コードギアス復活のルルーシュ感想まとめ1(どうしたらいいか教えて欲しかった)
コードギアス復活のルルーシュ、公開日からの自分用感想まとめです。Twitterに書いてあること以外はありません。
2/9
本編中1回も泣かなくて、3回軽く吐いて飲んだんですけど、上映終わって、帰ろうって思って、隣の友人に「この十年で谷口は愛を知ってしまったんだね」って言って、それから嗚咽を上げて号泣した。
ああ、コードギアスはガンダムになりたかったのか。ガンダムになる為に、記号になったんだ。私にとってコードギアスは記号じゃないから、他の作品がコードギアスと名乗るのはちょっと困るんだけど、これから続く明日の世界で、コードギアスは、正しく誰かの願いの記号になる。
何をコードギアスと呼ぶかは民衆が決める。何が正しいコードギアスだったかは遠い明日の歴史が決めるんだ。
「枢木スザクがルルーシュをボコボコに殴る」というのは、つまり「初対面」であるということなので、あのルルーシュは枢木スザクと初対面なんだよ。
私はコードギアス反逆のルルーシュの続編である劇場版コードギアス 復活のルルーシュを観に行ったつもりだったけど、実際観たのはこの先続くコードギアスシリーズという新しい作品の第一話だった。
コードギアスって「ルルーシュの人気」がほとんど全ての作品だという事実とか、誰かの判断があって、コードギアスというシリーズを続ける上でゲストキャラとして様々にルルーシュを使い倒せる構造にすることは必然だったと言えばそうなの。皆ルルーシュが出るかも知れないコードギアスがみたいでしょ。
それは「ルルーシュが出たらしい」で、皆観始めたアキトが証明してしまったし、この映画そのものがルルーシュを「散々使い倒してボロ雑巾のように捨て」てもいいものにするものなのかも知れない。明日は明るいね。
散々喚いて、泣いて、騒いで、寝て、食べて、飲んで、もっかい泣いて、なんかやっぱり谷口監督のことがだいすきになった。
115分、全国ロードショーでのなんとも美しいお葬式だった。
1回目の復活のルルーシュ、首吊って死のうかと思ったけど、舞台挨拶だから行くか……と思って行った2回目の復活のルルーシュ、あまりにもあまりにも面白くて1回目はなんだったの??!?!と思った。待って、あんな上質なホラーを観せて貰ってたの??!?!最高では??!?!みんな2回観てください。
昨日の私まじで「この十年なんのために生きてきたんだ」「この十年の間に死んでおかなかった私のミス」「だめだ、もうその辺の男と結婚するわ」「死にたい」「もう死んでる」って泣いてたんですけど、なんだよ、なんにも変わってないじゃんコードギアス。
今日舞台挨拶当ててくれた友人に一生感謝すると思う。今日舞台挨拶じゃなかったらもうコードギアス一生見ずに泣きながら引退してたかも知れん。
2/10
私まだひとの感想とかちゃんとしたやつ、自分の気持ちまとめてからと思って、最早パンフとかそういうのも未読なんですけど、あのね、コードギアスね、谷口監督がルルーシュをどれだけ好きかって話だったよ。本当だよ。
ふせったー①
コードギアス復活のルルーシュ、もうあのルルーシュはC.C.に再構築された別人であり、元のルルーシュではありません。私の見間違いでなければ瞳の色すら違います。
さらに言えばルルーシュの瞳の色、前半と後半で色に変化があるように見えました。明確に、ナナリーと二人Cの世界から戻ったルルーシュの瞳は、色が鮮やかになる。前半のルルーシュの瞳は何だか青かった。彼のアメジストには、赤が足りなかった。赤が足りなかったんです。
これがどういうことかと言うと、ルルーシュであってルルーシュでなかったものに、ルルーシュの心を付与したC.C.は、本当に「自分がルルーシュと思うもの」しか与えなかったんですよね。というか与えられなかった。Cの世界を漂う膨大な精神の中で、C.C.がルルーシュと思えるものを掻き集めたらそうなるんです。ルルーシュが作戦を諦めようとした時、C.C.が「己の思うルルーシュ像」を彼に押し付けるシーンがありますが、あれ、C.C.と出会ってからC.C.に見せているルルーシュの部分しかない。例えば私からするとルルーシュを構成する一番大切なものは「ナナリー」であり、次点で「スザク」だと思うんですが、C.C.にとってはそれは自分が見てきたルルーシュに大切でないものである訳です。C.C.の見てきたルルーシュが諦めないものは己の思想であり、作戦であり、一度決めたことであって、ナナリーではないんです。ずっとナナリーこそが世界だったルルーシュを見てきたのにね。人間は己の見たい世界しか見ることが出来ない。私が、C.C.の共犯者でない部分を十年も見逃して来たのと同じです。
自分が違う生き物になったことを、ルルーシュはあの監獄で復活した時には自覚していたように思います。だから「ただいま」とはC.C.にしか言えなかった。そこにはC.C.の前の自分しかいなかったからです。いくつもの顔があったルルーシュは、もうたったひとつの自分しか持っていなかった。だから、あの時にはもう決めたんです。自分がC.C.としか生きていけないこと。それは、己がした約束の責任をとることだから。
復活したルルーシュにはきっと、ナナリーを大切に思う気持ちも、スザクに対する執着も、最早世界の明日を願う心も、殆どなかった。仮染でした。
だから寧ろ、C.C.から一切与えられていない気持ち、「スザクを助けナナリーを救いたい」という気持ちこそ、あのルルーシュの虚ろな身体に最後まで残って、あの身体を動かしていたものなんだろうと思いました。殆ど残っていなくて、C.C.に与えられたものに時折潰されそうになっても、それは確かにあったんです。
カレンが「なんか変わった?」と言うの当たり前で、C.C.は「カレンに対するルルーシュ」を知らないので、そのルルーシュを取り戻していないからです。カレンにはカレンのルルーシュがあって、それも確かにルルーシュの一面でした。この先も永遠に戻りませんが。
彼はルルーシュ・ランペルージになりました。復讐を誓って名乗る母親の旧姓ではなく、C.C.と過ごしたのが学生のルルーシュ・ランペルージであったから。C.C.が最も知っていたルルーシュは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアではないんです。
たった一度「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」を名乗って、違和感を覚えて、もう自分はそれではないと知った。より近いのが、どちらかというとランペルージだけど、それも違うのは分かっていた。でも、自分を知る彼らの前に立つには、彼らの知る名前が必要だった。
枢木スザクに本当にルルーシュか聞かれて、「確かめてみろ」と判断を任せるのは自分でも自信がないから。決して同じものではないから。「君と僕で出来ないことはない」とスザクに同意を求められても、笑って即答できない。言い淀んで、それから顔も映さず言葉だけが落ちる。コードギアス反逆のルルーシュでは、世界のルールだったそれは、もう、ルルーシュの中になかった。「俺とお前が組んで出来ないことはない」ことを、ルルーシュはあの時記憶としてはあったけど、全然、信じられなかった。だから、作戦が上手くいかなかった時だって、スザクは浮かばない。
あの時のルルーシュには、C.C.という選択肢しか用意されていない。
Cの世界で兄に触れたナナリーが、戸惑うのは、それが自分の知る兄ではなかったから。自分を見詰める瞳が、触れる手が、自分を世界で一番愛してくへなかったから。だけどナナリーを迎えに、Cの世界に行って、喪ったものたちに助けられて、ルルーシュはC.C.の為だけに再構築された身体に、ナナリーの求める、ナナリーの知るルルーシュも得てしまった。赤も得てしまった。
もう、C.C.と生きることを決めたのに。
愛しい妹、それから、大切な親友。それでもルルーシュには他の何もかもが足りず、また、その足りない自分を明確に求めている存在はC.C.しかなかった。だってナナリーは「一緒に暮らしましょう。昔のように」と言うし、かつてゼロをゼロたらしめるものを「心」だと言ったスザクの前でもう世界の明日を願って死ぬことも出来ない心を持った自分がゼロになれる訳もなかった。
彼は、もう、自分のことを人間と思うことが出来なかった。復讐も平和への渇望も、責任も、願いも、愛も執着も、自分の死さえも、彼を動かしていたものは、なんにもなかったから。
コードギアス復活のルルーシュ、復活したのは、「ルルーシュ」であって、「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」でも、「ルルーシュ・ランペルージ」でもなく、最初からL.L.だった。
ふせったー②
追記なんですけど、私が復活をホラー作品だと思ったのはルルーシュがシャムナに「俺から奪うな」「痛みも傷痕も」と言うシーン、シャムナでもルルーシュでもなく過去映像でもなく、現在の(満足気な顔をした)C.C.が映ってるんですよね
ふせったー③
復活のルルーシュの世界線は何故たったの一年後でなければならなかったのか、そして何故ルルーシュは白痴でなければならなかったのか。それは私たちの知るルルーシュを他の誰にも改変されたくなかったからだと思うんです。
※T監督をはじめとする、コードギアススタッフについての妄想です。コードギアスについての考察ではありません。この時点で不快に思った方は、どうかスクロールしないでいてください。これは、十年コードギアスを追いかけた私を、私が納得させる為だけの文章です。
コードギアスは、この復活のルルーシュによって、「コードギアス~反逆のルルーシュ〜」という固有のものではなくなってしまいました。サン〇イズを担っていく、明日のアニメ業界に続いていく、新たなシリーズとして進んでゆくものになりました。元からコードギアスを発注された時、「シリーズものになる」為に生まれた作品です。だからこそ、一目で何のアニメか解るように「ギアス」という固有名詞のある超常の力を作品に取り入れた。この言葉さえ出れば、コードギアスは続けていける筈だった。ですが、コードギアスは、あまりにも主人公のルルーシュを魅力的に作り過ぎてしまった。もう、これからのコードギアスには、ギアス能力よりもルルーシュが世界観の形成に求められるようになってしまった。
彼の人生は、生まれてから死ぬまで、全部を反逆のルルーシュのスタッフたちで作り上げた筈だった。彼を後世のコードギアスに使うに、最も簡単で誰もが思いつくやり方は、死者蘇生だった。だからルルーシュは、復活するしかなかった。この先に、誰も、彼の墓を暴かないように、先に暴いておくしか手がなかった。
そしてその復活は、あまりにも早過ぎると誰もが感じても、一年後が限界だった。何故って、1年以上の時が空けば、「あのコードギアス 反逆のルルーシュの、空白の〇年の物語」が作られてしまうから。それでは「ルルーシュ」の人生に、他人の手が入ってしまう。
1年でも、作られてしまうかも知れない。かと言って、あれだけのことをしておいて悪逆皇帝として殺された翌日には復活していた、なんてことは出来ないし、やりたくない。では、どうするか。その答えが、「創作するに魅力のないルルーシュ」を作ることであり、あの白痴ルルーシュではないかと思いました。「あー」とか「うー」しか言えない、なんの力もないルルーシュ。あのルルーシュで、ルルーシュが主人公の物語はきっと作れない。
そんな使い辛いものを使うよりは、どんな風にも使い易く復活させた、「永遠の命があって」「絶対遵守のギアスが使えて」「みんなに愛された性格と、世界征服を成し得るほどの頭脳を持った」L.L.を使うでしょう。
これってルルーシュが復活の作中でシャムナに使った手だと思いました。戻せる時間は決まっているなら、その時間を「眠っている」ものにすれば、なんにも出来ない。過去は改変されません。
作中ラストで、扇と玉城が「俺達は正しいことをしてるよな」「何が正しいかは後の歴史が決めるだろう。俺達は、良いと思ったことをやるしかないんだ」とやり取りしていて、あんまりにも、あんまりにも、私にはこれが、コードギアスのスタッフからのメッセージにしか思えなくて、全然そうじゃないと思うし、これは扇と玉城の台詞なんだけど、「それがスタッフからのメッセージであるかも知れないこと」が、私にとっては救いでした。
私は、コードギアスが大好きです。
2/11
何かが許せないままもうコードギアス復活のルルーシュ公開日から2日経ってしまった。まだ、何かが許せない。
コードギアス、ルルーシュのお誕生日上映会をみんなが来られる休日に設定して、ライブビューイングで全国のひとが観られるようにしてくれたの、あれが私たちの観ることの出来る「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」のさいごだったからなんだな。福山さん態々何度も言ってたわ。ヴィ・ブリタニアについて。
私、平凡な愛について、普通のひとへの賛歌、みたいなものを後は書いて長文感想を終えたいんですけど、これ、何度も何度も書こうとしては、だから許せと言うのか、私が、私は誰でもないのに、みたいになって全然書けない。すごい、私、めちゃくちゃ、まだ、全然、復活のルルーシュで傷付いてる。
枢木スザクなんにも変わってなくて最高だったな。彼はルルーシュの復活に対してめちゃくちゃ怒ってたけど、怒りの理由はルルーシュが復活したことそのものでなくて、そんな計画があったなら「どうして自分に秘密にしていたのか」「生きているならどうして自分を1年も孤独にしたのか」に怒ってたから。
もしスザクにとってルルーシュより世界が重かったら、まず出る台詞は「世界の人々から奪った責任をとって死ぬんじゃなかったのか!」「何をのうのうと1年も生きてきたんだ!お前が生きるなんて許されない!」ですよ。極限の状態で、世界なんかよりルルーシュが自分に嘘を吐いたことが許せなかった。
谷口監督、コードギアスの時からあまりにも新し過ぎる人間だったけど、復活はちょっと未来過ぎる。あんまりにもあんまりにも未来過ぎる。本当にこれ10年後で良かったのに。いや、今じゃなきゃ間に合わなかったけど。今やんなきゃ、ルルーシュは他人の手でもっと酷い形で、復活されられた。
どうしてどうして、こうすることしか出来なかったんだ。これが最適解になるしかなかった世界の方がおかしいんだ。間違ってるのは監督じゃないよ。それなのに世界だって間違ってない。どうして、おかしいのに、私にとってはおかしいのに、ちっとも、全然間違ってない。いいと思ったことをやるしかない。
いやだいやだいやだ。いくらでも作ることの出来た最高を、傑作を、作らなかったことをどうか、どうか10年後に、20年後に、私の死後だって、百年先だって、どうか、どうかこの歴史を正しかったと言ってくれ。コードギアス復活のルルーシュ、面白かったです。伝説にならない大変な良作でした。
「彼」がナナリーをCの世界に迎えに行った時、ナナリーが兄にめちゃくちゃに縋り付くのナナリーはここが現実世界ではないから、死んだ兄と会えていると思っているからだと思うとまだ何も言えていないと帰還を拒んだのは死を覚悟してたってことでは。
なんかもう、1週目の来場者特典のくらんぷ先生の書き下ろし色紙が特に本編と関係ない、はい&ろーパロで本当に良かった。これでえるつーくん描かれてたら死んでた。
2/12
ギャグだと思って聞いて欲しいんですが、乱暴な感想言うとルルーシュを不老不死にしなければいけなくなったけど、絶対に俺たちのルルーシュによく知らない女を愛して欲しくない。これはもう同じ不老不死のC.C.とくっつけることで阻止するしかない
みたいな理由で、選ばれたのはC.C.でした。みたいなところもあるのでは?ルルーシュ一人を不老不死にしちゃうと、彼も寂しいし、100年後くらいには全く知らん続編のオリキャラに惚れて命がけでよく知らんオリキャラ女の為に、残りの人生懸けてみたり、不老不死捨ててみたり「これまで出会った人間の中で、お前のことが一番大切だ、オリキャラ女………♡」みたいなこと言って、私たちは「ふざけんじゃねーぞ脚本絶対ルルーシュの夢女だったろ!公式で自己投影するなよ!」とかなって続編炎上させたりするかも知れないじゃん。ごめんね、これは本当にギャグだから。ギャグ。
どうやって生きていけばいいんだ?
めちゃくちゃ今更なんですけど、ルルーシュが無印総集編後編で生徒会行事として、男女逆転祭や絶対無言パーティは付き合えるけど、小学生の日だけは嫌、ただナナリーは喜んでいた。って言うの変化するのは受け入れるけど過去には戻りたくないルルーシュと昔みたいにって思ってるナナリーの暗喩だった?
枢木スザクは幸せだったのかな、枢木スザクは幸せになったのかな、って考えると、10歳の時にもう二度と会えないと覚悟してたのに再会出来て、殺した時にもう二度と会えない筈だったのに復活してくれて、なんかもう、嬉しくて、君のいない孤独な1年の世界よりは少なくとも幸福ではあるのだと思う。
ルルーシュの方が余程世界より重いから、どうせ世界を、平和を、まもっていくなら、ルルーシュがいない世界よりルルーシュがいる世界をまもれる方がしあわせだ。きっともう、そんなことでいいくらいなんだ。そのルルーシュが仮染だとしても、許せなくても、孤独な1年よりはずっといいんだ。
何度考えても、枢木スザクはルルーシュの形をした虚ろであっても生きていてくれた方が嬉しそうだ。
ふせったー④
三部作からの復活のC.C.はきっと突然与えられたずっと諦めたものを得た少女で更にはマオを経ていない擬似でも家族を知らない魔女であるのだと思う。
※グロめの話もします。C.C.という魔女と、少女について私が思ったままのことですが、正直誰にどうとられるか解りません。パンフは読んでません。
C.C.がどれだけ生きてきたか解らないけど、少なくとも復活世界線でも300年は生きてて、その間一度もギアスを与えて感謝してくれたひとも、自分を笑って死なせてやると言ってくれたひとも、いやきっとどんな些細でも約束すら貰えなかった。
愛したひとも愛してくれたひとも次々と居なくなって、だから魔女になるしかなかった。だって同じ生き物でいたら辛すぎるから。誰も愛したくなかった。愛されたくなかった。でも、本当のほんとうは、「愛されギアス」を得た女です。幼い頃から奴隷として生きて、誰にも愛されなくて、誰かに愛されたくてたまらなくて、やっと得たギアスでは、愛され過ぎて本当の愛が分からなくなってしまった。
ゼロレクイエムの時、用意されていた揃いの衣装をC.C.は着なかった。拘束衣で、彼と初めて会った魔女の自分で彼のことを祈っていた。だってあれ、喪服だ。彼の死を受け入れたくない、それでも、受け入れなければならない彼女は、袖を通す勇気がなかった。針の先程の希望は、もしかしたらコードを引き継いでいるかも知れないなんて殆ど非現実な妄想は、自分が生き続けるための誤魔化しくらいのものだった。
最初は、きっと埋葬してやるくらいのつもりだったんじゃないかと思う。私はコードギアステレビシリーズの悪逆皇帝の死体は、その場で損壊され、半壊のまま逆さ吊りにされたものと思って十年生きてきた。だってそれを、前に立ってとめられるひとが1人もいなかったから。狂乱する現場で、彼の死体の前に立ち「子どもの前でなんてこと」とか「悪逆皇帝とはいえ同じ人間だ」とか「折角平和な世界になったんだから、貴方が行くべきは愛する人のところでしょう」とか、そんなことを叫べるのは、そうです。彼の罪を知らないシャーリーだけなんです。細切れの死体を拾い集めた可能性もあるけど、あの、復活の世界線は、「ひとは誰もが愛する人がいること」を是として見えたので、愛は力になったと思う。どうかな、そういう世界だったと思うんだけど。
そういう世界で、C.C.はずっと、一人だった。
復活のC.C.にはマオすらいなかった。愛してくれるひとどころか、愛を注いだ経験すらなかった。復活のC.C.はマオで失敗していない。奴隷時代「誰かたった一人でも味方が欲しい」「それを愛というらしい」だった彼女が、唯一自分が愛と確証を持てる愛し方が、あの、どろどろに甘やかすだけのあれなんですよね。それではダメだったことを、マオを経てないC.C.は知らない。だから、復活の白痴ルルーシュに同じことをする。魔女でないあの子は、あれしか知らないんだよ。
オレンジ畑で彼の身体を受け取って、きっと彼女はストックした記憶を彼の身体に戻すために、まずキスをした。そしたら眠り姫みたいに、瞳が開いて、首のコードは彼が自分と同じものになったと教えてくれて、数百年愛を求めた夢見がちな少女が、これを運命だと縋りたくなることに、なんの不自然もない。
1年間、言わなかったのはきっと、怖かったからだ。心を取り戻したルルーシュが、自分を選ぶとは思えなかったから。愛したひとに戻ってきて欲しい。でも、きっと、愛したひとは心を取り戻したら愛する妹や親友のもとに戻っていく。だから1年も言わずに居られた。心を取り戻したら、そうでなくても、自分が出来る手がなくなったら、手放す存在だから。だから、いいだろうって、言い訳して過ごした。
愛したひと、愛してくれたひと、家族で友人で共犯者。ルルーシュはC.C.という「少女」の全部になった。
きっと、怖かった。自分には針の先程の希望は、彼を取り戻すことは、彼の愛する妹や親友には簡単なことだったらどうしようかと。その可能性に、目を瞑るくらい。
きっと自分を選ばない本当に大切なひと、きっと自分を選ばないなら、愛したひとの抜け殻と共にずっと生きていきたい、でも、愛したひとのこんな姿を見続けたくはない。
やってることめちゃくちゃで、いいことなんかじゃないし、でもそんなのきっと普通だ。
わがままです。わがままな女です。全然、まったく、魔女じゃない。
だって魔女って、人間とは違う生き物って意味だから、どんな偶然か不幸か、奇跡なのか、愛するひとは自分と同じものになった。それじゃあもう、C.C.は魔女でいることは出来ない。しぶとく、自身の幸福を祈る。
同じ生き物になった彼は、百年後には自分を選ぶかも知れない。
魔女なんかより少女の方が、ずっと恐ろしく、美しく、醜いのである。
私たちの信じていた、彼の共犯者であった魔女は、あの時彼が自分と同じ名前を名乗った時に、笑って死んだのだ。
なんかね、こう言ったらあれだけど、C.C.のあれ、構造は愛されギアスと同じだと思う。
シャムナさん一体何回死んだんだろうな…………。ナナリー誘拐ゼロスザク拘束までに死ぬ程死んでるのに、その後シュナイゼルに正面突破外交でもカレンたちの侵入による情報取得制裁で死んでるし、勿論作中で明確にルルーシュの戦略とスザクとカレンの無双で死んでるし…………死んでる……。
予言なんてキャラ的には馬鹿にしそうな山賊上がりのバトゥムが、カレンに殺される最期の最期、自分の肉体が溶け落ちながらも「予言はどうした、無敵の予言は」と言ったことからもめちゃくちゃ細かい指示があの戦闘の最中何回もあってその度負けなかったんだよね。何回死んだんだシャムナ。
勿論私のいまの名前(無敵の予言と名乗っていました)は、彼の断末魔から来ていて、まじでコードギアス復活のルルーシュ初回はこんな気持ちで死んだんだよ。自分の身体が溶け落ちていくのを感じで痛い痛いと叫びながらも、エンドロールの向こうまで、会場の電気が付くまで、かつてのコードギアスらしいコードギアスを信じて死んだ。
復活は今日3回目を観たかったんですが、観られる体調じゃなかった。明日チャレンジし直します。
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