20200926

実家にある荷物の整理をしていた。奥の方にしまい込んでいた日記を燃やした。

小学校2年生の時に読んだ「ハリーポッターと秘密の部屋」で、日記というものの概念を知って以来、今日に至るまでずっと日記を書き続けている。そろそろ20年目を迎えるということになる。

当時7歳だった私が日記を書いてみようと思い、手に取ったノートは、数ヶ月前にフィリピンで購入した飛行機の柄のノートだった。

「どうしてお父さんは私のことがきらいなんだろう」

問いから始まる自分の日記。
「私」って漢字書けたんだ。
当時から、この問いを抱いてたんだ。

まわりの女の子たちがピアノのお稽古に行きたくないと言っていて、とても腹が立ったこと。やりたくてもできない人が、私みたいに居るかもしれないから、私はやりたくなくても英会話もテニスも勉強も全部頑張る、という決意表明。結果として、英会話は最優秀の成績を修めたこと。それを両親に褒めてもらえるかと思ったら、テニスは優勝できなかったのだからクズだと言われて腹が立ったこと。勉強は100点とれて当然でしょう、と言われて、98点で喜んでいた自分が恥ずかしくなったこと。

腹が立つとか、恥ずかしいとか、ものすごくちゃんと感情があった。生々しい。

3年生の日記には、死ぬことへの恐怖が綴られていた。
「死んでしまったら、こうしてえんぴつを持ってなにかを書くこともできなくなる」
「だから、いつ死んでもいいように毎日ちゃんとしよう」
なるほど、アレックス・シアラー氏の「青空のむこう」を読んだのは3年生のときだったか。


なんて、東京にいた8年分を覗いた12年分の日記をぱらぱらと流し読みして。私は今、ものすごく頭の中がぐるんぐるんしている。

Y
A.過去12年分の日記を読んだ。

W
A1.私は守破離のうち、ずっと守を徹底してきたし、破や離はしてはいけないことだと認識してきていた
A2.親は親なのだから、私よりも常に様々な側面において優秀である(ので、私は常に劣っている)と認識してきていた

T
A1.A2.優劣ではなく、私や両親はどういう人間であるか、整理する

M
*徒に誰か(それは自分を含めて)を評価することを防ぐことに繋がる



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