修養科3回目
おたすけ人になる
教会長資格検定を修了して、1年くらい経った頃だ。
夜、寝ようと横になると、空気が肺に入ってこない。
座ると、どうも無いのに、横になると、息が出来なくて、壁に凭れて眠るという日が3日続いた。
4日目、何だか変だと思って、主人に頼んで、夜の神殿に向かった。
午前1時半くらいだった。
南の神殿に入り、頭を下げた時に、心の中で、
『4月から修養科に来たら治りますか?』
と、言っていた。
その途端、すーと綺麗な空気が肺いっぱいに入ってきた。
しまった!神殿で言ってしまった…。
気むずかしそうな顔をした私の顔を主人が覗き込んで、
「どないしたん」
と、聞いてきた。
「4月から来たら治りますか…って言っちゃった‥どないしよう」
「それで、息苦しいのはどうなん」
「不思議と綺麗な空気が入ってきてん」
「そうか。又、呼ばれてんな」
きっと、そうだろう。
でも、4月は、志願者が多い。
人混みが苦手な私に耐えられるだろうか。
心配と不安で、胸が潰れそうだ。
私の様子を見ていた主人が、
「呼ばれてるんやったら、何も心配な事は無いって事と違うか?神さんは、そんな意地悪はせんやろ」
その言葉で、志願する事を決めた。
大教会からの志願者は、男性4名、女性は、私を含めて3名。
内訳は、
男性
・教会の後継者で28歳。
よく大教会で、青年さんを 手伝ってる姿を目にしていた。(龍樹)
青年さん曰く、『自分たちが後回しにしている事でも、気づいたらしてくれてます』と言うくらい、気配りが出来、よく動くらしい。
・教会の二男で、布教の家でにをいをかけた、アルコール依存の方を導いて、一緒に志願した26歳の青年。(治憲)
・アルコール依存の70代の方。(Ο田さん)
・叔父の教会に家族で住み込んでる19歳の男の子。(龍一)
女性
・天高二部を卒業したばかりの女の子(19歳の男の子と同じ教会で、家族で住み込んでいる)。(沙也加)
・同じく天高二部を卒業したばかりの女の子、教会子女。(真希)
・そして、私。
部屋に荷物を運び込んでいる時に、変な空気を感じた。
2人の女の子が、全く会話をしない。
黙々と、荷物を片付けていた。
何となく気まづくて、手持ちのお茶のペットボトルと煙草を手に1階に降りた。
事務所裏に出て、煙草を吸った。
大教会に泊まった時に、4年間同じクラスで同じグループだったと言ってたけど、知らぬ仲のような雰囲気だった。
まあ、初めてで緊張してるのかもしれない。く
同期7人に、二期生に、24歳の女の子がいるのと、三期生は、76歳の男性。(Ο田さん)
1人でのタオル交換は、大変やったやろうなと思った。
女子だけ、毎朝、4階から地下まで、タオルと湯沸かし場の布巾を交換しないといけない事になっていた。
タオルを置いている場所が、3階女子トイレの右側にあって、3階は女子の生活空間の為に、男性立入禁止となっていた。
女性がいない時は、臨機応変にやらなければならないだろうけど、女性がいれば、一手に引き受けないといけない。
明日からの順番を決めないとなあ…なんて事を思いながら、空を見上げていた。
4月を間近に迎えた空は、青の色が澄んで、頬を撫でる風は、まだ冷たいが、心地よく感じる。
部屋に戻ったら、張り詰めた空気を感じた。
まるで、ピアノ線を張り巡らせたような凍りついた雰囲気。
2人は、窓際と真ん中に位置していたが、背中合わせで、口を聞く様子も無い。
まるっきりの無視状態。
入るのに、戸惑うというより、怖いと思った。
でも、仕方なく入って、細々とした物を片付けた。
仲良く暮らすきっかけになればと、大きい机を真ん中の壁にくっつけ、珈琲や紅茶やコップやティファール等を並べた。
お茶コーナーを作れば、3人でワイワイ出来ると思ったからだ。
「何か飲まへん?」
と、聞いたら、
「いいです」
と、2人同時に言った。
まるっきり感情がこもってない声。
延長コードに、ティファールの電源を入れて、お湯を沸かして珈琲を作り、自分のテーブルに持って行った。
飲んでいたら、2人がゴソゴソと何かを始めた。
何をしてるんだろうと見ていたら、それぞれのティファールでお湯を沸かし、片方は紅茶、片方は珈琲にミルクを入れて飲み始めた。
同じ部屋にいるのに、何でバラバラに湧かさないといけないんだ…。
やりきれなくなった。
珈琲が半分残ったカップと煙草を持って、1階に降りた。
裏の椅子に座リ煙草に火を着けたら、涙が溢れてきた。
「どうしたん!」
女の先生が、横から顔を覗き込んでいた。
どうやら、声をあげて泣いていたようだ。
「もう、帰る!耐えられん!あんなとこにいてたら、頭がおかしくなる!」
泣きながら叫んでいた。
事務所から、副主任の奥さんが走り出てきた。
「みやもっちゃんが、初日からこんなんて、初めてやん。何があったん!」
「部屋には帰りたくない!もういい!帰る!お父さんに迎えに来てもろて!早く電話して!」
同じグループだったのに、ソッポを向き合う2人。
同じ事をするのに、別々にする2人。
エイリアンや。
私には理解しがたい2人だ。
「せっかく来たのに、修養科も行ってない内から、帰るって言わんといて」
女の先生が、必死で引き止めようとする。
「なあ、どうしたん?」
仲のいい副主任の奥さんが聞いてくれる。
しゃくりあげながら、部屋での様子を話すと、
「そら、しんどいな。そしたら、1人だけ別の部屋にする?」
そう聞かれて、はたと困った。
因縁のある者が寄せられる場所。
ようく知ってるのに、離れてもいいのか。
でも、部屋には戻りたくない。
どうすりゃいいんだ。
「もうちょっと、1人で考えさせて」
そう2人に言って、煙草を取り出した。
吸ってたはずの煙草は、どうしたんやろ。
灰皿を見たら、ちゃんと消してあった。
自分で消したのか、誰かが消したのか解らないけど、ゴミを出さないで良かったと思った。
煙草を吸いながら、何故、呼ばれたのかを考えた。
いくら考えても、答えが浮かばない。
教祖が教えて下さるまで、待たないといけないのか。
ため息が出た。
部屋には戻りたくないけど、もうすぐひのきしんの時間だ。
やるべき事は、やるさ。
1階の洗い場でカップを洗い、部屋に戻った。
「後、7分くらいで、ひのきしんが始まるから、下に降りようか」
2人に声をかけると、奥にいた女の子が、
「はい」
と、返事した。
もうひとりは、何も言わずに、モゾモゾと立ち上がった。
下に降りたら、一期上の女の子(沙也)が、放送をかけるところだった。
男性陣が、程なくして降りてきた。
男の先生が、
「ひのきしん場所は、修練室と1階トイレ男女と食堂やわ」
と、言った。
「みやもっさんは、どこでも出来るやろうから、1階女子トイレをどっちかの女の子に教えてもらっていい?」
「あっ、私が教えて頂きたいです」
沙也加ちゃんが、すぐさま言った。
先生方は、3回づつ来ているとかで、ひのきしん場所を熟知しているようだった。
持ち場もすぐに決まり、沙也加ちゃんとトイレに行って、バケツとモップがけの水を汲みに行く所から教えた‥
丁寧に細かいところまで、きっちり掃除する子やなぁと、感心した。
だが、無表情で、一切口を開かない。
何なんだ?
この季節は、ひのきしん、朝づとめ、朝食の順番だ。
水の捨てる場所を教えて手を洗って、ホールで皆を待った。
待つまでも無く、早々に集まった。
沙也加ちゃんと真希ちゃんは、トイレに行ってるとの事。
仲が良いのか悪いのか解らん。
人手が多いと、ひのきしんも早い。
「若い男の子は、呼び捨てにさせてもらうよ」
笑顔で言ったら、
沙也が、
「私も、呼び捨てがいい」
と、言うので、彼女も呼び捨てにすることにした。
「俺は?」
先生が茶化す。
「先生は、先生。残念でした」
「何か淋しいな」
膨れっ面をするので、皆で笑ってしまった。
今日は、新入生の面接だ。
10時集合なので、30分前に出ればいいけど、皆の歩く速さが解らないから、40分前に出発した。
Ο田さんは、結構、歩くのが速い。
真希ちゃんが、面倒くさげに歩いてた。
龍樹が、私の横に来て、
「修養科が始まったら、色んな事を考えないといけないし、出来る事も探さないとアカンし、頭がいっぱいになる」
と、言い出した。
「御用っていうのは、向こうからやってくるし、その都度、考えたらいいだけやん。心配せんでも、龍樹は、組掛りになるよ」
「それって何をするん?」
「決まったら、担任が教えてくれる。今から、頭を使ってたら、三ヶ月持たへんで」
笑いを含んで言ったが、まだ何か考えているようだ。
背中を叩いて、
「はい、はい。もう考えへんこと。今は、頭を空っぽにしときや」
どうも、真面目すぎて、考え込むようだ。
心配せんでも、彼は確実に組掛りだ。
面接で、身上者は、二次面接がある。
どんな対応を望むとか、気を配って欲しいこと等を伝える。
それが終わると、写真撮影をして終了。
1階に降りたら、皆、終わっていた。
「おまたせして、ごめんなさい」
頭を下げたら、治憲が、
「Ο田さんも、さっき終わったとこなんです」
と、言ってくれた。
皆で、ぞろぞろ歩きながら、
「明日から始業式までは、詰所ひのきしんやなぁ」
と、言ったら、
「休みと違うんですか」
真希ちゃんが言った。
「おぢばに帰ってきたら、ひのきしんは付きものや。日曜の午前も、詰所ひのきしんがあるしね」
「え〜、かったるい」
真希ちゃんは、口をへの字にした。
「私らは、身体や周りのものをお借りしてるんやから、お礼に身体を使ってひのきしんをして、時間と行動でお返しするねんで」
「何か、面倒くさいですね」
「こらこらっ、面倒くさいって言ったら、神さんに失礼やろ」
慌てたように、Ο瀬先生が言った。
真希ちゃんは、要注意人物やなぁと思った。
教会で育っても、ひのきしんの大切さを教えてもらってないんだ。
可哀想とも言うな。
龍樹は、思った通り、組掛り1番さんだった。
初日は、新入生は10時集合で、クラスが解り、名札をもらえる。
教室に入ったら、担任が、
「宮本さんは、ここの席です」
と、1番後ろの真ん中の机を指さした。
配慮してもらえて感謝だ。
授業が始まる前に、個人面談があった。
椅子に座ると、目の前に紙が置かれた。
6名の名前が記されていた。
「上の4名は、うつ病の方で、下の2名は、未信仰で事情があって来られた方です。この方達のおたすけをお願いします」
ええーっ!自己紹介がまだやから、顔も知らんで。
どうするん?
戸惑いしか無かった。
「教会長の資格もおありですし、うつ病の方は、同じ病の方しか解らないとも言いますから、是非とも、よろしくお願いします」
めっちゃ笑顔で、ハッキリ言われた。
これか!
と、思った。
教祖が、おたすけをしなさいと、仰ってるのかと得心した。
どれだけ出来るか解らないけど、自分なりに頑張るしかない。
Ο田さんは、無口だと思っていたけど、喫煙所で一緒になった時に、自分から、
「わしは、大工をやっとったんやけど、足場から落ちてなぁ。怪我してから、新人がするようなことばっかり回ってくるんや。そんで仕事を辞めてん」
「うちの中学の孫が、大工になりたいって言うてるんですよ。父が左官やったし、何か御縁を感じますね」
「そうか。ほんまにな」
クシャッと笑った。
詰所には、スッポンもどきがいるが、誰にも懐かず、餌をやる時に頭をもたげるだけだ。
それが、Ο田さんが水槽のガラスを何度か叩いたら、ホへっ?とした感じで頭をもたげ、それからは、Ο田さんが歩いてくると、ガラスに張り付いて、足をバタバタバタさせるようになった。
どこか、惹きつける魅力の持ち主なのかもしれない。
やはり、4月は人数が多かった。
男女5クラスづつ+中国語・英語・ポルトガル語クラスだ。
朝礼の時は、私は身上者の並ぶ、皆の脇の通路に立っていたけど、人数の多さに圧倒されて息苦しくなったり、中から人が飛び出してきそうで怖くて、空を見上げたり、吹き抜けまで行って、皆が見えない所に座ったりしていた。
苦行だなあと思った。
授業が始まって10日が過ぎた頃だ。
お手ふりの授業中、双子の5歳の男の子を連れて志願された方が、後ろに来てフラッフラっと座り込んだ。
教室では、私の右隣で、担任から渡されたメモに名前があった。
様子を見ただけで、同じ病と解った。
すぐに横に行って膝をつき、
「どうしたん?息苦しい?因みに、私もうつやから」
と、言ったら、すがるように私を見つめ、
「ちょっと苦しい」
小声で言った。
周りがざわつきはじめたので、
「先生、任せて。授業、続けて下さい」
副担任に言ってから、彼女に向き合い、
「いいか。鼻から息を吸って、口をすぼめて、ゆっくりフーって吐いてみて。辛くてもくり返してたら、良くなるから」
彼女の背中に手を回し、肩を擦った。
私も合わせて呼吸した。
暫くすると、
「楽になりました」
ホッとした顔で言った。
出直した親友の嫁会が所属する大教会のハッピを着ていたので、知っているか聞いてみると、
「私の尊敬する奥様です。頂いたハンカチをお守り代わりに持ってきました」
との事。
お引き寄せってあるんだなあと、実感した。
「ちょっと休憩して、元気になったら授業に参加しいや」
「ハイ。そうさせて頂きます」
顔色も良くなっていた。
翌日から、朝の時間に、前でおさづけのお取り次ぎをする事になった。
5人づつが、取り次ぎをしてもらえる。
皆、身上者に取り次ごうとするので、必然的に私が受ける事が多い。
朝、必ず私の前の椅子に座って、私の方に向いて、両手の平で頬を押さえ、笑って、「ねえさん、おはよう」
と、言う女の子がいた。
どんぐりまなこで、おかっぱの可愛い女の子だ。
私が、
「おはよう、今日も元気で行こうな」
と、言ったら、頷いて席に戻るというのが日課だった。
ある日のおさづけのお取り次ぎの時間に、
「今日は、由美にお取り次ぎをするからね」
と、言って、腕を掴んで前につれていった。
何で?という顔をしていたから、
「今日1日元気で過ごせるようにお願いするだけや」
と、言ったら、なるほど!という顔をした。
お取り次ぎが終わった後に、
「今日は、心からの笑顔じゃ無かったよね。無理して笑ってる時があるよね。無理したらアカンよ」
と、言ったら、私の首に腕を回して抱きついてきて、わんわん泣いた。
「しんどい時や、元気になれない時は、笑わなくてもエエねんよ」
言いながら、背中を撫でた。
それからは、しんどい時は、机に伏せるようになった。
私が後ろからギューとすると、
「ねえさん、先生が来るまで、そのままでいてね」
と、小声で言った。
クラスの皆とは、大阪のおばちゃんお菓子大作戦で、あっという間に仲良くなれた。
飴ちゃんと、甘い物が苦手な人のために、ミニサラダと共に、配っただけなのに、2つもあるというお得感からなのか、超ウケた。
次は、いつ頃配るのか聞いてくる人がいたほどだ。
翌日は、別席日だったので、用木は講話だ。
休憩時間に、ホールの椅子に座っていると、担任が横に座った。
さあやと真希ちゃんについて聞きたいと言う。
私の見たまま、感じたままを話した。
何とかしてくれるのかな。
詰所の部屋は、最悪の一途を辿りそうだった。
真希ちゃんは、布団を畳まず、周りにお菓子の空袋やカップ麺の食べた後のままのが、ずらりと並んでいた。
極めつけは、私の布団の前で、私の延長コードを使ってドライヤーで髪を乾かす事だ。
「髪がこっちに飛んでくるよ」
と、言っても、
「上手に乾かすから大丈夫」
と、どこ吹く風だ。
お蔭で、私のコロコロは、髪の毛だらけ。
2人を見ていると、どうも沙也加ちゃんに真希ちゃんがすり寄ってるという感じだ。
真希ちゃんに、呼び捨てでもいいかときいたら、
「言われた事ないし」
と、一蹴された。
ゴミ箱に化しつつ部屋を何とかしないといけない。
女の先生に相談すると、
「あの2人の事は、お手上げやから無理」
「違うって。部屋が汚いから掃除したいだけやし」
「それやったら、覗きに行って、掃除するように言うわ」
二人の事は無理って何?
先生が部屋に来て、
「こらアカンわ。掃除せんと」
と、言ったが、あいにく、沙也加ちゃんと私だけだった。
「どうする?」
「掃除したかったんで、やっちゃいましょうか」
「そやなあ」
と、ゴミ袋を取ってきてゴミを入れ、放りだしてある服を後ろにまとめて布団を畳んだ。
その間に、沙也加ちゃんが掃除機を持ってきてくれた。
「壁のコンセントやったら、部屋の半分しか掃除できんから、延長コードに差して使うといいよ。布団を持ち上げるわな」
掃除機をあてただけで、気持ちがいい。
「そう言えば、沙也さんの事を呼び捨てにされてますね」
「本人が呼び捨てにしてって言ったからね。真希ちゃんは、呼び捨てされたことないっていうてたし」
「それは、違います。学校では呼び捨てやったし」
「沙也加ちゃんは、嫌と違うの?」
「さあやで、いいですよ」
「そっかあ。じゃあ、そう呼ぶよ」
さあやが笑った。
初めて私に笑顔を向けてくれた。
記念すべき日やなぁ…と、思ってた。
ひのきしん場所は、夕方は、修練室・1階トイレ・食堂で固定されていた。
真希ちゃんと、トイレ掃除をしたが、手を動かすよりも口を動かすタイプで、モップがけも、ナメクジが這った後のようで、拭いた後と拭いてない所が、くっきり解った。
何もかも適当。
あんまり関わりたくなくて、何も言わなかった。
掃除道具を片付けて、トイレから出てきたら、修練室の雑巾バケツの水を捨てに行ってたさあやが、
「龍一、生理になったから、頭が変になったあ!」
叫びながら、戻ってきた。
確か、龍一は、男子トイレの掃除のはずだ。
龍一が、トイレから出てきて、
「お前も、生理になったら変になるやろ」
と、大声で言った。
修練室で、龍樹と治憲が、立ったままで顔を見合わせて、小声で何かを話していた。
聞いていて、嫌やろなあと思った。
夕づとめに行く前に、Ο田さんが、詰所の玄関の外に立っていた。
何をしてるんやろ…と、見に行ったら、
「わしなあ、五月蝿いのが嫌やねん。せやから、皆が出てくるまで、ここにいてるねん」
それは、納得だ。
長身で、背筋がシャンとした白髪で、銀縁メガネをかけたお洒落なお爺さまという風情のある佇まいをしている。
ブランド物のポロシャツが、嫌味に見えない。
事件は、夕食時に起きた。
さあやが突然、
「やっぱり龍一は、生理になると頭がおかしくなるし、ピルでも飲んだ方がいいんと違う?」
と、大声で言い出した。
先生方は、唖然として、開いた口が塞がらないといった状態だった。
私は、箸を置くと、
「ちょっと待ちなさい。生理って女性の神秘的な身体の大切な事や。何が面白いんか知らんけど、大きい声で茶化すような真似は止めなさい!生理が、大人になっても来なくて、不妊になる人がいるくらいやで。毎月ある事を感謝せなアカンな」
誰も叱らないから、大人代表の私が言った。
「すみません」
さあやが、肩をすくめて謝った。
そしたら、どこからか、
「男の神秘は何?」
という声が飛んできた。
知らない声だから、新しい勤務者か?
「バカか!自分の身体で知ってるやろが」
吐き捨てるように言った。
どいつもこいつも、バカの集まりか…。
1ヶ月が修了する間際に、Ο田さんが、母の弟(所属の前会長)と知り合いで、教会にも行った事があると解った。
教会に参拝する時は、私に連絡するとかで、連絡先の交換をした。
そして、二か月目に入った。
やってきた教養掛りは、私と同い年だが、どこか偉そうな人と、上級の奥さん。
新入生は、いなかった。
私が、事務所裏の喫煙所にいると、男の先生がきた。
「Ο田先生、同い年やから、タメ口でもいい?気分悪い?」
「そんなん気にせんでもええで」
「はあい。ありがとう」
それからは普通に喋るようになった。
奥さんは、来た早々、
「ここでは、奥さんと違うよ。先生って呼んでな」
言われなくたって解ってる…と、いう言葉を飲み込んだ。
あ~、これも不足やんかぁ。
不足ばっかりになったら、大変やん。
どんなけ、ひのきしん、させてもらわんとアカンねんやろ。
そんな事を考えた。
Ο田先生は、修養科生と全く一緒にひのきしんをしない。
その代わり、八足を磨いたり、表の駐車場のペンキ塗りをしていた。
それは、それで、偉い事だけど、教養の役目は放置でいいんかい?
ココカラファインに行こうとして、先生の様子を見たら、汗びっしょりだった。
それで、買い物に、スポーツドリンクとドリンク剤を追加した。
戻ってきて、日陰に置いて、
「先生、熱中症になったらアカンから、これ飲んでな」
「おう。ありがとう」
冷蔵庫に飲み物やゼリーを入れて、部屋に戻った。
さあやが、
「おかえりなさい」
と、言ってくれた。
真希ちゃんは、ペコリとおじぎをした。
まぁ、良い。
その日の夕食後の洗い物をしている時に、ひょこっと、Ο田先生が洗い場の方をみた。
すかさず、
「Ο田先生、手伝ってもらえますか」
声をかけたら、すぐに入ってきてくれた。
「何をしたらいいん」
「お盆、こうやって洗って、ここに伏せるねん。いっしょにやりましょ」
洗う方を任せて、すすぐ方をした。
すすいで伏せたお盆を、お盆拭きの上に伏せた状態で置く。
「先生、裏を拭いて、そっちのお盆拭きに上向きで置くから、拭いてくれる?」
「よっしゃ、解った」
その日から、炊事場に入ってくるようになり、
「先生、食器拭きの手が足りん」
と言ったら、さっと動いてくれた。
それからは、手が足りない場所に率先して入るようになった。
炊事担当の方が言うには、7回来てるけど、炊事場に入ったのは初めてだとか。
言えばやってもらえる…それが解っただけでも嬉しい。
他のひのきしん場所には、目もくれないが、自分の食べた食器を皆と一緒に洗う。
それだけで十分や。
修養科では、さあやが窓際に座り、教室全体が見られるようにか、窓を背にしている事が多い。
真希ちゃんは、ひとつ後ろの席から、さあやに一所懸命話しかけているように見えた。
あまり気にしても仕方ない。
それより、しんどそうな人を見つけるのが大事だ。
1番後ろの席にいると、背中が、その人の感情を物語っているのが解る‥
あまりに辛そうな時は、横に座り、
「默まってる方がいい?」
と、気持ちを確認するようにした。
一気に話してくる人。
凭れてくる人。様々だ。
落ち着いてくれるなら、それでいい。
うつ病を患っている人の内、3人は軽度で、来た時は、内向的で俯いている事が多かったが、私が横に行くようになると、周りの人が、声をかけてもいいんだと思ったようで、体調を聞いたり、何気ない話をするようになり、笑い声が聞こえるようになってきた。
双子のお母ちゃんは、毎日、子供たちと奮闘していて、どちらかが託児所に行きたがらなかったりして、授業に遅れる時もあり、常に必死で、笑顔が見られない。
食堂で、子供たちに食べさせてるのを見た時に、隣の人が手伝おうとしたら、その人を押して拒否していた。
あくまでも、1人で頑張るつもりらしい。
頼るのが苦手なのか、何か思う所があるのか、解らない。
修養科から戻ると、教養室の前の椅子で、教養掛かりと担任が話していた。
教養の2人は、まともに、さあやや真希ちゃんと話してないのに、何の話が出来るんだろうと思った。
担任は、何日か休んだ人の詰所に、足を運んで様子を聞くらしい。
熱心なんだろう。
その夜、またもや事件が発生した。
ふとんを敷いていると、さあやが、
「だから、何なん?言いたい事があるなら、ハッキリ言ってくれんと解らんやんか!」
と、怒鳴った。
その途端、真希ちゃんが、何を言ってるのか解らないが、叫びながら、廊下に飛びだした。
追いかけたら、階段の手前で座り込んで、わーわー泣いていた。
すぐ横の教養室から、奥さんが出てきて、
「何の騒ぎやのん?」
と、聞いてきた。
「よく解らんから、2人に聞いて」
そう言って、部屋に戻った。
「宮本さん、すいません。何かね、元気に話しかけてきたり、オドオドしたり、よく解らへん」
さあやも、涙を流していた。
「同じグループやったんやろ?」
「でも、他の子と仲良くしてて、私とは、たまに話すぐらいやったんです」
「ふうん。まあ、先生に任せとこ。さあやは、気持ちを落ち着けてな」
結局、真希ちゃんは実家に一時帰宅する事になった。
奥さんは、さあやに何も聞きに来なかった。
お手振りの時間の前に、事情で来ている人と同じ大教会の人から、
「ΟΟさん、修練の時間に、まるっきり練習しなくて、若い男の子から怒られてるんです」
と、聞いた。
事情が治まればいいから、教義は関係無いと考えているようだ。
私と同じく膝が悪いので、椅子を並べて置き、
「ΟΟさん、私の隣でせえへん?」
呼びかけたら、素直にきてくれた。
お手ふりの手が、ふにゃふにゃしてる。
「教祖が、理を振るって教えはってんよ。親神様の教えや。世の中の収まりを願ってのおつとめやからさ、手を綺麗に伸ばして勤めよね」
そう言ったら、顔つきがキリッとなって、私のお手ふりを真剣な眼差しで見ながら、踊るようになった。
休み時間には、自分の境遇なども教えてくれるようになった。
後添いに入り、小さい子供たちを必死で育ててきたが、社会人になった途端、
『家から出ていけ。お金は、一銭も渡さない』
と、言い出し、最初は味方だったご主人も、出ていくように言ってるとか。
育ててもらった恩を忘れるって、義理の仲とは言え、酷い親不孝だ。
「お手ふりやひのきしんを頑張ったら、教祖が見ていて下さって、いいように事が運ぶよ」
と、言ったら、パアッと明るい顔になった。
詰所で、俄然やる気を見せるようになり、周りの人が驚いているとか。
このまま続ければ、救かる。
そう思った。
もう1人の事情のある人は、1か月もしない内に、帰ってしまった。
旬じゃ無かったのかもしれない。
あれこれ考えるのは、止めよう。
目の前の人、優先だ。
うつ病の人は、朝のお取り次ぎの時間に、順に呼ぶようにした。
「心が落ち着きますように」
と、終わってから胸に手を当てた。
だいぶ、顔つきが明るくなったようだ。
クラスの仲間のお陰だろう。
クラスに、19才の准看護師がいた。
可愛らしくて、いつも笑顔でひのきしんを頑張っているけど、ある日、
「宮本さんに相談があります」
と、言ってきた。
「ちょい待ちや。クラスメイトやから、敬語は無し。線を引かれてるように感じるからな。それから、私の事は、ねえさんって呼んで」
そう言ったら、
「私も、ねえさんって呼んでいいんですか?」
パアッと顔が輝いた。
「だからね、クラスメイトやんかぁ。そんで悩みって何かな」
「何か、嬉しすぎて、言葉が出てこない」
言ったかと思うと、大粒の涙が零れ落ちた。
彼女を抱きしめ、
「今じゃなくても、いいやん。いつでも聞くよ」
そう言うと、私の胸に埋めた顔を何度も縦に振った。
Ο田先生が、真希ちゃんの父親ではなく、上級の会長に連絡したらしい。
上級の会長から連絡を受けた、真希ちゃんの父親は、体調が悪くて娘が帰宅したと思っていたらしく、何がどうなってるのか解らず、娘を問い質したが、何も聞き出せずにいたらしい。
結局、詰所で、教養掛りと上級の会長、真希ちゃんの父親とで、話し合いがされた。
当人たちを除いて、事情を解らない者ばかりで話し合っても、何も解決出来ないのになと思った。
奥さんなんか、その場が収まればいいと思う人で、話をじっくり聞いてあげていない。
アホらしくて、裏で煙草を吸った。
答えなんて出る訳ないのにな…と思いながら、雲の動きを目で追っていた。
部屋に戻ろうと、中に入ってきたら、上級の会長と真希ちゃんの父親は、いなかった。
事務所の窓越しに、主任と教養掛りが話をしていた。
エレベーターに乗る寸前に、「どっちを沙也ちゃんと一緒の部屋にする?」
との声が聞こえた。
はあ~?
慌てて飛んで行き、
「何?2人をバラバラにするつもりなん?」
「せやかて、揉めてるし、みやもっさんも気を遣うやろ」
「何を考えてるのん!因縁あって同期になってん。離したらアカンやん。そんなん、その場しのぎのやり方やわ。何の解決にもならん」
「みやもっさんが、しんどいだけやで」
「そんなん、最初から覚悟出来てるわ。それよりね、先生方が、2人からしっかり話を聞かんとアカンで。お互いをどう思ってるとか」
「そしたら、任せるわ」
「ちゃう。部屋では何とかするけど、私は、指導係と違うからね。間違えんといてね」
ホンマに、額をくっつけあって、出した答えがアレかよ。
バカバカしくなった。
部屋に戻って、折り畳んだ布団に凭れて、ため息をついた。
まだ、さあやは戻っていない。
長期ひのきしんで、お守り所に当っていて、日によって遅くなるようだ。
真希ちゃんが戻ってきたら、どうなるんだろう。
まあ、その時に考えよう。
「宮本さん、もうすぐ、ひのきしんの時間ですよ」
いつの間にか眠ってしまったようだ。
さあやが、起こしてくれた。
「ありがとう」
さあやの気遣いに感謝だ。
2人で下に降りた。
今日は、修練室担当。
Ο田さんの雑巾がけは、ゆっくりだけど、角まできっちり拭いている。
職人さんのような掃除ぶりだ。
龍樹も治憲も、真面目で修練室の大切さが解っている為、掃除機をかけるのも、畳の目に添って、丁寧にしかも素早く掃除してくれる。
頼もしい存在だ。
沙也は、明るいが、解らないように手抜きをし、修練でお手を間違えたら、笑いで誤魔化すような所があった。
見て見ぬフリをしとこう、そして、あまり関わらないでおこうと思った。
でないと、神経が持たない。
修養科に行く時に、龍樹に、
「あのな、嬉しい事があっても、病気が邪魔するんか、素直に喜ばれへん時があるねん」
話しかけていた。
「うーん。病気のせいかな…。しっかり考えて返事するな」
と、言ってくれた。
龍樹に相談すると、熟考してから答えてくれる。
人の事でも、真剣に考えてくれるのが有り難い。
龍一は、歩いていても、さあやにちょっかいをかけたりして、騒がしい。
落ち着きの無い子だ。
治憲は、Ο田さんに付きっ切りなので、殆ど話す機会がないけど、たまにロビーの椅子に座って考え事をしているようだ。
声をかけづらいので、そっとしておくしかない。
修養科で椅子に座ったら、 19才の女の子に手を引かれてホールに行った。
「この間の話なんですけど↼あっ、敬語禁止でしたね。あのね、仕事を続ける自信がなくなって↼」
「何か原因があるの?」
「私みたいな者が続けててもいいのか、解らなくなって」
「ふうん。私みたいなって、どういう所かな」
「優しく患者さんに接してるつもりでも、忙しくなると、ちゃんと話を聞いてあげられなくて、素質がないのかなって思う」
「なあ、美希は、用木やんねえ」
「うん。17才になって、すぐに運んだから」
「用木の看護師の事を看護用木って言うねん。准看も同じや。看護が出来る用木は、凄く重要やねん。神様の手足となって御用をさせてもらうんやからね。患者さんに寄り添って、気持ちを楽にしてあげたり、家族さんの気持ちも考えてあげんといかんねん。おさづけの取り次ぎは出来ないけど、痛みがあれば、そこを撫でながら神様にお願いする事ができる。美希は、笑顔が素敵やねん。その笑顔を向けられるだけで、心が穏やかになると思うよ。技術が上手いとかは関係ないねん。いかに、気持ちを理解できるかや。それを、美希は、できるねん。心配いらんよ。話を聞けなくて気になったら、時間のある時に、聞きに行ったげたらいいだけや」
そう言ったら、私の腰に手を回して、胸に顔を埋めて涙を溢れさせた。
「私は、続けててもいいの?」
「当たり前や」
声を殺して泣き出した。
真希ちゃんは、明日、戻ってくるそうだ。
さあやは、何とも無い風を装っているが、内心はどうだろ。
先生から聞かされた時も、
「あ~、そうですか」
と、言っただけだった。
翌日、修養科から戻ると、真希ちゃんは布団に凭れてお菓子を食べていた。
「おかえり」
と言ったら、
「あっ、どうも」
頭をちょこんと下げた。
う〜ん。まあ、何かを求めても仕方ない。
暫くして、さあやが戻ってきた。
「帰ってたんやね」
「うん。まあ……。」
「カップ麺、食べる?」
「うん、食べる」
子犬が尻尾を振るように、真希ちゃんが甘えた声で返事をした。
まあ、ええや。
けど、さあやから声をかけてくれたのが嬉しかった。
訳が解らんながらも、自分から妥協してくれる。
案外、いい子なのかもしれないと思った。
翌日の修養科に行く時に、龍樹が、
「この間、言ってた事やけど、嬉しくても喜べないっていうのは、ホンマはさほど嬉しくない事なんと違うかな。病気に関係無く、嬉しかったら手放しで喜ぶと思う。それに、宮本さんは素直やで」
「そっか。ありがとう。そうかもしれんね」
確かに、龍樹の言う通りだろう。
嬉しいと思い込んでただけかもしれないな。
Ο田先生は、相変わらず、炊事場しかひのきしんに参加しない。
どこかで、それは違うやろ…と、思っているのかもしれない。
二か月目が、後1週間ほどで終わろうとしている時の事だ。
裏で煙草を吸っていたら、初めての修養科で一期上の弟の友達だという会長が、悲愴な顔をして、裏のドアを開けて横にドタっと座った。
「どないしたん?」
「うちのんが、来月の教養やねんけどな、癌で治療中やねん。転移ばっかりで、しんどいやろうから辞退しいって言うたら、あの会長さんは脳梗塞でも行かれた。こんな身体でも、御用に使って頂けるのなら、行かせてもらいますって言うねん。みやもっちゃん、悪いけど、無理せえへんようにサポートしてくれへんか」
泣き出しそうにして、必死で言葉を絞り出していた。
「よっしゃ、任せて。上手い事、休憩出来るように仕向けるから」
「頼むわな」
手を合わせて頭を下げ、急いでホールの方に向かった。
奥さんの父親は、前大教会長さんの弟で、両親と懇意にしていたし、母の従兄弟が、奥さんの実家に家族で住み込んでいたから、子供の頃に何度か泊まった事もあった。
一緒に遊んだ女の子の内の1人だろう。
来てから、サポートの方法を考えるとするか。
真希ちゃんが散らかさないように、ゴミ箱を買ってきて、布団の足元の方に置いておいたが、自分の座っている周りにゴミを置いてしまう。
「真希ちゃん、ゴミ箱があるやろ。そこに捨てや」
「えー、面倒じゃないですか」
「皆で使ってる部屋やから、綺麗に使おうよ。それに、ここは館やで。神の館や。余計、綺麗に使わせてもらわんと、勿体無いよ」
ブツブツ言いながら、ゴミ箱にゴミを入れた。
さあやが、
「宮本さん、今から掃除しましょか?」
聞いてくれたので、
「そうやね。しちゃお」
いいタイミングや。
布団を持ち上げると、さあやが掃除機をかけてくれる。
真希ちゃんも、私に倣って布団を持ち上げた。
さあやの布団も、真希ちゃんが持ち上げた。
やれば出来るやん。
さあやが、掃除機を戻してきてくれた後、
「綺麗になったら、気持ちいいなあ」
と、言ったら、
さあやも、
「ホンマに気持ちいいですね」
と、言ってくれた。
真希ちゃんは、疲れたーという感じで、首をコキコキ鳴らしていた。
ひのきしんまで時間があったので、トイレ掃除を済ませ、冷蔵庫からレモンティーを取り出し、部屋に煙草を取りに戻って、1階に降りた。
喫煙室は、閉じ込められた感じがして、息苦しくなる。
事務所裏で、ゆっくり煙草を吸った。
早く三ヶ月目に入ればいいのに…そんな事を考えながら。
一期下がいないので、次こそは、新入生に来てほしいなと思った。
人手が多いと、何事も助かる。
家族から追い出されそうになってた人が、
「もう家族に執着するのも、お金ももらわへん事にしたんよ。必要な物だけ持ち出して、姉の所に行くけんね。荷物も、皆に会うのが嫌やけん、姉に取りに行ってもらうんじゃ」
と、清々しい顔で、報告してくれた。
「よく決心したね」
「ねえさんの言う通りじゃったわ。おつとめとひのきしんは大事やな」
「頑張ったもんね。良かったよ」
執着や恨みを捨てて、 気楽に過ごせる場所を見つけられて良かったと思った。
そして、27日。
40代で若くて明るく元気そうなΟ瀬先生(1か月目と同じ)と、Ο谷先生(癌で闘病中の方)に、新入生は、大手企業の部長を務めているという50代の男性(奥村)と、専業主婦の50代の女性(安野)が、志願してきた。
自分から、部長をしている…と言うのだから、高慢の埃が無いといいけどなと、思った。
新入生の2人は、よく動いてくれたが、同じひのきしん場所になると、手より口が動く。
嫌われたくは無いけど、目撃したら注意するしかない。
注意する回数が、増えるにつれ、2人が私を避けるようになった。
大目に見る時もあるけど、時間に余裕が無い時は、
「手を動かしてねー」
と、言うしかない。
別に、キツく言ってないけど、意地悪オバサンに見えるのかもしれない。
教養室の前の椅子に、皆で座り、お喋りに夢中になってる時があったが、Ο谷先生は、立ってお喋りに参加していた。
「はい、はい。年配者に席を譲ろうね」
と、言ったら、
「気付かんかった。ごめんなさい」
と、さあやが席を譲ってくれた。
Ο谷先生は、痛いやろうに、笑顔を絶やさず、皆の話しに耳を傾けている。
夕づとめの時は、後ろにいる私の所まで走ってきて、おさづけのお取り次ぎをしてくれる。
頭・背中・胸を擦って、私のしんどい所を全部取ろうとしてくれる。
ホンマに有り難い。
翌日のホームルームの時間に、布教実習に向けての理づくりの話が出た。
組掛かり1番さんが前に出て、紙を読み上げた。
「理づくりの為にする事を組掛かりで決めました。まず、朝礼が始まる前に、4棟前の草抜きをする、1〜2分でもいいんです。昼休みに神殿でお願いづとめをする」
そこまで言った時に、隣の双子のお母ちゃんが、バッと立ち上がって、
「私の出来ない事ばかりだー!皆、意地悪だ!」
言うなり、鞄を持って教室から走り去った。
高齢者や子供連れの人の事を考えてない内容だなあと思った。
「まあ、又、考えましょう」
呆然と立ちすくす組掛かりさんの肩を叩いて、担任が言った。
詰所に戻ってから、ルーズリーフに、高齢者の方は、短い時間では終わらない。ひのきしんで草抜きをした時に、皆が休憩していても、黙々と続けるような方達である事。高齢者の殆どが足に不安を抱えていて、草抜きでは、中腰になれない事。神殿までの往復に、時間がかかる事。子供連れの人は、朝礼にも間に合わないし、昼食を子供に食べさせないといけないから、神殿に行けない事。うつ病の者は、人が集まってきたら、恐怖を覚える時があるから、朝礼前の草抜きは難しい事等を記した。
明日、組掛かりさんに手渡そうと思っていた。
それが、朝づとめに行こうと、玄関前で並んでいて、いざ足を踏み出そうとしたら、ピタッと足が床に吸い付いたように動かない。
何で?
頭の中がぐるぐるしてきて、目の前が真っ暗になった。
気づくと、ホールの長椅子に寝かされていた。
「疲れが出たのかもしれないから、今日は詰所でゆっくりしたらいいよ」
Ο谷先生が言ってくれ、甘える事にした。
先生に腕を抱えてもらって部屋に行き、布団を敷いてもらって横になった。
「ありがとう」
言ったつもりだったが、声が出ていなかった。
「みやもっちゃん、声が出えへんの?」
先生が、心配気に顔を覗き込んだ。
私は、喉を押さえて、口をパクパクした。
喋るの禁止という事なのか?
何だか悔しくて悲しくて涙が溢れてきたが、泣いても、口から空気が漏れる音がするだけ。
聾の人の気持ちが解った気がした。
言いたくても伝えられないのが、こんなに悲しいとは思わなかった。
先生に、おさづけのお取り次ぎをしてもらい、鞄から、昨日書いた紙と、別の紙にさあやから組掛かりさんに渡して欲しいと記入して、渡した。
「ちゃんと渡しておくから、心配せんと、ゆっくり休んでね」
私に布団をかけて、上からポンポンと叩いて、部屋を後にした。
Ο谷さん、ごめん。私が心配かけてるよ。
謝りながら、また涙が流れてきた。
昼食は、本来なら炊本まで取りに行ってもらうが、Ο谷先生が、この方が食べやすいだろうと、ミックスサンドとホットドッグとミックスジュースを持ってきてくれた。
わざわざ、買いに行ってくれたんだろう。
手間もお金も使わせて、申し訳ないと思いつつ、その気遣いが嬉しかった。
修養科が修了したら、いっぱいお返ししようと思った。
修養科から戻ってきたさあやによると、次のホームルームで、皆の意見を出し合って決める事になったとか。
そりゃあ良かった。
ホッとした。
「宮本さん、今から百均に行きますけど、何かいるものありますか?」
さあやが聞いてくれた。
口が聞けないので、ルーズリーフを何枚かを4枚に切って、ホッチキスで留めた物を使用して、筆記で伝える事にした。
その用紙に、ルーズリーフと太マジックと書いて、財布から、220円を取り出して一緒に渡した。
そして、両手を合わせて頭を下げた。
「いいですよ~。ついでやから」
笑いを含んだ声で明るく言って、
「行ってきます」
と、元気よく出ていった。
真希ちゃんは、下で待ってるとか。
薄い布バッグに必要な物しか入れてないから、部屋に置きに戻る事もないのだろう。
身体が怠くて、布団に沈み込んでいくような感覚だった。
そのまま眠りに堕ちた。
暗い海を漂っていた。
波間に揺らぐ海藻が、どんどん口に入ってくる。
苦しい!誰か助けて!
「宮本さん、どうしたん?大丈夫?」
さあやの声で目が覚めた。
目尻から涙が流れていた。
夢か。
安堵した。
だ・い・じ・ょ・う・ぶ
口を大きく開いて、ゆっくり声にならない言葉を伝えた。
「良かったー。なんか、しんどそうやったから。夢、見てたんですか?大丈夫ですからね。私が守りますから。あのね、ドンキに行ったから、安かったんですよ」
頼んでいた物とお釣りを枕の横に置いてくれた。
ドンキまで行けるなんて、若い証拠やなぁと、羨ましく思う。
でも、忘れずに買ってきてくれた。
有り難いなあ。
「必要なことがあったら、何か投げて、教えてくださいね」
さあやが、茶化すように、でも真剣な顔で言った。
ほんまに心配してくれてるんや。
嬉しかった。
さあやが、守ってくれるのか。
心強いな。
動くのが辛くて、結局、4日間、寝たままで過ごす羽目になった。
動くのは、壁伝いにトロトロと、トイレに行くくらい。
何をしに来たんやろう。
教祖に申し訳なくて、懺悔の日々を過ごした。
不足をしても、ひのきしんが出来ない。
おさづけのお取り次ぎも出来ない。
何がいけなかったんやろ。
只々、謝ることしか出来なかった。
まだ怠さは残っていたけど、身体を起こす事が出来たので、ひのきしんに参加することにした。
布団を畳んでいたら、さあやが、
「もう起きて大丈夫なんですか?しんどそうな顔をしてますよ」
飛んできて言ってくれた。
OKマークを作って、笑うと、
「しんどくなったら、すぐに休んで下さいね」
念をおされた。
3人で下に降りたら、先生方と龍樹、治憲に囲まれ、
「大丈夫なん?」
「まだ、寝てた方がいいんと違いますか」
「みやもっちゃん、動けるん?」
色んな言葉が飛んできた。
頭の上で、大きく丸を作ってから、深々とおじぎした。
それから、口を指さし両手でバツを作った。
「聞いてるから大丈夫。宮本さんは、表情やしぐさで、何が言いたいんか、だいたい解るし」
龍樹が、笑いながら言う。
そっかあ。
解りやすいんや。私。
何かホッとした。
ひのきしん場所は、地下トイレと炊事場。
トイレ掃除は、沙也と安野さんと私。
地下トイレは、両脇に和式便器がズラーと並び、洋式は一箇所のみ。
隣の詰所と合同で使用しているので、広く作ったようだ。
安野さんに掃き掃除を任せて、便器の掃除に取りかかった。
沙也は、洗面台の掃除をしていた。
1人で便器かぁ。イヤイヤ、有り難い。
便器に洗剤をかけていって、ブラシでこすっていく。
安野さんが、床を水拭きしている内に、便器の拭き掃除も終わった。
沙也の姿が見当たらない。
まあいいや、と、思い、安野さんに手伝ってもらって、ペーパーの三角折りをする。
口が聞けないから、両手を合わせておじぎして、2人でロビーに向かった。
沙也は、すでに来ていた。
まあ、ええや。
朝づとめに出発。
左手で杖をついてるからか、さあやが右側を歩いて、チラチラと私の様子を見ていた。
何かあったら、支えてくれるつもりなんだろう。
優しくて気配りの出来る子なんだと解った事が、嬉しい。
朝づとめの前に、龍樹が来てくれた。
「今日は、僕が取り次がせて頂くな」
前を見たら、Ο谷先生は、Ο瀬先生に取り次いでもらってた。
龍樹の思い遣りに感謝。
龍樹の触れた所が、ホワッと温かくなった。
教祖が、来て下さってる。
有り難いなあ。
龍樹の真心のお蔭だ。
修養科に行き、教室に入ると、
「ねえさん、おはよう」
「ねえさん、大丈夫?」
皆が、私の周りに集まり、次々に言葉をかけてくれた。
泣き出しそうな顔で、私の顔を見つめる人たちもいた。
さあやから、発語が出来ないと聞いたのだろう。
鞄から用紙を取り出して、
『もう大丈夫。喋られへんから明るく出来なくてゴメンね』
と、書いた。
皆が一斉に覗き込む。
その時だけ、教室からざわめきが消えた。
「ねえさん、喋らなくても、存在感があるから、明るくなるし」
「そうそう。オーラが違うよね」
「ねえさんが見ててくれるだけで、いいねん」
色んな言葉で、励ましてくれる。
クラスメイトっていいなと思った。
双子のお母ちゃんは、詰所の自室に籠もっているとか。
精神的に、追い詰められた気分なんだろう。
辛いやろうなあ。
ホームルームで話し合われた事を元に、組掛かりと担任で話し合って決めた事が、発表された。
「話し合った事を踏まえ、発表します。昼休みに、行ける人は、神殿でお願いづとめをして頂きます。行けない人は、4棟前で草抜きをして頂きます。1本でも2本でもいいです」
そこまで聞いて、ガタッと立ち上がった。
「1本や2本でいいと思うような人は、このクラスにいないよ!綺麗になるまで頑張ってしまうねん。それと、皆と神殿に行けない事を悪いと思う人がいるかもしれないから、出来る時間に、詰所とか場所はどこでもいいから、おつとめを勤めてもらったらいいんと違うんかな。草抜きも、昼休みじゃなくても、午後から授業が無い時に出来るし、4棟前じゃなくても、詰所でもいいんやし。別に廻廊下のトイレ掃除でもいいし。時間とやる内容を固定しなくてもいいと思う。子供連れの人は、食べさせるだけで時間がかかって、草抜きしてる暇がないからね」
言って座ってから、声が出た事に驚いた。
「ねえさんが喋ったぁ!」
誰かが、叫んだ。
ほんまやぁ。
声が出た。
「宮本さん、いつから声が出るん?」
担任に聞かれた。
「今」
ポツリと答える。
「じゃあ、皆の事を考えたら、声が出たんですね。これは、教祖のお言葉かもしれませんね」
いや、いや、教祖の言葉ではないやろう。
クラスの人の普段の様子をよく見てたら解る事やんか。
あ~、来た早々に不足してるよ。
こりゃ、ダメだな。私。
さっきの勢いは、どこに行ったのやら、気もちが、ど~んと落ちていく。
両腕を枕に、机に顔を伏せた。
「えっ?えっ?ねえさん、どうしたの?」
組掛かりさんが、慌てて教壇から降りてきて、肩に手を乗せた。
残りの組掛かりさんも、走ってきた。
「私は、皆の代弁をしてるだけで、教祖のお言葉なんか、私の口から出てけえへんよ」
そう呟いた。
1番さんが、
「ねえさんの意見は、尤もだと思う。」
「確かに、草を1本だけ抜けばいいって思う人は、いないよね」
2番さんも、言ってくれた。
「ありがとう。けど、皆でする事も大事やな」
そう言って、また立ち上がった。
「訂正します。クラス全員でする事に意味があると思ったので、午後から何も無い時に、皆で15分程、草抜きをしませんか?用事のある人は、そちらを優先してもらったらいいと思います」
1番さんを見て、
「どない思う?」
と、聞いた。
「前で、皆の意見を聞いてみるね」
走って教壇まで行った。
「ねえさんから、案が出ましたけど、どう思いますか?」
言った途端に、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
「ねえさん、昼休みの参拝は?」
「お願いづとめに行ける人は、行かせてもらお。行けない人は、詰所でも、ここの吹き抜けからでも、いいと思うよ」
「ねえさんが、ああ言ってます。それで、いいでしょうか」
何か、めっちゃ笑顔で、問いかけてた。
すかさず、拍手の波が、教室中に沸き起こる。
皆の意見が一致した瞬間だ。
こんなに嬉しい事は無い。
草抜きの時、子連れの人の子供たちは、皆で見ればいいだけや。
中井さん(双子のお母ちゃん)、参加出来たらいいなと思った。
2番さんが、
「中井さんと詰所が近いので、今日の話を伝えてきます」
と、言ってくれた。
担任が行くよりも、気楽に話が出来るだろう。
心から、2番さんに感謝した。
夕方、クラスLINEから私を探して、中井さんからLINEが来た。
『ねえさん、ありがとうございます。最初に出された案が、どちらも私には出来ないもので、私の状況を全く見てもらってないと感じました。そんな人たちと、一緒の教室にいるのが辛くて、修養科に行けませんでした。でも、ねえさんが出して下さった事なら、私も参加出来ます。私の事を理解して下さって、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします』
と、いうものだった。
もっと早くに手を伸ばさなかった自分を、恥じた。
独りぼっちで、どんなに心細く不安だったか。
不安から、頑なになっていたのかもしれないのに。
食事の手伝いも、私が行けば違っていたかもしれない。
あー、反省する事ばっかり。
ほんまに、何をしてるんやろ。
すぐに返信した。
手伝いやフォローが出来なかった事を、ひたすら謝った。
それしか無いもん。
そしたら、それに対して、返信が来た。
『私の大好きな奥様と親友だったとお聞きした時、出直された奥様が、私の為に、ねえさんを遣わして下さったと思い、横の席にいて下さるだけで安心出来ました。だから、謝らないで下さい。私の支えになって下さってましたから』
それを読んで、スマホと煙草を掴んで、急いで部屋を出て、4階の喫煙室に行った。
丸椅子に座るなり、膝の上にスマホと煙草を置いて、顔を覆って声を押し殺して泣いた。
隣の席にいるだけで、支えになってたと、言ってくれる。
少しは、役に立ってたのかな。
何も出来なかったのに、嬉しい言葉をくれる。
それだけで有り難い。
恵子、あんたを尊敬してる人とクラスメイトになったで。
喜んでくれてるか?
あんた、早く逝きすぎたで。
アホタレ。
修養科で中井さんと会ったら、思いっきり抱きしめるわな。
恵子の代わりにな。
翌日、修養科では、雨の為に教室で朝礼をした。
おふでさきを読み終えた時に、中井さんがそ~とドアを開けて入ってきた。
身体が勝手に動いていた。
彼女のところに行き、ギューと抱きしめ、
「よく来たね。辛かったね」
自然と口をついて言葉が出てきた。
言った後、朝礼だった事を思い出した。
「先生、すみません。これは、反射神経です」
そう言ったら、先生方も皆も、大笑いした。
「中井さん、おはようございます。体調はいかがですか?」
担任が問いかける。
「はい。大丈夫です。ご心配をおかけしました」
彼女は、立ち上がって返事した。
「来られて嬉しいよ」
「おはよう」
「待ってたよ」
皆も、声をかけた。
皆の言葉に、彼女は、うるうるだ。
いい光景。
素敵な仲間たち。
教祖、ありがとうございます。
神殿の方を向いて、頭を下げた。
草抜きは、明後日の午後からと決まった。
「面倒くさー」
小さな声が聞こえた。
真希ちゃんだ。
詰所に戻ってから、諭そう。
解ってる者が、伝えるしかないのだから。
休み時間に、治憲と会い、声をかけたら、
「えっ、宮本さん、喋られるようになったんですか?」
ビックリして、声が裏返っていた。
「それは違うやろって思って、立ち上がったら、勝手に喋ってた」
笑いながら言うと、
「宮本さんらしいですね。良かったです」
笑顔で言ってくれた。
昼休み、神殿まで歩けない訳ではないけど、体調がまだ完全に戻ったとは思えなかったので、吹き抜けでおつとめをしようと思った。
年配のクラスメイトの人たちが、座っているけど、何やらモゾモゾとしている。
色んな人が通るから、お地を歌うのに勇気がいるのかなと思い、
「今から、おつとめを勤めようと思うんですけど、ご一緒にいかがですか」
と、声をかけたら、
「それなら、一緒にお願いします」
とのことだったので、芯をさせてもらう事にした。
最初は、小さな声で歌っていた年配の方も、私が大きな声で歌うのにつられてか、段々と大きな声で歌うようになり、近くにいた方も、一緒に唱和されていた。
拝を終え、
「お疲れ様でした」
と、声をかけると、
「ご一緒だと楽しいですね」
と、皆、ニコニコ顔だった。
クラスや学年の違う方まで、
「明日もされるんでしたら、ご一緒させてください」
と、仰った。
有り難い。
皆で陽気におつとめが出来るって最高やん…って思った。
翌日の草抜きでは、若い人達が、子供たちに声をかけて一緒に草抜きしたり、追いかけっこをして面倒を見ていた。
吉井さんが、
「ねえさん、周りの人に甘えてもいいんですね。子供たちが楽しそうで」
と、言うので、
「子育ては、周りを巻き込んで行うものやで。色んな人と関わりを持った方が、子供も学べる事が多いからな」
そう応えたら、
「今度から、甘えます」
と、ニッコリ笑った。
肩の力が抜けた彼女が見られて嬉しい。
お手ふりの授業では、ここは覚えておいた方がいいと思ったら、
「確認です」
と、大声で聞いて、先生に何度か踊ってもらった。
そうする事で、皆が覚えやすい。
先生も、私の意図を察して、解りやすく、ゆっくり踊って下さる。
お手ふりの前の時間が、みかぐらうただが、休み時間に鞄を枕にして眠ってしまった。
組掛かりさんの、
「気をつけ」
の声で目が覚め、授業が始まると思ったら、終わりの挨拶だった。
やってもうた……。
「ねえさん、凄いイビキやったよ。カエルみたい」
誰かが言うと、皆が爆笑した。
それで、お手ふりの授業の始まりに謝ると、
「のどかな風景でした」
にこやかに言われた。
田んぼの中で、カエルが鳴いてるみたいやったんや。
穴があったら入りたいとは、こういう時に言うのだろう。
けど、上手い返しやなあと感心した。
翌日、授業中に、中井さんが、
「ねえさん、しんどい」
と、小声で訴えてきた。
手を挙げて、
「中井さんの具合が悪いので、休養室に付き添います」
と、許可をもらって、連れて行き、おさづけのお取り次ぎをして、
「毎日、喜び探しをしたらいいよ。何でもいい。子供がウンチした。有り難い。とか、息が出来て有り難いとか」
「そんな事でいいの?」
「そんな事じゃないよ。神様のお働きが無かったら、出来ない事やもん」
「そうですね。忘れてた。今から始めます」
「うん。じゃ、ゆっくり休んでね」
エレベーターで、教室に向かった。
教室の扉を開けると、担任が、
「中井さんは、いかがでしたか」
と、聞いてきた。
「疲れているようなので、休めば大丈夫でしょう」
と、答えておいた。
詰所の部屋では、真希ちゃんがゴミを放置してたら、さあやがゴミ箱に捨てるように促してくれていた。
さあやの言うことなら、素直に聞くようだ。
さあやが、時々、窓を開けて換気してくれるので、空気が澄んだように感じる。
夜中の1時頃に目が覚めたら、さあやの姿がなかった。
トイレかと思ったが、それにしたら戻るのが遅い。
心配で、廊下に出たら、洗濯物干し場の部屋に電気が点いてるのに気付いた。
覗くと、さあやが上り框に腰を下ろして勉強をしていた。
「どこに行ったんかと心配したよ」
「部屋で電気は点けられないから、ここで勉強してました」
「真希ちゃんは、1回寝たら起きへんし、私は明るくても眠れるから、私の上の電気を点けたらいいよ」
「1人の方が気楽なんです。だから、気にしないで下さいね」
「そっかあ。けど、明日もあるから、早く休みや」
「心配して下さって、ありがとうございます」
すっごい笑顔で言ってくれた。
気もちがスッキリする。
けど、深夜まで勉強って偉いなあ。
布教実習の日がきた。
バスに乗り込み、いざ出発。
にをいがけ用のリーフレットを5枚渡され、鞄にしまう。
私たちは、橿原の幼稚園で、ひのきしんをしてから、3人グループで周辺を回る事になっていた。
私以外の2人は、初めてだとか。
私と一緒に回るのは、70代のおばさまと、准看の女の子だ。
まず、私がやって見せたら、2人は同時に早足で、他の家を訪問していた。
初めてにしては、明るく弾んだ声で、インターンホン越しに、話していた。
15分頃には、おばさまの3枚だけが残った。
周辺を見渡すと、角に小さな散髪屋さんが見えた。
「あそこに行ってみよう」
の私の言葉に、駆け出す2人。
慌てて追いかけた。
おばさまが丁寧に話をしていると、
「その紙、わしにもくれへんか」
と、2人のお客さんが同時に言った。
神様のお計らいやなあと嬉しくなった。
副担の教典の授業は、ねりあいで出た質問に対する答えだった。
先生が話しているのに騒がしい。
1番さんが、先生の許可をもらって連絡事項を話していても、騒がしい。
なんちゅうクラスやと思っていた。
次の時間は、担任・副担任との個人面談だ。
私が前に座るなり、担任が、
「素晴らしかったですね。よく、おたすけをして下さいました」
何か他にも言われたけど、正直、覚えてない。
おたすけが出来ていたのかの、実感も無い。
担任が、副担に、
「何かありますか」
と、問うたら、
「宮本さんは、クラスをまとめる力があります。先程も、宮本さんが静かにするように注意すれば、そうなったでしょう。修了までに、そんな時があれば、是非とも、力を発揮して下さい」
との事だった。
ふうん。そうなんかあ。
副担の言葉は、すーと胸に治まった。
おさづけの取り次ぎ実習の日がやってきた。
取り次いだ事がある者と無い者が組んで、教えてあげる。
ひと言話についても、教えないといけない。
先生方が、見て回って、間違えていたら、指導したりアドバイスをしていた。
そして、皆で揃って、お取り次ぎの時間になった。
1番さんが、
「拝をします」
と、言っても、ざわついていた。
私は、手をパンパンと叩くと、
「しーちゃんが拝をするって言ってるよ」
と、言うと、静かになって、皆、神殿の方を向いた。
副担が、私の方を見て、頷いているのを、目の隅で捉えた。
中井さんの子供たちを遊ばせながら、一緒に草抜きをした事で、一気に皆と中井さんの距離が縮まり、休み時間に話したり、昼食の時には、託児所に一緒について行って、子供の食事を与える手助けをする人も出てきた。
2人で手伝って、中井さんに、ゆっくり食事が出来るようにしてあげてる人たちもいた。
中井さんの表情が、すっかり穏やかになって、パニック発作も起きなくなった。
心が安定すると、不安も無くなって、鬱病が改善される。
本当に有り難い。
心優しいクラスメイトのお蔭だ。
他の鬱病の方も、皆、笑顔で過ごしている。
どこが病気なのか、 わからないくらいだ。
真希ちゃんは、相変わらずだが、さあやが上手く誘導して、ひのきしんをしたり、部屋の片付けもしている。
良かった。良かった。
詰所では、修了前に、三ヶ月生が感話をしないといけない。
だけど、その1週間ほど前から、急に胃痛がするようになった。
食べたら嘔吐するし、ふらつくし、それでも休まず朝づとめと夕づとめの参拝は、欠かさなかった。
胃を押さえながら歩くので、皆より早く詰所を出発していた。
帰りは、ふらふらするので、閉まっているシャッターにぶつかったりした。
感話当日も、痛みに身体を折って胃を押さえて、椅子には座らず畳の上で足を崩して聴いていた。
あんまり耳には入ってこなかった。
最後に私の番になった時、
「止めとく?」
と、Ο谷先生に聞かれたけど、
「話すよ」
と、声を振り絞り、前に敷いてもらった座布団まで、手を突いて這うように行った。
幼少期の貧乏時代や両親のおたすけ話を中心に、自身の元1日等を話して終わった。
部屋までは、さあやと真希ちゃんが、支えて連れて帰ってくれた。
部屋に戻ってすぐに、廊下から安野さんが私を呼ぶ声がした。
「宮本さん、大丈夫ですか?」
さあやが、心配してくれる。
「用事があるんやろ。大丈夫やわ」
部屋のドアを開け、安野さんを見ると、涙をボロボロ零していた。
向こうから、奥村さんが走ってきて、私に抱きついた。
「ねえさん、ごめんな。苦労もしてないのに、注意ばっかり受けるって、思ってたけど、次に繋ぐために、しっかり教えようとしてくれてただけやったんやな。苦労してるような顔も見せんと、すごい頑張りはったんやな」
しゃくりあげながら、一気に話した。
私の肩が、濡れていくのを感じる。
私の真意を汲み取ってもらえて、有り難い事だ。
けど、そんなに感動してもらえるとは、思っていなかった。
話の中に 、そんな要素があったか?
まあ、いいや。
奥村さんと安野さんが、神様と真摯に向き合うのなら。
奥村さんを抱きしめて、
「ありがとうね」
とだけ言って、部屋に戻って、座布団を枕に横になった。
胃の痛みは、少しマシになってた。
そして、修了式前日の夜8時過ぎに、三ヶ月生全員に、4階の部屋に行くように連絡があった。
部屋に入ると、テーブルを2台重ねて並べ、その上に、アルミの丸い皿に料理が乗った物が、3つと、ビールの缶が並べられていた。
そこに座っているのは、二期生の時の教養だったΟ田先生。
赤い顔をして、完全に酔っ払っていた。
皆、部屋に入ったものの、立ち尽くしていた。
まだ、修養科生だし、アル中から抜け出したΟ田さんもいる。
「友達と飲み会してたんやけど、明日、修了やから、お祝いに残り物をかき集めて持って来てん。早く座り」
あぐらをかいて、煙草を吸いながら、上機嫌で言う先生。
アホらしくなって部屋に戻ろうとしたら、
「みやもっさんは、俺の隣や」
と、きた。
無視しようとしたら、Ο田さんが、テーブルの前に早足で行き、缶ビールを開けて、一気に飲み干した。
あっ!と目を見開いた治憲。
仕方なく、Ο田先生の横に座った。
つられるように、皆が、座った。
ビールを飲んでいるのは、Ο田さんだけ。
皆は、躊躇いながらも、おかずに、そろりと手を伸ばした。
そのうち、龍一も、ビールを飲みはじめた。
炊事ひのきしんで来ていた、上級の奥さんも、呼び出された。
奥さんは、部屋に入ってきて、絶句。
「まだ、修了してへんで」
「そんな固い事を言わんでもいいやん。前祝いや」
Ο田先生には、何も言えない奥さん。
とりあえず、後ろの方に座った。
私は、元々ビールが嫌いだし、規則違反も大っ嫌いだ。
折角、お酒を絶ったΟ田さんに、お酒を勧めたΟ田先生が許せなかった。
でも、もう飲んじゃった。
皆も、おかずを美味しそうに食べてる。
最初ならともかく、今更、何も言えない。
「先生、胃の調子が悪くて、早く休みたいねん」
そう言って、部屋を出た。
エレベーターで、1階に降りて、裏の喫煙所に行った。
煙草を吸いながら、治憲の苦労が台無しになった事、Ο田さんの人生が、元に戻るであろう事を考えた。
止められなかった自分に、腹も立った。
皆に、出ようと促す事も出来たはずだ。
あれだけのおかずとビールを持ってくるのは、大変だったろう。
けど、あれは、優しさではない。
自己満足やん。
腹立たしさと悔しさ等 、色んな感情が湧いてきて、涙が零れた。
翌日の修了式では、皆、無事に修了する事が出来た。
Ο田さんは、治憲の教会に住み込むそうだ。
でも、あの集まりのおかげで、Ο田さんは一変した。
教会で、お酒を飲んでは、暴れたり信者さんと喧嘩をし、最後は、教会を出飛び出してしまった。
大阪のあいりん地区に行ったらしい。
暫くは、治憲が、様子を見に行ってたが、2週間ほどで姿を消したそうだ。
あちこち探し回ったけど、見つける事が出来なかったとか。
1人で気楽にお酒を呑む生活に慣れたら、お節介されるのが嫌だったのだろう。
治憲は、帰宅してから、神名流しとにをいがけを毎日、続けているそうだ。
真希ちゃんは、詰所で半月、ひのきしんをするために住み込んだが、言われた事も、キチンとしなくて、皆、困っているとか。
さあやは、二部生の時、中学で事務をしていた経験を見込まれ、保育所で事務をしていると連絡がきた。
龍樹は、2年間、本部勤務だそうだ。
修了した翌月の大教会の月次祭の時に、喫煙室で煙草を吸ってると、龍樹がガラス戸を開けて、
「あのな、修養科で僕が言った事が間違えてなかったか心配やねん。特に、年配の方にどう思われたかなって」
一気に喋りだした。
真剣な表情だ。
「あのね、1回口を突いて出た言葉は、引っ込まんよ。相手の方が、どう受け取ったかは解らへんけど、龍樹は、たいてい間違えた事は言わん。仮に、あの言い方はどうやったかなって思う所があったら、次に話す時は、気をつけたらいいだけや。受け手次第で変わるから、いちいち気にしても仕方ないよ。龍樹は、そのままで、いいと思うよ」
「ありがとう。宮本さんに言われたら、何か元気がでたわ」
そう言って、ガラス戸を閉めた。
1か月経っても気にするって、龍樹らしい。
これからも、ようく学んで、いい会長さんになって欲しいな。
さあやは、こどもおぢばがえりや学修の時に、仕事を休んで、ひのきしんで参加していて、よくおぢばで出会った。
その時は、宮本さんではなく、ねえさんと呼んで、駆け寄ってきてくれる。
嬉しい事だ。
帰りたいと泣いた初日から、色々あったけど、クラスが纏まったし、Ο田さんは残念だったけど、定められた運命だったのかもしれない。
で、終わらせてはいけないのだろうけど。
非常に疲れた三ヶ月でした。