20200430
「進路希望なんて…
何もわからないし、まだ決められないよ…」
こういう気持ちを抱くような学生時代に、
なんとなく覚えがある人も多いのではないだろうか。
最近どうにも、
身の回りに「わからない」ことを理由に
動かないオトナが多くて、
もやもやしたので書き出してみる。
***
もし、これを読んでいるあなたが
今まさに学生で、
「進路希望を出しなさい!」
と迫られて居るならば。
まず言いたい。
あなたは今、
「何もわからないよ…」
という状態でもいいと思う。
本来、進路希望を出す、ということは、
あなたの人生における正解を見つけ、
宣言する作業ではない。
進学先を決める。
学部を決める。
ゼミを決める。
就職先を決める。
そういうわかりやすいものが、
なんとなくわかりやすく迫ってくる。
けれどもこれらは、
「あなたがどんなあなたで居たいのか」を
形作る具体的な問の一例でしかない。
そしてきっと、
「あなたがどんなあなたで居たいのか」
という問いに対する答えは、
日々の中で移ろいゆくものだと思う。
様々な出会いのなかで、
様々な考え方に触れて。
そうしてあなたの価値観は日々色を変える。
だから、1つの正解を見つける、
なんてことはできない。
進路希望を決める、というのは、
そのために数ある選択肢を知り、
「あなたがどんなあなたで居たいのか」
を考えるための材料を増やす作業だ。
***
材料を増やすため、ならば、
わざわざ「決める」必要があるのだろうか。
必要か?と問われると、
「必須ではないが、した方が良い」
というのが私の考えだ。
例え話をする。
人生は旅だとよく言われる。
行先を決めず、心の赴くままに歩く旅は、
私自身とても好きだ。
でもその長旅の途中、
どうしても行きたい行先ができたとする。
そこに行こうとするためにすることは、
こんな感じだろうか。
①地図を広げる。
②現在地を見つける。
③目的地を見つける。
④道順や交通手段を決める。
⑤交通費や時間など、実現可能性を確認する。
⑥出発!
今どきは便利なGoogle先生が
これらをさらっとやってくれるので、
より心の赴くままに歩く旅が捗る…
というのは事実なのだけれども。
人生において、
これらはそんなにさらっとできない。
…思った以上に長くなりそう。
明日以降に続きを書きます。
noteに目を通していただき、ありがとうございます。皆さまからいただいたサポートは、私の心身の療養に充てさせていただきます。またnoteを通して日々還元していけるよう、生きます。