見出し画像

高田誠三さんを求めて旅をする初心者。

幼稚園に通う娘の運動会。
台風の影響で一日順延した、まだまだ暑い日曜日。
1年前に買ったcanon 9000Dを携え、娘の徒競走を連写。

最終コーナーを抜け出した娘は見事に1位。
動く被写体をバッチリ捉える9000D、いいぞ。

ますますカメラを好きになり、どんどんレンズ沼にハマっていく未来が見えます。ずっと何年もこうして変わらぬ気持ちで写真を撮りたい。

偉大な写真家を知る。

ところで、高田誠三さんという写真家をご存知でしょうか。

写真家の高田誠三は、10月2日扁桃扁平上皮がんのため死去した。享年81。1928(昭和3)年10月14日、大阪に生まれる。49年大阪府立化学工業専門学校(現、大阪府立大学工学部)卒業。ハリス株式会社(現、クラシエフーズ)に入社し、チューインガムの研究に従事。在学中の48年に浪華写真倶楽部に入会。戦後の再興途上にあった同倶楽部において若手の中心的なメンバーの一人として頭角を現し、各種のコンテストで入賞を重ね、評価を高めた。56年、勤務先の会社を辞し写真家として独立、商業写真などを手がけるが、70年代半ばより、風景写真へのとりくみを活動の中心とするようになる。69年より75年までなんばデザイナー学院教授、76年より大阪芸術大学で教鞭を執り、講師、助教授、教授を歴任。1998(平成10)年からは同大学写真学科長を務め、2000年に退任した。大学での教育とともに、浪華写真倶楽部や、理事を務めた全日本写真連盟、02年の創設より参加した日本風景写真協会の活動などを通じ、多くの後進やアマチュア写真家の指導、育成にあたった。風景写真の第一人者として、日本の自然の美を生涯のテーマとし、長年にわたって四季を通じて各地に取材を重ねた。主として35mmカメラを使用し、平明でありながら完璧な風景の美を追究した作風によって知られた。『アサヒカメラ』などの写真雑誌に発表された作品も多く、作品集に『彩々流転』(日本写真企画、1991年)、『高田誠三集』(ブティック社、1998年)など、また写真技法書として『暗室の特殊技法』(朝日ソノラマ、1977年)がある。引用:東京文化財研究所HPより http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28512.html

高田誠三さん。
非常に有名な風景写真の第一人者であり、多くの後進を育成された偉大な写真家....らしい。

残念ながら2010年にお亡くなりになった今も、多くの人に愛される写真家でいらっしゃいます。

いらっしゃいますが。情報が少ない。

私の様な一眼レフ初心者が偉大な写真家を知るすべがない。
人柄やエピソード、こんな言葉を残したetc。

そして作品をみたいけど展示会は行われているのか?
どこかに飾られているのかな?

情報が少ない、圧倒的に足りない。

興味を持ったら気がすむまで調べたい...

高田誠三さんとの出会い。

こんな初心者が高田誠三さんを知ることになったのか。

それは久しぶりに再開した友人と"山の上のパン屋さん"がキッカケでした。

続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?