において大事なことであり、本質であり、普遍的な部分だと思うんです。

だからこそ、n対nの関係は重要だと思うのです。

興味のないことから逃げない、あるいは、そもそも自分の琴線にひっかからない身体を作ってしまうと、それだけで自分の世界は狭まります。

僕は、まるでがやてっくに出入りするようになって、がやがや村でコミュニケーションを取るようになって、がやてっくの取材に出かけるようになって、さらに色々なことに気づき、色々な事を知り、色々な事を調べるようになり、自分が知らない事が沢山あることを知りました。

これは、n対nの環境に飛び込んだからこそ得た財産です。

今、SNSが生んできた繋がりという概念は崩れたと思っています。
繋がっていたってなにも生まれない。皆さんが持っている繋がりのなかで、仕事でも友情でも、何かが生まれたのは最初に生まれた繋がりを育てたからでしょう?

SNSでつながるという感覚では、もう何も生まれません。それで成功できるのは、SNSのフォロワーにリーチできる圧倒的な影響力を持っている人だけです。

もう一度、n対nの環境で欲求を取り戻し、沢山の知的好奇心を満たし、そこで初めて得た繋がりを育てていくべきだと思います。

ほとんど言いたいことは言えましたが、一応この続きはがやてっく開発室で(笑)

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