月曜日

まちづくりって最終的な所は
税収を上げる事だって思うんです

まちのお店(本社がまちにあるのが条件)が潤う為の手段がイベントであれば、なんですが・・・

イベントによる集客って、間接的であって

本質ではないと考えてます

私はイベントの翌日の風景をもう十何年か見てきました

いつも思うのは「日常の非日常」
いつきても楽しめるコンテンツこそが
魅力的な観光地であり、まちの活性化に繋がる

土日のイベントでの集客では行楽地レベル


わがまちは何を目指しているのか

まちづくりを語るなら
それを語れなくして
まちづくりを語ってほしくない

イベントと祭りを勘違いしてる人がいる

政(まつりごと)は土地に感謝し
代々の歴史を受け継ぐ行事

歴史的な価値ある伝統を大事にしない風土は
まちの衰退しか見えてこない

補助金や税金は消費ではなく投資であるべき

特にイベントについては
イニシャルコストに使い
ランニングコストには使えない仕組み

世代別に分けて
それぞれの年代でやりたい事をやれる
チャレンジできるまち

一部の人間しか利権を使えない仕組みも
まちの衰退となる

イベントが悪いのではなく
助成金がなければ継続できないイベントでは
まちの活性化にはならない、という事

お金が足らないなら
あるお金でやればいいし
有志でやればいい

募金やクラウドファンディングありきの行事は
文化や歴史にまでの昇華とはならない

いつからこのまちは
たかりが習慣となったのか


常に同じ人間が助成金を使うという事は
新しい芽を潰してるという事

稼ぐ→儲ける
儲ける→信者

信者を多くしていく事で儲ける

信者→ファンづくり

観光まちづくりとして生きる為の施策こそが
わがまちが生き残る道

雨が降ろうが
雪が降ろうが
コロナで疲弊しても

辞めずに頑張る

まちの店舗が潤う為に
何をすればよいのか

観光を勉強すれば
自分だけがよければいい
とはならない

1/365の花火大会に100の力とお金を使うより
年間2/3ある平日の稼働をどうするべきか

そこに予算がない事が観光地として
何も考えていない証拠

「わざわざ」行くのが観光地
会社を休んででも行きたい、その位の魅力


その地域の魅力がなければ
人はそこに訪れない

イベントの先には何がありますか?
何のためのイベントですか?

イベント屋が儲けて
まちのお店の方々が
我慢してないですか?

そのイベントは
まちの為になってますか?

明日の風景でその意味を感じてほしい。

その虚しさを感じて
何もしなくなった人々がいる事を
忘れてはいけない

お金も時間も余裕なく
まちづくりの話し合いに出られない

そんな人達が
「このまちで商売してよかった」

と言ってもらえるかどうかを
判断基準にして物事を考えていきたい

その対極が
「このまちに住んでてよかった」
となるのではないか

商売人と住人は視点が違うから

あくまでも
まちの活性化であるならば

商売人の価値観ありきで
住人にも納得頂ける価値

住める観光地を目指すなら
観光産業の職を提供できる事を考えるべき

「博多に通勤できる便利さ」
を語る議員がいる事実こそが
まちの衰退そのものです


結論は

40代の90%が市議選に投票すればまちは変わる

「でも、だって、しかし」が口癖の人は
他人の話を聞いていないし、信用してない、されてない。

経験した事ないなら、やってみなければわからない
できない理由を言い出した時点で、その人とは関わらない

それはNo.1かonly.1か?そうであればやるべき!

過去の実績や前列がなければ動かない組織は
衰退の道を選んで進んでいるようなもの




新聞には書けない内容の一部を抜粋しました