腑に落ちればお金が増える魔法の話。

おとなになって。

なんだか思うようにお金が増えないなぁ。

そう思ってる人が本当にたくさん。

今までずっと、それなりにお金のことについては自分なりに考えてきたつもり。

なのに、どうして満足できるくらいのお金が手元にないんだろう?

満足できるくらいのお金を持ってる人たちって、一体何をしてきたんだろう?

ぐるぐるぐるぐる。お金のことばっかり考えてる大人の世界。

子供はお金の稼ぎ方を知らなくて当然だと思っている大人が、お金の稼ぎ方が分からなくて、お金の無い自分が腹立たしくて時々子供を怒鳴ったりして。

子供は純粋だからよーく分かってる。大人がお金に支配されてる世界を。

だからこそ。

お金の世界を冷静な目で見てちゃんと攻略するのが大人の役目。

勘違いしてもらいたくないのは、お金を攻略するというのはお金が山ほどあれば豊かな人生を送れるってことじゃない。

お金に目が眩んだヤツは人生のどこかで大体失敗する。だってお金に目が眩んでるんだから本当に大切なことが目に見えない。

だからここを冷静に考えるべきで。

これは自分の人生において、これくらいの収入があれば自分も家族や身の回りの人もそれなりに幸せになるのになぁって思えるくらいのお金は稼げればいいし、その後のことは必要になった時に考えようってくらいの余裕を持てない限り、常に不安ばかり先走っちゃうのが人間という生き物だよねって話です。

だって、お金が山ほどあれば究極の幸せに行けるなんて幻想をいつまでも抱いちゃうほど、ほとんどの人ってお金しか見ないじゃないですか。それで、目の前の大切な人や物事を置き去りにしちゃってるっていう他人の歴史もたくさん見てきてるわけで。

で、俺の基準だとこれくらいあればいいかなぁってのは税金払って残る額で言うと年2000万くらい。もちろんその人の野望とか目的にもよるんだろうけど、日本で家族とハッピーに生きていくことだけに特化すれば十分。

成金風情の仲間入りを果たしたいとか、ロレックスレインボーきらきら欲しいとかの贅沢思考にならず、人生の投資とは何ぞやについてちゃんと意識を向けることができれば、あらゆる投資でお金が増えることを今もずっと体験してるのが俺です。

で。これを聞いた上で、自分という存在の人生の置きどころを冷静に考えるってこと。とにかく冷静に。

冷静に考えるってのは、あなたのその人生の基準は絶対に赤の他人じゃないし、そういう意味で言えば俺の人生の価値観も基準にしないほうがいいですよってこと。

たとえばガネーシャンがそういう風に考えてますよって言ったから、これを読んで「なるほど同じにしよう」ってことはあまりにも依存的だし、自分自身の一切のアイデンティティを捨てるっていう証でしかなくて。

だから、俺には俺の人生の考え方があるし、あなたにはあなたの人生の考え方がある。俺はそれを強く尊重してるから、この部分をあなた自身がもっとしっかりと自分自身を尊重して考えてあげることがめちゃくちゃ大事で。

自分の生きる価値を自分でちゃんと尊重してあげるってことを、しっかりそのハートで受け止めてあげないと、きっと人に何かを尽くしながら自分自身をないがしろにしちゃって疲弊するって流れが世の常だし、そこに気づいたときには家族や友人や身の回りにも影響を及ぼしちゃう。

実際にこれを読んでみても、自分の基準がどこにあるかってことを今まで考えてこなった人は、ふわふわしながら読んでるかも知れない。

タイトルに書いてる通りの話をなるべく進めるわけですが、ここまで読んでる時点で分かってることは、あなたはとにかく何かに満足してない。それの中心がお金になってしまっているってことで。

ここが事実であることをしっかり自覚すること。

余談になるけど、ときどきSNSを検索してて。

俺は一般よりいい生活してますよー的な。そういう自分を知ってもらいたいのかどうか謎なんだけど。

何を食べて何を飲んだとか。どこに住んでるだとか今日いくら稼いだとか、誰かとパーティーしましたーみたいな。

俺から見ると、そういうタイプって誰よりも心の貧しさを物理的なことで埋めること必死になっている寂しがり屋で。いつもそういう自分だけ見てほしいって心の叫びしか表現できない承認欲求の塊魂。音楽はきっと松崎しげる。(塊魂 松崎しげるでググれば分かる)

だってSNS上で自分のいいとこだけを切り取れば、一定数の人には自分を大きく見せれるなんて当たり前のことで。

そんなことだけしかやらないから、ふと気づいた時には(お金が少なくなったり、友達が離れて行ったり、嫁や彼女と別れたり)、元の虚しい自分、心の貧しい自分に戻るってなる。そんなことばかり繰り返してるんだったら弱いとこも見せていけばいいじゃんって。

大人が表面上のいい場面だけを構成したがるって何なんだろう。だって大人になって「俺は大人だろ?」ってカッコつけが一番ダサくね?って俺はずっと思いながら生きてきて。

たとえばね。

インフルエンサーみたいな存在になりたいんだったら、そのために何かを捨てる必要があってってのは、ガチのインフルエンサーだったら常識の話で。

それを簡単にできないからインフルエンサーに憧れるような自分がいるわけで。

で、俺はインフルエンサーみたいなのが嫌だから、こうやってガネーシャンってキャラのなかでしかやらないし、フォロワーを増やそうとも思わないなかで、嫁からバズの収益を小遣いにしていいよって言われたのに、自分のためのぜいたく品って買う発想が浮かばないからプレゼント企画やったりしてるだけで。

普通で考えたら、プレゼント企画って何か目的あるんだろ?ってなると思うから一応書いておいたんだけどね。

言いたいのは。あなたはお金持ちだからいいよねみたいな目線じゃなくて、お金の前に考えるべきことが目の前の家族や恋人や友達じゃんってこと。

俺は金があるとかないとかじゃなく、目の前にいる人、大切な人に何ができるかってこと、つまり目の前の人の幸せについて聞くべきだと思ってて、だけどそれを聞かずに、みんな必死になってお金を稼いでる世界を見てきて。

俺自身は結果的にお金に不自由しなくはなったんだけど、それは結果でしかないし、その結果を出すに至る道の途中で、目の前にいる人を大切にしてきたことが、今の結果になってるみたいな感じだし、今ほどお金なくても家族から不満の声なんて絶対ないんだけど、パチプロ上がりの血から投資家として会社まで作ったっていう歴史があるから、その波に乗って今があるだけでしかなくて。

ちょっと脱線したんだけど。

大人のカッコつけってとにかくダサくて。その典型がいい女を隣に置いたりとかはべらしたいとか、金があることが正義みたいなことでしか承認欲求を満たせない人間なんだろうなぁっていう風にしか見えなくて。

だったら。ダサくてもいいから自分の弱いとこを見せたほうが俺からするとよっぽどカッコいいなって思う。大人になったフリをして生きてる大人ほど、誰にも弱音を出せずにこの世界を彷徨ってるのを、それこそ投資家や起業家のパーティーのなかでもさんざん見てきたし、そういう人が失敗して金の無心をしてきたってことは何十回と言っていいくらいあった。

大人のフリしてる人って、お金があるなしとかも関係なく、社会に属していても会社を経営していても、とにかく文句を言いたい当人が見てない場所での愚痴が多い。勘違い投資家(一時的に暗号通貨バブルで数億稼いだだけだから投資家ではないんだけど)とか、勘違い経営者が言うのは「あいつが失敗したのはイケイケじゃないからだよなー」「あれはこうしてたらうまく行ったのになー」みたいな人のほとんどが、結果として落ちていく。

だから。そのリアルな付き合いのある誰かの陰口とか、ネットでつながった人に対する匿名での愚痴とか、ときどき発生しちゃう謎の(偏った)正義感をさっさと脱ぎ捨てることをオヌヌメする。

だって、本当の自分で生きてないじゃん。


で、ここから本当の意味でお金につながる、人生を豊かにする根っこの話。

これを紐解くためにテレビを捨てろなんて言うと、恐らく誰もがちんぷんかんぷんになると思う。だけどそれが真実なわけで、それを書いちゃうと無限に時間を割かれちゃう感じだから、今はただ単にテレビを捨てろとしか言えない。事情があって捨てられければ、余計な番組を見るなとしか言えない。

俺の家にはテレビが無いというと語弊がある。テレビはあるけど子供も含めて誰も見ない。テレビ自体はあるから映すことはできるけど、ファイヤースティックTV挿してるからそれぞれが好きなものを選択する。

子供がどうしても見たい番組がある時には録画するだけで、とにかくリアルタイムで何かを見ることはない。

何をいいたのかって、家族や友人がテレビの話題で繋がる時代は既に終わったってこと。それをインターネットの世界がはっきり断言してることに気づかない人たちは、今日もきっとウイルスが何人増えたから手に必死にアルコールすこすこしたりして、これからはこうやって生きるしかないみたいなことをずっと追いかけ続けるだけ。

ここではとにかくテレビの終焉がかなり近いってことをよーく理解したうえで、今後の人生でテレビに費やす時間をなるべく割いたほうがいいってことしか言えない。

また話がそれちゃったけどw

俺がいつも必ずやる作法。

食べる時に手を合わせて、命に、その恵に感謝すること。

ここからは俺が男だから男に向けて言うんだけど、ここが出来てない男はそもそもの感謝を知らない。知らないし学ぼうともしないから女性の力を舐めきって、金持っても出世しても感謝より俺を尊敬して欲しい、俺を尊敬しろばかりを求めすぎて、結局お金と権力の世界にぐるぐる巻きにされて縛られちゃう。

お金や権力だけが欲しければそうすればいい。だけど一回考えてみてほしい。イメージしてみてほしい。

例えばご飯を作ってくれてる、家族や大切なパートナーの台所の姿。

朝昼晩でも晩だけでも昼だけでも。その相手は台所に立って料理を作ってくれてる。自分が出来ない、出来るけどやらない選択肢を取ってる代わりに、その相手は台所に立つ。

長年一緒にいれば居るほど、その台所の時間は当然長くなる。1日2時間台所に立ってるとすると月間で60時間。年間で720時間。

相手の存在が当たり前になればなるほど、そういう場面を人は見なくなる、というか見えなくなる。だって当たり前になっちゃてるものに人は興味がなくなって、別の興味に耳目を傾けるから。

俺はもともと親に対してはこういう人間だった。誰かが何かをしてくれるのが当然だとばかり思い込んでいた。

だけどよくよく考えてみると、台所に立つ人の姿ほど凛々しく美しいものはない。それを知るきっかけになったのが今の嫁で。

出会ったころの嫁は幼少期のトラウマから線維筋痛症という難病が週に何回も発症してて。それこそ医者もお手上げの状態のなかで、ときどき体調がいいときにご飯を作ってくれるんだけどね。

俺はその症状をわからないままに無理しなくていいよっていつも言うんだけど、体調がいいときに作ってくれたそのご飯が超おいしくて。

なんだろう。親のご飯を感謝して食べたことがなかった自分の姿を思い出してね。

あぁ。俺のなかに感謝がなかったんだなぁって。こんな感謝のない人間になってしまったんだなぁって。

こんなに感謝のない人間になってるんだったら、どんだけお金を稼いでも幸せに向かうことなんてできないよなぁって。その当時の嫁のきつい世界と、時々作ってくれるご飯のありがたみの世界を通じて、深く感じることがあって。

だってさ。目の前の相手に感謝を忘れてしまった人が、他人に感謝できるなんてあまりにもおかしい話で。

目の前の相手にすら感謝を失うってことは、当然自分への感謝も失うってことで。だから今自分がきつくなるのって、常に目の前の人からの評価じゃなくて、自分には関係のないような他者の評価に応えようとしてがんじがらめになって、うまくいかなくなった時に言いたくないような愚痴まで漏れ出しちゃう。

そこから抜け出したいのに抜け出せないのは、一番近い人に感謝が無いからなんだなって。一番近い人の代表は自分、次いで親やパートナーや子供。その大切な部分に感謝をしてなかった自分から抜け出すことができれば、世界は変わる。それを学んだ結果として今の俺があります。

体も心も弱いパートナーと出会って、そのパートナーが調子の良い時に作ってくれたあの台所に立つ姿を今も色褪せずはっきりと覚えてます。

めちゃくちゃ嬉しかった。簡単なお鍋だったけどね、その人が野菜を切ってくれてる、お鍋の出汁の味噌を溶かしてくれてる。

そんなことが本当に嬉しくて嬉しくて。その恩返しがしたくて。今は嫁は普通に台所に立てるようになったんだけど、その時間は共同作業で簡単に作れる料理研究会を仲良くやってます。難しいのはお互い苦手だから簡単レシピでなるべく自然のものをみたいな感じで。

目の前の人がやってくれていることに感謝をすることほど、幸せなお金に結びつくことはないと俺は思ってます。

料理は例えの一個だけど、よーく考えてみると感謝できることって意外といっぱいあって。

あの時叱ってくれたから、今の自分がこうなってるんだろうなぁとか。

相手から見ると、あの時喜んでくれたから今も一緒にいてくれてるんだろうなぁとか。

で。俺がこういう人生を経て確信したのは。

人生って先出しゲームなんです。感謝の先出しゲーム。

お前から先に出せよ型の人間同士になっちゃうと、これがメチャクチャ難しくなって。

だからこそ自分から率先して先に出す。これを意識してみることが大事。

その一例が家族やパートナーが台所に立ってる時間。仮にその人が30歳だとして90歳まで生きたら台所に立ってる時間は?って考えてみること。

自分のやってることを尊重してほしいと思うんだったら、ますますそこを考えないと、ずーっといつまでも後出しじゃんけんの人生になっちゃう。

だから先出し。ありがとうと言えることを探して感じて伝える。お前がお前がみたいなことばっかり考えちゃってる自分がいるなら、そこにブレーキをかける。ブレーキかけないと、ずーっと相手を論破する構えだけでアクセル踏みっぱなしだとブレーキの役目を忘れちゃう。暴走モード。

今まで感謝の言葉を伝えてこなかった、だけどそばに居てくれた人に言うのはきっと気恥ずかしい。

その気恥ずかしさの壁を作ったのは他の誰でもない自分。

それを乗り越えたからってどうなるんよ?みたいな未来予測で今も生きようとするタイプは他者に対して常に不満を抱えて生きたいのかなって思っちゃうくらいだし、結局相手が相手がの繰り返しでこれからも生きていくんだろうし。

で、人生の最後になって考える。俺は一体何をやってたんだろうって。

この話はね。

自分を変えましょう、成長しましょうって言ってるんじゃないんです。

子供のころ当たり前にやれたことをもう一度思い出そうって話です。

子供のころに「いただきます」「ありがとう」って、当時はきっとその意味はよく分からないけど素直にやってて。

意味が分かるようになってからやらなくなったなんて、こんな皮肉な世界で大人が大人なんて言えるはずがないんだよ。

だって子供がやれるのに大人がやれないなんて子供以下の大人じゃんか。

だから。もちろんそこには上も下もないんだけど、自分が実際にやってきたことを今やらなくなった、やれなくなったことを今一度振り返りながら考えてみたほうが絶対にいいんだよ。

ここが何となくでも伝われば、俺は本当に泣くくらい嬉しい。

で。それを実践した世界で起きるのは、相手からありがとうって言われることが圧倒的に多くなる。

ありがとうを人から言われると超不思議なんだけど、自分にだんだんと根拠のない自信が生まれてくる。自信が生まれると今までの自分とは別の自分に気づく。そういうサイクルに入るとお金を稼ぐ発想も、自分や大切な家族やパートナーや、それこそ他人を幸せにする発想もガチでぐんぐんと広がってくる。

そうなってしまうと、もう自分を嫌う要素も誰かを嫌う要素もだんだんと無くなっていって、他人の価値観を大きな心の器で受け入れられるようになって、ぐるぐる巻きで縛られている世界から抜け出します。ガチで。

なぜ感謝をするとお金が増えるのか?なんて頭で考えてそんなわけないみたいになったとしたら、あなたは自分をかなり長い期間過小評価してきた(過小評価されてきたと思い込んできた)立派な証拠です。

トータルで言うとそれが承認欲求の世界ってことです。

俺は感謝されたい。認められたい。そればっかりが先に出る人の底って他人はちゃんと見えてるよ。だってそればっかりやってきてると、その人の感情の底あるものが会話でも文字でもだんだんと透けて見えてくるから。

で、世の中でハッピーなお金持ちがどう見えますか?

この問いで浮かんできた人って、承認欲求の塊だと思いますか?

もし世の中でハッピーなお金持ちが承認欲求の塊だと感じたなら、それはあなたがそこを見てるだけです。はっきり言うと、その人はあなたの心の投影です。

じゃあ、そのハッピーなお金持ちを見ても承認欲求の塊に見えない人は何を考えて、何をやってるんでしょう?

もちろん千差万別、個々人によって色んな形や環境があって、それぞれがの方向性や価値観があります。

だけど、ほぼ100%と言っていいくらい共通してるのは、感謝をたくさん探して発見する習慣があるってこと。

さっきと同じことを繰り返しますが、自分から先に感謝を見つけたからこそ、ありがとうと人に言えます。そうすると相手からありがとうが返ってくることがどんどん増えて、超不思議な根拠のない自信が生まれる。

お金に綺麗も汚いもないってヤバい話じゃなくて。

お金を上手に稼ぐ下手に稼ぐって話は現実的にある。

下手な自分がそこにいるなら、今一度人生を振り返って、人生を書き換えることはできる。下手でも稼げてるなら自分を素直にほめればいいし、下手すぎて稼げないなら誰かの模倣から始めて見ればいい。


俺たちは時々、自分が生きてる実感すら忘れちゃうことがガチである。


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