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『農学の野外科学的方法―「役に立つ」研究とはなにか』菊池卓郎

概要

農学の研究が実際の農業から離れたものになって久しく、研究と栽培現場の乖離が激しい。研究が実際の栽培に役立っていないという。これは本質的に農学の研究方法論上の問題に根ざした問題である。そして農学の一分野である果樹園芸学も例外ではなく、むしろその状況が最も著しいのが果樹園芸学であるという。
農学研究が栽培現場に適用され、その結果が仮説の改良につながるという野外科学的な方法論を筆者のりんごの剪定技術の研究に基づいて解説される。

農学の野外科学的アプローチ

著者の菊池はりんごの剪定技術、栽培方式に取り組んだ研究者。元々は柑橘の研究をしていたが、1960年に日本一のりんごの産地、青森県の弘前大学農学部に赴任したことをきっかけにその研究を始めた。りんご樹の剪定を研究テーマに選んだことについて

「生産者は剪定技術の習得に並々ならぬ情熱を注いでいることが語り口から感じられた。それはたんなる栽培技術ではなく、「剪定道」とでもいうべきものを追求する求道者の姿であった。そこでこの最も重要な技術の解明を研究課題にしたいと考えたのである」

『農学の野外科学的方法―「役に立つ」研究とはなにか』

と語っている。しかし研究者の間では「りんごの剪定技術は長年の経験で習得するほかなく、研究の対象になりにくい」というあきらめの感情が支配的であったようである。その理由は永年作物である果樹の「再現性の低さ」にある。果樹は調査する樹によって個体差が極めて大きい。具体的には

・樹齢を増す事に樹形が千変万化し、とらえどころがない
・剪定など人の手による操作が加わる程度が大きい
・病気や災害による樹の欠損がある
・土壌状態や気温など自然条件による影響が大きい

という事情がある。実際、個々の枝をどのように切るかという研究は世界的にあまり行われてこなかったようである。
当時、果樹園芸学の世界では関係ある条件をできるだけ単純化し、扱いやすい材料を使って実験を行うという方法論が一般的だったようだ。このことによって対象の単純化、再現性の確保、仮説の検証を可能にする。よって扱いやすい幼木を使った研究が多くなるが、その研究結果はりんご樹のような大木には当てはまらないことが多い。

しかし菊池は「研究で解明できない技術などありえない。これができないのは、根本的な研究の取り組み方に問題があるからである」と考え、「農学の野外科学的アプローチ」によって、りんごの剪定技術の研究に取り組んだ。その方法は以下のようなものだった。

・調査するのは幼木など扱いやすい個体でなく、生産者の園地でりんごの実を成らせる樹(ありのままの自然=野外)を扱うこと
・野外では無数の複雑な自然の諸要素がからみあっているため、仮説を立てる→実験→仮説検証→定量的な理論構築の流れが容易でない。したがって混沌として定性的な情報から仮説そのものを発想することを重視する

菊池がこのアプローチによって得た見解を簡単に紹介する。

世界に類のない「開心形」

現在、青森県は日本一のりんごの産地であるが、安定した生産には開心形の存在が大きな意味を持っている。一般に開心形とは主幹が樹冠の高さの途中で切られた樹形のことを指すが、青森県を中心に日本で発達したりんごの開心形は、樹冠が水平方向に広がり比較的樹高の低い特殊な樹形である。(上画像のような樹形。)菊池はこの日本独特の開心形によって

・強勢台木でも樹高を低く保てる
・樹冠は広がっても内部は暗くならない
・実の成る枝は常に若い
・剪定技術で条件不利(土壌が悪いなど)を克服できる

といったことが実現できるとしている。
研究を進めていくことで、この樹形に魅了されていったのだろう。菊池は

この世界に類のない樹形は明治10年代にリンゴ栽培が始まってから、リンゴ生産者の苦難の歴史を経て昭和30年代にほぼ完成したもので、約100年の歳月がかかっている。それだけに青森県の自然環境と生産者の経営条件に完全に適応した樹形なのである。

『リンゴ栽培の進む道ー大地の恵みと歴史の重み』

と書いている。

「りんごの樹から教わった」

菊池の著書にあたるといつも感じるのは、青森りんごの文化・歴史・技術に対する深い尊敬である。青森りんごの素晴らしさを多くの人に知ってほしいという思いをひしひしと感じる。
菊池はりんご栽培の歴史にも力を注いでいた。菊地が編者の一人を務めた『リンゴの樹形と剪定 技術形成の歴史と展望』は青森県の剪定技術とその発達の背景をまとめたものだが、その中で菊池は次のように語る。

「青森県を中心に発達したわが国のリンゴの樹形と剪定技術は、その独創性、合理性、洗練された完成度において、世界に誇るものである。」
「いま全体を読み返してみると、いまさらながらにリンゴの樹形と剪定技術の発達の歴史、とりわけ世代を超えて剪定技術の向上と改良に人生をかけた生産者たちの姿に、テレビの大河ドラマをはるかにしのぐ壮大さと迫力を感じ、感動を禁じ得ない。」
「そして、この感動を、果樹産業にかかわりのない人も含めて、多くの人に味わってほしいと願わずにはいられない。」

『リンゴの樹形と剪定ー技術形成の歴史と展望』

元々、冷害が酷い津軽地方は作物の育ちにくい地域であった。人々は津軽の地でも耐えるりんごに頼る外なかったため、病害虫の大発生など多くの苦難を献身的な努力で乗り越えてきた。そして情熱は脈々と生産者に受け継がれてきたが、その熱が菊池にも伝播したのだろう。
戦後の青森りんごの指導者、渋川伝次郎は「青森県の剪定はりんごの樹から教わった」と言ったそうだが、これは菊池の研究の姿勢にも通ずることである。菊池は千変万化するりんごの樹のありのままの姿をみて、りんごの樹形を解明していった。それは言い換えればりんごの樹との対話であったと思う。そのような独創的な姿勢に日本人の感性とものづくり精神の真髄を見る思いがする。

参考

菊池卓郎『農学の野外科学的方法―「役に立つ」研究とはなにか』2000年
今喜代治・菊池卓郎(編著)『リンゴの樹形と剪定ー技術形成の歴史と展望』1993年 
菊池卓郎・塩崎雄之輔『せん定を科学するー樹形と枝づくりの原理と実際』2005年
菊池卓郎・塩崎雄之輔『リンゴ栽培の進む道ー大地の恵みと歴史の重み』2009年←画像は本書の表紙から
川喜田二郎『発想法 改版ー創造性開発のために』2017年


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