ゲーム制作者じゃないけど、オリンピックの開会式にゲーム音楽が使われて感動したという話
オリンピックの開会式でゲーム音楽が使われたことについて、感動するところがあったのでサクッと書いておく。同じ40代なら共感してもらえるかもしれない。古いことなので細部はちょっと怪しいけど、そこは許して欲しい。
文中の画像は特に何もなければAmazonの商品ページから引用していて、各画像に出典のリンクを張っている。
と言うわけで、隙あらば自分語りタイム
「寺島くん、真面目にやってください」
私のいた幼稚園には、お絵かき教室もやっていた。そこで、当時……1986年に出たばかりだった『ドラゴンクエスト』の攻略本に夢中だった私は、ゲームに出てくるスライムを描くことにした。
そのときに先生に言われたのが「真面目にやってください」という意味の言葉だった(画像はfamicom-database.comより)。
振り返ってみれば、当時はコンピューターゲームの存在すら知らない人が多かったし、ファミコン、そのなかのいちソフトである『ドラゴンクエスト』ならなおさら(ドラクエが本格的に有名になったのは3作目からだ)。
だが、この「真面目にやってください」は、その後、何度も形を変えてやってきた。
ゲーム『ドラゴンクエスト』を遊んだとき、オープニング曲のあまりのかっこよさに感動して、「これは名曲だから一緒に聞こう!」とタイトル画面のままで祖父母に聞かせたとき、祖父は楽しげだったが、祖母は「もっと上等なものを聞きなさいよ」というようなことを言った。
そんな感じで、ゲーム・それにまつわるもの真面目なものではなく、劣るもの、良くないものである……そんな対応は当時多かったように思う。
その中でもとくに思い出に残っているのは、高校のころ、ゲーム部を作ろうとしたときの3年間だ。
当時、私はアナログゲームにはまって、学校にいる時間もその手のゲームを遊びたくて、ゲーム部の設立を目指していた。生物部に入ったらゲーマーの巣窟で、裏でやっているTRPGにはまったんだけども、ゲームをちゃんと認められた場所でやりたいという気持ちもあってその名を冠した専用の部活動を作りたかった。
部の設立には3段階の手間がある。
まず、5人を集め愛好会を作らなければいけない。
そして、活動実績を示して顧問教師を迎えて同好会に格上げする必要がある。
その後さらに1年以上の活動して10人以上を集め、生徒会の会議で承認されると晴れて部活動となる。
愛好会の人集めは簡単だった。TRPG(※)を遊んでいる同級生だけで5人。数は充分だ。そもそもTRPGをやりたかったのが大きかったので、みんな喜んで参加した。
TRPGとは、主に1人のプレイヤーが1キャラクターを作り、サイコロなどで行動結果の成否を決めて進めるアナログRPGだ。
当時はインターネットも普及していなかったので、遊ぶには実際に会うしかなかった。
だが、同好会にするときは大変だった。顧問の先生を迎えないといけないし、何かしら活動実績、活動予定を示さなければいけない。
そもそも、先生方の反応は悪かった。
「遊びを部活にするなんてとんでもない」
「心身を育成することが部活動の目的だから、ゲームはその範囲ではない」
「将棋も遊びだが、伝統があり、大会などの実績もある」
「スポーツは将来プロになる道もある」
そんなことを言われたと思う。
文学のようにゲームの研究をすればいいのかと、既存TRPGの系列だったまとめをする討論をしてみたり、伝統あるゲームが重要なら囲碁などの既存の部にないアナログゲームを包括的に扱うとしてみたり、いろいろやってみたが……結局、定期的に将棋部と対抗戦をすること(※)で同好会が認められた。
※これにはさらに裏があって、将棋部は人数が集まらずに廃部の危機だった。ゲーム部の人間が一部名前を貸すことで将棋部が存続するため、将棋部の顧問の先生と残っていた上級生が応援してくれた、というのが大きかったように思う。なお、1年だか2年後だかに将棋部は消えた。
本来はゲーム同好会としたかったが、体面を保つため「思考ゲーム同好会」という名前になり、「コンピューターゲームは遊びであって思考しない」という屁理屈のような理由から部活でやるのは禁止された(ただ部活用TVがなく、やる方法もなかったので気にしなかった)って同好会は設立された。
ちなみに、こういった状況が嫌だったこともあってBASIC言語を勉強し、高校2年生からBASIC言語でゲーム制作するようになっていた。
1本、ぷよぷよのようなゲームを(別の高校のコンピューター研究会に協力する形で)制作して見せた後、PCゲーム・ゲーム制作を含むならという条件でコンピューターゲームも許可された。
同好会運営で知る、ゲームへの偏見
さて、晴れてゲーム同好会を作ったのだが、作った後の方が大変だった。まずもって、先生方には「ゲーム部員の成績が全体的に悪ければ、即座に解散」という、おおよそ他の部活動にはあり得ない条件を裏で突きつけられていた。
柔道部やバスケ部の部員が留年しても体育会系の部活は残っていたのに、エラい差別である。そのため、「試験勉強はしようね」ということを部活動の場所で、先生ではなく私が言うハメになった。
また、同好会ともなると人が増えてきて下級生が増える。そして、部活動を行うまとめ役のもとに下級生の父母から相談がやってくる。
「ゲームやアニメに夢中で、将来ロリコンの犯罪者になるかもしれないから、やめさせたい。せめてゲームだけにして欲しい」
「ゲームなんて将来に役立たないので、何か別のことをさせたい」
「ゲームをやっていて成績が下がったら、寺島さんから部をやめるように言ってください」
とか。そんな意味の相談が寄せられた。
何人かの父母の方はとにかくゲーム部をやめさせたくて、下手すると体育会系の部活で健やかに育って欲しいと願っていた。
当時、宮崎努による連続幼女誘拐殺人事件の影響が抜けておらず、アニメ・ゲームなどのオタク産業は非常に疎まれていた。ゲーム産業が続くと思わない父母の方もいらっしゃったし、そもそも人生の落伍者が従事するような仕事だと思っていて、それを隠さない方も多かった。
というか、同級生なんか「お前ら、ロリコンアニメが好きなんだろ」とか、侮蔑の言葉を投げつけてくるような時代だった。
わりと「よくわからんゲームしているオタク=オタク=アニメも好き」みたいな雑なくくりもあった。ただし、『スト2』とか『ドラクエ』とか、人気ゲームは許された。
で、ゲーム部から人を出して生徒会のお手伝いをして生徒会長の名前をゲーム部の名簿に名前貸ししてもらって「生徒会長だっているし、品行方正な○○さんもいますよ」とか言って、安心してもらう必要があった。
わりと父母の方にはそういったものに弱い方もいて「それなら……」と引き下がってくれるのだが、何かあると我が家に電話がかかってくるのであった。
TRPGをしまくってコンベンションに参加した結果、偶然にも現役ゲームデザイナーやら小説家の方と知り合ったので、業界が続くかどうか、どんな仕事をしているのか、ゲーム関連の進路についてなど聞いてきて、父母に説明することもあった。
バスケットボールやラグビーをやっていたからと言ってプロになるわけでもないのに、なんでゲームだけこんなことを……。
ゲーム部に求められる活動実績とは
さてさて、同好会を設立したら部にしたい。なんせ、部活動になったら予算が出る。予算が出れば高校生には高いルールブックやらボードゲームやらが部の予算で買えるのだ!
部活動になるためには「活動実績」を示さなければいけない。これは体育会系の部活動なら、たとえば「甲子園の予選に出ました」などで良いらしかった。
ところが、TRPGやボードゲームには学生向けのでかい大会(TRPGはそもそも競技じゃないし)がない。
文化祭に参加してオリジナルのゲームブックを作って3冊展示したり(今思うと、これはわりとすごい活動だった気がする)、コンプRPG(TRPG雑誌)のシナリオコンテストに応募したりしたが、「遊び」で終わってしまう。
そもそも、ゲームは文化というか、これからもっと大きくなるはずの文化だ(※当時は自分にとってアナログゲームが新しい物だったので、古くから存在する認識がなかった)。多くの文化部は大会もレポートもなく、研究しているだけなのに、ゲームをやって人と交流することが他の部活に大きく劣っていていいはずがない。
これにはだいぶムカついていた。
この「活動実績」問題は、偶然というか、黎明期にゲームにのめり込んでいた濃いメンバーだったからか、まあゲーマーらしい決着があった。
トレーディングカードゲーム『マジック・ザ・ギャザリング』が流行し、それにのめり込んだ結果、部のメンバーが大きな大会で優勝してしまったのだ。
彼には「実績になるから、全校集会で校長先生から表彰を受けて欲しい」と言ったのだが、「恥ずかしいからやだ」と断られていた。
彼が高校をやめて(おそらく)日本初のプロカードゲームプレイヤーなったことを担任の先生がポロリと漏らすと、「あいつはプロになって、親より稼いでいるらしい」とか、「ゲームをやって食べられるんだな」と話題になり、部活動入りの審議を拒否する理由がなくなった。
それだけでなく、「ゲームはただの遊びじゃなかった」と周囲が認知するにいたってゲーム同好会に対するいじめのようなものがなくなって非常に助かった。
プロスポーツ選手を輩出したことがない部活動があるのに、プロゲーマーを排出した(部活で育てたのではなく、偶然に天才がいたというだけだが)部活を拒む理由がないだろう、と思った。
大会の話が良かったのか、それまでふらつきながらも頑張っていたのが良かったのか、いずれにせよ2年程度の活動でゲームをやり続けた結果、ゲーム同好会の活動は実績があるものと認められた。
高校2年の最後で「全力でゲームにハマることは意味がある」ことが学校に認められた瞬間だったように感じた。
部活動化への道
さて、ゲームを部活にするためには生徒会の部長会議を通る必要があった。各部活の部長が登場するここで多数決によって決められる。
残念なことに、ゲーム同好会の部活化はここで否決されてしまった。
「遊びのゲームが部になるなんておかしい」「伝統もなにもない」などの理由で、体育会系の部活動が反対に回ったことが理由だった。結局のところ、先生より生徒に根付いていた偏見の方が大きかったのだと思う。
当初より体育会系の部活動の面子とは折り合いが悪く、「教室でサイコロ振っていてうるさい」「気持ちが悪い」みたいな扱いを受けていた。ひどいときはボードゲームをゴミ箱に捨てられたりしていて、自分たちもそれに対して反発していた。
そういった人間関係がそのまま出てしまったのもあるだろう。
とにかく、もう自分が高校生の間にゲーム同好会がゲーム部になる見込みはなくなった。ゼロから立ち上げただけに、とても残念だったのを覚えている。
(ゴミ箱に捨てられたのは確か、モンスターメーカーのカードゲームだった。画像は比較的最近出た新バージョンのもの)
最終的に、ゲーム同好会の部員を生徒会長選挙に担ぎ出し、生徒会長とすることで解決を図った。
歴代生徒会長が2人も名を連ねる部活になれば父母も(ちょっとは)安心だろうし、生徒会長が務まるような人間がゲーム部にいれば私が卒業しても安心というのもあった。
で、私が卒業してからゲーム同好会は無事にゲーム部となり、予算をもらってゲームできるようになった。
生徒会の多数決を制した決め手は、私が意図した「生徒会長がゲーム部の部員」という理由ではなかった。
ポケモンカードや漫画の遊戯王が流行し、ちょうどその世代だった1998年頃の高校生と世代にアナログゲームが認知され、オタクへの風当たりが弱くなったことが大きかったのだ。
「『ゲームぎゃざ』(カードゲーム雑誌)に、部活の卒業生が載っている」ということはインパクトがでかかったようで、私の卒業後に部員はもっと増えたらしい。ゲーム部があると聞いて、私のいた学校を志望した生徒もいたらしくて、ちょっと誇らしかった。
この件について当時の後輩から指摘があって、部にするためにたくさんの生徒に名前を貸してもらって名簿上の人数がものすごく増えたらしい。
さらに、下級生たちが上級生受けが良い子たちだったため、生徒会の会議(上級生たる部長の会議)ですんなり通ったこともあるとのこと。
すまんな……体育会系と喧嘩しながら刃向かうように部活を立ち上げたので、2代目同好会長(初代は例のプロプレイヤーで、二代目が自分)はゲーム部を部にできなかったのだ。
そして、開会式へ……。
2000年頃になるとゲームだからといって近くの人から特異な物としてみられることはなくなっていったように思うが、その後も「将棋会はOKでも、ゲーム目的では会議室を貸せません(ゲームを遊ぶのではなく、ゲームを作る会議でも!)」とか、そういった扱いを何度か受けてきて、「やっぱりゲームってのは辛いなぁ」と思った経験がある。
そういった経験を重ねた過去から、オリンピックの開会式でゲーム音楽が流れたことは本当に嬉しく感じる。
ゲームと言うだけで真面目ではなかったり、どうしようもないものと捉えられてきた(少なくとも、私の経験では)過去があって、今もどこかでそんな状況があるかもしれない。未だにあの頃の父母の方の中には「ゲームなんて……」と思っている方がいるかもしれない。
でも、こういう例が出たことでどこかで扱いが良くなるかもしれないし、父母の方にもしまた会う機会があれば(当時の部員とはまだ繋がりがある)、「あの頃はわからなかったけど、ゲームってすごかったんですね」と言ってもらえるかもしれない。
高校生の頃にこれがあったら「いやー、ゲームってこんな世界で認められているし、私もマジックで知り合ったアメリカの人と文通していて英語の勉強にもなってますよ!」とか父母に語って、それを受け入れる方もいた気がする。
「もともと、ゲームは文化として認められて当たり前のもの」という意識が高校生の頃から私にはあった。その意識に基づけば、オリンピックの行進曲がゲーム音楽づくしになったことは、ある種当たり前の状況になっただけで喜ぶ必要はないことだ。
というか、心の片隅には「こんなときだけ持ち上げやがって……」みたいな気持ちがある。
それでも、我ながらチョロいと思いつつ、高校生の頃の苦労を思い出すと国が世界に向けて「ゲームと漫画の国へようこそ!」という演出をしたことは嬉しいし、「ここまできたんだなぁ……」と感動してしまう。
2021.07.26.9:50
誤字修正、スト2などの補足部分、蛇足部分を追記
さらに、部になった経緯を知る後輩からの指摘部分を追記。
超蛇足
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げーむきゃすと は あなた を みて、「さいごまで よんでくれて うれしい」と かたった。