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荒っぽさの効用について (2013)
初期の艾未未 (Ai weiwei)の有名なパフォーマンスに漢王朝時代の壷を床に落として割ってみせる、というのがあった。
あるいは、Ai weiweiは、これもたいへん有名だが古美術価値ばりばりの新石器時代の壷に「コカコーラ」の商標を朱で描いてしまう。
http://dailyserving.com/2010/07/ai-weiwei-dropping-the-urn/
Alison KlaymanがつくったAi weiweiについての素晴らしいドキュメンタリ
「Never Sorry」のなかで、Ai weiwei自身がインタビューに答えて「壺は両方とも本物だよ」と述べている。
Ai weiweiは殆どの作家がなんらかの集団に属している中国の芸術家のなかでは極めて異例な「一匹狼」で、いまに至るまでどこにも属していない。
いつもひとりで、自分の二本の足で歩いて、尾行してくる中国の公安警察の開けさせたクルマの窓にクビを突っ込んで「なぜ、おれを尾行する? ふざけるな。イヌ」と悪態をつく。
天安門の前にたって中指をつきたてた(中国政府にとっては)とんでもない写真を世界中に公開する。
http://nyogalleristny.files.wordpress.com/2012/06/aiweiwei_finger.jpg
中華人民共和国60周年の記念で鼻高々の政府の面子をたたきつぶすように、ビデオカメラの前に立って「Fuck you, motherland」と述べる。
夜中に嫌がらせにやってきた警官に銃の台尻でなぐられて重傷を負って入院開頭手術で生と死の境をさまよい、戻ってきてやったことが、この「Fuck you , motherland」だった。
初めてAi weiweiを見た人が不思議に思うのはAi weiweiには「自由への闘士」や「勇敢な政治運動家」というにおいが少しもないところであると思う。
大地の上に自分の2本の足で立っている自然の人が、政府という絡みつく根のように自分の行動や思考を妨げる組織を煩わしがって、怒っている。
ときどき、自分でも制御できない怒りが突然あらわれた龍のように空を割って暴れだす。
Ai weiweiは自分を逮捕しようとする警官に「やれるものならやってみろ、このクソ野郎」という。
ツイッタでは「通りで独裁に向かって投石するくらい愉快なアウトドアスポーツはない」と書く。
ある欧州人は「Ai weiweiのなかのフーリガン」という表現を使った。
Ai weiweiというひとのなかの「湧きだして奔出する怒り」を表現し得て妙であると思う。
中国の知識人たちはAi weiweiの感情にまかせたような政府へのすさまじい個人の怒りの表現をみて、「これまでの自分達のやりかたではダメなのだと悟った」とインタビューで述べている。中国人の芸術家や知識人は伝統的にもっと穏やかな口調で、しかし巧緻な皮肉で政府を揶揄する伝統を持っていたが、そんなやりかたではまったくダメだということをAi weiweiが教えてくれた、という。
「知性のきらめき」などは国家にとっては鳥の糞ほどの影響もない。
Ai weiweiは「戦う芸術家」などではない。
Ai weiweiはどんな場合でもAi weiwei以外のものであろうとしない。
驚くべきことに、全体主義の圧政下の中国社会のなかですら、Ai weiweiは一個の気儘な芸術家としてふるまってきた。
自由人として自分の足で歩き、でかける先々でやりたいことをやった。
相手が自分の自由を邪魔していると感じれば、それが14億人の国民を恐怖政治で戦かせ口を結ばせている政府に対してでもおおっぴらに中指を立てて怒った。
自分という人間は中国の部分などではなくて、一個の全体であって、国家はその厳たる事実をうけいれなくてはならない、ということをあますことなく表明してきた。
絵描きが絵を描くのは、そうしないではいられないからである。
音楽家が音楽を作るのも、そうしないでいると自分のなかの「音楽」が出口を失って魂が爆発しそうになるからだろう。
自由を間断なく必要とする人間が自由を規制しようとするものに対して(自分の予測をすら裏切って)牙を剥いて戦うのも、事情が少し似ている。
自由がなくなれば、自分の肉体は生き延びていても魂は死んでしまうと知っているからであると思う。
日本の伝統的な統治のやりかたは「国民に自由を求める気持ちを起こさせないようにする」ことだった。
外国人から見ると道徳的に無軌道にさえ見える中国人の「なりふりかまわぬ個人の自由への希求」を中国政府が日本式のやりかたでバネを外すようにして従順な無力のなかへ落とし込んでいかなかったのは、日本のひとが考えるよりもずっと意識的になされたことで、冒頓単于の昔から、北虜南倭、他民族に侵略され、あるときは、清王朝のように長期に渡って支配された経験から、「個人の内部の自由を保存する」のは中国文明の知恵であって、それこそが漢民族がいままで生き延びてきた力の源泉だった。
中国人は、自分達の「わがまま」こそが民族の生命だとよく知っている。
あれほど他人をロボットのように扱うのが好きだった毛沢東でさえ、中国人たちが時に死を賭してまで野放図を発揮することを自分達の民族の健康さのバロメーターとして喜んだ。
むかし、中国人の友達に「しかし日本人は個人を部品にするような社会をつくって成功したじゃないか」と述べたら、表情も変えずに「周辺民族というのは、そういうものなんだよ」と言うので驚いたことがあった。
中国人たちの考えでは人間の魂そのものが、「わがまま」でなくなってしまえば、民族は衰退に向かって一直線にすすむしかないものであるらしい。
落ち着いて本を読んでみると、毛沢東とAi weiweiにはフーリガン的な野放図さを爆発させるデーモンのようなものが内在するという点で重要な共通点があるが、当たり前でもあって、その強烈な野放図さと妨げるものが何もない欲望と自由の追究に中国人の原像がある。
中国人にとっては心を枉げてなんだか人間でないもののようになって黙々と規律に従うのは文明をもたない野蛮人であることと同義である。
中国人はだから日本のように教育や社会道徳、文化をとおして人間を従順に改造してゆく方法を選ばずにわがままな人間の集団を行政的に強圧支配する方法を選んだ。
その端的な結果のひとつが「天安門事件」で、年長のひとたちのなかには鄧小平があのとき、「3千万人程度の人間を殺したところで中国という国にとっては痛くも痒くもない」と述べたのをおぼえているひともいるだろう。
天安門は一方で無数の中国人たちを「覚醒」させた。
Ai weiweiが政治的メッセージに関心をもつようになったのもやはり天安門事件がきっかけだった。
日本は天安門事件のように自国民を血の海に沈めるようなことはしない国である。
子供達が学ぶ教科書を政府が綿密に検定し、小さいときから反抗心は入念に取り除いて、学校では「静かにしなさい」「よく考えてから意見を言いなさい」「他人の迷惑を考えなさい」と「まず全体を見て、それから自分の行動を(全体の理解が得られるように)決めなさい」と言われるもののようである。
そうやって社会の部品として学校から社会に出てくる頃には高いクオリティコントロールを経てつくられた「Made in Japan」の高品質な国民としての諸条件を満たしていることが期待される。
もしかすると訓詁的な科挙を意図的に積極的に活用して清朝の漢民族を骨抜きにし、反抗の気力を萎えさせていった故事が頭のどこかにあったのかもしれないが、日本は近代に至って「賢い」ことに国民を溺れさせる、という方法を思いついたように見える。
首相になった宮沢喜一は「あなたは大学はどちら?」というのが初対面の若い人への決まった挨拶で、帰ってくる大学の名前が「東京大学」か「京都大学」でない
場合には、すっ、とそっぽを向いて、それきり何も言わなかったという。
日本のひとは、そういう試験のスコアが疑似階級をつくる社会で、12歳と18歳の二度にわたって深くおおきく傷つき、「賢さ」への屈折した憧れを強めていった。
日本語インターネットの世界には子供じみた顕示欲に駆られた歴史研究者もどきのひとびとが特に多いようだが、ネット上の、いかにも「わし賢いし」のポーズをとる人たちがいちようにみおぼえた研究者口調を借りて、福島第一事故のあとでも「生物屋は、こう言うが」「物理屋には物理屋の考えがあって」というような大学言葉の口吻でいいあっているひとが、「現実の世界ではこのひとはどこの大学で教えているのだろう」と人に尋ねて見てみると、工業高校の出身であったりするのが判って、なんとも言えない気持ちになったりした。
中国人たちのように個人の自由への希求を万力で抑えつけるような社会がうまくいくのか、日本のひとたちのように、個人の魂を改造して、国家が必要とするような形に広義の教育を通じてQCを発達させてゆく方法がうまくいくのか、わしには判らない。
ただ自分がどちらかを選べと言われれば、暴れることに衆目が一致する「理」が明然としているだけ、中国のほうがまだいいかなあー、と思う。
でもそうそう銃の台尻で頭をどつかれたり、広場で暴れていたら戦車に取り囲まれて兵隊に撃たれまくったりするのもかなわないので、やっぱり「国」とかは、さっさとなくなってしまえばいいのになあ、と思う。
Ai weiweiはAlison Klaymanのドキュメンタリのなかで、「自由は奇妙なものだ。
自由がないときにはどうでもいいように思えるが、いったん自由を手にいれてしまうと、どうしても自由なしではいられなくなる」と述べている。
Ai weiweiが飼っている30匹の猫のなかで、ただ一匹だけが正面玄関のドアのノブに飛びついてドアを開ける方法を知っている。
その猫がドアをあけたあとを、他の猫たちがぞろぞろと抜けて歩いてゆく。
「でも、ドアを閉める方法は知らないのさ」というとき、きっと、Ai weiweiは自分のことを考えていたのだと思います。