『自分から老人化』する高齢者たちその原因 -1

確実に寿命が伸び、活動できる年齢が上がっているにもかかわらず、旧来の年齢イメージに縛られてステージを変えていく人が多い。
65歳で年金をもらえるから。
もう70歳だから、働かなくてもいいだろう。
孫ができたから、少しゆっくり世話でもしたい。
まあ、いろいろある。
現役時代に、なかなか時間が割けなかったので趣味中心の生活に変えていく。なるほど。そういう生き方も、経済的、健康的に許されるならばいいのかもしれない。
しかし、そういう人たちを見ていくと、明らかに時間を持て余している。あるいは、経済的なゆとりが減少したせいか、行動範囲が狭まっている。
どちらが先かわからないが、社会的な動きへの関心が薄れ、テレビのバラエティ番組レベルの話題が多くなったり、服装にも気を使わなくなる。
先日旅行に行った時に、ハイキング中の高齢者グループと一緒になった。男性は決まったようにチェック柄のシャツに、帽子。スニーカーにリュックを背負っている。あきらかに高齢者のユニフォームである。
リタイアしたもの同士で、暗黙の一体感づくりに参加しているのかもしれない。

しかし、こうした現象は奇異に見えてしまう。
以前からハイキングしてたんですか?
あるいは園芸でも野菜作りでも陶芸でも同じことで、リタイアしたから始めたことには共通点がある。そもそも誰でもいつでも始めることができるというハードルの低さが一つ。新たに取り組むのに比較的コストはかからない。もちろん、凝り性だったり専門性を学び、プロ級の野菜や花を実らせたいという人は、学校に通ったり、ボランティアで農家の手伝いに行く。ここまで来ると金も時間もかかってくる。しかし、そもそも体力を要する作業であればあるほど、本来は、それからリタイアするのが自然な流れだ。それなのに高齢だから、今まで一生懸命働いてきたので少し楽な仕事をしたい、という理由で選択するものではないような気がする。しかし、現実的には体力が急激に低下したわけではないので、以外にそれらの作業は長続きがする。しかし、50歩100歩で、遅かれ早かれ結末は変わらない。
そしてもう一つ共通しているのは、果実は自己満足で終わるということだ。野菜が豊作だとご近所に配ってもそれほど感謝されることはない。不作であれば、それほどの余裕はない。義務もないのだから、自己満足の贈与なので、成果物を自慢をしたいのか、あるいは見方を変えれば余り物の処理をしているにすぎない。趣味は一人一人異なる。興味のない者に、自慢をしても無駄であり、満足感も得られないだろうし迷惑でもある。

そういう事実を見ると、リタイア後の趣味を調べたアンケート調査で上位にくるものは、時間潰しのために、あるいは積極的な意味を少しかぶせるなら、まだ元気でやっているというアリバイ作りで、取り組んでいるといっても的外れではないような気がする。
そんなことは個人の勝手でしょう?!と言われそうだ。
しかし、本当にあなたがやりたいことがそれですか?
同時に、あなたはそれで満足ですか?
という問いを投げかけたい。
後輩たちに、あなたたちのやっていることを本気で勧めることができますか?


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