軽音部を辞めた

大学3年目にして鬱になり原因だった軽音部を辞めた。

1年の春は流行り始めて初のコロナ禍のため7月くらいに新歓があり、8月から入部した。全員が必ず1バンド以上に所属する固定バンド制というシステムで、1年のうちは空いている募集枠に入ることで入部することができるというシステムだった。当然好きなバンドを組むことができず私は入る枠がなかったため好きなバンドを挙げてそのなかから新しくバンドを作ってもらえた。会話があまり無く先輩も人見知りっぽかったので1年間はわけがわからないままバンドはそこそこ楽しんだ。2年になれば好きなバンドを組めるから。PAの仕事はライブ3日間ある中で全日朝、他の部員より1時間早く集合してスピーカーチューニングをして、リハーサルと本番の20バンド以上の音作りやトラブルについて意見を出したり質問を先輩に反省会でしなければならなかった。

2年になると組みたいなと思った人を誘ってはじめて好きにバンドを組んだ。カネコアヤノを組むつもりでいたがバンドメンバーに合わせてクリープハイプに妥協。この軽音部の雰囲気的には邦ロックが主流。端的に言えば音楽の趣味が今の私とほとんど合わない。高校の時にバンドにハマるきっかけとしてさまざまに聴いていたがそこまでしっかりハマらなかったバンドばかり。その中でもRADはなぜか毎年固定バンドが生まれる。

うちの大学の軽音部は新歓、春、夏秋、冬、そしてライブハウスでの定期演奏会が開かれる。冬のライブで上位6バンドほどが最後にライブハウスに出る権利を得られるという出来レース。固定バンド制なので必ず人数に応じて入部する前に一年生の入る枠を平等に空けておく必要があり、一年生が入るか入らないかによる人気投票制の定演は運ゲーかつ八百長。

3年になると執行部として部全体とライブや行事の運営をすることとなり、11人の予定がなかなか合わないので毎週金曜の23時からオンラインで会議が行われた。会議は1時を過ぎる頃まで行われることがザラで、かなりギスギスしていてミュートにしている人が半分以上だった。

そこで5月ごろ、バンド崩壊。誘われてしぶしぶ入った寄せ集めメンバーのバンドで合わない人がいて、全員のコミュニケーションがとれず。冬まで原則解散できないという規約のもと、女のギターボーカルが少ないことや自分が副部長であること、2バンド持っていることなどから楽しくない部活を誰に強いられてるでも無いのに続けなくてはならないことへの絶望から私はギターや練習が嫌いになり、大学へ行けなくなった。過眠と家の事が何もできなくなるというほぼうつ病になった。ライブに行くのが大好きだったけど、ライブすらも楽しめなくなってしまった。家では辛さに泣いてばかりいた。

私は音楽が好きで、高校からバンドはしていたけどどちらかといえば聴く方にシフトしているタイプだと思う。ライブに出るのは楽しいと思えたことがない。私がバンドをする理由は、スタジオに入って好きな曲を合わせるのが楽しいから。軽音部のストレスやバンド内の不和を耐えてまでバンドをしたいとは思わない。

音楽好きが軽音サークルに入るのはオススメしないというのをたまに聞くが、楽器を練習するのが好きな人はわりといい環境だと思う。言ってしまえばその環境にいる人たちとの相性次第。

音楽好きにとって軽音サークルのよくないところは友達や彼女が欲しい、モテたいからという理由で軽音サークルに入る人やコミュニティ特有の気持ち悪さ、趣味が合う人がいるとは限らない、など

わたしはコミュニティ特有の気持ち悪さと、部活の変な規約が多くて辞めました。

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