ギリ健の意味の変化について

最近私はある事を思っている
ギリ健という言葉が私は"健常者ですアピール"、いわば自虐風マウント?としての言葉になっていくのではないかという事だ、その理由は大まかに3つほどある。
まず1つ目は発達障害の診断人数が増えているという事、社会が発達障害への関心を強めている事、それに加え健常者の定義が昔ほど厳格になった事が上げられるだろう。
そして2つ目の理由は言葉なんて数年どころか早くて数ヶ月意味が変化したりする事だ、かつて自称進という言葉はただの自虐用語であったが最低限の教養は持ってますよアピールとして使われる事も決して珍しくは無いし、そういった意味が今世間で一般化しているかはともかく少なからずそういった意味合いで自称進という事を使う輩はTwitterにはごまんと存在する。
3つ目はやはりというべきか障害者であることを公表してしまえば腫れ物として扱ってしまう人もある一定数(というか大半)は存在するするという事だ、これは私が体験した事だが自分が発達障害である事を公表してからへりくだった形で物事を色々言われたり子供扱い(というか障害者扱い)するステルス差別を体験した事があり以来今は発達障害を現実において絶対に公表しない事を自分に誓っている。
話は少しそれたかもしれないが障害者の枠組みに入るのは辛いのは当たり前だし健常者と同じ枠に入れたら最低限やっていけるだろう。


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