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三無主義

オイラ、第一次ベビーブームに続く団塊の世代と、出生数が再び上がり始めた1960年代前半生まれの新人類との間の世代。70年代、マス・メディアは無気力・無関心・無責任の若者気質を三無主義と呼び、オイラたちの世代を無共闘世代とかしらけ世代と言ってました。

これって、ただの悪口じゃん(笑)。

一億総中流と言われ、みんなが「世の中、平和で平等だと信じた時代」、高校への進学率は65%程度で、公立高校の授業料は800円/月。一方で「金の卵」と呼ばれ中卒で集団就職する人も。高校の入学式の日に、ヘルメットをかぶったお兄さんがビラを配っていたことを思いだします。

政治に興味のない学生と活動家の女性と出会って恋心を抱く『いちご白書』という映画が流行り、朝日新聞などは北○鮮を素晴らしい国と称え、「地上の楽園」と呼んで報道していました。札幌オリンピック、大阪万博、あさま山荘事件、沖縄返還があったのも、この頃。

金権政治家の代名詞で人間ブルドーザーの異名をとる田中角栄は日本列島改造論をぶち上げ、「政治は数、数は力、力は金」と豪語。それとは対極をなす『ブラザー・サン シスター・ムーン』という映画に感化され、利他主義に目覚めたオイラは浪人を余儀なくされます。「浪人」とサラッと言ってしまいましたが、当時の大学進学率は35%にも満たない時代。改めて親に感謝です。

ちょうど、そのタイミングで、日本は第一次オイルショックにみまわれます。オイラがそれを実感したのは、それまで100円で3袋であったインスタントラーメンが1個100円となったってことくらい。

トイレは共同、風呂は近くの銭湯を利用する下宿生活。かぐや姫の『神田川』さながらの浪人生活を送った下宿にかかった費用は月額2万円ほど。エラそうに「かかった費用」なんて書きましたが、もちろん、オイラが費用負担したわけじゃありません(笑)。

オイラが大学に入学したのは共通一次試験制度が導入される前のこと。国立大学の入学金は1万2千円で、授業料は月3千円でした。結局、一番高額だったのは予備校への学費ってことに(笑)。

紆余曲折を経て、今に至るオイラ、行政上の扱いは高齢者で、note の仲間内でも断トツのジジい。これからも三無(さんむ)~ぃギャグでnote 界を荒らして参りますので、末永いお付き合いよろしくお願いします。

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