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『FF7 リメイク』、それはゲーム小僧だった昔の僕が夢見たゲーム。体験版をプレイして。

『FF7 Remake 体験版』がリリースされたので早速遊んでみたが、プレイ前、周囲のお祭り騒ぎに比べて僕のテンションはやや低かった。というか、不安だった。
プレイステーション版が出た当時、僕は『FF7』を楽しめなかった側の人間だったからだ。

当時だって『FF7』を見てグラフィックの進化には驚いたし、それを楽しみはした。
けども、わりと僕は冷めていた。すごいとは思っても、粗いポリゴン時代のゲームはドット絵時代よりも画面が見づらくなったと感じていた。
また、システム面では『FF5』や『FF6』に比べて装備できるものが少なくなっていたり、キャラクターのカスタマイズ幅が少なくなっているのが不満だった。僕にとって『FF』とは装備やスキルの属性を付け替えてボスと戦う工夫のゲームで、その要素が簡易化された『FF7』には納得がいかなかったのだ。

だから、当時のゲーマーのなかでも『FF7』への態度は冷めていて、それゆえに『FF7 リメイク 体験版』が楽しめるか不安だった。

これこそ、遊べる映画だ!

ところが、そういった不安は列車からクラウドが登場するオープニングシーンだけで吹き飛んでしまった。
「これが次世代機のゲームか…!」
その昔、体験版をプレイしたときに感じた感動が蘇る。
そして、比較対象は現代のゲームではなく(現代のゲームとして見てもグラフィックはすごいので、そ比較する必要を感じないのもある)、プレイステーション時代の『FF7』になった。

僕が粗いポリゴン人形だと感じていた男が、こんなにかっこよかったとは!

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そして、それ以上に粗いポリゴンで表示されていた世界に感動した。
体験版の舞台となる魔晄炉はファンタジックでありながら、同時に三角コーンや自動改札など現実的な物体も配置されている。リアルなのに現実感を感じない不思議な場所だった。

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こんな場所は地球上のどこにも存在しないだろうけど、妙なリアリティがある。SF映画を見ているような気分だった。
少なくとも、体験版の終わりの方までずっとそんな気持ちでフィールドを歩いていた。

ゲーム小僧だった自分を思い出すゲーム

「ゲームが映画に近づいている」とか「映画を操作できるようになる」とか、プレイステーション時代に言われ始めたように覚えている。
それはなかなか実現しなかったが、技術の進化でそういったものが出るだろうと想像できたし、『FF7』からの『ファイナルファンタジー』シリーズはその最先端を走っていた。

それは2001年の映画『ファイナルファンタジー』制作につながって、スクウェアという会社がなくなるほどの赤字を作って失敗に終わるのだけど、当時の責任者である坂口さん(FF生みの親と言われる人)は、あの粗いポリゴン世界のなかにこんな映画的なものを見ていたのではないか。

※最初、スクウェア社長と書きましたが、誤りだったので修正しています

そして、僕らが「映画が動かせる」と言われて想像していたものはこんなものではなかったのか。
その理想が、いま形になったのではないか。

少なくとも『FF7 リメイク 体験版』を操作している瞬間、僕は20年以上前のゲーム小僧であった自分を思い出し、あのとき見ていた夢のゲームが目の前にあることを思いっきり楽しんだ。

このゲームは『FF7』を初めて遊んだ感動を呼び戻し、ゲーム小僧だった当時と向き合える……時代そのものを思い出すゲームだ。
『FF7』がまばゆい光を放って登場し、プレイステーション・セガサターン時代を名作とともに駆け抜けたゲーム小僧のための一作であることは疑いない。

『ファイナルファンタジーXIV』は、僕たちを光の戦士に戻してくれる。
『ファイナルファンタジー VII リメイク』は、僕たちをクラウドを操作していた頃のゲーム小僧を思い出させてくれる。そういった魔法のゲームかもしれない。

以下、マガジン読者向けの蛇足的なことも書いておく。

もう1つ思ったこと。

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