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感覚過敏って辛い…

こんばんは。最近体調がよくない楽人です。

最近、他人の人生の大きな動きを見ることが多くなってきました。
細かい一つ一つの出来事にも目を向けられるようになったからかな。
でもそんな時、「自分ってこのままでいいのかな」っていう負の感情と
「僕も早く大人になって自分で稼いで自分の好きなことしたいな」という
楽しみな感情がぶつかります。そんな時すごいもやもやする。
これについてもまた書きたいですね
(行動力を上げるマガジンは制作途中です><すいません。)

さて、僕は現在ADHDっぽい何かを持っていて、それが原因で
感覚過敏を持っています。
でも、ADHDっぽいのって父親も持っていて、遺伝だと思うんですが、
感覚過敏はそうじゃないっぽいんですよね。
今日はそれについて書きたいと思います。結構深いです。

僕の感覚過敏

僕は今現在

・聴覚過敏
・視覚過敏(軽度)
・食感過敏

の症状があります。HSCでもあるので、結構敏感な方かな。
各感覚過敏は生まれつきではなく、

過去のストレス×HSC=感覚過敏

ってなってます。僕も最近気づきました。
でも、結構僕軽くなっている方だと思うんです(薬服用中)
各過敏エピソードがあります。
それを書いていきたいと思います。

僕のエピソード ~聴覚過敏~

もともと僕は癇癪を持っていて、急に大きな声で話しかけられたり、
怒鳴られたりすると癇癪を起してしまいます。記憶はないんですよ。
でも気づいたらすごい疲れてて、のどがかれてて泣いています。

そんな聴覚過敏は小学生時代にもありました。
でも超軽微なもので、ただの「特性」だったんですが、
問題の小学三年生時代。いじめられました。
そこですね。。w
その時、毎日自分を抑制できない日々が続きました。
それが一番つらかったですね。当時の僕は、
「彼(いじめっ子)が教室から出たらブザーなるようにしてよ」
と頼んでいたそうです。
今の僕だったらブザーがどこからなるか遊んじゃいますねw

その後小4は平和に過ごし、
小5になったとき、やんちゃな人が僕含め3人集まってしまい、結構大変に。
下の階にいた人の話し声も、家の端にある風呂場からリビングに居る両親の話し声が聞こえてました。
ここら辺から怪しくなってきました。
その後、薬を服用しはじめてようやく落ち着いてるのが中2の冬です。

さて、聴覚過敏の過去のトラウマはなんでしょうか……?
僕が思うに、子供の時から特性があり、それも関与している可能性はありますが、父も同じような症状を持っていて、まったく同じように
父もADHDです。そんなお父さんすぐ怒鳴ります……w
今となっては笑えますが、結構それが精神的ストレスになって悪化させていた可能性は高いですね。今は楽しく暮らせてるのでAll OKです。

僕のエピソード ~視覚過敏~

これは軽微なのでそんなにエピソードはありませんが、
今でも症状は続いてるし、なんせ原因がわかりません。

僕はものすごくたまに、先端が異様に怖くなるんですよ。
視界に入っている先端すべてが怖くて、目が明けてられません。
書いている今もそうですwなんか感覚を思い出すだけで開けられません。

先端恐怖症にも関係するんでしょうか。
それが始まったのは小1で、鉛筆の芯が見れなく、親に相談したのがきっかけです。
先端だけではなく、人の顔を見ているだけでも気持ち悪くなってきたり、
目を開けているのが怖い時もあります。

その原因になっているんじゃないかな?って思うものは一つあって、
東日本大震災です。
その中でも停電津波だと思います。
停電は、僕はさいたま在住なので、計画停電だけでした。
でも昼夜関係なく、部屋の電気がなく、特に周りに損害はなかった
(8年前の記憶によると)のに電気が使えなく、人生の終わりの様に
思えた東日本大震災での真っ暗体験がなにかしら関係しているのでは…
と思います。
津波は人や町、砕けた木が流れているのをみて相当怖かったのか、
今でもトラウマです。かなり怖い。
そんな時見た流れているものの感じがトゲトゲで、真っ暗体験に関連している記憶としてトラウマになっているなら納得できます。

僕のエピソード ~食感過敏~

これが結構深いです。
僕はとにかくごはんが嫌いで、パン派でした。

生まれた時はもりもり食べていましたが、
僕の最大のストレスは小1の時です。今でも覚えている。あの感覚。
僕はその日、わかめふりかけがかかっているごはんと
そもそも体調が悪く、おみそしるだけ飲みました。

その日、夜体調が悪く、起きていると反射的にキッチンのシンクへ。
見事にぶちまけました。その時両親が居てくれて、
自分の部屋から布団をもってきてる隣で母が処理していた時、
もう立っているのもつらく、机の端に手を置き、床へなだれました。
「布団早く持ってきて」
これが僕が泣きながら言った言葉です。

こんぐらいしか言えませんでした。立ってるのもつらく、意識ももうろうとしていましたね。今思えば頑張った。よくやったぞ楽人。
その後両親に見られながら寝ていたんですが、なんか体が止まらない。
なんか震える。なんででしょう。当時の僕はわかりませんでした。
父には、「痙攣かと思ったよw揺れないで」
と言われました。わかったと答えた僕、もちろん止められません。
痙攣だから。

数秒後、父親が青ざめた顔で「わざとじゃないの…?」って聞いてきました。即119番。当時(今でも)私の家は車がなく、緊急性もあったため救急搬送
その後病院で措置を受け、おなかが痛かったり、吐いたりつらかったりした話を医者にすると、
「食あたりだから大丈夫です。家族もなるかもしれないですね」
と言われた記憶があります。
祖父母が急いで車で迎えに来て、眠ったのは11時。
翌朝超元気に起きました。

ここまで聞くと、特にヤバくないですが、
その後僕の食への信頼度は0。
わかめごはんと油揚げは一切食べませんでした。
カップうどんにも入ってる油揚げも誰かにあげてからお湯を入れたり、
入ってたら残したり、そもそも抜いたり。
ここら辺から偏食と不規則な食事ライフが始まりました。

お母さんが頑張って作ってくれても、外食で高い料理が出ても、
食べませんでした。でも唯一信頼してたのがセブンのメロンパン。
でも僕が食の大変さに気付いたのは最近です。
お母さんが真剣にお弁当のレシピを考えてました。
僕はなぜかわからなかったのですが、聞いてみると、
僕が食べられるようにめっちゃ考えているそう。
これは感動ですよ。びっくりしました。僕がいつも残してきたお弁当は
お母さんが朝4時に起きて作り始めてるなんて。

僕が思うこと

この3つの感覚過敏,それに関連するエピソードを書いてみて、
意外と辛かったり、面白かったり、「意外と人生生きているんだなぁ」
と思いました。
そんな中、僕より強い感覚過敏で苦しんでる人がいるので、
将来どんな人でも暮らしやすい社会を作って行く中で、
感覚過敏や個人の特性ってすごい考えなければいけない点だな、
と思いました。



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