見出し画像

【中年の健康】眼内コンタクトレンズ(ICL)を検討した経緯

私は、身体が弱い。幼少の頃、雨の日は景色が見えづらいと思っていた。単に近眼だった。小学校1年生の時から、視力検査は再検査でした。

今回、眼内コンタクトレンズ(ICL)、(別名:「有水晶体眼内レンズ」、「フェイキックIOL」、「永久コンタクトレンズ」)を検討した経緯は、次の3点です。

1.メガネ・コンタクト代が年間10万円以上

2.ホノルルマラソンに出場する

3.レーシック後の視力が悪くなる

学校の座席は前の方、小学生高学年からはメガネをかけていた。滝廉太郎などと呼ばれた記憶もある。今とは違い、メガネは高額だった。レンズも度数に比例して価格が上がる仕組みのメガネ屋が一般的でした。親には視力矯正の器具やメガネ代など負担をかけました。

大学生になり、アルバイトなどで稼いだお金でコンタクトレンズを買い、メガネと併用した。

社会人になるとパソコン仕事でドライアイになった。ドライアイ対策として、レンズが小さい特殊なハードタイプのコンタクトを使っていたが、結構高かった。メガネを度数が高かったので、年間10万円ほどの費用が眼にかかっていました。レーシック手術を知ったのもその頃でした。

また、社会人になって始めたマラソンや水泳もレーシック手術を後押しした要因でした。決定的なのは、ホノルルマラソン出場です。コンタクトレンズはメンテナンスが面倒。飛行機や水が心配な海外ではなおさらです。

当時、レーシックは、片目30万円。両目50万円ほどが相場でしたが、5年で元が取れるなら安いと計算し手術に踏み切りました。ただし、リスクもありました。それはレーシック後10年、20年先のことが分からないことでした。また、ひどい近眼のため、削る角膜が多いため、2回目のレーシック手術はできないと言われました。失明しても後悔しないと判断して、手術を決行。結果は大成功で両目1.5に回復しました。

ただし、術後5年、10年経つと徐々に視力が下がりました。前回の運転免許証更新は、クリアしましたが、駅の「発車標」と呼ばれる列車の発車時刻などの情報を示す電光掲示板が見えにくい、会社のプロジェクター投影画面が見えにくいなど不便を感じるようになりました。

今回のコロナ禍で眼科に通院する時間が取れること、在宅勤務が主なため、術後お風呂に入れなくても仕事が続けられること、など好条件が揃い眼科に相談に行きました。

「役にたった」「面白かった」など、何かしら価値を感じていただけたら、 「気に入ったらサポート」ボタンをクリックして、投げ銭していただけると幸いです。 投げ銭していただいた資金は、障害児、難病児のための「一般財団法人」設立のための準備費用に使わさせていただきます。