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東京2020から、1年。

2022年7月23日。
そう、昨年、日本で57年ぶりに開催された夏季オリンピアード大会、東京2020オリンピックからちょうど1年経過したのである。

去年の今日、俺は以下のようなnoteを書いて、想いを綴っていた。

あの頃の俺は、必死になって目の前の仕事である東京2020の運営の一端に必死になって取り組んでいた。ただひたすら日々の仕事をこなしていた。
世間には様々な声が飛び交う中、東京2020を何とかつつがなく終える事が、将来の素晴らしいレガシーにつながるのだと思い、取り組んでいた。

あの、一生忘れられない夏から、1年経った。

今の東京を、日本を、そして世界を見てみると、どうだろう。

スポーツイベントには、観客が戻ってきた。
多くのスポーツイベントでは、1人ずつ間隔を空けて…という制限もなくなり、隣の人や一緒に観戦に来た友人と膝がぶつかり合う、あの懐かしい、でもちょっと窮屈な感覚を思い出しながら、人々はスポーツ観戦を楽しんでいる。
神宮の杜に生まれた巨大スタジアムでは、ついにサッカー日本代表やJリーグの試合が行われるまでになり、多くの観客で盛り上がったりしている。私もFC東京vsガンバ大阪の試合の応援に行ったが、これぞ、見たかった光景なんだ!と感じ、感動した。

しかし、そんな明るいニュースばかりではない。
あの時我々を苦しめた新型コロナウイルスがもたらすCovid-19という疾病は、いったんは収まる気配を見せたが、この夏になって再び猛威を振るい始め、東京では今日も過去最多レベル、3万人を超える陽性者が出たらしいとか。何でも都民の1%は療養中らしい。
お前たちはなんで再び我々を苦しめるんだと、ウイルスに問いかけたくなる。歴史的なイベントである東京2020を苦しめるだけでは物足りなかったのか。もうちょっと落ち着いてくれよ。

そして皮肉なことに、あの頃ウイルスの脅威と戦いながら大会運営に挑んでいた私も、実はその陽性者になってしまった。1%のなかの1人である。
まさか、あの頃あんなに憎んでいたウイルスにやられた状態で、東京2020の1周年を迎えるとは。非常に残念でたまらない。こんなことがなければ、今日はあの頃のメンバーと旧交を温める予定があったのに。
幸い症状は軽く、丁度今日、2022年7月23日をもって自宅療養が解除になるのが幸いであるが、いずれにせよ非常に悔しい。

そして、世界を見渡すと、ロシアによるウクライナ侵攻。
これが行われたのは、丁度北京で冬季オリパラが開催されている頃であった。オリンピック休戦などどこに行ってしまった。しかも、ロシアはオリンピック休戦の共同提案国だし、そもそもかつてソチやモスクワでオリパラを開催した、オリンピックの平和精神を理解している国ではなかったのか。スポーツが平和をもたらすなんて言葉、どこに行ってしまったんだ。

そして、この東京に再び話を戻すと、あの歴史的な都市の祭典からちょうど1年経つのに、私の周りでは、恐ろしいほどあの頃を懐かしむ話が聞こえてこない。その話をしているのは、共にあの大会を運営した仲間ぐらいではないか、とさえ思ってしまうくらいである。
あの大会がもたらしたレガシーをどこからか拾い出そうとしても、それが市井の隙間から正直見えてこないのである。

この東京は、果たして本当にあの祭典が行われた都市だったのだろうか。
そんな事さえ疑ってしまいたくなる。

ただ、冷静に考えてみたらそう思ってしまうのも無理はないのかもしれない。
だって、あのオリパラという祭典は、コロナ前の社会を前提として設計された祭典であり、その舞台となるものも、コロナ前の社会の前提条件として作り上げてきていた都市だったのだから。
それが、ちょうど開催予定の年になり、例のウイルスが闊歩するようになってしまい、とりあえず1年開催を延期することになった。
その中で、変わりゆく社会に合わせようと皆が必死に生き抜く中、オリパラという祭典も、その流れに遅れてはならぬと必死で軌道修正を図り、なんとか開催にこぎつけることができた。

ただ、それでも、その祭典が本来もたらす価値は、コロナ前の社会でこそ100%発揮されるものだったのであろう。

コロナ後の社会では、リアルな「交流」を行うことが本当に難しくなってしまった。個人レベルの交流でさえちょっと面倒なことになることもあるんだから、国際的な交流を超大々的に行うなんて、そりゃ無理だ、という話だったのである。少なくとも昨年の今の時点では。

ただ、オリパラの価値の1つは「交流」にあったはずなのである。それを前提として、その祭典は組み立てられていたのだから。
開催都市のという舞台の各所でもたらされるはずの「交流」が、大きく制限されたこの東京2020。
その祭典を無事に開催できたこと、それ自体は非常に素晴らしかったことと胸を張って言えるのだが、その事が、この祭典の価値を100%発揮できたという事には、残念ながらつながらなかったのだろう。

ただ、それでもこの祭典を開催出来たことには、意味があると信じていたい。
これは、単なる内部的な自己満足なのかもしれないし、単なる自己満足にここまで多くのリソースを使ったのかと批判する声はいくらでも出てくるのだろう。そりゃそうだ。

ただ、考えてみてほしい。
コロナという出来事をきっかけに、社会はグレート・リセットを迎えたとも言われている。これが本当なのかどうかは分からないけど。
でも、これが本当なのだとしたら、この新しい時代の端緒たる時、2021年の夏に行われた祭典を今の時点で評価するのは、あまりにも早すぎるのではないか。評価をするための評価軸でさえ、実は全く定まっていないのかもしれない。

だいたい、時代の転換点において、人々はその前の時代から引き続くものに、少し価値を低く見出しがちなのかもしれない。
でも、その前の時代から引き続いてきたものだって、新しい時代に必死に適合しようとし、当時における最適解を何とか見つけ出そうとしていたのであろう。
新しい時代を生きている、と思っている者たちから嘲笑されつつも。

ただ、その存在がなければ、後世の誰もがそれを評価することができない。
評価し、そしてより良いものを作るための試金石にも、なれない。

東京2020は、グレート・リセットを迎えたこの社会の、試金石になるのかもしれない。

100年後の人々から、この東京2020は、どう評価されるのだろう。
もしかしたら、何ももたらすことのできなかった無意味な祭典だったと評価されるのかもしれない。
あるいは、歴史的な偉大な祭典だったと、評価されるのかもしれない。
それは、正直分からない。

ただ、東京2020が開催できなければ、その評価を行う事は永遠にできないし、東京2020が社会の試金石になる事はありえないのである。
あの東京2020は空想の世界の出来事にしかすぎなくなってしまったのだから。

だとしたら、東京2020を開催できたこと、それ自体がやはり大きな価値だったのだろう。

呑気な事を言っていると批判されるかもしれない。

ただ、実はそんなものかもしれない。1年経っても見えてこないものは、100年経ってようやく見えてくるほど、巨大なものなのかもしれない。

だとしたら、今焦って見つけ出そうとしても仕方がないのだろう。

今は自己満足でとどめておこう。それが幸せなんだから。