【学級通信】活動をかぶせる②

昨日の続きです。





昨日は百人一首の3試合目で全員が揃った。
個人によって試合数は異なる。

しかし、それでいいと思っている。
宿題のやり直しをきちんとしている子もいるし、お知らせを丁寧に書いている子もいる。
それぞれに時間の配分が違っても大丈夫なような仕組みを作れば、子どもたちは実に伸び伸びと活動に取り組むようになる。


そして、さらに言うとこの時間差のたびに「待つ」ことはしないことにしている。

理由は3つある。

1つ目。
早い子がいつも待つことになるからだ。
毎回待つことで、だんだん自分本来のスピードを出さなくなる。
意識しなくても自然にスピードを落としてしまうようになるのだ。
いつも力を出し切れずにいると、次第に意欲ややる気も無くなっていく。
これは、その子の成長の上で大きな弊害になる。

2つ目。
ゆっくりな子がいつもせかされることになるからだ。
毎回せかされると、常にその子は緊張状態になる。
焦った状態が続くことは、活動そのものが嫌になる恐れもある。
「待つ」ことはゆっくりな子に優しいように見えるが、実はその裏で早い子たちからせかされて焦らされて、次第に「あの子はいつも遅い」と思われるようになる。
それが続くといじめの標的になる可能性だってある。
だから、ゆっくりな子のためにこそ、待たない。(もちろん待たなければいけない時には待つ。)

3つ目。
知的ではないからだ。
「待つ」ことは非生産的な時間だ。
「待つ」ことでは何も生み出されない。
「我慢する」ことへの耐性はやや身につくかもしれないが、それにしても毎回毎回「待つ」ことはさせたくないと思っている。
せっかくの貴重な時間なのだから、できる限りみんなの成長や喜びに役立てたいと考えている。


このような理由から、1年3組では活動を「かぶせる」ことが多い。
行動が速い子にとってもゆっくりな子にとっても「かぶせる」という概念は優しいと考えている。

プリントを配るときには、ただ配るだけではなくて暗唱をさせる。
「論語」というだけで、子どもたちは「論語孔子 子いわく・・・」とそらんじている。
これも「かぶせる」概念から取り組んでいる。

朝の時間は「ゴールデンタイム」と呼ばれるほど一日の中でも大切な時間である。
毎日密度の濃い朝の時間を、さも普通に過ごしているみんなの姿にとても感心している。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?