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高所恐怖症の人がバンジージャンプをするときに祈るべき神様、そしてバンジージャンプで身体に生じる変化について

※このnoteは高所恐怖症の人間による記述のため、バンジージャンプに対するネガティブな感想が多い。これからバンジージャンプを計画する方のやる気を削ぐのは本意ではないため、ポジティブな感想の体験記も併せて読むことを強くお勧めしたい。また、バンジージャンプを体験した人の9割9分は「やってよかった」と思うらしく、自分のような体験したうえで怖かったことしか記憶にない人間は珍しいということをご留意いただきたい。


はじめに(嬉ションについて)

嬉ションをご存じか。
嬉ションとは、動物(主に犬)が嬉しさのあまり失禁をしてしまう(いきなり余談になるが、犬系○○(○○には「彼氏」や「彼女」が入る)は一般的に恋愛パートナーに対して甘え上手な人のことを指すのであって、嬉ションをする人はもちろん、独特の排尿姿勢(片方の後肢を高く上げる)をする人や乳首が5対ある人などのことを指すわけではない。)ことであるが、この現象が示す通り、人間を含むあらゆる動物はその時の感情によって身体的・生理的な行動をコントロールできなくなることがある。人間を例にすると次のような場面が想像に難くないだろう。悲しいときに涙を流す、怒りで心拍数が速くなる、焦りで汗を流す、恐怖で失禁する、笑いすぎて失禁する、本屋で便意を催す(青木まりこ現象)etc.

これから記述するのは、高所恐怖症である私がバンジージャンプをすることによって体に生じた変化をまとめたものである。高所に対して恐怖感を持つ人は、今後バンジージャンプをするかしないかの判断に活かせていただけると幸いである。一点先走って報告するが、失禁はしなかった(失禁フラグの破壊)。

バンジージャンプをすることになった経緯

私は高所恐怖症である。以下ダイジェストで。

・幼少期からずっとジャングルジムが苦手で、やたら遊具の高いところに立とうとする友人を見ては、同じ生物なのか疑問に思った
・中学生のときには組体操で肩車があり、自分は背が低かったため肩車の上の役だったが、それでもめちゃめちゃ怖かったため、腰をできるだけ曲げて目線が低くなるように工夫していた。

※正しい姿勢でやりましょう

高校の修学旅行で初めて飛行機に乗り、自分の体が高度10,000mとかにあるのわけわかんなさ過ぎて混乱した。
・初めて東京タワーに行ったときには、ガラスの床の存在意義がわけわかんなすぎて、普通にキレた。
・スキーに行くと、滑るたびにリフトに乗らないといけないので、ずっとキレている。
・今年(2023年)初めて富士Qハイランドに行き、トンデミーナ(めちゃくちゃ怖いアトラクション)で意識を飛ばした。鉄骨番長はリタイア。

こんな具合で私の高所に対する恐怖感はお判りいただけただろうか。
(一応補足すると、2回目以降の飛行機やなだらかな山の上とかは大丈夫であるため、様々な程度がある高所恐怖症の中でも一般的な方だと思う。)

こんな中、友達から「バンジージャンプをやってみない?」と誘われた。先に述べた有様なので、普通なら絶対にやらないが、私はこの友達がめちゃくちゃ好きなので、実際にバンジージャンプをするかどうかはともかく、現地に行くことに関しては二つ返事で了承した。とにかく一緒に遠くへ行けることが嬉しかったので、すぐにバンジージャンプを予約した。
予約したのは岐阜県八百津町の新旅足橋(しんたびそこばし)に併設されている日本最大落差の「岐阜バンジー」である。

一回飛ぶのに28,000円という(高所恐怖症の人間にとっては)強気な価格設定だが、2か月前の予約時点でそこそこ予約枠は埋まっており、日本最大落差という文句も手伝ってか、岐阜県の大人気スポットのようだ。
正直、飛ぶか飛ばないかはどうでもよかった。現地に行ったところで28,000円を払うことになるが、自分にとって飛ぶ勇気と、飛ばずに28,000円(東京都一人暮らし若手サラリーマンにとっては大金である)を無駄にする勇気は同じ種類のものに思えた。一度「飛ぶ」という決断をした時点で、どのみち勇気を証明するということになるという観点で、もう勝ち馬に乗っているのである(?)。

というわけで、2か月後にバンジージャンプが控えることとなった。

前日までの準備:バンジージャンプに所縁ある神様に祈る

2か月間ただ怖い思いをするのを待っているだけというのもなかなかしんどいので、安全にバンジーができるよう、神に祈ることにした。

バンジージャンプの神様って誰よ

当たり前だが、インターネットで「バンジージャンプ 神」と検索しても何も出てこない。神話の世界にバンジージャンプは登場しないのだから。

というわけで、探した。

古事記 池澤夏樹訳 河出書房新社
(ついこの間(2023年10月)文庫も出たよ)

古事記を読んで、バンジージャンプに所縁のある神様はいなかったが、「落下」に関係ありそうな神様を探し、その神様を祀る神社にバンジー安全祈願をしてきた。

八坂神社(祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと))

※以下、日本神話のエピソードは『古事記』に準ずる。
素戔嗚尊(『古事記』では「須佐之男命」。以下、スサノオ)はイザナキが黄泉の国から帰還し、体を清めた際にアマテラス、ツクヨミに次いで生まれるが、天上の世界である高天原(たかまがはら)で乱暴狼藉を働き、高天原を追放され地上の世界である葦原中国(あしはらのなかつくに)に追放されてしまう。(いわゆる「神逐(かんやらい)」)
スサノオは、天上の世界を追放され、地上の世界に降りてきたので、これは大げさに言えば「落下」といって差し支えないと考える。
スサノオを祀る神社は全国に数多く存在するが、今回は茨城県取手市の八坂神社を訪れ、バンジー安全祈願をした。

茨城県取手市の八坂神社
写真中央の拝殿の奥に本殿があるのだが、本殿の四方には精緻な彫刻が施されている。

本殿には日本神話をモチーフにした見事な彫刻が施されており、見ごたえがある。取手に用事があったとき(常磐線の下り電車を寝過ごしたときなど)に立ち寄ってみてはいかがだろうか。

筑土神社(祭神:天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと))

天津彦火邇々杵尊(『古事記』では通常「番能邇邇藝命(ほのににぎのみこと)」。以下、ニニギ)はアマテラスの孫で、初代天皇である神武天皇の曽祖父である。ニニギは地上の神々より譲り受けた葦原中国を統治するため、高天原より降臨する。(いわゆる「天孫降臨」)
降臨は「落下」とも言い換えられなくはないだろう。
今回はニニギを祀る神社のうち、東京都千代田区の築土(つくど)神社を訪れ、バンジー安全祈願をした。

築土神社の入り口
ビルが並ぶ区画にいきなり現れる。
東京都千代田区の築土神社
東京メトロ九段下駅から徒歩2,3分で着く

ニニギの他にも平将門と菅原道真を祀っており、この二柱とも、一般的に日本三大怨霊に含まれる。霊的なパワーが強いことは間違いない(?)。

ちなみに、筑土神社から歩いて1,2分のところに靖國神社がある。こちらにも参拝したが、落下して肉体的に大丈夫ではなかったであろう英霊も祀ってあるため、ここではバンジー安全祈願は行わず、日本国の安寧を祈願した。バンジージャンプができる平和な世の中に感謝。

その他、バンジー安全祈願の候補となる神様

今回はスサノオとニニギの二柱にバンジーの安全祈願を行ったが、他にも次のような候補が考えられる。
イザナキ…死者となったイザナミに会うため、地下の世界である黄泉の国へ行き、無事生還する。地上の世界から地下の世界という垂直方向の移動は「落下」とみなすことができなくもない。
オオクニヌシ…兄神たちからの嫌がらせで、大岩と共に山から落下するが、無事復活を果たす。(山の麓で落ちてきた岩に押しつぶされた、という解釈が一般的だが、島根県立古代出雲歴史博物館の神話シアターでは、大岩と一緒に落下するという演出だった。(さらに余談になるが、この神話シアターで上映されるビデオが作成当時の編集技術や演出の影響で「みすず学園」のCM(首都圏ローカル)にしか見えなくてちょっと面白い。きっと初上映当時は最先端技術だったのだろう…。))

アメノホヒ…オオクニヌシが繫栄させた葦原中国を譲ってもらう交渉をするために高天原から葦原中国に派遣されるが、地上の神々の側に寝返る。天上の世界から地上の世界という垂直方向の移動は「落下」とみなすことができなくもない。

バンジージャンプを「落下」ではなく一種のスポーツや遊びと捉えるならば、祈願の候補となる神様はたくさんいるだろう。皆さんも是非探してみてほしい。

バンジー安全祈願が終わったところで、いよいよ当日を迎える。

飛び込み台に立つまで

1. 無口になる

私はいわゆる「口から生まれた人間」(カースト制度の話ではない)であるため、通常友人と一緒に移動しているときは会話が途切れない。(普通に嘘だが、昔新宿から高速バスで長野に行ったとき、4時間息継ぎせずに友人と喋った。)しかし、名古屋駅で車を借りて岐阜バンジーに向かう道中は不安に頭が支配され、なんの話題も浮かばなかった。

道中の見事な紅葉も、目に入らなかった。(見事な紅葉は帰りに見れた(文法的には「見られた」が正しいが、私は「ら」入れ言葉のアンチのため、このような表記にしている。(「ら」抜き言葉に対しての「ら」入れ言葉という概念のつもりで友人に「ら」入れ言葉の話をしたところ、「~なのら」という存在しないロリキャラの語尾の話だと勘違いされたことがある。)))

2. 身体が小刻みに震える

高速も使いつつ、名古屋駅からは1時間半ほどで目的地の新旅足橋に着いた。

この日は11月にしては暖かく、岐阜の山奥にも関わらず20℃弱の気温だった。決して寒くはないが、新旅足橋の高さを目の当たりにすると、足が震えだした。

3. 身体の末梢が痺れてくる

バンジージャンプの受付を済ませ、28,000円を払い、同意書にサインをした後、体重測定をする。ハーネスを体に装着し、飛ぶまでの流れや飛んだあとの姿勢について、簡単な講習を受ける。
ここで、身体の末梢がジンジンと痺れてくるのを感じた。長時間正座をしたときの足や、腕を枕に机に突っ伏して寝た後の腕の痺れに似ている。乗物酔いをする人間の一部には伝わるかもしれないが、めちゃくちゃに酔って嘔吐する直前ってこんな感じである。ここでいう「身体の末梢」とは、足、手、耳、顎である。人が死ぬと真っ先に腐り始める箇所だ。

4. 身体の末梢の感覚がなくなる

受付から移動し、飛び込み台に移動する。飛び込み台では陽気なEDMみたいな音楽が延々と流れていた。この回の参加者は私と私の友達を含めて7人。参加者は全員クレイジーだと思ったし、実際に口に出した。「あなた方、全員ヤバいっすよ。」全員笑ってくれた。
飛び込む順番は参加者の中でランダムに決定する。私は3番目だった。7番目じゃなくて本当に良かった。もし最後の7番目だったら、待ち時間が長すぎて気絶していたと思う。
1番目の人が飛び込む。参加者の他に見物人もたくさん来ており、悲鳴と歓声のちょうど中間のような声がどっと聞こえる。
この頃には末梢の痺れはなくなり、ほとんど手足の感覚がなくなっていた。

5. 斜視になる

順番待ちをしている間、真っ青になった自分の顔をインカメで撮った。
後で見返すと、恐怖のあまりか斜視になっていたが、撮影したときには全く気が付かなかった。血の通っていない情けない写真は、徳川家康が戦の敗北した際に自戒として自身の姿を描かせたという「しかみ像」を思い出させた。なお、「しかみ像」の徳川家康は恐怖のあまり脱糞していたと俗説では伝えられているが、私は脱糞しなかった。(恐怖で脱糞するって、何?)

6. 走馬灯を見る

2番目の人、つまり順番では自分の前の人が飛び込む。目を瞑る。こんな怖い経験をするのは初めてだと思ったとき、まぶたの裏に自身の記憶を見た。保育園に入所しているとき、節分の日に鬼が来た。1匹ではなく複数匹の鬼が、保育園に来た。泣いたりはしなかったが、もうこの世は終わると思った。シーンは切り替わり、中学校の職員室の前の廊下である。野球部が整地したグラウンドを、故意ではないものの荒らしてしまったため、野球部の顧問に謝りに行くところだ。この野球部の顧問と直接の関わりはなかったが、めちゃくちゃに怖い先生だと聞いていたので、職員室の扉をなかなか開けられなかった。

目を開けると、これから全身を強く打って死ぬということを連想させるには十分離れた距離にある、細い細い谷底が広がっていた。万が一バンジーのひもが切れて落ちて死んだら、この渓谷の養分になるのだろうか。渓谷の両脇に広がる絵の具をこぼしたような見事な色合いの木々が、自分の今後の姿だと思うと少し楽になった。

スタッフの方がカウントダウンをする。このタイミングを逃したら永遠に飛べないので、この世のすべてを諦めて、飛んだ。

飛んでから飛び込み台に戻ってくるまで

ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ

7. 音を脳が感知できなくなる

何も聞こえなくなる。突発性難聴みたいな耳が詰まったような不快な感じではなくて、この世に最初から音なんてなかったかのような錯覚に陥る。

8. 視界が大回転する

でんぐり返しを何回もしたときのように目が回る。自分の目が回っているが、自分自身の体も回っているので、2重で視界が回転する。

ロープが伸びきって(本当の意味で)リバウンドするとき、ハーネスで固定されている肩、腰、股間がギュッと強く締め付けられる。巨人に握りつぶされてるような感覚。(これはバンジージャンプのほぼ唯一の収穫だった。自分の場合、具体的に大猿ベジータと戦う悟空を連想したが、自分より若い世代は進撃の巨人を連想するのだろうか)
2回ほどリバウンドした後で上体を起こし(逆さ釣りの状態から上体が起きるようになる機構がある)、引き上げられる。引き上げられている間、もしこのロープが切れたら…と一瞬の想像を振り払い、自分の呼吸に集中する。

しばらくすると、飛び込み台で流れている陽気なEDMが少しづつ聞こえてくる。無音の世界が終わる。帰還したことに対する労いのナレーションを足せばディズニーのアトラクションみたいだった。

飛び込む瞬間に気絶する人も極稀にいるらしい。富士Qハイランドのトンデミーナで気絶した自分はバンジージャンプでは気絶しなかった。

飛び込み台に戻ってきたあと

9. 汗をびっしょりかく

戻ってくると、スタッフの方に「もっかい飛ぶ?」と冗談を言われたが、本当に怖い思いをした人間にとってはちょっとうんざりした。
自分の体が汗びっしょりになっていることに気が付いた。正確には汗をかいていたのは飛ぶ前からだろうが、恐怖で全く気が付かなかった。

10. 扁桃腺と顎下のリンパ節が痛くなる

バンジーの認定証とGoProの映像データを貰い。帰路についた。
それからの旅程は極度の疲労であんまり覚えていない。
この日は岐阜県内で宿泊した。宿で寝る直前に唾を飲み込むとのどが痛くなることに気が付いた。洗面所の鏡で口腔内をよく見ると、左の扁桃腺がやや赤みを帯びているのに気が付くと同時に、口をあんぐり開けたときに左の顎の下が若干熱を帯びているように感じた。手で顎の下に触れると極度にひんやりした。翌日、起きたらなんともなかった。

まとめ

自分の場合は飛ぶ前も飛んでいる最中も飛んだ後も、全感情のうち恐怖がそのほとんどを占めた。飛んでいる最中に一瞬風を切る感じが気持ちいいような気もしたが、基本怖い思いが勝っていた。
ひとつの結論として、私は高所恐怖症の人にはあまりバンジージャンプはオススメしない。恐怖や緊張、そして疲労といったコストに見合う利益が少ない可能性がある。
自分は、カウントダウンが終わっても恐怖が勝って飛べなかった可能性がある。もしそうなっていたとしたら場合には順番を心待ちにしている人の興を削ぐことになっていたかもしれない。高所恐怖症ではない人に迷惑をかけないためにも、無理に飛ぶ必要はないと考えている。

スタッフの方曰く、バンジーを体験した人のうちほぼ全てが「楽しかった」「やってよかった」という肯定的な感想を抱くらしい。高所恐怖症でなければ楽しめることは間違いないだろう。
冒頭にも書いた通り、このnoteは単なる個人の感想であって、バンジージャンプをこれからしようとする人の意欲を減退させるのは本意ではない。複数の体験記を読んで総合的に判断いただきたいと思う。

現に、私以外の参加者は全員笑顔のまま順番を待ち、笑顔で帰っていった。今回私がバンジーをする発端となった友達も、最高だったと言っていた。
この友達は、バンジージャンプが終わった後、「次はスカイダイビングだね」と言っており、この人の前世は隕石か何かだと思った。どれだけ高いところから落ちれば気が済むんだ、と若干辟易した。一方でこの友達がいなければ、自身がバンジージャンプをすることは一生思いつかなかったと思う。
スカイダイビングのことを口にする友達の笑顔は流れ星のように輝いて見えた。

(おわり)
次回、スカイダイビング編に続く(予定)

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