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333ノテッペンカラトビウツレ

先日、楳図かずおの「わたしは真悟」を初めて読みました。


呉智英(あんまりこの人好きじゃない)もあとがきに書いてるけど
楳図マンガの中だけじゃなく、現代マンガの最高傑作じゃないかと思いました。
あまりにも衝撃過ぎて、読んだ日から次の日まで頭が痛くなりました。
なんでこんな名作今まで知らなかったんだろうか。
誰も教えてくれなかったのだろうか。
今までの時間が惜しい。

ジョージ秋山、岩明均、藤田和日郎、色々好きな人沢山いる中
楳図さんが一番好きになりました。
愛について今一番人生の中で考えているからかもしれません。

理由がわからないけど涙が出るというのは
ビルキャラハンやフィッシュマンズの音楽を聴くときによく現れる現象ですが

徐々に大人になるにつれて
それがなぜなのかというのがわかるようになってきました。

生命に触れるということではないかと。
その人の生命に触れると、それだけで涙が出てくるのではないか。

私は人と会う時は、1対1が好きです。
真面目なのでその人、1人に集中、全精力を注ぎたいのです。
大勢でワイワイいるのも楽しいですが、楽しいだけです。
そこにいる人の生命に触れることはできないのです。


この「わたしは真悟」は生命に満ち溢れています。


機械、コンピュータ、ロボット、男、女、子供、爬虫類、すべてが生命に溢れている。
もちろん楳図かずお自身の生命にも触れることができる。
彼はよく、「ボーダーはエネルギーをくれる!」と言っている。
ピカソの晩年の絵も生命力が爆発している。
名作と呼ばれるものを残す人は、人の心を動かすエネルギーを持ち備えている。
「わたしは真悟」は、まるでピカソのゲルニカのようである。
ただし、私はキリスト教は嫌いなのでキリスト的解釈はしない。

毎回のタイトルの扉絵も
どれも空虚、幻想的で圧倒的に美しく、丁寧に描かれており
話の内容を象徴的に表している渾身の1枚である。

正直、恐怖というテーマを抑えて、ここまで魅せれる人だとは思わなかった。

間違いなく、楳図かずおは、他の作品の中で恐怖の真理を突いていて
恐怖漫画の完成形を何作も生み出した。
それはジョジョの荒木さんがスタンドを描く際に「神の左手悪魔の右手」を参考にしたように。

心理的・視覚的に極限の恐怖の描写。
たとえば視覚的に
変な方向に曲がった足だとか
冷蔵庫に生首だとかある中で
一番恐いのは霊にも悪魔にもとりつかれていない
「人間の狂った時の顔」であったりします。
それを確信的に描いているように思えます。


セックスのかけらもない愛。


大人になった人、なってしまった人はこれを読んで涙してしまうんだろうけど
フランダースの犬のように、そのシーンはみんな同じじゃない。

どのページで泣くのかは人それぞれきっと違うんだろう。
私がいつもより涙が多かったのは
生理前のせいなのか
今、私が永遠の愛の終わりについて怖気づいているからなのかは、わかりません。

東京タワーが、リリーフランキーのせいで
オセンチメンタルドラマティックタワーになってしまったと意気消沈していた。

東京タワーは、ただただ、でくのぼうに聳え立ち
延々と電波を飛ばし続ける鉄塔であって欲しいと。

そんな東京タワー無機質派だった私も
これから六本木のいとこの家に行く度に
東京タワーを凶器の愛のシンボルとして眺めるんだろう。

言葉の持つ力、何だかわからないものを感知する直感力
これらは常に鍛錬、意識しなければならない。

これを最初から最後まで一気に読むと、
体重が1~2キロ減るか、頭が痛くなるかグルグルするか、色々変調が出るかもしれません。
とにかく神経が磨り減らされ、体力、精神力共に消費し疲労します。
絵とセリフだけでここまでの作用がある書物が他にあるであろうか。

なんとなく、かわるがわる、日常が抱える爆弾はやってくる。

ようやく今になって
自分の名前が好きになりました。



「わたしの全ては、
 この
 18文字の組み合わせだけ
 だったといいます。   」


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