「大人たちは、純粋じゃなかった子供時代を忘れている。」について
こんにちは。今までnoteは小ネタを書いてたけど、他の人はもっとちゃんとnoteに長文を書いているので、私も長文を書いた方が良いのではないかというプレッシャーを勝手に受けている。でも、こちらで長文を書くと私の自分のサイトに書くネタが無くなるので、どん詰まりである。
そこで考えたのですが、私の自分のサイトの昔の過去記事に対して、現在の私の視点・考えで補足するのはどうかと考えてみました。
そうすれば、コンテンツは被らないし、ネタを考えるのにも困らないし、私は天才かな?まあ、そういうことを2019年最後の記事で始めるのもタイミング悪いと思うけど。小さなことは気にするなよ。
私のサイトで、現在公開している一番古い記事は
ですね。日付見たら、この記事2008年に書いてるんですね。凄い。10年以上前だ。この記事は、私の幼少期の「なぜ大人たちはテレビに出てる子役たちの『わざと子供らしい声を出している』に気づかず、このムカつく猫なで声を自然な声だと思っているのか?」という怒りの思い出を元に書きました。
そして実際に幼稚園時代も小学生時代も私は人間関係でとても苦労しました。私はただ静かに生きていきたいだけなのに。
幼稚園の頃の思い出と言えばDくんですね。Dくんは幼稚園のなかでのキャラクターと、Dくんの母親に見せるキャラクターが異なっていました。
正直私は幼少の頃、母親の前で見せる性格も、幼稚園での性格も変えていなかったので、「すごい。Dくんが幼稚園でのキャラクターとDくんの母親の前で見せるキャラクターが違う……!!」という結構な衝撃を受けました。
ただ、大人になるとその環境に応じて自分のペルソナを変えるというのは社会に関わる手段として当たり前の行動なので、今思うと当たり前……なの?でも、幼稚園だよ?幼稚園児からもうすでにペルソナをつけかえるの?早くない?
それとも皆さんも幼稚園の頃から当たり前にペルソナをつけかえていたんだろうか。私の社会性の無さは幼稚園から始まっていたんだろうか。
あとは、小学一年生の頃に驚いたのは「ケンカになった時に人を殴るのに一切の躊躇を見せない同級生がそこそこな数いる」ということですね。
私は幼少期、当然親に怒られることはあったのですが、親に殴られたことはありませんでした。なので、昔から「人を殴る」もしくは「人に殴られる」ということに抵抗があるのですが、「人を殴るのに躊躇しない子たち」は多分、親に怒られたら当たり前に親に殴られてたんだろうな、と小学一年生ながら思いました。正直「野蛮だ」と思いました。
そりゃ幼少期から色々苦労するよね。
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