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或る目覚めた僧侶の掲示板【読み切り短編】


あらすじ

「陰謀論にはまった僧侶がいる」
副業ライターをしているわたしは、友人から反ワクチン運動に傾倒するH寺の住職の話を聞かされる。友人が送ってきた寺院の掲示板の写真には、住職が自身の主張を綴った張り紙が写し出されていた。それをネタに記事が書けると踏んだわたしは、H寺の掲示板の写真を断続的に送ってもらうよう友人に依頼する。
しかし、二〇二二年の夏、住職の身内に起きた不幸を境に、張り紙に書かれる内容が異様なものへと変質していった──。
わたしと友人が体験した、H寺にまつわる出来事を皆様と共有したく、この文章を作成しました。最後までお読みいただくよう、よろしくお願いいたします。

1


 静岡県某市に、日蓮宗系のH寺がある。
 市のホームページによれば、建立されたのは一四二〇年代。室町時代に遡る。
 山門をくぐると、そこから真っすぐ五〇メートルほど石畳の道が伸びている。
 最奥に建てられた御本堂は、屋根が緩やかなドーム状になっていて、独特な雰囲気を漂わせる。
 山門が南で、本堂は北に位置し、西側にはこの寺院が管轄する墓地がある。
 目分量ではあるが、墓石の数は五〇は下らないだろう。
 墓地の入り口には水場が設けられており、桶や柄杓も数組備え付けられている。
 その水場の傍らに、掲示板が立っていた。
 横長で、幅は二メートルほど。
 表面はガラス張りになっており、背面は金属製のプレートになっているようで、いくつかの張り紙がマグネットで留められている。
 最も大きなスペースを占めているのは、「今月の聖語」と見出しが印字された同宗派の広報で、日蓮聖人の格言とその解説が載っていた。
 他に、寺院からのお知らせが纏まったものが一枚。
 近隣の高校から依頼されたのであろう、吹奏楽部の定期演奏会を告知するポスターが一枚。
 そして、掲示板の右下には、A3ほどの用紙が一枚。
 このたった一枚の紙切れが、わたしの友人の人生を狂わせてしまったのかもしれない。

 わたしは東京の出版社で営業をやりながら、副業ライターとしてウェブメディアなどに寄稿している。
 元々は書籍の編集志望で入社したが、会社の都合で営業部門に押し込まれた。
 その腹癒せ……というわけではないのだが、やはり本作りそのものに携わりたいという願望を捨て去ることができず、編集をやっている知人に、どんな案件でも最低限のギャラで引き受けるからと頼み込み、不定期で仕事をもらっている。
 自ら「●●専門」と称している分野は特にないが、本業で関わっている出版物の傾向から、殺人などの凶悪事件ものやオカルト系、宗教関連のネタを扱うことが多い。専業ではないから、当然本格的な取材に充てる時間も予算もなく、たいていはできる範囲で資料を集めて読み込み、何とか記事を形にしている。
 いずれは物書きの仕事だけで食っていけるように──そんな甘ったれた妄想を抱くほど身の程知らずではないが、何か書き手として本を出すなり足跡を残したい。
 だから、おこぼれの仕事をこなすだけでなく、自らをライターとして売り込むための企画も、日々蓄えていた。
 そんなわたしの腹の内を知ってか知らずか、友人や知人が、時折「こんな話がある」とネタを提供してくれることがある。
 松方(仮名)もその一人だった。
 彼は同じ静岡出身の同級生で、ともに首都圏の大学に入り、そのまま就職した上京組の友人である。
 その松方が、久しぶりに電話を寄越したのは二〇二一年が暮れる頃だった。
 聞けば、彼は既に東京を離れ、家族とともに地元へUターンしていた。
 最後に会ったのはパンデミックが始まるよりも、二、三年前だっただろうか。
 互いの近況を報告し合い、一区切りついたところで、松方はこう訊いてきた。
「お前、陰謀論って詳しいか?」
 その質問には答えず、「どうして急に?」と返すと、彼はKという住職の話を始めた。 
 以下は、その話を、彼の一人称で再現したものである。

 ※※※

 二〇一八年に、長男が産まれてな。
 そのときはまだ、東京の会社に勤めていた。
 浦和のアパートを借りて住んでたんだけど、嫁さんも俺達と同じ静岡出身でさ。
 だから、子どもができたのを機に、地元へ戻ることにしたんだよ。
 住まいは、お互いの実家の間くらいにある●●市に決めた。
 で、引っ越してから一週間くらい経った頃かな。
 嫁さんのお婆さんが亡くなった。
 お婆さんの家も●●市内にあって、M家というんだ。
 当時M家には、妻の両親とお爺さんが暮らしていた。
 葬儀は、市内の小さいセレモニーホールでやったんだけど、そこで読経したのがH寺のKっていう住職でな。
 そのときは、何も変なことはなかったんだよ。
 Kは威厳があって、立派な感じのお坊さんだった。
 それからしばらくして、お婆さんの後を追うみたいお爺さんも亡くなった。
 やっぱり、葬儀にいたのはKだった。
 前回と同じように、何の滞りもなく終わったよ。
 その後、コロナ禍になってから、Kのことで変な噂を聞くようになった。
 これは妻のお母さんから聞いた話なんだけど、あるとき、M家で法要があって、Kが訪ねてきたんだって。
 二〇二一年の夏くらいだから、みんな感染防止ですごく気をつけてたときじゃん?
 でもさ、住職はマスクをしていなかった。
 それでな、どうしたと思う?
 M家のみんなにも、マスクを外せっていってきたんだって。
 「戯言に惑わされてはいけない」とか何とかいって、しつこく迫ってきたらしい。
 でも、M家には医療関係者もいたから、全員が頑なに拒否した。
 それでやっと、住職は渋々引き下がった。
「“あなた方はそうやって、茶番に付き合い続けるんですね”なんていわれたの。それも薄ら笑いを浮かべてね。ずっとお世話になってきた住職さんだけど、わたし、何だか腹が立っちゃって」
 お義母さん、かなり怒ってた。
 嫁さんもそれを聞いてご立腹だよ。
 息子が産まれて、健康とかにすごく気を遣ってたから、感染を拡げるようなまねをする輩が許せなかったんだろうな。
 Kはそんな調子で、どの家を訪ねてもノーマスクを訴えていたらしい。
 中には、Kを追い返した家もあったりして、けっこう悪い評判が広がってたんだって。
 でもまあ、俺としては「そんなこともあるんだな」くらいで、驚いたりはしたけど、別にめちゃくちゃ関心があったわけじゃなかったんだよ。
 仕事と子育てで忙しくしているうちに、Kのことなんて忘れていった。
 でも、その年の暮れだったかな。
 M家の法事で、俺達家族はH寺を訪れた。
 当然、法要を取り仕切ったのはKだよ。
 嫁さんの親族はみんな、Kの悪評を聞いていたから、みんなそれなりに緊張してた。
 何をいわれるんだろう、って。
 やっぱり「マスクを取りなさい」とかいわれるのかな、なんて話してた。
 だけど、本堂に入ってきた住職は軽く挨拶した程度で、さっさと読経を始めた。
 以前にはなかった口髭を生やしていて、少し雰囲気が変わったなって印象だったけど、特段おかしな感じはしなかった。
 俺達も経を唱えて、順番に焼香して、供養をした。
 一連の段取りが終わると、Kは参列者の方を向いて、説法を始めた。
 Kが話したのは、仏教の六道輪廻っていう考え方についてだった。
 人間はすべて、天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄…だったかな?
 それら六つの世界を、死んだり生まれたりを繰り返しながらぐるぐる回っている。
 天上、人間、修羅は三善道、畜生、餓鬼、地獄は三悪道という風に分けることができて、三悪道は苦しみの世界なんだって。
 で、Kは餓鬼道に絞って話を進めた。
 餓鬼っていうのは、欲深さの塊であり、自分さえ良ければ他人のことは構わないという身勝手さの化身。
 その貪欲さと利己的な精神が、やがて人間を地獄に引きずり込むんだと。
「いまの社会を見てみなさい。政治家、芸能人、企業家。どこもかしこも餓鬼のような人間ばかり。他人のことなど顧みず、私腹を肥やすことしか頭にない。そんな社会が行き着くのはどこか? そう、地獄に堕ちるほかない」
 ここまでは、まあ何となく頷けるところもあったんだよ。
 たしかにいまの社会にはそういう面もあるな、くらいにさ。
 でも──そこで住職の話のトーンが変わった。
「現世の最たる餓鬼は、ワクチンを作って大金をせしめている連中。それを売りさばいて中抜きしている連中。その恐ろしさをひた隠しにし、嘘の効能ばかりを喧伝するマスゴミの連中。こやつらは漏れなく、地獄に堕ちて然るべき、人間のクズです。皆さん、ワクチンの中に何が含まれているか知ってます? ちゃんと勉強してますか? mRNAトランスフェクションってご存知ですか? 知りませんでしたじゃ済まないんですよ。大切な家族、友人、恋人を守るためには、マスゴミのフェイク報道に惑わされちゃいけない。自分で勉強して、真実を見極めなきゃ駄目。コロナは茶番。ワクチンなんてまがい物。ちょっとネットで勉強してご覧なさい。テレビや新聞が報じない真実が、そこにあるんだから」
 Kの独擅場は、それからけっこう長いこと続いたよ。
 学校の教科書は嘘まみれだったから、歴史の勉強はつまらなかった。
 でも、いまはネットで真実を知ることができるので、勉強が楽しい。
 甘味料は国民の知能レベルを下げるために政府が製品に混ぜているものだから、自然食品しか口にしない。
 ただ、森永のアイスだけは子どもの頃からの愛着があり止められない。
 マスクをせず、新宿のキャバクラで楽しんだ。
 でも、俺はコロナどころか、風邪ひとつひいていない。
 だいたいそんな感じの説法が、三〇分も続いてさ。
 森永のアイスとか、マスクしないでキャバクラとか「はあ?」って感じだし、俺達すっかりげんなりしちゃって。
 やっと解放されて本堂を出たんだけど、みんな暗い顔して、何も話さずとぼとぼ駐車場に向かった。
 その途中だった。
 道の端に掲示板が立ってて、そこに仏教の有り難いお言葉みたいのとか、今月のお知らせとか、とにかく色々とポスターが張ってあってさ。
 で、右端にある張り紙に目が留まった。
 何となく読んで……それから、思わずスマフォで写真撮った。
 嫁さんには「何してんの?」と訝しがられたけれど、何だか撮らずにはいられなかったんだよ。

 ※※※

 松方は、そのとき撮った張り紙の写真を送ってくれた。
 そこには、こう書かれていた。
 
 「法華経を信ずる人は冬のごとし。
 冬は必ず春となる
 いまだ昔よりきかずみず、
 冬の秋とかえれることを」
 『妙一尼御前御消息』より
 

 日蓮大聖人のお言葉です
 冬が秋に遡ることはない 
 必ずや春がやって来る
 今の私達にとって 
 これほど励みとなる力強い言葉はありません
 多くの人々の目が 
 餓鬼どもの戯言によって曇らされている

 我々を覆い隠す暗幕を払いのけた少数の人間が 
 いくら真実を叫ぼうとも 
 耳まで塞がれている皆さんの心には届かない
 苦しい
 あなた方を助けたいのに
 あなた方は洗脳されてしまっている

 あるいは意図的に
 私のことを無視する
 真実を見ようとしないでいる
 艱難辛苦とはまさにこのこと
 だが
 屈してはいけない
 こんな時こそ日蓮大聖人のお言葉を思い出す
 春は必ず来る
 そう信じて
 今日もあなた方のために法華経を唱えるのです


 (住職)

 これを読み、妙な薄ら寒さを感じていた。
 Kを突き動かしているのは、ギラギラとした善意だ。
 彼は善き行いとして、他人に施しを与えようとしている。
 少なくとも、金を稼ぎたいとか、名誉が欲しいとか、そういう俗な動機で「ワクチンには何か得体の知れないものが入っている」などと吹聴しているわけではないだろう。
 本気で、他人を助けたいと思っている。
 嘘をついている(と思い込んでいる)やつらを憎んでいる。
 みんなが真実に目覚めてほしいと願っている。
 その気持ちが純粋であればあるほど、彼の認知の歪みも強度を増す。
 
 Kは端的にいってしまえば、いわゆる反ワクチンの陰謀論者だ。
 虚妄の世界に生きる市井の人々が知らない(あるいは知らされていない)、真実に目覚めた少数派。
 権力やマスコミが垂れ流す嘘に惑わされず、自分の頭で考えて、正しい情報を発信し続ける知識人。
 闇の勢力に抗う反乱者。
 彼らが標榜する自らの姿は、概ね上記のようなイメージに収束される。
 いうまでもなく、陰謀論の歴史は長い。
 何の学術的根拠のない説を、あたかも真実のごとく喧伝する輩というのは、いつの時代にもいた。
 しかし、コロナ禍と高度な情報通信テクノロジーが邂逅してしまった現代社会は、陰謀論者を培養するのに最適な土壌として機能した。
 陰謀論の説く真実に「目覚めた」人々の数は、ここ数年で、それこそウイルスのごとく増殖した。
 パンデミック下という特異な状況がもたらした、国境をまたいだ社会問題になった。
 だからわたしは、陰謀論にはまってしまった僧侶という松方の提供してくれたネタに、甚く興味を抱いた。
 これは面白い記事になるかもしれない。
 ただ、すぐに静岡へ赴き、直接取材を始めるなんていうのは尚早だし、そんなことをする余裕は金銭的にも時間的にもなかった。
 だから、松方には、これからH寺を訪れることがあれば掲示板の写真を撮り、都度送ってほしい旨をお願いした。
 それを資料として溜め込んでおき、帰郷したときにでも直接H寺に足を運び、住職に話を訊いてみようと考えていた。
 松方は了承し、それから度々、わたしに連絡をくれるようになった。

2


 【写真の撮影日 2022/1/4】

 新春を迎え皆々様の御多幸を
 御祈り申し上げますと共に
 本年も何卒宜しく御願い致します
 
 えっ まだワクチンで予防できるなんて信じてるの?
 そのワクチンを買った我々のお金
 どこに流れてるか知ってる?
 
 無知というのは本当に怖い

 もし私自身もネットで正しい情報を得られていなかったら
 テレビや新聞のマスゴミ洗脳にやられて
 遺伝子改造ワクチンを何発も打ち込まれていたのだろうと思うと
 恐ろしくて背筋が凍る思いです
 私は大事な家族に
 そんな禍々しいものは一本たりとも打たせない
 私は家族を守る
 大切な人たちを守り抜く


 陰謀論?
 そういうレッテル貼って口を封じたいだけでしょ?
 冷笑したければ好きにすればいい
 マスゴミの報道が正しいと思うならそう信じてればいい


 でも
 そこに真実なんてないっすよ


 もう忠告しましたからね
聞く耳を持たなかったのはあなた方だ
 後悔しても
それはあなた方の選択が招いたこと
 勝手にしなされ
 地獄に堕ちるのは自己責任

 
 (此の國の情けない現状を憂う住職より)


 【写真の撮影日 2022/3/19】


 1日に何食食べている?
 3食? それが2食になったらどう感じる?
 2食「しか」食べられない 
 たった2食「だけ」
 では週に3食の人が1日2食になったら
 どう感じる?
 2食「も」食べられる

 2食を「しか」「だけ」と感じるか
 「も」と感じるか
 それは置かれた環境によって異なる
 物欲主義に塗れた社会に埋没すれば
 人は幸せを見失う
 テレビは「もっと買え」「もっと欲しがれ」と
 物欲を煽る
 物で満たされることが幸せだという幻想を抱かせて
 人々を不幸に誘う
 この國の人々は本来
 もっと素朴で崇高な心を持っていた
 そこへ下卑た魂を持ち込んだのが
 戦後この國を支配したGHQ
 WGIPによって大和の心は骨抜きにされ

 スクリーン スポーツ セックスに毒されてしまった
 GHQのシナリオ通り
 この國は物欲の奴隷に成り下がった
 その事実から目をそらして 
 まだお花畑で呑気に堕落した日々をお過ごしですか?
 お過ごしですね
 餓鬼道まっしぐら

 地獄へ続くよ
 どこまでも

 (狂った社会で何とか正気を失うまいと必死な住職より)


【写真の撮影日 2022/5/28】

どうして一つの価値観に閉じ込めようとするのか
 日本人は
 もともと特別なオンリーワン
 だったんじゃないのか
 SMAPが歌ってたじゃないか
 多様性の時代じゃないのか

 御題目だけ唱えて
 中身は無し
 この國の現代人は
 皆空っぽだ
 どうして
 少数だからって我々の意見を封じ込めようとする

 碌に学ぼうともせず
 なぜ陰謀論の一言で済ませようとする
 理解してくれとは言わない
 せめて
 聞く耳を持て
 我々を無視するな

 (住職)


 松方はこの日、Kと直に話したという。
 彼は墓参りをしようと、昼過ぎにH寺を訪れた。
 帰宅してから、息子の靴が片方なくなっていることに気づいた。
 車にも落ちていなかった。
 そういえば、墓地から駐車場に戻る途中、息子が疲れたというので抱っこをしたのを思い出した。
 そのとき、片方の靴が脱げかけていた憶えがあった。
 松方は渋々ながら、H寺に戻って墓地を探した。
 それでも見つからない。
 靴は息子のお気に入りで、愛着がある。
 見つからなかったと伝えたときの、泣き叫ぶ顔が思い浮かぶ。
 仕方なしに、松方は本堂の脇にある母屋と思しき建物のインターホンを押した。
 「はい」といって出てきたのは、住職だった。
 マスクで顔を覆った松方と、髭面を晒した住職とが向き合った。
「何のご用でしょう?」
 そう訪ねられ、靴を探していることを伝えると、「ああ、靴ね。あれですか?」と脇に置いてあった段ボール箱を指差した。
 中には、たしかに息子のものである、黄色の子ども靴が入っていた。
「墓地を掃除していたら落ちていましてね。すぐいらっしゃってくれて、良かった」
 住職の口調は柔らかだった。
 その表情は、穏やかに見えた。
 今にも「ところで、マスクを外しませんか?」と訊かれそうで、松方はハラハラしていたそうだが、Kは「では」と一言残し、奥に引っ込んでいったそうだ。
 ほっとしながら、彼は玄関を出た。
 変に身構えていた自分を滑稽に思いつつ、帰路についた。


3


 Kの母親が亡くなったらしいことを、松方から聞かされた。
 彼自身も又聞きであるらしいが、死因はCOVID−19を発端とする重度の肺炎だったようだ。
 二〇二二年の夏、新型コロナは第七波と呼ばれる段階にあり、感染者数は過去最多を更新していた。
 そんな感染拡大の波に、Kの母親も飲み込まれてしまったのだろうか。
 母親はKの一家と同居しており、家族全員が罹患した。
 ウイルスを最初に持ち込んだのは、東京でノーマスク運動に参加した住職だった。
 Kは、老齢で持病持ちの母親がワクチンを摂取するのを絶対に許さなかった。
 そんな真偽不明の噂話が流れてきているらしい。
 他人の不幸に関して、好き勝手な話が広がっている状況はどうかと思うが、Kのこれまでの言動を振り返ると、致し方ない気もする。
 事実はどうであれ、ご尊母の命がコロナによって奪われたことには、冥福を祈る他ない。
 Kはいま、何を思い、感じているのだろう。
 世紀の茶番であるはずだった新型ウイルスに、生みの親を殺された。
 彼が信じてきた真実と、相反する事態になった。
 愛する家族を守ろうとする一心で訴え続けた真実が、皮肉にも、家族を失うことで虚実へと変わった。
 世界が、足下から崩れ落ちていく。
 Kは、その奈落へと吸い込まれていく。
 そんな様が思い浮かぶ。
 だが、松方から送られてきた写真には、その考えを一蹴する文言が並んでいた。
 
 【写真の撮影日 2022/7/30】
 下劣な噂を撒き散らす愚かな方々へ
 母はコロナで死んだのではありません
 ただ夏風邪をこじらせてしまっただけ
 PCRというペテンによって
 コロナ患者としてでっち上げられ
 感染者数とか死者数といった
 フェイク統計の嵩ましに使われただけ

 母は一所懸命に現世を全うしました
 その母を愚弄するような真似は
 断じて許しません

 (住職)


 ここにどれだけ、Kの本音が表れているのかは判らない。
 今更引き下がることもできず、意地を張っているだけなのかもしれない。
 ただ、一方で、わたしにはこれがKの本心であると確信している部分もあった。
 だとすれば、彼の認知というのは、修復不可能なほどに歪んでしまっている。
 彼が見ている世界が絶対であり、それと矛盾する事象が起これば、事実の方が彼の世界に適合するよう書き換えられてしまう。
 多寡の差はあれど、人は往々にして自分の見たいように物事を見るし、見てしまう。
 けれども、人は同時に理性や知識でもって、物事を俯瞰し、自身の認知を訂正する力も持っている。
 その両方のバランスが、個々の世界観を作り上げているとすれば、Kは明らかに後者を欠いている。
 歪んだ世界の形は、元の姿を忘れ、ねじれたまま凝り固まってしまった。
 
 「ワクチン怖い」みたいな感情は、どんなに科学的に説明されたところで解消されません。逆に理詰めで説明されることで、自分の気持ちが否定された気分になってしまい、より頑なになってしまうことも珍しくありません。
 陰謀論というのは、そういう理論では解消できない気持ちの問題に寄り添うという働きを果たすことがあります。


 これはロマン優光の著作『嘘みたいな本当の話はだいたい嘘』(コアマガジン刊)からの引用であるが、Kの心にも、「理論では解消できない」拠り所のない漠然とした不安があったのかもしれない。
 コロナ禍によって肥大したその不安は、彼が発見した“真実”によって撃退され、Kの心は(少なくとも彼にとっては)救われた。
 もちろん、わたしはそうした心理学的な分析をできるような専門知識を持ち合わせていないし、会ったこともないKの心情など正確に把握できるわけがない。
 ただ、陰謀論が理屈で解決できる問題ではなく、心の問題だというのは、非常に正鵠を射た見方だと思えるし、それはKにも当てはまる気がしている。

 その後も、松方からは掲示板の写真が送られてきた。
 ただ、その内容は、段々と違った様相を呈するようになる。

4


【写真の撮影日 2022/8/15】

 母はなぜ死にました?
 コロナのせいではありません
 では
 なぜ死んだのですか

 わたしのせいですか?
 わたしが悪いとでもいうのですか?
 徳を積んだわたしを責めるのですか?
 わたしはただ
 家族を不幸にしたくなかっただけなのに
 皆さんのことも
 救いたいと思っていただけなのに
 それがなぜ
 わたしの周りから人がいなくなっていくのですか

 どうして
 わたしは独りぼっちなのですか
 (住職)

 【写真の撮影日 2022/9/10】

 母の死はWアたしに死って何なのサってことを考えさせるさせた死なるものについて考えざるをエナくなった死ぬってどういうことだなぜ我々は生きていrう?どうして人間は生まれtあ何でなんでどうして人ゲんは生まれたなぜ生命なんてものが成立できたそれがどれだけ奇跡的な確率のことなのかお前しってるのかわかってンのか?なんで命なんてなかったのにそこにいノちなんてできたわけ百歩ゆずって生命体ができタとしてどうしてこんなめんどうくさい人間なんてものができあがった?ありえないありえnあいどうして何で母は死んダ?思考するってなんだ?考える考えるそれって何?どうして脂肪の塊が意志なんてものをもつことができたどうなってんだ神がいるのか神のせいか神ってなんだなにをかんがえている考えているのか神はそもそも考えるという考えをもっているのか言葉をもっているのかオレたちとおなジよUニああもうメンどくsえ

【写真の撮影日 2022/10/22】

 やはりネットは素晴らしい
 ネットには真実がある
 わたしの疑問に対する答えがちゃんとある
 おかげでわたしは解放された
 押し潰されそうなほどに肥大した疑念を払拭できた
 もう悩まなくて良いのだ

 この世の一切合切から
 わたしは真の意味で自由になった
 
 (住職)


 この画像データを受け取ってすぐ、松方から「電話していいか?」とメッセージが届いた。
 それまでは、「今日の内容も相変わらずやべえ」とか、「まじで理解に苦しむ」といった簡素な感想を送ってくるくらいで、電話で話したいとまでいわれたことはなかった。 
 何かあったのだろうかと、わたしは通話ボタンを押した。
 そこで彼が語ったのは、こういう話だった。
 
 ※※※
 
 出掛けたついでに、今日も「墓参りしとくか」ってH寺に寄ったんだよ。
 嫁さんには「また?」とか、文句いわれたけどさ。
 ……ああ、大丈夫大丈夫。
 ライターやってる友達の手伝いだってちゃんと伝えてあるし。
 それに、H寺の近くに果物屋があって、そこでスムージー買うのが恒例になっててさ。
 文句いいつつも、嫁さんは嫌がってるわけじゃないから。
 それで、いつもみたいにM家の墓を拝んで、駐車場に戻る途中で掲示板を確認した。
 嫁さんは、「はいはい、いつものね」みたいな感じで、とっとと車に戻っちゃって、俺は子どもといっしょに、張り紙を読んでた。
 それを写真に撮ってるときだよ。
 隣にいた子どもがさ、「ぼっさん、ぼっさん」っていいながら、俺の服の裾を引っ張ってきた。
 俺や妻が住職のことを「お坊さん」って教えていたら、子どもは「ぼっさん」と呼ぶようになったんだけど──。
 指差してるんだよ。
 「ぼっさん」っていいながら、墓の方を。
 でもさ、そこには誰もいなかった。
 そしたら、子どもが足にしがみついてきて。
 「どうした?」って聞いても、ただただ俺の腿に抱きついてるだけなんだよ。
 何だか怯えているみたいだったから、抱きかかえて、安心させようとした。
「大丈夫だよ。誰もいないだろ」
 そういい聞かせても全然だめで、締めつけるみたいにして、俺の体にくっついていた。
 車に戻ってもそんな調子で、嫁さんにくっついたまま、チャイルドシートに座ってくれなかった。
「何かあったの?」
 そう聞かれても、「いや、別に……」とかしか答えれなくてさ。
 どうにかして、子どもをチャイルドシートに座らせて、やっと車を出した。
 何だか気味が悪いなと思いながら、駐車場を出て、道路に入ろうとした。
 サイドミラーで後ろを確認した。
 そしたらさ、寺の門のところに、人が立ってた。
 柱から体半分を出す感じで、ぼーっとこっちを見てた。
 はっきりとは見えなかったけど、あれは、住職だったと思う。

 ※※※

 この日、松方から聞いたのはここまでだったが、この話にはまだ続きがある。
 後日、再び松方から電話で話したいと連絡があった。

 ※※※

 何かさ、昨日の晩、会社から帰ったら嫁さんが妙な話をし始めたんだ。
 嫁さんは仕事を終えると、そのまま保育園に子どもを迎えにいって、二人で歩いて帰宅するんだけえどさ、昨日も同じように二人で帰り道を歩いていた。
 そしたら、息子が突然足にしがみついてきたらしいんだ。
 「どうしたの?」って聞いても、ただ黙って、嫁さんの体に顔をぴったりくっつけて、全然離れなかったって。
 仕方ないから、無理矢理抱っこして、そのまま帰ったらしい。
 帰宅してから、ようやく息子は口を開くようになった。
 嫁さんは「何か怖いことでもあったの?」って聞いた。
 子どもはか細い声で、答えた。
「ぼっさん」
 すぐに何のことだか判らなかったらしいけど、しばらくして住職のことだと気づいた。
「お坊さんがいたの?」
 そう訪ねると、息子はしくしくと泣き始めた。
 ただ「ぼっさん」とつぶやくだけで、具体的なことは全然教えてくれない。
 だから、それ以上詮索するのは止めたそうだ。
 それで……帰宅するなりその話を聞かされて、そういえばこの前H寺に寄ったときも、息子が同じように怯えて掴まってきたんだって、嫁さんに話した。
「私達が普段、あの人の話をするときの、厭そうな感じが伝わってるのかも。それで、Kさんは怖い人だって思っちゃってるんじゃないのかな」
 嫁さんはそういったが、だったら、どうして保育園の帰り道に「ぼっさん」と呟いて、怖がりだすのか判らない。
 そう返すと、
「似ている人が近くにいたんじゃない? それか、突然思い出しちゃったとか」
 俺は、まあそかもね、くらいの返事をして、話はそれで終わった。
 その後──俺がリビングでくつろいでいるときだった。
 深夜から豪雨になるっていう予報があったから、雨戸を閉めようと嫁さんがベランダに面してる窓を開けた。
 そのまま、ピタッと動かなくなった。
 全然雨戸を閉めようとしないから、変だなと思って「どうした?」と声をかけた。
「……見て」
 振り返った嫁さんの目は、どこか怯えていた。
 俺は彼女の横に立って、外を見た。
 俺達の住む部屋はアパートの二階で、ベランダから建物の前を走る二車線の道路を見下ろせる。
 そこに、街灯が照らす中に、誰かが立っていた。
 ぴくりとも動かず、ただ、そこに直立していた。
 Kだった。
 この前と同じように、ぼーっとこちらを見上げて突っ立っていた。
 時間は十時を過ぎていた。
 どうしてあいつはこんな夜中に、あんなところに立って、しかも、こっちを見てる?
 俺はいったい、何に見られているんだろうと思った。
 わけが判らなくなって、咄嗟にシャッターを勢いよく下ろした。
 それ以上、何もできなかった。
 嫁さんは、あいつのところにいって、本当にKなのか確かめてほしかったみたいだけど、俺にはできなかった。
 情けないけど、何ていうか、まあぶっちゃけ、びびってたんだよ。
 あいつに関わりたくないと思った。
 その晩は、全然寝つけなかった。
 もし、コンコンとノックの音がしたら。
 あいつが玄関の前に立っているとしたら。
 インターフォンの呼び鈴が鳴ったら──。
 気づくと、雨がザーザー降りになっていた。
 俺は、ずぶ濡れになっても棒立ちのまま、街灯の下で立ち尽くすKの姿を頭から振り払うことができずに、朝がくるのを待っていた。
 翌朝、雨は止んでいた。
 意を決してシャッターを開けたら、もうその場所に住職は立っていなかった。

 ※※※
 
 この話を聞いたのが、十一月一日のこと。
 その翌日から、松方は連日、掲示板の写真を送ってくるようになった。

【写真の撮影日 2022/11/2】
 人間の意識は脳のなかにあって
 脳から生み出されていると
 あなたは考えている
 それは正しい理解ではなく
 脳は意識を閉じ込めておく器にすぎない
 本来意識というのは
 概念としての霊体の別称であり
 霊体はすなわち

 我々の本体であり本質である
 霊体として力を得るため
 我々は人間という形で生まれ
 脳という器において霊体を育んでいる
 だが霊体が一定の力を得れば
 肉体は枷となり
 骨は檻となる
 それでは霊体としての価値が消え失せる
 人は脳に縛られている限り

 五感でしか世界を認識しえない
 五感で捉えられる世界など 
 ごく瑣末な部分だけであり
 ありのままの世界を体験することは不可能となる
 人間はいつからか
 霊体としての本分を忘れ
 肉体のなかで力を使い果たすことを
 あたかもそれが自身の宿命であると
 勘違いするようになった


【写真の撮影日 2022/11/3】
 それはあまりにも憐れで
 情けなく
 愚かであると断じなくてはならない
 だから私は
 あなたを解放したい
 肉体から自由となり

 全く正しい形で世界を感じてほしい
 それは決して難しくはない
 ただ刹那的な肉体的苦痛と
 精神的苦難を
 噛み殺せば良いだけである
 まず耳をちぎり
 その肉片を詰め込んで耳道を塞ぐ

 それから鼻を砕き
 舌を噛みちぎる
 性器を焼く
 指先の肉を剥いで骨を露にする
 その先で両目を突け
 そうすればあなたの五感は死に絶える
 五感が死ぬということは
 霊体を縛るものがなくなる
 これであなたは救われる
 霊体へ回帰するだろう


 【写真の撮影日 2022/11/4】
 まだ
 あなたを縛りつけているものがある
 それは言葉
 言語だ
 それはあなたをこの世界の法則に従わせるための呪い
 言葉を使って思考し
 言葉を使って表現する限り

 その呪いから逃れる術はない
 それは私とて同じこと
 だが私は
 その呪いを断つ方法を知っている
 それをやってしまえば
 もうあなたと交信する術はない
 私が完全に解放され
 真の意味での霊体に至れば
 それはこの世界からの離脱を意味する
 だから
 これが私に与えられた最後の機会となろう
 この閉じられた世界から解放されたければ
 わたしの手を取れ

 ──以下判別不可のため省略──
 
 これらKの文章は、支離滅裂が過ぎる。
 常軌を逸していることは明白で、もはや陰謀論云々のレベルの話ではない。
 メンタルに疾患を抱えているのではと疑ってしまう。
 そうだとすれば、もはや取材をすること自体難しいかもしれない。 
 ただ──わたしが気になっていたのはそんなKの精神状態よりも、松方のことだった。
 彼が写真を送ってくるペースが、明らかにおかしい。
 以前は半年に一回の墓参りのついでに撮影していたことを考えると、八月以降の頻度は異様に感じられる。
 十一月二日から四日までの期間にいたっては毎日、しかも日中の三時や四時頃に写真が送られてきた。
 ふつうに考えれば、間違いなく勤務中である。
 休憩時間にでも会社を抜けて撮影していた、という推察もできるが、しかし、松方の職場は●●市ではなく、そこから電車で四〇分ほども離れた▲▲市だったはずだ。
 とても昼食の時間にいって帰ってこられるような距離ではない。
 あるいは、仕事を休んでH寺を訪れていた可能性も絶対ないとはいえないだろう。
 だが、どうしてそんなことをしてまで、H寺に向かう必要がある?
 不可解なのは、それだけではない。
 松方が写真を送ってくる際は、いつも必ずメッセージも添えられていた。
 張り紙の内容の所感だとか、世間話の類いとか、内容はばらばらだが、とにかく何かしらの言葉が写真に添えられていた。
 ところが、三日連続で送られてきた写真は、ただそれだけであった。
 メッセージは何もなく、ただ画像データだけがぽつんと送信されてきた。
 わたしが言葉を投げかけても、松方から返信がくることはなくなった。
 既読はつくが、それ以上の反応がない。
 電話にも出ない。
 そんな状態が、一ヵ月、二ヵ月と続いた。
 うまくいい表せない厭な予感を覚えながら、二〇二二年は暮れていった。

5


 年が明けた一月。
 帰郷したわたしは、松方の安否を確認せねばと、彼の自宅アパートを訪ねた。
 以前聞いていた住所の建物にいってみたが、彼が住んでいるはずの二〇二号室の郵便受けはテープで塞がれていた。
 それはつまり、松方とその家族は、もうここには住んでいないことを指す。
 ネットの賃貸サイトで調べてみると、たしかにこの部屋は空き部屋となっていた。
 管理会社へ連絡し、二〇二号室に住んでいた家族はどうしたのかと尋ねた。
 担当者によれば、十一月の中頃、松方の両親から本人と連絡が取れないため、アパートの部屋を解錠してほしいと依頼があった。
 室内を確認したところ、特段異常はなく、事件性を感じさせる形跡もない。
 ただ、一家の姿だけが、忽然と消えていた。
 駐車場には車も残されており、玄関には靴が家族三人分、きっちりと揃っていた。
 神隠しにあったかのように、松方達は影も形もなく消えてしまった。
 その事実に慄然としながら、わたしは彼の実家を訪ねることにした。
 思いの外、子どもの頃の記憶は鮮明で、その所在地をはっきりと憶えていた。
 十数年ぶりに訪れた彼の実家は、昔の姿のままだった。
 垣根に囲われた、和洋折衷の古民家。
 松方の両親はわたしのことを憶えていてくれ、突然の来訪にもかかわらず快く迎え入れてくれた。
 だが、ある日突然、息子一家が行方をくらますというショックは、埒外にいる者には想像もできないほど大きいのだろう。
 心労がたたってか、二人の表情はどこか暗く、顔色も悪かった。
「本当に突然のことで、宙ぶらりんにされているというか、何だかずっと浮いているみたいな気持ちでね」
 この現状を、母親は受け止め切れていない様子だった。
「最後のメッセージのやり取りでも、別に変わったところはなかったし。それがどうして……」
 あまり詮索するのも躊躇われたが、松方が何かトラブルを抱えていたとか、そういう心当たりがないかと尋ねた。
「どうだろうね。悩みがあったような感じはしなかったけど。でも、本当のところは判らないわね。実の子であっても、知らないことはたくさんあるわけだし、別々に暮らすようになって、もう長いから」
 そうやって胸中を淡々と吐き出す母親の傍らで、父親は呆けたように何も話さず、黙ってテーブルを見つめていた。
「あのアパートは、もう解約されたようですが」とわたしが聞くと、「そうなの」といって、母親はこう続けた。
「向こうのご両親と相談して、とりあえずアパートは引き払うことになって。荷物は両家でそれぞれ引き取ることにしたの。こちらが預かった分は、全部あの子の部屋に保存してあるんだけど、急いで詰め込んだもんだから、ゴミ屋敷みたいになっちゃって」
 彼女はそう語りながら、仄かに笑った。
 松方が残したもの──。
 わたしはその部屋にある荷物を、見せてもらうことはできないか尋ねた。
 母親は少し面食らった様子だったが、「ええ、どうぞ見ていって」といい、二階の部屋へとわたしを連れていった。
 中はゴミ屋敷と呼ぶほど酷い有様ではなかったが、たしかに足の踏み場もないくらい物で溢れていた。
 テレビや衣装ケース、ダイニングテーブルに椅子、冷蔵庫、幼児向けの室内すべり台、そして段ボールの山に次ぐ山──。
 ここに、松方の失踪に関わる何かが隠れているかもしれない。
 いや──はっきりといってしまえば、H寺につながる何かが残されているかもしれない。
 わたしはそう考えていた。
「少しの間、ここを調べさせてもらっても構いませんか?」
 母親は「どうして?」とは問わず、「ええ、自由に見てもらって結構ですよ」とだけ答え、部屋から出ていった。
 わたしは目についた段ボールから順に、中身を確かめることにした。
 一箱目は書類、二箱目は食器類、三箱目は本と子どもの玩具、四箱目はまた書類……どれもこれも、松方の生活の一部で、ありふれたものばかりだ。
 最後の段ボール箱を開け、ここには期待していたものなどないと判った。
 そもそも、自分は何を期待していたのだろう。
 H寺で掲示板を観察するようになってから、松方に異変が起こった。
 そして、彼ら一家が失踪した。
 これら二つの点を結べば、松方がいなくなったのはH寺に原因があると感じてしまう。
 しかし、それはあまりにも短絡的で、恣意的な考察ではないか。
 当たり前だが、松方がいなくなる数ヵ月前のことについて、わたしが知っているのはごく僅かな断片に過ぎない。
 それも、H寺に関わる偏った情報に集中している。
 H寺を訪れた時点から、失踪した時点までの間には、他にも無数の出来事が散在している。
 それらを除外して、二つの点を直線で結ぶというのは、松方がいなくなったのはH寺のせいだという思い込みを強化するための、認識的な操作でしかない。
 馬鹿げた探偵ごっこはもう止そう。
 自嘲的な気分になりながら、わたしは部屋を後にした。
 そのまま、両親に礼を述べて、失礼しようと思った。
 階段を下りて、右手にあるリビングに戻ると、さっきまでそこにいた両親の姿がない。
 背後に気配を感じて振り返ると、廊下を挟んで向かい側にある部屋の襖が少し開いていた。
 隙間から、母親と父親の姿がのぞいている。
 驚かさないよう静かに襖を開けて、
「長々と居座ってしまってすみません。もう失礼しますので」
 と声を掛けながら、中に踏み入った。
 二人は、ぼーっと立って、何かを見つめている。
 その視線を追うと、

 人間の意識は脳のなかにあって
 脳から生み出されていると
 あなた方は考えている
 それは正しい理解ではなく


 ぎっしりと文字が詰まった張り紙が、壁一面に広がっていた。
  
 それはあまりにも憐れで
 情けなく
 愚かであると断じなくてはならない
 だから私は
 あなた方を解放したい


 唖然として何もいえないわたしに、母親は
「こんな紙切れでもね、何だか捨てられなくて」
 といって壁から一枚を剥がし、こちらへ差し出してきた。
「ほら、これ、持って帰って。あの子も喜ぶと思うから」
 返事をすることも、拒絶することもできず、わたしはただ黙って、それを受け取ろうとした。
 用紙を受け取った右手が、ガタガタと震えていた。
 「ほら、こっちも」と、彼女は次々と紙を壁から剥がしては、押し付けてくる。
 思わず取りこぼしてしまい、畳に紙が散らばった。
「あーあ、何してんの」
 母親はしゃがんで用紙を一枚一枚、丁寧に拾っていった。
「ダメじゃない。ほら」
 
 まだ
 あなたを縛りつけているものがある
 それは言葉
 言語だ

 
 住職の言葉が、目の前に迫ってきた。
 その向こうで、松方の母が目をギラギラとさせて微笑んでいる。
 堪らなくなり、わたしは消え入りそうな声で「失礼します」とだけいって、部屋を出てしまった。
 小走りに玄関へと向かい、足がきちんと靴に収まらないうちに、飛び出すようにして外へと出た。
 頭の中は真っ白だった。
 とにかくあの家から離れなければという、本能の要求に突き動かされ、走り始めた。
 背後に、二人の視線を感じる。
 わたしは振り返らなかった。
 生垣から松方の両親が顔をのぞかせて、ぼーっとこちらに視線を送っている。
 そんな現実に向き合うのが恐ろしくて、決して振り返らず、走り続けた。

6


 松方の実家から逃げ出した翌日、わたしはH寺に向かうことにした。
 あの直後、もうこの件に首を突っ込むのは止めようと思っていた。
 だが、もし仮に、松方がいなくなったのが住職Kに原因があるのだとすれば、彼を消してしまったのは間接的にわたしだということになる。
 いや、松方だけではない。
 彼の家族だって巻き込んでしまったのかもしれない。
 ふと、そんな馬鹿げたことがあるかと、すべてを笑い飛ばしてしまいたくなる。
 仕事でオカルトを扱っているとはいえ、自分は決して心からのビリーバーではない。
 あくまで外側に立って、オカルトを楽しみ、仕事の題材としているに過ぎない。
 今回のことも、論理的な解釈はいくらでもできる。
 松方一家は、何かのトラブルか事件に巻き込まれ、行方を眩ます他なかった。
 両親が張り紙を飾っていたのは、精神的ショックによる異常行動だと考えれば、別に不思議ではない。
 アパートの近隣に現れた住職の姿も、見間違いの一言で片付けられる。
 そうやって理性的に考えようとすればするほど、昨日、松方の実家で感じたえも言われぬ不気味さが頭をもたげてきた。
 心に何か黒くてべっとりしたものを塗りたくられるような、そんな気持ちが去来する。
 このままでは、その不穏さに押し潰されてしまう。
 この不安を取り除くには、自分の目で、これは超常現象などではないと、確かめるしかない。
 だから、わたしはようやくH寺に足を運んだ。
 探していた掲示板はすぐに見つかった。
 正門を抜けて少し進むと、左手にそれは現れた。
 公民館、学校、商業施設、そういった場所でどこでも目にすることができる、ありふれた掲示板だった。
 正面に立つと、松方から聞いていた通り、右下に張り紙があった。
 が、そこには何も書かれていない。
 文章は印字されておらず、何か漠然としたイメージをプリントしたものであった。
 何かの模様だろうか。
 うねうねとした曲線が無数に交わり、意味のない形をいくつも作り出している。


 どうして、こんなものがここに張ってあるのだろう。 
 そこに込められた意図を読み取ろうとするが、一向につかめない。
 それでも、じっと見つめ続けていると、一瞬、何かが見えた気がした。
 これは──。
 そのとき、背後から声がした。
「何をされているんです?」
 振り返ると、眼鏡をかけた中年の男が立っていた。
 歳は五〇前後だろうか。
「そこで、何をされているのです?」
 同じ質問を重ねてくる。
 わたしはここの住職を尋ねてきた旨を伝えつつ、この張り紙が気になり、見入ってしまっていたと答えた。
「あなたが張ったものではないのですね?」
 男は、少し強い口調でそう問うてきた。
 何か誤解されているのではないかと思い、名刺を差し出しつつ、東京でライターをしている者だと説明した。
 すると男の表情はふいに弛緩し、詫びを口にした。
「問いつめるような真似をして申し訳ない。その絵ね、悪戯なんですよ」
 彼はそういって、張り紙を指差した。
「剥がしても剥がしても、止めてくれなくて。いっそ、監視カメラでもつけようかなと思ってるくらいでして」
 そういう状況なので、掲示板の前で不審な行動をとるわたしが、怪しく見えたのだという。
「疑ってしまってすみませんね」男はそういいながら、掲示板にさっと近づいて、張り紙を剥がした。
 そこに、また別の張り紙が現れた。
 悪戯の紙は、掲示板を覆うカバーガラスに張られたものだった。
 それをめくったことで、内側の板に掲示されていたものが、露になったのだ。
 わたしは、その張り紙を読んだ。
 
 二〇二二年秋頃より、前住職の名を語った何者かが
 許可なく書面を掲出する悪戯が頻発しています。
 故人を弄ぶような行為は誠に遺憾であり
 今後も悪質な行為が続けられた場合
 法的措置も検討します。
 
 なお、そうした迷惑行為を目撃した方は
 当寺院までご連絡ください。

 連絡先 ●●●-▲▲▲▲-■■■■


 故人。
 ここにはKが故人だと書かれている。
 Kが死人であると伝えている。
 わたしがじっと固まっていると、男が訊いた。
「もしかして、Kさんのお知り合いですか?」
「いえ、そうではないんですが……」言い淀むわたしに、男は少し間を置いてから、
「ご存知ないかもしれませんが、住職は昨年の一〇月に逝去されました」
 わたしは「どうして?」と問うた。
「それは、自分の口からは……」少し間を置いてから、こう続けた。
「とにかく、住職は亡くなられ、家族の皆さんはもうここにはいらっしゃらない。いまは一時的にですが、自分が代理を務めて、檀家の皆様の法要を執り行っています」

 ※※※

【タイトル】
怪死! 反ワクチン/コロナ陰謀論を訴え続けた住職の末路

【本文】
 静岡県は●●市の寺院で、昨年一〇月末、一人の僧侶が遺体となって発見された。H寺の住職である▲▲和尚。享年四九。二〇代で父親の後を継ぎ、長年に亘って地域社会にも貢献してきた一角の人物の最後は、惨たらしいものだった。▲▲の両方の目玉は、本来あるべきところに収まってはおらず、骨が露出した指先の先端に、串刺しになった状態で見つかった。両耳は刃物で切り落とされており、辺りには相当量の血液が飛び散っていた。その血の海の中に、千切れた僧侶の舌が転がっていたという話である。
 この惨状の第一発見者は、近所に住む中年女性Aさんだった。彼女は今でも、あの光景が頭から離れず、精神科に通う日々だという。筆者が話を訊いたのは、Aさんの知人であるB氏で、彼もまたH寺の近隣に住んでいた。悲鳴をあげてH寺から飛び出したAさんに出くわし、B氏もまた本堂の中で絶命した▲▲を目撃する。一一〇番をしたのは彼だった。
 B氏は当初、▲▲は何者かに殺害されたのだと直感的に思った。凄惨な現場を考えれば、当然だろう。だが、本件は殺人で立件されることなく、自殺として処理される。というのも、現場に確固たる自害の証拠が残されていたためだった。
 ひとつは遺書。もうひとつは、▲▲本人のスマートフォンに残された動画データであった。そこに映されているものを確認するまでには至っていないが、その動画が自殺の決定的証拠となったことは、警察関係者からの証言も得られているので、間違いないだろう。つまり、▲▲は自死するまでの一部始終を、スマートフォンのカメラで撮影しながら、息絶えたと推測ができる。
 一体、ここまで▲▲を追いつめ、惨たらしく自害させたものは何だったのか。筆者が取材したところによれば、死亡当時、氏は家族と別居状態にあり、孤独な生活を送っていたという。妻は一人娘を連れ出し、▲▲の元から出ていってしまったというのだ。▲▲一家がこのような離散状態に至ったのには、二〇二〇年のパンデミック以降、▲▲の言動が著しく陰謀論的なものへ傾倒したという背景がある。翌年夏頃から、▲▲は檀家を訪れては、マスクを外すよう言い回っていたという証言があり──
(以下略)

 ※※※

 上記は、わたしがウェブメディアに寄稿した記事の冒頭である。
 内容はKの悲惨な末路と、その背景となる彼の陰謀論者としての姿を浮き彫りにしたものだ。
 松方から提供してもらった掲示板の写真も数点、添付して送った。
 が、一方で、松方とその家族に起こった出来事には原稿で一切触れなかった。
 触れたくなかったというのが、正直なところか。
 この原稿を受け取ったN社の知人とは、掲載について合意が取れていた。
 しかし、結局、その話は流れてしまった。
 知人が行方不明となってしまったからである。
 もう一人、別のメディアに務める知人にも送ってみたが、やはり途中で返事が途絶えた。
 確認してみると、彼も消息を絶っていた。
 この原稿が、日の目を見ることは遂になかった。

 Kと松方にまつわる話は、これで終わりである。
 この時点で、もう関わるまいと決めた。
 もちろん、何も解決したわけではない。
 あれから一年半が経過した現在も、松方達は行方不明のままである。
 同級生からの連絡で、彼の両親も自宅からいなくなってしまったらしと聞かされたが、その真偽を確かめるつもりもない。
 Kが死亡したのが一〇月であるならば、十一月に張り出された紙の文章は、誰が書いたものなのか。
 松方のアパートを外から見つめていたのは、本当にKだったのか。
 その答えなど、知る由もないし、知りたいとも思わなくなった。
 
 H寺を訪れた際、意味不明なイメージがプリントされた紙を、代理の住職は悪戯だといっていた。
 正直にいえば、わたしにはそこに見えたものがある。
 一見、何の形も成していない曲線のなかに、現れたもの。
 松方の顔。
 ひどく歪んでおり、見る人によって解釈が異なるに違いないが、わたしにとって、そこに浮かんでいたのは松方の顔以外の何ものでもなかった。
 それは、はっきりと笑っていた。
 どんな状況であれ、笑顔でいられるのだから、きっと彼は幸せなのだろうと思った。
 あのイメージはきっと、向こう側の──。
 いや、止めておこう。
 この文章を本創作大賞に投稿したのは、こんなわたしの独りよがりな解釈をひけらかすためではない。
 実はわたしは、言葉を失いつつある。
 文章を読む限り、あなた方にこちらの緊迫さはきっと伝わっていないだろう。
 だがしかし、わたしの語彙は急速に、ひとつひとつ確実に失われている。
 こうして、主語と述語を結ぶだけでも、大いに苦労している。
 だから、わたしのなかの言語が消えてしまう前に、どうにかして、皆さんと共有したいとおもた。
 Kから、松方から、流れてきたもんを。
 ここでなら、この創作大賞であれば、きっと誰かしらのメには触れるだろと期待ちた。
 たぶんじかんナい。
 さいなら
 ああこれがケーのいうねっとすっげえ
 しんじ2〜ちんじツ
 Cオフヴェ ノ ズ
 っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっs

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