第二の小話「ふるびたおうち」
むかしむかし、あるところに、一件の古い屋敷がありました。
屋敷の壁にはヒビが入り、全体が朽ちて今にも崩れ落ちそうでした。
その屋敷には一人の女の子が住んでいました。彼女は何百年も前からずっとその屋敷で暮らしていました。
ある日、1人の少年が屋敷に訪れました。
少年は毎日仕事の途中でこの屋敷の前を通りかかっており、誰もいないはずの屋敷の窓辺に女の子が佇んでいるのを見つけ、不思議に思い訪ねてみることにしたのです。
少年が扉をノックすると、中から銀髪の愛らしい顔をした女の子が出てきました。
「あら、お客さん?珍しい。今日は紅茶を入れようかしら。上等なアッサムが手に入ったのよ。」
女の子はそう言いながら、にっこり笑って少年を招き入れました。玄関ホールは外と比べてほんのり暗く、女の子が持っている蝋燭に導かれて階段を登りながら、様々な装飾が施された部屋に案内されました。
部屋には真っ赤な絨毯が敷かれていて、壁一面を多い尽くすほどの、たくさんの本に囲まれていました。部屋の真ん中には上等な机とソファーが置いてあり、机の上のランプが部屋の中を明るく灯していました。
女の子は少年を部屋へ案内すると、菫の柄が散りばめられた紫色のティーカップにお茶を入れました。
「ようこそ、素敵なお客様」
机上のほんのりとした灯りに照らされながらソファに腰かけると、二人はゆっくり紅茶を飲み始めました。
しばらく紅茶を飲んでいると、風がびゅうびゅう吹き家を揺らしました。家のあちこちから叫び声のようなきしんだ音がします。
「この家はね、もう何百年も昔からずっとここに立っているの。雨の日も風の日も、晴れやかな日も曇りの日も、ずっとここに立ち続けてここで暮らす人々を見守ってた。でも、もうその役目もおしまい。ずいぶん時間が経ちすぎて、あまりにも古びてしまったわ。…聞こえるでしょう。あれは、風に吹かれて今にも倒れそうな家が、倒れたくないって泣いているのよ。」
「君は新しい家に住もうと思わないの?」
「いいえ。思わないわ。私はここが好きだもの。どんなに古くても、やがて朽ち果てていく運命でも、ここは…この家には、たくさん大切なものがつまっているのだわ。」
女の子がそう言うと、突然地鳴りがし始めました。少年は驚いて辺りを見回しましたが、女の子は慌てた様子もなく、お茶を飲みながら話を続けました。
「私、この家が好きよ。どうやら時間のようね。この家もおしまいの日が来たのだわ。あなた、最後に訪ねてきてくれてありがとう。最後のお客様がこんなに素敵な人で、この家もきっと喜んでいると思うわ。ねえ、どうか、この家と私をいつまでも忘れないで頂戴。そして、この家が終わる時を、どうか最後まで見守っていて頂戴。」
「嫌だ。この家が無くなったら、君はどうなるんだい?僕と一緒に行こう。街で新しい家を探して、一緒に暮らそう。僕は君と一緒にいたい!」
「…あなたに見届けてほしいの。この家と、私の最後を。」
「見届けるなんて嫌だ。」
「お願い。…知っていたわ。あなたがこの家を気に入ってくれていたのを。皆気味悪がって近づこうとしないのに、あなただけは毎日不思議そうに、この家を見つめていた。いつかあなたが扉を開けて、私を訪ねてきてくれる日をずっと待っていたわ。だから、もうそれで充分。無くなる前に、こうして会えたもの。」
「嫌だ」
「ありがとう」
「いかないで」
「さようなら。」
女の子がそう言うと、突風が家を襲い、びゅうっと家の屋根を剥がして彼女を連れていってしまいました。女の子は風に身を委ね、笑顔でこちらに手を振りながら、灰色の空に円を描くように天高く上っていき、やがて見えなくなっていきました。
気がづくと屋敷は跡形もなく、がらんとした空き地の中心で少年はぽつんと立っていました。
少年は空を見上げて心の中で呟きました。
「さようなら。楽しかったよ。ありがとう。」
心の中に、風がひゅうっと少しだけ吹いた気がしました。天を仰ぐ少年の目からは、暖かい涙が伝っていきました。