かきあげと赤ちゃん

半年ほど前から、かきあげの女先輩と一緒に働いている。

先輩は自分より2歳くらい上で、大変頼りにさせてもらっている。仕事はバリバリこなし、キーワードは成長と社会貢献、仕事前にピラティス、週末はキャンプか絵画教室、大学時代は国連の何とか会議に出席、もちろん留学経験アリ、バックパック経験もアリという、かきあげの最高峰みたいな人だ。
ついでに使う言葉も最高峰で、「レクチャー」は”KT”(Knowledge Transfer)、「未定」は”TBD”(To Be Determined)といったように、二重翻訳が必要な言葉を使うことで周囲の語彙力を圧倒的に底上げしてくれている。
極めつけは、「『中身おっさんだね』ってよく言われます(笑)」という、サバサバかきあげ界におけるテンプレ中のテンプレを臆面もなく言える、恐るべき胆力も兼ね備える。

自分は大学生の頃から、「かきあげの女性とは全く話が合わない」という感覚のもと生きてきたため、最初は心の中で反発もした。仕事の指摘をされるたびに対抗心が燃え上がり、Wordファイルにつけられたコメントをキッ!と睨みつけながら、いつか絶対潰すと誓ったものだ。
だがそんなのも最初の1ヶ月くらいだった。かきあげ先輩とは未だに飲みに行ったこともないし、対面で会ったことも2回くらいしかないが(リモート人生である)、うまくやっている。
(最近は自分が言い間違えをした時などに「ギャップ萌えですね♡」とか少し怖いことを言うようになったが、これもテンプレっぽくて気に入っている)


リモート人生ということで、上司とのミーティングも毎回リモートである。基本的に雑談はほとんど生まれない哀しき職場だが、ごくまれに色々な環境が整ったとき、上司が1歳になる子供を画面に映してくれる。これまで見ていたPower Pointというあまりにも非生物的な画面から一転、赤ちゃんの丸っとした顔と微笑みが、我々が先史時代から持っていた優しい感情を思い出させてくれる。だが温かい感情もほんの一瞬で別のものにかき消される。かきあげの時間が始まる。

多くの人は赤ちゃんを目の前にすると、「お〜、よしよし」や、「どちたの?」といった言葉を投げかけたくなるだろう。だが今はPCの画面越しであり、赤ちゃんの実態はない。肌触りも匂いも確かめられないし、あくまでPCの窓サイズである。加えて、いつも真面目な顔をして仕事の話をしている上司や同僚もいる。いくら生放送の赤ちゃんがいて温かい気持ちになったとしても、この環境ではかなり客観的になるはずだ。自分もただ、東京のどこかにいるであろうこの赤ちゃんに対して(そして赤ちゃんを抱く上司に対して)、少しばかり口角を上げることしかできなかった。

だがこのかきあげ先輩は違う。熱量と没入が半端じゃない。もう、めちゃくちゃに声に出す。「あぁ〜〜〜〜〜ん♡かわいいでしゅね〜〜〜〜♡」「あ〜〜〜お利口さんでしゅね♡」「お子さんのお名前なんていうんですか?あ〜〜〜んいい名前でしゅね〜〜〜♡」と、とにかく語尾の「♡」がうるさい。この人が面目度外視の赤ちゃんフリークなのか、子供好き戦略を駆使する戦術家なのかは、判断出来かねる。

上司も自分もこの迫力に気圧される。かきあげ先輩はとどまることを知らず、半狂乱で画面越しに語りかけ続ける。だんだん自分すらも恥ずかしくなってくる頃、赤ちゃんを見てみると、意外なことに全然動じていない。確かにお利口というか大人しい。こんな絶叫浴びせられたら何かしらリアクションがあるはずだ。怖くて泣き出してもおかしくないほどの勢いなのだから。
一方通行の熱の行方をしばらく観戦していると、ふと気づいてしまった。上司の耳にはまだ、骨伝導イヤホンが装着されている───

かきあげ先輩の声帯から響き出たその叫びは、地球上で、本人の部屋と、上司の骨と、俺の鼓膜だけを震わせていた。

その振動が、今も頭の中で鳴っている。


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