今の日本の「親父」に必要なものとは?

「親父みたいにはなりたくない!」

そういう息子は多いようだ。それぞれ色んな理由があるが。現に僕自身もそう思うことはしょっちゅうある。

これは、息子から見た知見を基に提示していく。

しかし、そいつが子どもを持った時おそらく、子どもから「親父みたいにはなりたくない!」とか思われる。

この連続性の遺伝。では、まずなぜ息子たちは親父みたいにはなりたくないと思うのだろうか。

僕が考えた仮説はこうだ。

①関わる時間の少なさ

②子どもとの接し方が分からない

まず①は容易に想像がつくだろう。平日は仕事をして、帰って来たら「仕事疲れた」といって、お風呂に入りソファにぐったり。

休みの日は、「平日頑張ってんだから土日くらいゆっくりさせろ。」

口から出る言葉は「俺は仕事を頑張っている」

子どもから見たら「家でぐったりしながら、自己満足に浸っている人」という認識になってしまう。

その反面、母親とは一緒にいる時間が長いので、必然的に相互理解が進んでいく。

父親からすればよくは思わないだろう。

仕事をして家庭を支えているのは自分なのに、なんでお母さんと子どもばっか仲良くしてるんだよ。

そんな不満も生まれてくる。当然だと分かっていても、満足いかない。

関わる量では圧倒的に、母親に負ける。

僕が提示するのは、「関わる質」である。言い換えると、関わりながら子どもとの間に「信頼関係」を作る。

ちゃんとコミュニケーションを取らずに、どうやって信頼関係を築けるのか。

「お父さんは仕事を頑張ってるんだぞ!!」と荒立てる人もいるが、絶対におかしい。職場と家は全く違う。

会社でいくら頑張っていようと、子どもが認識できるのは家にいる時だけである。

仕事で頑張っているからといって、家でのコミュニケーションを怠っていては、信頼関係を築くのは不可能だろう。

では、信頼関係とはどのように構築するのだろうか。ここでいう信頼とは、ビジネスで使われるそれとは違うものであると定義しよう。

子どもにひたすら優しくするのか、もしくは子どものことを想って叱るのか。

間違いではないと思うが、親が子どもにひたすら優しい家庭で育った子どもは、「何もしなくても、何でもある状態」が常時なので、「努力」をすることが困難になる。

逆に、ひたすら叱られたら、それこそ信頼を失う。

僕は、親と子どもは、上や下とか、養う人と養われる人とかではなく、「イーブン」である必要があると感じている。

そこに利害関係はなく、あくまでお互い相手を「人」として見ること。親だから、子どもだからといって、自分の価値観や考えを押し付けるのは、信頼を失うことになりかねない。

お互いを子どもでもなく、親でもなく、一人の「人間」として尊重すること。

イーブンであることにより、自分のことは自分でするようになる。相互依存であったのが、お互い自立した存在になり、良い距離感で関わることができる。自分の成長にもつながる。

これは、②の子どもへの接し方が分からないに繋がってくるのだが、ほとんどの親は子どもへの接し方を知らない。

自分の子どもだからという前提で、自分の今までの経験や知見を持って、子どもに物事を教える。

しかし、いくら自分の子どもといえど、見てる世界も考えていることも人生の指針でさえ全く違う。

自分が当たり前だと思っていることが、子どもにとっては当たり前じゃなかったりする。

繰り返すが、あくまで「親」や「子ども」といった小さなカテゴリーではなく、一人の「人間」として相手を尊重することが今の日本の家族には絶対に必要だと感じる。

相手の話を聞き、素直に自分の弱みも話す。相手から何かアクションがあるまでは、見守る。

これは家族間だけでなく、一般的な人間関係にも言えることだろう。

自分の話ばかりをして、プライドを振りかざし、相手から何もアクションがないのに何かを手伝おうとすれば、信頼は築けない。

それは、コミュニケーションではなく己の寂しさや弱さを相手に押し付けているに過ぎない。

相手を尊重するコミュニケーション。これは、私にもあなたにも、今の日本の社会全体に必要なことなのかも知れない。


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