めでたしめでたしまでから考える創作活動をするということ
はい。こんにちは。ちゃんこです。
ゲーム実況チャンネル、ゲーミングちゃんこにて実況しました「めでたしめでたしまで」というゲームに関しての感想をつらつらかいていきます。
まず、「めでたしめでたしまで」というゲームは
こちらの作品、フリーゲームですが、脱出ゲームとしての完成度が非常に高く、謎解きの内容もストーリーとしっかりリンクしていて、後半になるつれプレイしていて鳥肌が止まりませんでした。
イラストもふんわりとした絵本タッチのイラストで、可愛らしい雰囲気がありました。
今回はそんな作品について「創作活動」という観点から感想を書こうと思います。
ここから先は重要なネタバレ・個人的な解釈が含みますのでお気をつけください。
この作品の主人公である猫はプレイヤーとは別の存在で、手助けをされているという立場にいます。
そして、その猫が追っかける少女は物語を作った少女(以下さや)のイマジナリーフレンド(?)な存在です。(作中では明言されてませんので敢えて(?)表記しています。)
この、イマジナリーフレンドという存在は創作活動(特に一次創作)をしていく上で必要な存在だと私は考えます。
さやは、物語上にいる少女と共に次はああしよう、こうしようという風に話し合って2人で物語を作っていましたが、さやが大人になるにつれ、物語の中にいた少女の存在が薄れてしまいます。
しかし、1人物語の中に取り残された少女は孤独感からさやとまた遊べるように物語をバッドエンドに変えたりなど色々試行錯誤していくうちに、プレイヤーの力が加わった猫と出会う…というのがこの話のバックボーンだと私は考えます。
ここから、プレイヤーは猫とは別の存在、というのがまたこの作品の面白いところだと思いました。
創作活動というのは作者・作者が描いたキャラクター・作者が設定した主人公・消費者、というのがあって成り立つものだと思いました。
いままで私は主人公と描いたキャラクターは同じ目線だと思いましたが、このゲームを通して、特にゲームにおいて「主人公」というのは消費者、受け手目線で描かれているものだと考えます。
猫という存在がいたからこそ、一次創作活動の面白さ、奥深さを感じることが出来たからです。
この作品だからこそ感じ得た発見だと思います。
そういう意味でも「めでたしめでたしまで」という作品に出会えてよかったです。
今後、ゲーム実況という活動を通して、色んな方の作品に触れる機会があると思います。
そういう時、作者様の「好き」だけではなく、受け手としてどの立場で見るべきか自分なりに考えてプレイしていきたいな、と思いました。
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