見出し画像

「美大は男尊女卑」という意見を見かけたので既卒の女が筆を取る

女の手はデッサンで不利?

 先日X(旧Twitter)で「手のデッサンを描いたら女の手は良くないから男っぽく描けって言われて泣いた」的なポストを発端に、女はデッサンでも不利なんだって噴きあがってるアカウントが多数出てきたと友人に聞いた。
 私が気付いたときには事の発端となるポストは消えていたが、恐らくそれに同意する意図で投稿された「私も筋のない手の甲はデッサン向いてないみたいに言われて以下略」という旨のポストが700RP越えをしていた。

当事者N=1の意見

 ここで一度結論を述べるが「んなわけあるか」が私の意見だ。
 女が不利なんて、自分の下手さが努力不足に起因すると認めたくない怠惰な人間が吐いた戯言に過ぎない。

 あくまでも一個人の感想ではあるが、「んなわけあるか」と言い切れると判断した理由を以下に二三並べようと思う。

理由その一

 筋のない手が美しくないと仮定すると、なんのためにこの↓石膏像が販売されてるのか&模範的なデッサン用の石膏像として流通してるのか。の説明がつかないから

 因みに、引用した石膏像のメーカー曰く売上ランキング2TOPは女の石膏像らしい。3位は男だが、123位全てが鎖骨から上の像なので、男女というよりそっちが要因としてデカいと考えられる。

理由その二

 自分の手とデッサン力が原因で講評中指摘されるのは男女共通だから

 この「女はデッサンでも不利で以下略」という話題の情報を提供してくれた友人は美術系の高校出身なのだが、似たような手のデッサン課題に際し、男性が批評される場面に立ち会っているという。そのエピソードを書き記す。
 友人曰く、その同級生は非常に手の筋張った人で、血管も骨もバキバキに浮いていた。そのためありのままを描いたが、講評時には「やり過ぎだ」と指摘を受けた。
「本当にこんな手なんです」と教師に見せたところ、「本当だ。でも絵においてはやり過ぎだから控えた方が良い」という結論で終わったという。

 性別にフォーカスを宛てた反証として分かりやすい経験談だったので友人の話を引用したが、実のところ類似のエピソードは手のデッサンをやったことがある美大生ならば高確率で持っている。
 私も爪の生える角度が不自然だと言われて講師に向かってサムズアップして見せたことがある。水掻きが人より大きい友人も手を見せていた。乾燥肌で指紋が薄い人は「あなたの手は油を塗ったみたいにつるつるして見える。もっと皴も描きなさい」と指摘されていた。

 ここでアンチルッキズム過激派に勘違いをしないでもらいたいのだが、以上に挙がった教師・講師陣の指摘は「あなたの手は不細工です」と言っているのでは決してない。
 彼らは、この現代においてモノクロ写真ではなくあえてデッサンをする意味をもっと真剣に考えなさいと言っているのである。

 共に東京藝大卒の笠井一男と永山裕子(敬称略)は、対談の折にこのように語っている。
”写真みたいって言われるのすっごい嫌なんですよね”
”一番しくじったって、こっちの思う(言葉)”
”そうそう。ガクッとくるのは、写真みたいって言われたときですよね”

 王侯貴族がパトロンとなって絵を描いていた時代は、絵に記録としての意義が包含されていた。カメラが生まれて絵の中からその意義が奪われそうになった時、絵の新しい価値を見出そうとして先人は尚も筆を取った。
 すなわち手のデッサンに物申した先生らは、「その巨人の肩の上に立つのだから、見たまんまを写し取る、つまり写真の下位互換に収まりに行くような素振りを、自分でするもんじゃないよ」と指摘しているわけだ。
カメラは単眼故に物を立体視する力が弱いのだから、目が二つある生き物の強みを活かさずにどうするのって話でもある。立体視が出来る構造を持った生き物が平面の上に立体物を描き出すのだから、解釈という名の歪みが挟まって当然で、「見たままはこうなんです」という主張がいかに思い込みに過ぎないかっていう自他双方への戒めの言葉として絵を批評される時もある。そういう諸々のお説教をぎゅっと一言に集約した結果「写真よりも現実味を帯びた絵を描きなさい」なんていう指導が飛んでくることもある。

 現実を直視したくない人間に現実を突きつけることになるが、結局はそれくらい凄みのある絵が描けないあなたの力不足が、講師の批評を生み出している。
 講師も少なくないお金を貰っている以上、生徒を美大に合格させたい。けれど絵を描く生徒の中には、勉強も運動も出来なくて逃げ道として絵を選んだ子もいる。私は絵が取り柄だからと自己暗示をかけて、けれど本当は承認欲求を満たしたいだけで、その手段は必ずしも絵じゃなくてもいいって人間もいる。美大受験するので画塾来ましたーと言う割にデッサンに熱心になれない子を見ると、果たしてこの子は本当に絵を描くことが好きなのか?それとも……と講師側も考えてしまう。そういう子に絵画の存在意義が云々しても「そんなことよりササっと楽に一発で受かる方法教えてよ」と返されるかもしれない。
 そこで数多の講師が捻りだした苦肉の策が「とりあえず受験だけなんとかパスできそうな小手先の上手さを伝授する」ことなのである。

 本質としての上手い絵が描けるならモナ・リザみたいなすべすべふかふかの手でも合格する。

 それが出来ないなら「下手だけど熱意はあります!」と見せかけた絵を描くしかない。筋の少ない手の甲という部位は、つるつるとすべすべとぬるぬるとさらさらが描き分けられないへたっぴには難しい題材だというだけの話だ。せめて指を広げて動きのある構図にすることで、私奥行きというものが描けます!と実力の一端を見せなければならない。

上手さってなによ

 これは余談だが、私は芸大在学時、受験会場のアシスタントのバイトを4年通してやった。(詳しい内容は伏せるが寒い以外はマジで楽しいバイトなので縁があったら是非やってほしい。)ある年に、別室に控えている間、試験会場で描かれているであろう未来の後輩たちのデッサンに思いを馳せつつバイトどうしで当時の思い出を語らっていた。ところがそれを聞いていた一人の助教が「熱意…?小手先…?」ときょとんとしていたので私は動揺した。
 そして一周回って笑えた。上手い人間にとっては良い絵かそうでないかの違いしかなく、所詮小手先の上手さなんて「上手さ」と呼ぶべき代物ではないらしい。
 良い絵を描こう。

理由その三(おまけ)

 女の方が有利だと感じる経験もあったから

 私がまだ美術に興味がなかった頃の話をする。
 小学生当時、図工の授業で無双する絵の上手い男の子がいた。私の弟と彼の弟が同じ野球部に通っていたので、ほとんど会話をしたことがないものの「悪い奴じゃない」くらいの認知はあった。そんな子が、ある時からいじめを受けるようになった。きっかけは授業で物差しを使ったことだった。
 教師の「フリーハンドで描く線の方が味があるでしょ?」という方針で、風景画を描く授業のあいだ、物差しを使うことが禁止された。彼は製図なども好きな、ざっくり言って几帳面なタイプだったらしく、法の目を掻い潜って割りばしを持参した。開成の運動会みたいで草。
 ところがこれがクラスの中心になるタイプの女の子の目に留まり、「先生の言いつけを破るなんて!」と卑怯者としての烙印を押された。
 ルールを破ること自体はいけないが、小学生レベルの描画力の前ではそんなもん一目で定規を使ったかどうかなんてお見通しなわけで、なんでクラスの半数が私刑しなければという結束力を手に入れたのか分からない。
 本旨はここからになる。そんな彼がいじめにあった一年ほどの間、彼に浴びせられた誹謗中傷の中で一番多かったのは、なんと「ズル」「卑怯」ではなく「男のくせに(絵を描くことに熱心で)キモい」だった。
 バクマン。という漫画を読んだことがあるだろうか。漫画家を目指す若者の物語なのだが、主人公の同級生に石沢秀光という、キモいと読者に言わせるために作られたようなキャラがいる。ああいう扱いをクラスのカースト上位組から受けていた。石沢と違って萌え絵もエロ絵も漫画も女の子さえ描かない、どちらかというと建築士志望っぽいお絵かき人間だったのに。
 結局彼は絵を描かなくなった。男に生まれたばっかりに可能性の芽を一つ潰されたわけだ。

 ここで一度当初の問題に立ち返りがてら、画塾に通った経験のある人は教室内の男女比を思い出してほしい。美大卒の人も大学内の男女比を思い出してほしい。画塾は女だらけじゃなかったか?画塾と美大の男女比はそのまま据え置きで、学内の女性率は圧倒的ではなかったか?うちはそうだった。大学に入れたからといって画塾より男の比率が上がるなんてことはなかった。それは院試を通過した同級生の男女比においても同じだった。

 美大受けよっかな、そのために画塾行こ。というところに至る前に振り落とされた男は、一体どれくらいの数に上るのか想像してみたことはあるか。先述のような偏見の目を乗り越えて絵を描くことを貫いた人間と、画塾で先生に言われた一言に囚われて足が竦む人間。両者の間に覚悟の違いがあるかもしれないと想像してみたことはあるか。

甘えるなよ

 女性がメイン層のオタクコミュニティを見ていると、時々「相手の機嫌を損ねないために褒める」「見返りとして褒めてほしいから褒める」という場面を見かける。どう考えたって私のポリシーはあなたの普段のスタンスと食い違っているだろう、なぜ私の絵を軽々しく褒める?そこに自我はないのか?誰に謗られようとこういう絵が好きなんだと言える自分の軸みたいなものはないのか?という相手から褒められることがある。
 もしかしたら、画塾で講師の指導を受けていて凹むのは、早くからネットに自分のイラストを投稿していて、こういうコミュニティにかち合った人なのかもしれない。どんなに酷い絵だったとしても何か良い所を見つけて褒める、それが道徳であり優しさなのだと思っているのかもしれない。

 残念ながら、私が通った芸大にその優しさはない。人当たりが良かろうが愛嬌があろうが、絵が誠実でないと信用を獲得できない。絵に没頭できるモラトリアムではなく優しい人との触れ合いを求めているなら、総合大学で文化祭のときに重用される方がまだ心が満たされるかもしれない。その点でいえば、単に絵が好きと言うだけでは歓迎してくれない残酷さはあると思う。

 私の主張を読んでみて、それでも美大が全て信用ならないと思う方は、せめて私の母校で絵を学んでみてほしい。女性の社会進出が不十分だった時代に上村松園を輩出した京芸は、女性だからという理由で不用意に人の芽を摘まない。


 最後に、ネットによくいる大法螺吹きと同類に思われるのは切ないので、多少の信憑性を持たせるために私の経歴を記す。まあこんなん書いても手の込んだ嘘だと思われたら終いで、事実と証明するのは難しいんだけど。

小4:音楽してた
小6:音楽は一人で出来ないと気付き、コミュ障には向いてないと悟って中学受験を諦めた
高2:進路に悩んで「絵なら独りで出来るんじゃない?」と音楽をやめ美大を目指した
高3:画塾に通い始めた
一浪:京都市立芸術大学美術学部に入学
大学一回:「絵に命かけられないわ」と気づいて就職志望に切り替える
新卒:画塾講師として就職 数年で辞める
Webデザイナーに就職
今に至る

 芸術家一族に生まれたわけじゃないし、何なら芸大に来た人間の中では圧倒的に美術に関する知識のない方だった。
 そんな平々凡々人でも真面目に絵描いてりゃ「んなわけあるか」と分かるので、女が不利ということにしたい人の話を聞いて、その前にもう少し真面目に絵を描きなよと思ってしまった。
何一つ才能を持たない凡人にまで同情される身の上って哀しいよな。


提灯のデッサン。やっぱり大人になってから見ると下手だね。でも誠実なら受かるんです。