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わたしのさだまさしは

…ある日聞いてたラジオから流れた面白ソングからです。昭和52年。わたしは小学5年生。
そのとき呪文のように覚えた「グレープのチョウカン」という曲名、調べる術を知らない小学生でしたが、たまたまそういう芸能情報に詳しい友人が「それはさだまさしという人だよ。グレープていうのはもう解散してて、今はさだまさしひとりでやってるよ。『雨やどり』ていう曲もあるよ」と教えてくれました。

その後主にラジオを頼りに情報を集めて、初めて買ったレコードは「随想録」というライブアルバム。でも当時家には「ステレオ」がなかった。高校生になって夏休みアルバイトしてミニコンポを買うまで、…どうしてたんだろう。なんかちっこいプレイヤーで無理くり聞いてたのかな。記憶があいまい。

中1のときに「関白宣言」が大ヒットして、さだまさしさんは国民的なスターになりました。暗いとか右翼だとかいろいろ叩かれもしましたが、ずっと応援してました。初めてコンサートに行ったのは中3のとき。8月31日。指折り数えてるうちに義務教育最後の夏休みが終わってしまいました。

その後高校生になってもずっと好きで、聖地長崎に「醜驚旅行」で足を踏み入れるのがどうしても嫌で、高2の夏休みにひとりで長崎に行きました。いろいろ友人巻き込んで親を騙して。切符の買い方も知らなくて今思うとものすごい無駄遣いをしつつ、新幹線から乗り継いで長崎に到着したのがお昼頃、帰りはその日の夜の寝台車で。帰りの切符買った時点で所持金700円くらい、という無謀な弾丸旅。でも、憧れ続けた長崎の地にいるというだけで本当に嬉しかった。あの喉が渇いて浮かされるような暑さは今も忘れない。

そしてわたしももれなく「早大さだまさし研究会」に憧れて儚く散ったひとりです。東京の大学には入れたので、さっそく市川市に住まいを見つけました。この熱量。根っこからかなりのオタク気質だったんですね。

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でも、アルバムで言うと12枚めの頃から、あまり記憶がありません。一番の原因は、当時CDプレイヤーを持っていなかったから。私生活が忙しくなると同時にだんだん心離れてしまいました。それまでに大好きだった「春告鳥」「飛梅」「まほろば」みたいな情緒ある曲調が減って「説教臭い」歌詞に感じられたのも一因です。平和活動に絡むあれこれとかもありましたし。

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最後に行ったコンサートは、15年くらい前の相模大野でしょうか。さだまさしさんご本人にお会いしたのは去年の夏前、↑の写真のアルバムのリリースイベントです。川崎ラゾーナ。ハイタッチしていただきました(笑)。

今回コレを書くのにWikipediaで調べまくりましたが…知らないことが多くて「ファン」を名乗るのが申し訳ないような気になっています。
そうはいってもあの頃の熱狂は嘘ではないのだから、遠くからこれからも応援していこうかと。

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今後の夢は、やっぱり今大好きなBOYS AND MEN略してボイメンのメンバーと何か繋がって欲しいなあという(笑)。去年、推しの田中俊介さんの出た映画の主題歌をさだまさしさんの長男大陸さんのユニット「TSUKEMEN」が担当していて、その番組に単身でゲスト出演したのが今のところの最大のニアミスでしょうか。普段インスタライブなどでもよく「さだまさしさん」という単語は飛び出してるし(特に本田くん)、いつか交わると信じてます。

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長くなりました。すまん。


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