1990年代の都内のゲーセンで体験した、出会いと苦い別れの記憶
「ゲームセンターって、あんな不思議な出会いがあったんですか」
最近は漫画『ハイスコアガール』、ドラマ『ノーコンキッド』など、1990年代のゲームセンターが描かれたり、その場とゲームを通じた出会いや人間模様が描かれている。
確かに自分自身が生きた1990年代、格闘ゲーム全盛期には不思議な出会いがあったし、今では考えられないような事件もあった(あんな甘酸っぱい思いを体験したことはないけど!)。
自分にとってリアルなもの(誇張されているとはいえ)が、若い人にってファンタジーのように扱われると奇妙な気分になるが……そういう時期になったのだろう。
ということは、自分の経験を書くだけで面白い話と思ってもらえるかもしれない。
今回は、本当にあったゲームセンターでの出会いと、当時ならでは事件の経験を書いて、記録として残しておこうと思う。
ゲーム野郎の誕生
1991年、『ストリートファイターII(ストII)』が流行すると、ときの男子にとってゲームセンターは一気にメジャーな遊び場になった。
「おーい、みんなでストIIやりに行こうぜ!」
なんて具合に僕のいた中学校のクラス半分(男子校だったので、共学であればクラスの1/4か)がみんなでゲームセンターに『ストII』をやりに行く、なんて経験すらあった。
大勢で行くのは、当時のゲームセンターが危険な場所だったからだ。
当時のゲームセンターは薄暗くて、店員もいないことが多い、監視が行き届かない場所だった。
そんな店内で子供たちが小銭を出してゲームをしていると、弱そうなやつを狙ってカツアゲする事件がおきたわけだ。
それでも大勢で行けば襲われる心配は少ないから、友人とゲームセンターに行ったのだ。
なんでゲームセンターに店員がいないのか、不思議に思うかもしれない。当時のアーケードゲームの商売として、「ジュース自動販売機のように、管理していなくても置いておけば金を稼いでくれる」と考えられている部分もあり、店員がろくにいない店もあったのだ。
『ストII』ブーム真っ最中のころはゲームセンターというより、『ストII』を置いてある”スペース”みたいなものもあった。本屋や駄菓子屋にゲーム機を置いてみたらすごく売り上げて、いつの間にかゲームのついでに本やお菓子を売るようになった店とか。
我々が大勢で行った店も、ゲームセンターというより『ストII』の台が2台あるだけのスペースで、店のおっちゃんはしょっちゅういなくなっていた。
そんなにまでして通ったゲームセンターだが、自分の周囲では『ストII』のスーパーファミコン版が発売されると下火になり、遊びに行くことは減った。
友達と行かないと危険な場所だから、そうなるとゲームセンターに行く機会が減って、しばらくすると学校内ではほぼ行かなくなった。
ほぼ、だからゼロではない。『ストII』ブームでゲームセンターを味わい、魅了され、通うことをやめられないゲーム野郎もいた。
当時、ゲームセンター用のハードには家庭用ゲーム機より高度なハードが採用されていて、音や映像表現において圧倒的に優れていた。
たとえば、家のゲーム機では最大3体までしか敵を出せないゲームも、ゲームセンターではその倍は登場させられたりした。量が必要なパズルやアクションでこれはゲームの量的な面白さや使えるギミックの差としてはっきりと表れた。
その魅力に取りつかれたゲーム野郎は、ゲームセンターを忘れることができなかった。僕もそうだった。
ベルトスクロールアクションを遊びまくる
『ストIIブーム』が落ち着き、それより少し勢いの弱い『格闘ゲームブーム』になったころ……僕は格闘ゲームではなく、カプコンのベルトスクロールアクションを遊ぶようになっていた。
ベルトスクロールアクションとは、『ファイナルファイト』のように敵を倒しながら進むステージクリア型の横スクロールアクションだ。
『ストリートファイターII』では昇竜拳を出して「すげえ!」と言われていた私も、その後の格闘ゲームの波に乗れず、ゲームセンターでは弱い部類のプレイヤーとなっていた。
格闘ゲームをプレイしても、すぐに対戦で負けてゲームプレイが2分程度で終わってしまう。
貧乏高校生に100円を2分で終わらせる余裕はない。しかし、ベルトスクロールアクションはうまく遊べば30分は遊び続けられた。
高校生になった頃にはゲームセンター生活も板についていて、通っていたD高校から1時間歩いた場所に1プレイ50円で遊べるゲームセンターを発見し、そこがいきつけになっていた。
で、そのゲームセンターに『D&D タワーオブドゥーム』が入荷されたとき、ゲームセンターで印象的な出会いを体験する。
時期的には、すでに続編の『D&D シャドー オーバーザ ミスタラ』が出て、攻略されて、飽きられていたころ。
僕は、高校2年生になっていた。
ゲーセンノートとERIとの出会い
当時のゲームセンターには、ゲーセンノートと呼ばれるノートが設置されていることが多かった。
ゲーセンノートとは、そのゲームセンターに出入りしている人間が文通感覚でコミュニケーションをとる自由帳だ(ストリートファイター公式ブログに紹介されるほどメジャーな存在)。
「今日は新しいゲームが入荷されていたので朝から来ました。いやー、さすが面白い。××はコマンドが簡単なので初心者はおすすめ!
ぴーす、より」
「ぴーすさん、やってみました!○○というキャラはAABで特殊コンボが出て楽しいですね。みんな使ってみてください。
やなぎ」
というような感じで、ゲームの感想や攻略情報、イラストがノートに書かれて、交流をしていた。
大抵は人気のゲームやら新しいゲームについて書かれるのだが、その中であえて古いゲーム『D&D タワーオブドゥーム』を攻略している人がいた。
その人の名前はERI(エリ)だった。
エリと出会いと交流
『D&D タワーオブドゥーム』は難しいゲームな上、プレイヤーの選択肢によってルート分岐があり、難易度が大きく変化した。
隠し通路などのしかけもたくさんあり、攻略……情報交換が有用なゲームだったのだ。
「○○ステージの壁に隠しスイッチがある」
「あのボスは盾で防御してから強切り」
などなど、情報交換することでゲームを少しずつ攻略していった。旧作なので、ゲーセンノートでずっと話題に出すのは僕とエリだけ。
『D&D タワーオブドゥーム』が出てくるまでゲーセンノートが怖くて使えなかった僕だが、エリと会話を続けてゲームを攻略するのが楽しかった。
2ヶ月ぐらいするとエリはこのゲームを1コインクリアしていたが、僕はどうしても最終ボスのデイモスが倒せなかった。
そうして悩んでいるときに、エリからのコメントがあった。
「私が倒すところを後ろでみますか?倒し方を直接教えますよ」
と。その書き込みにかわいいエルフ(D&Dのルシア)のイラストが添えられていたのをよく覚えている。
長い時間コミュニケーションをとっていてエリがどんな人か気になっていたし、攻略を教えてもらえるのも助かるし、一も二もなく了承した。
平日は部活があるので土曜日に集まることになった。
あれだけ連絡を取り合っていたのに、なぜお互いの事情を知らなかったのかというと、当時いたゲームセンターでは相手のことを探るのがタブーな空気があったから。ノートで直接個人情報を探ることはしなかった。
唯一、ノートに書き込んでいる人を見たときだけ、書き終えたあとノートを見ることで「あの人が○○さんだったのか」と知るぐらい。
週1程度しかゲームセンターに行かない僕とエリがたまたま会ってノートを書いているところを見る確率なんてかなり低い。
だが、実際に会うとなるといろいろ想像してしまう。
ERI、エリ。
つまり女性名。僕が通っていた学校は男子校だったので「同学年の女子かもしれない」と思うと、むやみに緊張した。
そりゃゲームが目的だけど、高校に通っている間に女子と出会うことを想像したこともなかったので、意識しまくっていた。
とにかく約束前日、金曜の夜は気が気でなかった。
土曜日、僕は珍しく整髪料をつけて髪の毛を整え、学生服でゲームセンターに向かった。野暮ったい服しか持っていなかったので、学生服が一番決まって見えたからだ。
エリに聞かれたら、「部活帰りだから」と言おうと思っていた。
約束の時間より早くゲーセンノートの前にたどりついた僕は、緊張しながらまっていた。
そして、時間になると……エリはやってきた。
「はじめまして、いーあーるあい、です。紅さんですか?」
「あ、はじめまして」
今更書くが、僕のゲーセンノートでの名前は「紅」。
厨二病まっさかりであった。安直な名前(今で言うと「†キリト†」とか)は避けたくて、個性を出すためにひねって考えた名前だった。
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げーむきゃすと は あなた を みて、「さいごまで よんでくれて うれしい」と かたった。