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今年は墓参りにはいかなかった。/ 今年没去扫墓。

jīn tiān shì fù qīn de jì rì , dàn shì jīn nián méi qù sǎo mù 。
今天是父亲的忌日,但是今年没去扫墓。
 
4月はちょっと寂しい。

もう40年以上も前だが、高校の入学式当日に父が他界した。
登校し、自分のクラスに入ったとたん、担任教師からすぐに家に帰るよう告げられた。そんな始まりだったので、高校生活のイメージは全体としてグレーな感じがしている。おまけに直前の春休みにのんきにスキーなどいっていた。
If I had realized my father was so ill, I wouldn’t have gone skiing.
(もし父がそれほど深刻ならば、私はスキーに行っていなかっただろう)

習ったよね、英語。仮定法過去完了。これはベルリッツの先生に確認したから、正しい英語表現だ。

さて墓参りは「扫墓」。
中国でも義父、義兄の墓参りをしたことがある。日本でもにぎやかな場所に墓はないが、市内からタクシーで小一時間くらい走っただろうか。果たしてさびしい所にあった。

墓石の数が夥しく、全て形が同じだった。義姉がメモを片手に「番地」を探していく。花や線香を手向けるのは同じだが、花を生ける場所がない。はて、どうしたものかとみていると、ガムテープ幅の透明テープをジジィーっとばかりに切り、何と生花をそのテープでとめている。

おおお、ダイナミック。確かにどんなに風が吹いても飛ばない(その日はかなり風が強かった)。強風のため、線香は燃え尽きるまで手に持っていた。故人を偲んで酒やたばこを供えるのも同じだ。

日本と決定的に異なるのは、墓石に写真が埋まっていることだ。どのように加工して貼り付けてあるのかはわからない。日本スタイルの「〇〇家の墓」というシンプルなものに見慣れているので、笑顔でこちらを見られるのは一瞬たじろぐ。

タクシーには、待ってもらった。いったん返してしまったら二度と捕まらないような場所だった。墓参りという行事の性格上、タクシー代を値切るのもはばかられ、少しチップもわたした。

今ならアプリですぐ来るのだろうか。
 

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