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金井雄二「短編小説をひらく喜び」

この本は、Amazonで検索していて見つけた。
紹介文にはこう書かれている。
「文学が大好きだ。少年のころから本のとりことなった著者は、とりわけさまざまな人生の匂いや景色、断面を鮮烈にえがく短編小説の世界にたっぷりと魅せられてきた。志賀直哉、石川淳、牧野信一、藤枝静男、阿部昭、シャルル=ルイ・フィリップ、チャールズ・ブコウスキー、レイモンド・カーヴァーほか……三十二作家三十五作品、短編小説をひらく喜びを余すところなく語る。」

だが、この本は、それだけのものではない。金井さんの生き様を、評論に乗せて書いた本だ。
多分、私には想像もつかない苦労をして、それでも本を読むことをやめなかった人の、鍛えられた文章がここにある。

「ここで少し自分のことを話すが、これは事実。ぼくの幼少時代は本当に貧困だった。父は働かない男で、職を転々とし、生活費を入れない。母はそれに不満で喧嘩がはじまる。父は興奮して包丁を持ち出す。母は逃げる。ぼくは父を抑える(はね飛ばされるが)。姉は母をかばう。妹は泣き叫ぶ。かくして母は隣に逃げ込む、という構図。つねにゴタゴタがあった。」(P36)

こうした経験があったからか、金井さんの好む小説は、日常の微かなきらめきを描いたものが多いようだ。特に、芥川竜之介の「蜜柑」という小説への評論が私の心を打った。

金井さんの本の全体をとおして、「文学は現実に根ざしたものであるべき」という考え方が貫きとおされている。
P34から紹介されているシャルル=ルイ・フィリップは貧しくても、創作活動をあきらめず、売れることなく死んでいった作家。貧しい出自をもつから、貧しい民衆の姿を描くことができた。
「小さな街に住む小さな自分(P34~)」という章を読むと、フィリップの人生が、私(ヒロム3世)の父の後ろ姿を見ているような気がしてならない。
私の父は画家だった。絵は売れなかった。だから、職を転々として食いつないだ。それで私を育ててくれたのだから、大したものだった。
父は不器用だったから、「売れるイラスト」のような絵は描けなかった。ただ、目の前の現実をありのままに、愚直に描くことしかできなかった。私はそんな父に反発していたし、今も父の考え方を完全に肯定はできない。
だが、「事実を描くこと」「綺麗も醜いも、光も影もありのままに描くこと」それがどんなに大変なことか、絵のトレーニングをしていると分かる。そんな難しさに取り憑かれて、お金を稼ぐことを忘れてしまったのが、私の父だったのだ。

私は父とは違う。
仕事とする以上、お金を生み出さないといけないと考えている。だが、それは簡単ではない。朝早く起きて絵を描いて、仕事の休み時間を利用して絵のトレーニングをして、少しずつ評価される絵を描いていくしかない。
私は壮大な話が好きだ。幻覚のようなフィリップ・K・ディックやジェットコースターのような神林長平が大好きだ。レヴィ・ストロースのような、全世界の「野蛮人」の思考をまとめてしまうような学者が好きだ。

だが、壮大な話やカッコいい話が書けなくても、小さな物語の一節を愛し、何度も読み返すこと。そんな読者を何人も持てること。
それは、小さいころ砂場の中で見つけた小さな石英の煌めきのように、えもいわれぬことなのではないかと、そう思う。

なお、Amazonのリンクを貼っておく。多分、皆さんの知らない作家が紹介されていることは間違いない。ここから、読書の幅を拡げていけるだろう。

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