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8月15日が、また、やって来た

言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね、
と外務省政務局長という肩書の安東義良が笑いを交えながら述べている。
あれは僕が考えた
終戦 終戦で押し通した
降伏と言えば
軍部をえらく刺激してしまうし
日本国民でも相当 反響があるから
と言ってから、思い切ったように
「事実 ごまかそうと思ったんだもん
ごまかすというと語弊があるけど
言葉の伝える印象をね
和らげようというところからね
まあ そういうふうに考えた」
スパイや武官情報を縦横に駆使して、かなり確度の高い情報を手にしていた陸海軍と異なって、海外向けラジオなどの、公開情報の分析一本で、世界情勢を分析して、見事に失敗して、ヤルタ会談開催を見て、万策尽きた外務省官僚の、「絶対必勝」を唱えて鉢巻き姿も勇ましく、竹槍訓練に勤しんで、
「負けるみたいよ」とでも言おうものなら、上陸してくる米兵よりも先に、
女子学生たちに何十本という竹槍で串刺しにされそうだったなかでの、なんとか戦争を終わらせねば、という努力の一貫でした。
「敗戦」という言葉を使うのはタブーなので「終戦」。
なんだか他国人が聞いたら、現実から顔をそむけていれば、現実のほうが、世にも稀な繊細で傷付きやすい魂を持っている日本国民の前から立ち去ってくれるとでもいうような、吹き出してしまうような幼稚さだが、
日本文明というものは、そういうもので、もういまの世代の人は、散々、見てきたように、言い換えの王国で、敗戦は終戦、敗走は転進、放射能汚染は風評で、横領は使途不明ですんでしまう。
正直者はバカを見る、というクリシェの通りで、だんまりや、知りません、
記憶にありません、いやあ、忘れちゃったなあ、と言っていれば、それで済んでしまう社会で、わざわざ正直なことを述べて、これも日本名物、集団による袋だたきに遭う道を選ぶバカはいないでしょう。
ついでに日本人は自らの判断で、苦渋の決断で、忍び難きを忍び、耐え難きを耐えて、崇高で悲壮な判断で、涙をのんで戦争に幕を引いたのだ、と悲劇の一場を盛り上げるために、「終戦記念日」は天皇が録音した玉音をラジオで放送した8月15日であることにした。
普通ならば、お膝元の東京湾まで進出していた戦艦ミズーリの艦上で、日本側の全権団が無条件降伏文書に調印した9月2日が「降伏の日」とでも名付けられて歴史に残るところだが、プライドが高い日本の人には、いまに至るまで、北米とANZAC、欧州各国が、ブラックドラゴンじみたナチと全力を挙げて苦闘しているあいだに、軍事的空白となった太平洋に、男手がなくなった家庭の事情を見澄まして裏庭から入りこんだ強盗よろしく、手当たり次第に資源を手に入れ、家の主婦や娘たちを強姦して、そんな悪事を働けば、consequencesを伴うのは当たり前で、ものも言えないほど、ぶちのめされて、あまつさえ、見たことのない核兵器まで二発も落とされて、
都市という都市は瓦礫の山に変わって、まるで軍靴で顔を地面に押しつけられるようにして、ついには自分たちの家の妻や娘達を差し出すことになった、ボロ負けもいいところの戦いの果ての降伏を、認める気持にはなれなかったのでしょう。
その証拠に、いまでも日本の人に聞けば、「終戦の日」は8月15日で、欧州ではカール・デーニッツが降伏文書に調印した5月8日がVEデーだが、
なぜか日本については8月15日が、VJデーで、ちゃんと対をなして照応していなくて、奇妙だが、これはヒットラー以上に、昭和天皇が戦争を引き起こした当人で、その本人が、「負けちまっただよ」と述べてギブアップすれば、そこで戦争は終わったのだ、という、主にアメリカ人たちの気分によっている。
そういう言い方をすれば、戦争をしていたのは日本という国ではなくて、ヒロヒトが戦争をしていた、という認識の表れでしょう。
ちなみに、日本と似た立場に立ったドイツでは、ナチドイツが降伏した日を、どう扱っているかというと、ソ連の勢力下に入ることになった東ドイツではナチ・ドイツに勝った、戦勝記念日で、西ドイツは、知っている限りでは、a day of shameで、苦い味のするGedenktagで、「記憶されるべき日」ということになっているようです。
なあんとなく、ドイツの人のVEデーへの反応を見ていると、自国の歴史の苦さを噛みしめているような、チクソーな気持が、ありありと伝わってくる。
最近になって、ソ連の満洲侵攻が寝耳に水の騙し討ちだった、なんてのは、まったくの虚構で、陸軍も海軍も、ほぼ精確に侵攻開始日まで知っていて、
外務省と政府には教えなかっただけなのが判っています。
昭和天皇が建てた、「連合国相手に1勝してから講和にもちこむ」という大戦略に忠実に従いたかった陸海軍は、貴重な「1勝」を挙げるゆいいつの機会である本土決戦に、どうしても持ち込みたかった。
現人神の期待を裏切り続けて、負けに負けて、到頭、「日本本土の最後の出城」沖縄の陥落が迫った6月、ありとあらゆる戦力を本土に蓄積して、「ガツンと一発」をお見舞いするためには、その前にソ連が侵攻してきてしまっては、二正面が出来てしまって、どんなに皇国不敗の信念に燃える国民であっても、本土決戦もなにもないのは判り切っているので、
ソ連の侵攻が必ず、しかも、もうすぐに起きるのだと言い出せなかった。
不思議な気がしますか?
不思議な気がするのは、きみの頭が健常な証拠で、
ソ連の侵攻が「1勝講和」のロジックを破綻させるから、言わないでいる、という態度は、極めて日本的なもので、およそ他国の人間には理解しえない態度です。
だって、侵攻がないことにしたって、来ちゃうものは来ちゃうんだからね。
それに、いまの日本の人には、見覚えがある光景でしょう。
2011年に同時的に歴史を見ていたわけで、
目の前で建造物がふっとんでいるのに「原子炉は爆発してません。あれはね、換気してるだけなんですよ。素人のくせに世間を騒がせるようなウソをつくなよ」という。
メルトダウンが、誰がどう見たって始まっているのに
科学者たちが「メルトダウンはないダス」と言い出す。
終いには、いつものこと「メルトダウンとはなにか?」という、組んず解れつの詭弁格闘戦に陥って、
「メルトダウンとはなにか、人によって違うのかも」
という堂々たる痴愚の結論に辿り着いている。
そんなふうだから、放射能はばらまいちゃったけど、害なんてありません、という、いまの世界で日本人だけが信じている珍説を国民があげて信奉して、それを外国人たちが、おなじ理屈で太平洋に汚染水を垂れ流されてはたまらないので、指摘すると、「国民をあげて、なんてウソをつくのはやめてください。ぼくは、放射能が無害だなんて言ってことはありません」という、厚顔無恥な怒りまで表明する。
東電の責任もないことになって、「あんなおおきな津波が来るなんて、誰もおもわなかったんだから、しょうがないよね」で、すませてしまう。
民主党から自民党へ政権が移行すると、まるで明の歴史を全部書き換えてしまった清王朝よろしく、「ほら、菅直人って、やたらカッカするやつがいたじゃない。あいつの対応が拙かったせいでしょう。全部、あいつが悪い」になっていった。
ああいえば、こう言う。都合が悪い図星を指されると、だんまりを決め込む、グサッとくる言葉は言い換えて、口当たりをよくして、まろやかな味を演出する人工調味料を混ぜておく。
少女買春が援助交際なのとおなじことで、エンコーで思い出したが、戦後しばらく頻発した強姦は、当時は「いたずら」と呼ぶことになっていて、井伏鱒二の「本日休診」にも、「いたずらをされた」女の人が出てきて、どういう意味なのか理解するのに時間がかかったが、「いたずら」と呼び変えておいて、経済繁栄の時代が到来すると、強姦は少なかった、ということになって、あまりのことに、ぶっくらこいてしまうが、「日本は歴史的にも世界一性犯罪が少ない国です」と述べる人が普通に存在するようになってしまった。
目の前で泣き叫んでいる女の人がいても、なにしろいたずらされたぐらいでギャアギャアうるせえだけなのだから、そりゃ、まあ、性犯罪は少なくなりますね。
あのさあ、そんな話、いまさら蒸し返すのやめようよ。
みんな気分が悪くなるだけじゃん。
と、きみは言うであろう。
ところが
ところーが
日本は、ですね。
経済も財政も、崩壊寸前なんです。
いつ崩壊の瞬間が来るかは別にして、方向性は定まっている。
あらあー、とおもうニュースもいくつもあって、次の、サラリーマンが好きな語彙を使えば「直近の」日本経済の勝負所は、黎明期で、といえば聞こえがいいが、まだまだ駆け出しで満足なものになっていないEVで、
これが10年ちょっとで、本格的な普及に入っていくのが、もう判っている。
途中では成熟した技術のハイブリッドやなんかが盛り返してEVをいったん抑え込むだろうが最後は自動車はEV以外に行き先可能な技術がない。
新聞を読む人は、経団連のおっちゃんだかなんだかが、「電気自動車は100キロ走れば十分だ」と言っているのを読んだでしょう。
あの小さな記事が意味していることは、少しも小さくなくて、日本の自動車業界が決めた、目先の利益を上げるための「逆張り」戦略をあらわしている。
どういうことか。
EVが普及するための最大のボトルネックは充電時間であることが、いままでのマーケットリサーチの積み重ねで判っています。
3分もあれば、注油を始めてからスマートフォンのアプリケーションで支払いを済ませて、フルタンクでガソリンスタンドを離れられるガソリン車に較べてEVは、時間がかかりすぎる。
ところが、いまのEV車の最も一般的な定格である400V仕様では数が少ない「急速充電」によっても40分、普通の充電器だと、気が遠くなる、というか、8~16時間も充電に要する。
これを解決するには、800V仕様に変えないといけないが、ちょうど戦争中に、千馬力級が限界で、どうしても性能が良い戦闘機用の二千馬力エンジンがつくれなかったのに似ているというか、800Vにするためには、パーツひとつとっても見直して別立てで作り直さないといけなくて、そのためには、ラインからなにからすべて新しくしなければならないが、
そんな大規模投資は、やりたくない。
日本は日本の道がありますからで、逆にいまの400Vから、やや性能を落として、廉価なEVで一挙に市場を占有する、という戦略です。
投資家たちの感想は、「これでトヨタの時代も終わりだね」というものでした。
日本のクルマ産業はEV時代を生き残れなさそうだ、という。
むかしは4発機で、エンジンが一個くらい止まっても、涼しい顔で飛んでいらられた日本経済も、PCがダメになり、スマホがダメで、ついに家電も売れなくなって、最後に一基だけ残っているのがクルマでしょう。
トヨタという会社は、過労死がおおかったりして、働く人には辛い会社だが、国家が頬ずりしたくなるくらい、日本という国からみれば、なくてはならない会社で、これがなくなると、極端にいえば、経済の大黒柱がなくなってしまう。
まるで寓話のような見事な大失敗に終わったアベノミクス以前なら、日本は、持ち前の財政復元力で、ヤジロベエのように、右へおおきく傾いて、こけそうになって、左へ復元されて、ちょっと危なかったよね、で持ち直すことが出来たが、国の経済振り子の低重心を生みだしていた超健全財政が吹き飛んでしまった、いまは、もう無理です。
そう。
また戦争が来るでしょう。
万策つきれば、取りあえず侵略が、「台湾征討」以来の日本経済の伝統で、
日本が第二次世界大戦でオオゴケにこけたのも、根底的な理由は、南方からの資源の輸送の失敗と、よりおおきな理由は、赤字垂れ流しにおわった満洲経営の失敗でした。
そんなバカな、と、きみはいうであろう。
いろいろなシナリオがあるが、例えば、習近平が台湾に武力侵攻したとするでしょう?
30年前の日本なら、救けになんかいきません。
あらあ、お気の毒に。たいへんでしょうから、手を貸しますよ。半導体産業だけ分けてくれませんか?相場の半額くらいは、お出ししますよ。
くらいで終わりです。
いまなら、憲法さえ改正されていれば、どんどん行けます。
アメリカと手を組んで、正義のために台湾の側に立って、悪の帝国習近平率いる中国と戦争をして、ついでに台湾を実質的に支配下における。
それを引き鉄に中国の習近平体制が崩れて内政が乱れれば、香港、深圳、
涎が出そうな土地は、いまの中国には山ほどある。
国内の産業をゼロというかマイナスからやり直すより、ひとのものはおれのものの、日本の長い伝統に立ち戻ったほうが、国民意識としても、ずっと落ち着きがいいでしょう。
戦争は、学校教育、企業文化、言語の隅々にさえ染みこんだ、日本の主流文化です。
80年たって、やっと古巣に帰り着く。
民族の歴史というのは偉大なもので、日本の人にとっては好戦民族にもどってみれば、むかし取った杵柄、戦争はお家芸で、もどってみれば、やっぱり、こうじゃなくっちゃ、で良さそうだが、
あのですね。
他国人にとっては、またですか、もうやめてください、としか言いようがない。
後々は勝つのか負けるのか判らないが、敵として日本のひとと戦うのは当然としても、戦争をやらないでいてくれれば、それが最も良い。
そのためには、まずなにをやらなければならないのかというと、
当たり前すぎて、言っていても恥ずかしいが、
まず1945年に終わった戦争を始めた責任は誰にあるのか。
1941年に南方作戦へ拡大した責任は誰にあるのか。
1944年のサイパン失陥という軍事的な敗北の確定のあとまで戦争を続けさせた責任は誰にあるのか。
1945年の6月以降、ソ連の侵攻まで判っていて、本土決戦戦力など存在しないことすら梅津美治郎参謀総長の告白によって判明していたのに、沖縄で市民が犠牲になり、二発の原爆が投下され、ソ連が満州侵攻して、大勢の日本人市民を酷い目にあわせた責任は誰にあるのか。
責任が誰にあるのか確定して初めて戦争へ動いた仕組みが判るので、日本の人が、なあんとなく誤魔化しているような、逆ではない。
犯人が見つからなければ犯罪の全容は判らない。
8月15日、一緒に訪問して、ああでもないこうでもない、談合しようとおもっています。

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