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甥っ子の展示会
僕には22歳(たぶん)になる甥っ子がいます。姉の子です。僕が17の時に産まれた甥っ子。お察しの通り、姉ちゃんがそれなりにファンキーだったのです。今は落ち着いてるので、元ファンです。
なんせ姉が元ファンなもので、甥っ子には父親が近くにおりません。
僕は彼が幼少期から、人間として接してきました。子供だろうが年寄りだろうが、僕は『一個人』として接します。
僕にも幼少期はあったし、僕もいずれ歳を取ります。なので、何一つ遠慮ができません。今の僕という時間は一瞬で過ぎ去っていくので、その瞬間瞬間に感じたことをそのまま発言してしまうのです。これは僕のコンプレックスです。
彼がまだ4〜5歳のころ、親族一同が集まる法事が淡路島でありました。
親族が集まれば、いつでも主役になれる彼。しかし、ある程度お酒が進むと、大人は自分たちの話しかしなくなります。その状況をおもしろくないと思った彼は、とても可愛らしい声で
「お船さんやー!」
と言って、窓の方へ走っていきました。彼の算段では
「どうしたん?○○ちゃん。どこにお船おるん?」
と言って、大人の誰かが近づいてくると踏んでいたのでしょう。しかし、酒の入った大人は、自分たちの話で盛り上がってしまいます。結局、彼の
「お船さんやー!」
は、誰に捕まえられることもなく、消え去りかけていました。
その一部始終を見ていた僕は、虚無感にかられながら窓の外の『お船さん』を見ている彼に歩み寄り、肩を抱き、そして
「可愛らしい声出したら、大人が寄ってくると思ったんやろ?残念やったなあ。」
と言いました。
はい。とんでもない叔父です。
しかし、彼は僕の目をキッと見返し、まるで声変わり中の、低いとも高いともいえない音域の中学生のような声で
「うっさい。どっかいけ。」
と言いました。
『え、声低!』
と思いましたが、それを聞いた僕は逆に、
『こいつ人間や!こいつとは仲良くなれる!』
と確信しました。そのあとは、2人で風呂に入ったりする間柄になりました。
そんな彼が6歳の頃に、僕はお笑い芸人を目指します。その頃の彼は、まだ何も感じていなかったと思いますが、彼も歳を重ねるにつれて気付いたはずです。
自分の叔父が売れてない芸人だということを。
僕が初めて、深夜のレギュラー番組をいただいたのは芸歴6年目。彼が12歳の頃。
僕はもう家を出ていたので、彼が夜更かしするタイプだったかはわかりませんが、もしかしたら見ていたかもしれません。もし見ていたとしたら、とても自慢できる叔父ではなかったでしょう。
もちろん、僕にはとても嬉しい大抜擢でしたが、僕の6年など、彼の6年に比べればスカスカの6年です。彼が10センチ以上も背が伸びている間に、僕は芸人としてようやく1センチほど伸びたくらいなのです。
その後も、何かしらのテレビに出たり、漫才で賞をいただいたりしましたが、彼の自慢になれたとは到底思えません。その感覚は、もちろん今も続いています。
彼は4年前、美大に進むことを決めました。僕は直接聞いてませんが。
美大はお金がかかります。母子家庭ではなかなか難しい金額だと思われました。
ただ、姉も、父母も、反対が難しかったと思います。
なぜなら、僕がいるからです。
23歳から、ええ歳してお笑い芸人を目指したやつが、親族にいるからです。それが、彼の母の弟だからです。
何も言うことができない僕は、お金を包みました。
その当時の僕にとっては、それなりに大きな金額を包みました。
それを、母に渡しました。
その夜、姉から電話がありました。
「ありがとう。」
と言われました。僕は、
「あいつに言うといて。出来るだけ無駄遣いしろって。ありがたがるなよって。」
と言いました。
そこから、彼の学業のことには一切触れてません。
先日実家から、彼の展示会のフライヤーが送られてきました。母の字で
『←○○くんの』
と書かれた付箋が貼られていました。
僕は、少し迷いましたが、見に行きました。
学生の方たちの展示の中に、彼の作品が飾られていました。
僕は、芸術のことは何もわかりません。良いのか悪いのかまったくもってわかりません。
ただ、
姉も、僕の父母も、それなりに僕も、たぶん離れた父親も、彼に愛を持って接していたのだと思います。
君の作品を見て、叔父さんはそう感じたよ。
おわり。
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