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7年前の想いと2年前の約束

ある先生との出逢い(7年前の想い)

7年前の5月。体調を崩して休職し、気分転換にと始めたのが資格スクールでの勉強。基本からやり直そうと思った程度で何をしたいとか特に何も考えていなかった。
6月、熊本旅行の後に入学をした。
最初の担当の先生は男性だったけれど、翌月には転勤になり記憶にはほぼ残っていない。6月はほぼほぼ緊張やストレスからくるパニック発作が原因で勉強出来ずギリギリの8コマしか学習できなかった。
7月になり、前任者から引き継いで、女性の先生が担当となった。
当初は甘かった。「少しずつで良いので体調を整えて学習時間を増やしていこうね」と学習スケジュールには残っている。
8月、方向転換。
このままではMOSに受からん。
受かりきれんと判断した先生、豹変。
体調は少しずつ安定しつつ学習を継続するも、どこか中途半端な気持ちがあり、先生キレた…💦
「もうやらんでいい」と言って、MOS Excelのテキストを取り上げた。
そこから、泣きながら勉強する事にはなるんだけど…
10月、無事にExcelとWordに合格した。
そこで終わるはずが終わらなかった。
その時の先生の表向きの説明は「介護の世界でもいずれ必要となってくるからイラレもフォトも勉強する。」という事だったが、納得がいかないと勉強しないのが私の性分。
もちろん、これに納得せず。
「介護士にイラレもフォトも要らん!」と言ってそっぽを向いた。
夏ごろの面談の時に現状を話した記憶が薄っすらあるが詳しくは覚えていなかった。
もちろんだが先生が受け持っている受講生は私一人ではない。
他にもたくさんいた筈である。
とりあえず嫌々勉強していた。
拒否しても良かったんだけど、そんな勇気ないので嫌だけど勉強していたという感じ。家で勉強なんて絶対にやらない。
PC見るのも嫌なくらい嫌いだった。
勉強が分からないのに勝手に進んでいるという感じだった。
11月、先生さらに豹変と同時に宣言。
「スパルタでいく。でも着いて来い!」と背を向けて言われた一言は今も目の奥にその光景を覚えている。
先生に対して「怖い!」という思いしかなかった。
1回目のillustratorスタンダードの試験、不合格。
操作(機能)を覚えず、答えだけを覚えてしまうという事が原因。
問題が変わって全く解けないという状態。
パスが描けない、クリッピングマスクや回転複製が出来ない時点で受からんやろうと言えるのは今だからこその発言か。
面談時、結果を前にして先生が怒りを押し殺していたのは覚えている。
傍にいた別の先生が覚えていたのだけどその時言ったのは「ミニマム50コマ」だったらしい。それを私は「MAX50コマ」と聞き違えてしまったので見捨てられたと思った。11月80コマ、12月94コマの学習をしていたので、MAXなら約半分だものね。
だから主治医の許可も取らずに勝手に就職を決めてきて年明け早々(2018年)に就職した。まぁ思いっきりキレられたのは言うまでもなく。
「1回ダメだったからと言って見捨てたりはしないし、あの時、担当の先生が言ったのはMIN50コマね。MINって分かる?最低でも50コマって意味だよ?本当に理解していた?」と若先生(のちの2代目BOSS姉ちゃん)
担当の先生がその時に初めて明かした想い。
「いつか未来で私たちがいなくなる日が来る。介護職ではなくて一般職に就いて欲しい。預かった1年(10月MOSに合格した後、『1年預けて欲しい。必ず社会に返すから』という約束で1年を預けました。39-40になる大事な時期)絶対に無駄にさせない。いつかの時に今の様に泣いてばかりいるんじゃなくて、自分の力で立って歩いていって欲しい。社会のお世話になるのではなく力強く生きていって欲しい」
この時に自分に向き合っていれば、後悔しなかっただろうね。
さらに担当の先生がガチギレする事態を引き起こす。
先生の「どう思っている?」に対して「怖い」と答えてしまって、他の先生が間に入ってくれたことまでは記憶にある。
やれるだけの勉強はした。本気で勉強した。
2回目Illustratorスタンダード受験も不合格
スキルは合格範囲に有った…
ただ、メンタルが弱すぎたことが原因
とても3回目を受けたいとは言い出せず、勉強を辞めると言ったのだけど、相手はプロである。見透かされている。
話をした先生は担当の先生ではなく未来の2代目ではあったけど
「もう一度だけ受験しよ!それでダメならもう辞めて良いから。もう1回だけ頑張ろ(*^-^*)そして原因を特定しよう」
Illustratorの検定試験を通して、振り返りをさせたのが今の学習の根底にはある。
春が訪れた頃、少しだけ担当の先生が優しくなった。
「今は何も言わなくても勉強しているから」と、自宅学習を少しだけするようになった事、あっさり見抜かれていた。
それから半月後、先生は倒れた。

BOSS姉ちゃん参上!

2代目にバトンタッチ
元々、腰に爆弾を抱えていた身であったことは他の先生から聞かされた事実。無理をしなければ、ずっと先生でいられたこと。
無理をしてでも社会に戻したかった想いがあったことを聞かされた。
それだけの価値がある人間かとすら思った。
BOSS姉ちゃんともいっぱい話し合ったし、いっぱい喧嘩もした。
いっぱいぶつかったけど、本気の想いは受け継いでくれていた。
『「あとでやる」「いつかやる(後日やる)」は絶対にやらない。本気の想いが有るなら今やって!!』
正論に勝てる程、私は強くはないし、2代目にも勝てない(´;ω;`)
16歳差あるのに勝てない。
3度目の正直。Illustratorスタンダードは合格した。
Excel1級は一発合格した事ともに、先生を経由して報告したけど
返ってきた返事は辛辣なものだった。
「イラレもExcelも合格できるだけの勉強はさせてある。驕るな!一発で合格
できたのはBOSS姉ちゃんがいるから。1回で合格させてくれたBOSS姉ちゃんには感謝しなさい!」
頑張って勉強したのに何でって思いしかなかった。
BOSS姉ちゃんはBOSS姉ちゃんで「頑張った自分を褒めればそれで良いの!」としか言わないし頭は混乱状態だった。
その後、Photoshopスタンダードも3度目の正直で合格。
BOSS姉ちゃんも栄転となり一足先に別れ。
accessデータベースにも合格し、PCスクールを修了したのが2年前の春。
3代目と学習を続けていたが、その3代目も家庭の事情で退職となり、校舎も撤退となったので、そこで修了の運びとなった。
それまではSNSで時折、話したことは有ったがいつも厳しい目線でいた。

別れ(2年前の約束)

本当はやり取り禁止なんだけど、ずっと心配で遠くから見ていたそう。
そこで多分、ここで別れなんだと思った。
当時の事、どうしても謝りたりたかった。
自分のせいで退職に追いやってしまった事を後悔していると。
先生がその時に話してくれたこと。
「謝らなくていいし、後悔もしなくていい。私がモチベーションを維持できなかっただけだから。無事に社会に戻ってくれたからもう良いよ。それよりも厳しくし過ぎてごめん。あそこまで厳しくする必要はなかったかな?って今は思う。娘(2017年当時22歳位)より厳しくした。両親を亡くし兄弟がいない状況で親戚なんて頼れないだろうし、何とかしてやりたかった。一番辛かったのは、仕事を辞めたことではないよ。一番辛かったのは、イラレやExcelに合格した時に突き放したこと。誰よりも努力して、泣きながらでも頑張って勉強している姿をみてきたので正直褒めたかった。だけど褒めた先の未来が見えていた(きっと天狗になる。天狗になって勉強しなくなる)ので我慢した。もうバトンはBOSS姉ちゃんに渡していたし、BOSS姉ちゃんに迷惑をかける事になってしまう。だから我慢した。怖いって言われたけど、ちゃんと報告してくれて本当は一番嬉しかった。その後も頑張ってフォトとW合格果たしたしね。一部満点はスゴイと思う。一緒に勉強をしていたらいつか勉強させたいと思っていたaccessもちゃんと勉強してくれたから嬉しかった。ありがとう。12年先生やってきて一番努力していた受講生だったよ。最後の受講生があなたで良かった」とSNSでのやり取り。
「もしその後悔が残る、消えないというなら、願って潰れないなら私からのお願い。『次、お勉強するときは、”お勉強嫌い”なんて言わないで、素直にお勉強好きって言って欲しい。そしてお勉強好きな人たちと一緒に学び続けて欲しい。PCはたまに触って少しだけすればスキルは落ちないから、それ以外のお勉強を一生続けて欲しい。学びを好きと言える人たちに囲まれてずっと成長し続けて欲しい。その先にアナタの望む実りある生活があるよ!』そしてもう一つ。本当は就労移行への就職は今でも私としては反対。だって目先潰れることが見えているから。だけどアナタは絶対にやり抜こうとする。一度やると決めたら表面上では”辞める”と言っても這いつくばってでもしがみついてもやり遂げる人だからきっと離れないと思う。だから危険と思ったら突き進むのではなく、振り返って立ち止まって欲しい。心身を再び壊すために私はスキルを身に着けさせたんじゃない事を覚えておいてほしい。立ち止まる勇気と振り返る強さを持って、これからは生きていってね」という約束をしました。
それが2022年4月のこと。

その先にあったもの

5月、通勤途中にケガをしたものの治療が遅れ(当時の主治医が仮病だろうときちんと診てくれなかったことが原因)完治が見込めない身体になりました。再び就労移行で働くのは難しいという現実。営業に出るには歩き回れる足が必要だけど、長時間は歩けない。
飛んだり跳ねたりすることももう出来ない。
足に負担がくる動作は基本できないのである。
入院はしなかった。入院することでコロナ罹患の可能性が高くなるため、自宅療養を余儀なくされた。
それでも諦めたくなかった。もう一度、這い上がるんだと決意し、PCの前まで這っていった。激痛に耐えながら、勉強を続けた。
いつかもう一度の想いの中、非常勤職員を経て再び就労支援の世界に戻ったが、見ていた世界が違った。
そして、大事な約束も守れなかった。
立ち止まる勇気と振り返る強さが自分にはなかった。
突き進んでしまって再び壊してしまった。
それが昨年9月の話。
再転職をして今。
就職支援でキャリアコンサルタントさんの手を借り、無事に転職。
11月、またもや事故で右足を痛め療養。
その間に自力で振り返りを行った。
これから先の未来、恐らく再び同じ事は起きると思う。
その時に突き進むのではなく・立ち止まり振り返れる様に一歩手前で留まれる様にすること。(10月に危険と判断したら止めて欲しいと伝えた人はいるけれど国家試験をパスしたら、それも有効ではなくなりそうなので)

7年前に聞いた先生の想いと似た話を12月に別のキャリアコンサルタントさんから聴きました。
年前の教訓。
熱意を受け取りました。
今度こそ、素直にお勉強したいと思います。
夏に後悔なくやりきったと言い切りたい。
全てはその想いだけです。
絶対に最後まで諦めたくない、やり遂げるとご来光に向かって宣言してきた2024年のお正月でした。

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