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2/1 夕方に

気付いたのは
嫁からのLINEの着信音だった

それをきっかけに
アパートの沿線を走る列車の音に気づく

寝ていたようだ
とそのときは思ったが
今思えば完全に気を失っていた

LINEで僕の身体を気遣う嫁の心配そうな声に
なんとも心が締め付けられる想いにかられ
大丈夫だよ。寝てただけだよ。すぐに帰るね
そう伝えて通話を切った。

時間を確認すると18時を少し回ったところだった。
ぐるっと辺りを見渡す
引越のために幾つか荷物は運び出され、
乱雑に荷物が積まれている部屋。
不思議と落ち着くこの部屋は
住み慣れた我が家ではあったが、
ここは僕の住む家じゃない

帰りたい
嫁のそばに帰りたい

そう思ったのは
ハッキリと覚えている

コートを羽織り、家の灯りをすべて落とす
ここが我が家であり、一番落ち着ける場所ではあったが、今はここに温もりも光も無いのだ。

帰らなければ
帰ろうではなく、
帰らなければ
なぜか心に強く思った

駅の階段で躓く
みっともない
酔っぱらってるわけでもあるまいに。
家路を急ぐ人々が迷惑そうに追い越していく
邪魔してごめんな
金曜日だもんな
みんな早く家に帰りたいよな
あぁ、早く帰りたい

最寄駅で座席には座れた
しかし乗換駅まで座ってられなくて
途中で降りた
気持ち悪いのかなんなのかわからない
自分の状態を上手く表現出来ない
と言うか、認識出来ない。
とりあえずトイレにいく
ホームに戻ろうとするがまた階段で躓く

疲れているんだ
早く帰ろう
早く帰りたい

それしか考えていなかった。


どう乗り継いだかは
覚えていない
最寄りの駅まであと少しと言うところで
嫁からLINEが入る
遅くないか?
と言われた。

確かに遅い
もう21時は大きく回っている
どこで時間を食っていたのかわからない

もうつくよ。タクシーで帰るよ

そう返信してから携帯をしまうころには
最寄りの駅についていた。

息切れや頭痛や吐き気など、
おおよそ体調不良に通じる症状は何もない

ただ、ダルい

長い列に並び、家路を急ぐ人達は苛立ちを隠さず、動かぬ列に痺れを切らしバスにしとけば良かったと呟く人、寒い中、意を決して歩き出す人、
それらを横目に動く気力が無くなりただ列に並ぶ。
時間がどれだけ立ったかは良く認識出来ない
ただ順番が来て、タクシーに乗り込む。

宛先を伝えて目をつぶった次の瞬間にはもうついていた。
ほんの一瞬に感じた。
ぐっすり寝たものだと思いズボンのポケットから札を差し出し、受け取った小銭をポケットに入れる。
その動作に酷くもたついた。
タクシーから降りるとき
右足が扉に引っ掛かった。
タクシーの運ちゃんに
ありがとうと言うタイミングで無理矢理引っこ抜いた。

帰ってきた、やっとだ。
扉を開けようと鍵穴に鍵を差し込むと
音で気づいたのか嫁が先に扉をあけた。

おかえりなさいと言う笑顔がいとおしくて
くしゃくしゃに顔を歪めてただいまと言う

嫁は怪訝な顔で
大丈夫?
と聞くがなんとも答えられない
大丈夫
としか言えないが
体調が悪いのは隠しようがない

台所のコンロの前に椅子をおき、
上着を嫁に渡しながら何とか座る

心配そうな嫁に
大丈夫だ
と言いながら、
コンロの前でコーヒーを入れようとするが
身体が上手く言うことを聞かない。

そのうち嫁が
二階は寒いからお布団一階に持ってくる?
と言うのでお願いした。

嫁が二階の寝室に上がったのを見届けて
いざコーヒーでも入れようと思うが
やはり身体が動かない。

動かないのを認めようとしないのか
動きたくないと認識したいのか
兎に角、嫁が布団を下ろしてくるのを待った。

戻ってきた嫁がリビングに布団を引くのを
待っていると
パタパタとスリッパをならして台所に嫁が駆け込んでくる

大丈夫?

そう聞かれて思わず座ったまま腰に抱きつき
もうだめだー!
と甘えてみる

嫁となっては日が浅いが一緒に行動するようになってから数年経ったこの女は中々なもんで
帰ってきたものの喋らない僕を
普段やらないような甘えをする僕を見て
異常に気付いているようだ。

大丈夫じゃないんだ。
私の入ってる保険に
相談窓口があるから連絡するよ?

少し強めに言う嫁に僕は頷く。

その前にごはんね。

貴方はこれから私に指示を出して
美味しいうどんを作らせてください!

そういって冷蔵庫から冷凍うどんを取り出す。

嫁は決して料理が下手なわけではない
ただ、料理経験が少ないので自信がないだけだ。
有り合わせで適当に作るが出来ない。
こちとらひとり暮しが10年を越えるからそれぐらいはお手のもので、もしかしたらそこに引け目を感じているかもしれない。
ただ嫁の飯は旨いし言えば簡単にこなすかセンスがないわけでもない。それを嫁には言葉にして伝えてはいるのだけれども。


鍋に水を入れて火にかける。
嫁にあーだこーだ指示を出して釜玉うどんを作る
指示を聞いているのに七味を多く振り込む嫁
申し訳なさそうな顔をする嫁と
それを微笑ましく見ているこの時間
そうこの気持ちを表現するのは安っぽい言葉で良いのだよ

この時間が幸せなのだ。

作って貰ったうどんを一本二本と啜っていると
嫁が保険特約の相談窓口や地域の相談窓口に片っ端から連絡を始めた
確かに調子は悪いけどそこまでするものでもないだろう

その時はそう思ってた

随分眠くて眠くて
うどんを食べきらずに
布団に潜り込んだ


嫁はまだ色々電話してくれている。

そんな、無理するな
明日でいい
今は一緒に寝よう

口に出したかは覚えていない
電話をしている嫁の横顔を眺めているだけで
意識は布団に吸い込まれていった。

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