2005年①
『M-1グランプリ2004』が終わり、2005年がはじまった。
僕たちがM-1に出場する年だ。
ただ僕は、
『もしかしたらよじょうちゃん、気が変わって「やっぱりやらへん」とか言い出すかもな。一応、NSCに行くためのお金だけは貯めとこう』
と考えていた。ちなみに、その時入学していたら、NSC28期生になっていたことになる。
芸人になってから、そんなことを考えていたという話を、28期生の祇園・木崎に話したことがある。すると、
「え!?奥田さんが同期とか絶対嫌っす!めちゃくちゃ理詰めで追い込んでくる同期なんて最悪です!」
と言われた。同じことを、27期生のGAGの坂本に伝えたときは、
「奥ちゃんが後輩とか最悪やん!奥ちゃんが後輩やったら、一生話しかけんと思うもん!」
と言われた。
ちなみに、とある先輩には、
「お前は後輩でも『ギリ』や。」
と言われたことがある。
『僕』とは一体なんなのだろう?
とりあえず、NSCに行かなかったことだけは正解だったようだ。話を2005年に戻そう。
その頃の僕たちは、お酒が入れば、多少お笑いの話をしたが、『コンビ』としての話し合いなどは、お酒が入っても、照れくさくて出来なかった。
というより、僕がしなかった。
NSCのことを考えてはいたが、やはり『同級生コンビ』というものに憧れがあったし、あまり、こちらの熱を伝えすぎて、よじょうちゃんに引かれるのではないかと心配もしていた。
僕がよじょうちゃんに気をつかっていたのだ。今とは真逆のパワーバランスである。
さらに言えば、一生懸命やる覚悟もなかったのだろう。
『片手間で、才能で、ササっと結果が出るのが1番カッコいいし、自分なら出来る』
なんて考えていたのだと思う。しかしそれは、上手くいかなかったときの保険でしかなく、
『俺、本気出してないしな』
と、言い訳ができる余地を残したかったのだ。23歳、第二の思春期真っ只中である。
『漫才をやる』
と、決意を固めたつもりだったが、所詮はこの程度の本気度だった。
バイトに行っては酒を飲み、酔った時だけお笑いの話をし、
「よっしゃ!やったろうぜ!」
みたいな意気込みを語るが、結局は何もしていない。酒の場での意気込みは、ただのゴミだ。
バイト求人誌を読んで、もうバイトをした気になってるやつと何も変わらない。
NSCの入学願書の締め切りがギリギリになって、ようやく僕は、
「よじょうちゃん、今年のM-1出るやんな?」
と聞いた。すると、
「うん。出るよ。」
と返ってきた。心底ホッとしたが、その確認をするのに5ヶ月もかかってしまった。
来月にはM-1グランプリのエントリーがはじまるというのに。