見出し画像

哲学と認知症

認知症の世界を案内する良書「認知症世界の歩き方」筧裕介著。重いテーマを構えることなく世界の旅歩きシリーズに習って、年取れば誰もがなり得る認知症の理解と対策の大きな一助となるだろう。専門的知見を踏まえた認知症のメカニズムとその世界にイメージ豊かなイラストが認知症の世界へ旅心を誘ってくれる。Noteの哲学・宗教ジャンルコーナーはプロ級の哲学好きの方が多いものと推察。これから語る事は一知半解で誤解、牽強付会の類の想念と思われる事を承知で語らせてもらいます。認知症で挙げられる主な症状、徘徊。見当識(時空認識の障害、喪失)と言われる。これを「ミステリーバス」の乗車に例える。乗ったものの「いったいどこから来て何処へ向かっているのかわからなくなる不安。不安を超え恐怖すら覚える。カントが初めて人間の認識の根本として摘出した先験的直観形式である時間と空間。哲学が可能となるこの精神の働き、考える根幹である時空枠が機能しなくなる病。哲学の終わりである。しかし認知症でないこの世界はいかなる世界なのかを逆照するのが認知症の世界なのではないか。時間と空間の直感形式云々の文言を目にした時どれほど時間と空間に関する理解が抽象レベルから現実の世界を想像できただろうか。過去、現在、未来を想定して日々生き、暮らしているこの世界を根っこで支えているのが記憶の根源性にハタと気付かされる。時間と空間がダリの絵画のように伸びたり、縮んだりしたらどうだろうか。例えでなく、自分の身体、知覚、行為が思うようにいかず変容していく心身の変容を実体験したらどうなるのだろうか。この世界は確かなはずと信憑していた世界が溶解し始めたら。カントのいうところの時間と空間の先験的統覚機能が失われること。確かなものと思っていた知覚がこれまでのようには役立たなくなる世界。言葉の音素の組合せと対象が合わなくなり、文字が見えるが意味がわからず。音の連打音で意味のある言葉として聞こえない。まるで外国語のように聞こえる。人の顔見て名前だけでなく、誰であるかの判断パズルを組み立てることができなくなる。自分の近親者であっても。時間があっという間に過ぎ去るかと思えば、永遠に続くかのような一日。ヤカンを空焼きするほどに時間が早く経ってしまう。過去と今日と明日が混然となる不安と動揺。哲学的思索によらず心身全体が変容する。それが認知症の世界。
認知症のワンダーワールドを旅することは私が正常、健全であると確信していた世界とは一体どんな世界、秘密があったのか。哲学好きの人には認知症の世界を旅することが人間の認識構造とその働きを知る手引書となるだろう。哲学者は緻密に思索する。ある日内省の極みに見出す世界が奈落に沈み込む恐怖にゾッとするように。哲学とは無縁の市井の人々は認知症で時空の歪みと忘却により五感の異変をともないながら徐々に或いは一気に世界の変容と崩れゆく世界を、奈落を覗き見、慄く。この世界は本当のところ幻想の世界なのか、あたかも存在しているかのように存在していると思いこんでいるのか。共同幻想の世界なのか。一気に飛躍して
太宰治という小説家が戦後1947年に「トカトントン」という短編小説を残している。玉音放送を聞きながら世界が一変した青年の空虚感を描く作品だ。昨日までに一億玉砕を信じて/決死の覚悟を持っていた国家権力の一群の人々がいた。どの程度青年が信じていたかはともかく、「打ちてし止まん。勝つまでは」が公認の考えで批判することはご法度であった。ウソと知りつつ神である天皇とともに生き死にする「かのように」の世界が存在していた。あれから79年、日本は何処に向かおうとしているのか、そして自分は何処にいるのかを問われているように思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?