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「劣等感」 4年 後藤優太郎

夏帆からみんなが大好きな後藤と紹介されましたが、
ただみんなにいじられているだけで、話が面白いとかではないのでご容赦ください笑笑

このブログを書くにあたって、何書こうかといつも一緒に帰る瑞樹と話してたら、昔話はおもろいっすって言っていたので高校から大学の部活動での自分の歴史を書いていこうと思います!(本当はこういう機会ないと書かないので笑笑)
結構長く書いていて、伝えたいことは「後藤優太郎を知って欲しい」それだけですので少しでも興味がある人は読んでみてください!

※また、日本語が苦手で何言ってるかわからないところも出てきますが、このブログは後藤優太郎が主役なので、「文章読みづらい」、「あの日本語わかんね」等の批判、文句は一切受け付けませんのでご了承ください。

なぜ大学でもサッカーを続けようと思ったのか?
結論からいうと、高校で試合に出れなく悔しかったからです。

高校編

部員が150人を超える八千代高校に行きます。自分は中学校の部活動出身で、始めは下のカテゴリーで活動していくことになると思って入学しました。しかし、運がいいことに中体連の県のトレセンで活動していることを評価され、入学してからすぐに1年生のスタメンで活動することができました。試合に出てもクラブチームで活動してきた人達ともレベル差は感じられず、このまま頑張っていけば3年生の時には試合に出れるなーと思ってました。

また、自分は1年生の中で学年リーダーという統括という役職にも立候補しました。
(実際は1個上の怖い先輩に優しく「お前が1番統括に向いてる」と言われたから立候補しました笑笑)
統括には他に2人いて、その2人と協力して1年生からチームがよくなるように活動していきました。
実際は先輩と同期の中で板挟みになっていました。
先輩からは1年の誰かがグラウンド整備や挨拶ができていなければ怒られ、同期からはこんなに丁寧にグラウンド整備をやらなくていいと言われたり、ボールが探してる時も長い時間やる必要があるのかと言われたりしました。
その生活の中で自分の技術力を上げていくことや同期に嫌われていくことはきついものがありました。
(同期には1年の時の後藤はめんどくさかったと言われることが多かったです)
何度も統括やっていなかったら楽だったなとは思いました笑笑。
それでも続けられたのは他にも2人統括がいたからです、ありがとう!!

なんやかんやあって自分達は最高学年になりました。
その時にまた再度チームのキャプテンを3人選ぶ機会がありました。
1年生の時に結構苦労したしたし、上に立つことはもうやりたくないと思いました。
正直めんどくさいし、チームのことよりも自分がサッカー上手くなりたいと思ったからです。
でも結局推薦を受け、流されるように3人の内のキャプテンになりました。
(名義はキャプテンですが、副副キャプテンです😁)

新チームになってからAチームで活動していて試合に出ることもありました。
しかし、自分がサッカーでチームの足を引っ張っているなーと感じることが多くありました。
自分でも下手なのはわかっていたので、出場機会が減っていくことは仕方ないこと思いながら、ミスをしてしまうことや技術力が足りないこと、それをいくら練習してもうまくならないこと、自分の能力のなさに苛立ちを覚えました。
そして、試合に出れなくなり、インターハイが終わった時にBチームに落ちました。
これはとても納得していて自分が下手だったので仕方ないと思えました。
また、頑張ってAチームに上がろうと思いました。

でもこの時に1番辛かったことはキャプテンでありながら、
Bチーム活動するという周りの目や自分の気持ちでした、
(自分が知っている上の学年は毎年キャプテンが選ばれますが全員がAチームの試合に関わっていて自分の知る中では初めてのBチームのキャプテンでした)
キャプテンはチームをまとめることが仕事ではありますが、試合に出ていないと説得力がなくなると高校生の自分は考えていました。
高校生の自分に対して本当にきつく、全体ミーティングをする時にみんなの前で話すことはとても嫌でした。

そして選手権が始まりました。入学した時からの目標の選手権出場に可能性が少なくなった時には心の中では納得することは難しかったです。とてもAチームを心から応援することは難しかったしキャプテンでありながら試合に関わっていない自分が情けなかったです。

結局引退するまでの半年間は劣等感やマイナスなことを押し殺しながら、
チームの為に気丈に振る舞っていたつもりです。
(選手権が始まってからAチームに上がりましたが、
盛り上げ要員で試合には関わらない立ち位置で
Bチームとほぼ変わらない立ち位置でした)

高校生の自分はとても未熟で心の中まではBチームのキャプテンの振る舞いはできませんでした。これは申し訳ないですが、本心であり、もう一度同じ立場になったとしても同じ負の感情は抱いてしまうと思います、、

じゃ、キャプテンをやらない方が楽なのでは?

やって良かったと思います!
引退する際にお世話になっている接骨院の先生と2人きりになったときに
言われた言葉が心に残っているからです。
「後藤がキャプテンをやってくれたから、チームがまとまった、ーありがとう」と、
この時大泣きしました。選手権が負けた時も泣きませんでしたがこの時は我慢もできませんでした。

あの時になんで先輩に勧められたのから立候補したのか、、
この時になんで推薦があったからキャプテンを引き受けたのか、、


ただ誰かに認めてもらいたかっただけなんだなと、、

この言葉にとても救われ、まだ頑張っていこうと思いました。
(私もこのように誰かを認めることができる仕事をしたいなと思ったのもこの時です!)

この時に今度は試合に出たいなって思って大学でもやろうと思えました!


大学編
まず、学習院大学に入学し、サッカー部に入部しますが正直こう思っていました。

すぐ試合に出れると、(こう思ってた人が多いのでは笑笑?)

でも入部してみると自分の同じポジションのセンターバックには上手い先輩がたくさんいて、
同期には基樹、勇輝がいました。層厚っと思いました。
公式戦が始まっても自分は応援でベンチにも入れない、
同期の2人は試合に出ている状況が続き、悔しかったです。
(なんで同期に1年生から試合に出るセンバが2人もいるんだよと思いました笑笑)

でも客観的に見てスタメンの2人より自分の能力が低いことはわかっていたので、
上手くなるしかないなと思ってました、(この2人は今でも勝てません笑笑)

でも怪我をしないという強靭な肉体のおかげで、
2年生時にセンバが同時に5人怪我するという事件が発生し玉突きで出場する機会をもらいました!


こんな感じですが試合に本当にたまに出場していきます。
2年生のリーグ最終戦もたまたま決勝ゴールを取り残留に大きく貢献します笑笑
(なんでゴール決めた時応援席に行かなかったと言われますが、
相手に同点ゴールを決められた理由が
自分の大ミスでやられて余裕がなかったからです。
失点しないようにしようしか考えれませんでした、、)


今でこそ試合に出れる機会が増え、試合はやってて楽しいと思えてます笑笑
私は入学した当初はBチームで活動していて、練習やみんなといる時間は楽しかったです。
でも、それにプラスで試合に出ることでさらに楽しくなりました!


こんな感じで高校では挫折をしましたが、大学では楽しくサッカーができています。


ダラダラ書いて長くなりましたが、高校は悔しかったと書きましたが、楽しい思い出多くあり、
同級生に恵まれていたと思います!

そして大学の同期で4年間も一緒に過ごして、ピッチの外は楽しい時間しかありませんでした。
本当にどうしようもない自分ですが、これからもいじってね笑笑

自分は本当に人に恵まれてました笑笑
ありがとうございました!

次は高校からの知り合いで、ハルこと久保田晴太です!
彼はサッカーしている時はストライカー気質で中々手におえません。しかし練習が終わるとストレッチ、アイシングに時間をかけている繊細な一面も併せ持っております、毎日温泉いっていて体がボロボロになっているおっさんの深い話に注目してみてね!