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若ガメ日記_1 80年間世界一周

ずっと前に書いたことがあると思いますが、世界一周航空券は日本がいちばん安い。
為替がその頃は日本円が低い方に傾いていたのでいま調べてもまだいちばん安いかどうかはわかりませんが、でも日本で売っている他の「格安航空券」に較べれば遙かに「世界水準」の価格だろうと思います。
日本、航空券が高いからな。
おまけに便が変えられないとか、有効期間が一ヶ月(!)とかいろいろと訳のわからん制限がついているよーだ。
わっしはむかしから一年間有効でない切符は買いまへん。
だって、一年間有効でないと、気が変わったとき困るではないか。
たとえば旅行の途中でトルコの浜辺に寄ったとするでしょう。
海はあくまでも青く、ひとはどこまでも親切である。
やや下品なほうでいうと生活費も安い。
ねーちゃんも美人である。
「じゃっ、四日のつもりだったけど二ヶ月くらいいちゃうべ」と思うのは自然の成り行き、というものである。
きみは航空会社に電話する。
あのー、来週発つはずだったんすけど、さ来月の同じ日でもいいっすか?という。
航空会社のおばちゃんは、いいわよお、というはずである。
ときどき2000円くらい変更料をとられることもあるけどな。
旅行は、きっちり予定してはいかんのですばい。
テキトーがよい。
大きな声ではゆえぬが、わっしがハイグーシャという生物学での配偶を思い出すとほっぺがポッと赤くなるような立場に陥るまでは、ねーちゃんとお尻合い、っちゅうか、お知り合いになるのが旅行のときの重大な楽しみであった。
そーゆーときに明日は発たねばならぬ、とゆーわけにはいかんでしょう。
きみをじっと見つめるねーちゃんの瞳より大切な人生なんて、そんなエラソーな人生がこの宇宙にはあるわけがない。
だからスケジュールはダメです。
テキトーでないと、世の中には楽しみなどなくなる。

わっしが日本の若い衆であると仮定する。
どーするか。
世界一周航空券を買います。
一年オープン。
東へ行き出せば東へ東へゆけばよい。
西へ向かって旅行を始めれば西へ西へゆけばいいのね。
ワーキングホリデービザとかで行ける国をつなぎあわせるのが、もっともふつーでしょう。ウエイターやなんかをやりながらぶらぶらあちこちの国を見て歩く。
わっしの日本人の友達は一週間の予定でロンドンに行って結局骨董屋の店員をしながら四年間もいてしまった。二年目からはパブで知り合った女優志望のねーちゃんと部屋をシェアしていたそーである。
なんかずるずるといちゃって、ははは、とゆってました。
なかなか正しい旅行の態度だと思います。

そのあいだの日本における人生の階梯はどうなるんだ、って?
そんな階梯をのぼっては不幸になるからぶちすててしまえばよいのです。
ふらふらと旅行をして見聞きしたもののほうが、よっぽどきみの人生を「安全」にしてくれる、とわしが請け合う。
日本で観察していると、ぜーんぜん医者に向いておらんお医者さんや、泥棒さんのほうが向いていそうな裁判官のおっちゃん、教壇に立って「正しい」ことをゆって暮らしているのが窮屈で窮屈で死にそうなくらい息苦しい気持ちで暮らしている先生、とか、そーゆーひとがたくさんおる。
向かないことをなぜやっているのであるか、と思って、こっそり訊いてみると「安定した職業だと思ったから」とゆいます。
しかし、自分に向いていない職業で苦難にあったりすると自殺しちゃったりして返って不安定なのではないか。
仕事が自分に合わないストレスで頭が悪くなったら、どーする。
もっと切実なストレスの影響が出て来て、カウンセリングやバイアグラの出費がかさんだら、高給取りでもビンボーになってしまうのではないだろうか。
エスカレータでこっそりジョシコーコーセイのスカートのなかを盗撮しちゃったりして、いきなり人生をすってしまうかもしれむ。
人生の「安全度」というのは職業や給与が関与する部分はとっても小さいと思い知るべし。
あまりの理不尽に課長を刺し殺して刑務所で過ごす日々を思い浮かべてみよ。
ほら、銀行なんて、勤めたくなくなるでしょう?
「安定した職業」なんて魚津の蜃気楼よりもまだ儚いのです。

ひとりで旅に出る、というのは楽ちんで楽しい。
第一、旅行しているうちに「自分」が、学校で教わったり親にゆわれたり、友達に規定されたりして自分の周りに出来上がったジャングルの向こうからノソノソと姿を現してくるはずである。
やあ、きみがぼくであったのだな、ぼくとあうのはぼくは初めてだが、会ってみるとなかなか良い奴である。
...そう思うことでしょう。
人生に復帰したいと切に願っている場合は、「一年だけ」と限ってしまえばよい。
航空券、ちょうど、一年だしな。
「地球の歩き方」とか、そんなもの読んじゃいけません。
「敵を知り己を知れば、やんなくても同じ」とゆーではないか。
出たとこショーブでダイジョーブである。
えっ?外国は危ないんでないかって?
そーゆーことばかり考えて道を歩いているからクルマにひかれて短い人生を終えることになるんです。
クラーク博士、とゆーひとは、「青年よ、大志を抱け!」とゆったヘンなおじちゃんだったそーだが、大志を抱くよりは、なーんも考えないで世界をぶらぶらして歩いたほうが「青年」には、よいことが多いな。

外国がでえっ嫌えな青年の場合には、特に外国に行ったほうがよい。
そーゆー「外国」って、なんだったんだろう、と思うのがふつーである。
人間てみんな人間なんだな、という簡単な真理に到達するのが通例である。
ヤな奴もいれば良い奴もいる。
ハンサムもいれば醜男もいる。
オモロイ奴もいれば退屈な奴もいる。
金持ちもいればあまりの貧乏にBIMBO(メキシコの食品会社だす)のパンしか食えない奴もいます。
全部あたりまえだが、ひとりで旅行して地球の上をえんやこらどっこいと歩いてまわらないと、その当たり前のことは絶対にわからないように出来ているのです。
やってみるとよい。
たとえば合衆国の社会のなかで合衆国人となんとか理解しあうべ、と思って暮らした人以外が「合衆国人は、こーだ」というのは、バカなだけでなくてウソつきなのだとわかるから。
言葉を心配するひともいるが、言葉は、その言葉を使う社会に興味がわけば必ず話せます。「語学」とかオソロシゲなことを考えるから、いかむ。
われにねーちゃんを与えよ、しからば、その言語の達人になるであろう、っちゅう態度でもよいのではなかろーか。
ダメかな。
メキシコの国道を疾走するバスから眺める灼けた土の風景や、オーストラリアの砂漠の地平線に沈む信じがたいほど美しい太陽。スペインの田舎道やロンドンの裏路地をみないで死んでは自分といういちばん大切なきみの友達に申し訳なくはないか。
地下鉄とタクシーと居酒屋で出来た毎日は、どこか曇りガラスを透して見ているようだとはおもわないだろーか。
世界一周航空券、とゆったが、四万円のニューヨーク行きチケットだっていいのす。
半分は捨てちまえばよい。
絶対、なんとかなります。
日本にいて、わっしがいちばん感じるのは日本のひとは「世界」の姿を誤解しているので、たいへん無駄なエネルギーを使っている、ということです。
捕鯨も人種差別もチューゴクジンと自分との関係も、なんだかひどく現実とかけ離れていて、不思議で特殊な共同幻想のなかに生きている。
言葉で説明しようと思っても、ぜーんぜん訳がわからんデッチアゲの「常識」を集団で身につけてしまっていて、いわば国民ぐるみで世界を誤解しているので、どーもならん。
世界と日本がずれまくってここに至っているのは、そーゆーところに原因があるよーです。

一年くらい、いーじゃん。
釈迦は真理に至るために国も家族も一生分ぶち捨てたとゆーぞ。
会社とかガッコーとかは、あんまり大事じゃないでしょ。
自分というものが一番大事なのではないでしょーか。
自分の人生にいちどくらい、朝、会社に行くつもりで家を出て、そのまま地下鉄に乗って成田から一年をかけた世界一周に出発してしまう日があってもよいと、わっしは思うのです。